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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第十四章 聖香華
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ⅩⅣー1 〈狂い森〉の老女

■新しい生命

 櫻館――。


 起き上がれるようになったレオンは、セイの部屋を訪ねた。

 十歳のときから孤島での彪吾との再会と別れまでのことは思いだした。だが、彪吾と別れてからこのアカデメイアに戻ってきたときまでのおよそ二年間の記憶はいまなお空白だった。


「セイどの。教えていただけませんか? あのとき、わたしは彪吾を生き返らせ、その代わりに瀕死になったはずです。けれども、その後の記憶が蘇りません」

 セイはレオンの秀麗な顔をじっと見つめた。

「わしが知っていることをお話してもよいが、聞いた以上は覚悟せねばならんこともありますぞ。それでも聞かれますかな?」

「はい。覚悟しております」

 セイは語り始めた。その語りとともに、レオンの記憶も呼び戻されていった。


 十六年前――。

 孤島を脱出し、アカデメイア本島に辿り着いて、無人の小屋に彪吾を横たえ、孤島での彪吾の記憶を消した。小屋を出たフレイアは、そのまま気を失った。銀狼はフレイアを背に乗せ、森のさらに奥に消えた。

 森の動物たちに守られてフレイアが意識を取り戻すと、フレイアは身体の変調に気づいた。腹に手をあてると、生命の〈気〉を感じる。


――彪吾の子だ。

 決して失いたくない! だが、どうすればよい? だれに助けてもらえばよい?


 自分は天月と孤島の世界しか知らない。だが、どちらにも戻ることはできない。


 フレイアは、孤島のセンターの図書室に置かれた書物を思い出した。そこには、さまざまな異能や神話、伝承に関する書物も収められていた。天月宗主が言った〈月読族〉や〈弦月〉に関する記事や書物はいっさいなかった。

 代わりに見つけたのが、〈月の一族〉に関するいくつかの書物だ。甦りの異能が書かれていた。息のない彪吾に対してとっさに使ったのは、〈月の一族〉の異能に近い。


 ひょっとしたら、自分は〈月の一族〉と関わりを持つのかもしれない。だが、〈月の一族〉は、まぼろしの一族。〈月の一族〉の継承者の一つが、(こう)華族(げぞく)だ。

 香華族は、医薬術に秀でるという。


 香華族の本拠地はカトマール――。だが、カトマールでは内戦が起こり、軍事政権下で国内の香華族はほとんど処刑・追放されたとか。ただ、〈はぐれ香華〉が住む〈忘れられた村〉は目こぼしされたと、いつぞやセンター長が言っていた。

 その周辺は部族紛争が絶えず、非常に危険だ。カトマール軍事政権ですら、介入できないほどらしい。だが、そこに行き、助力を得なければ、子の命はない。賭けだった。


 フレイアは決断した。

 彪吾を見守るよう銀狼に託し、自分は、天月の山で得た薬草によって回復した最後の力を振り絞り、〈忘れられた村〉を目指そう。

 ふらつきながら歩き始めたフレイアの姿がフッと消えた。


■〈狂い森〉の老女

 カトマール西南部は、経済発展から取り残された山岳地帯だ。宗教的にも部族的にもモザイクをなす。

 部族抗争が絶えなかった歴史を反映して、カトマール帝国時代には皇帝直轄領とされ、いくつかの有力な部族にかなり広範な自治権が認められていた。


 しかし、帝国崩壊後、あたりは無政府状態に陥った。帝国末期、反帝国軍は帝国と皇室を打倒するために、この地域の少数部族にひそかに武器を与え、度重(たびかさ)なる蜂起を起こさせた。帝国崩壊後の完全独立を約束したのだ。だが、帝国崩壊後、新たに成立した軍事政権は約束を反故(ほご)にした。反政府運動を抑えるために軍が介入し、部族間抗争に仕立てた。多くの命が失われた。


 深い谷の一つに、それらの抗争からも距離を置き、忘れられたような小さな村があった。村は貧しく、産業も資源もなかった。薬草知識に()け、薬売りをしてあたりの村々を回る以外には、村人のことはおろか、村の場所すらほとんど知られていなかった。――それが、〈忘れられた村〉と呼ばれる〈はぐれ香華の村〉である。


 〈はぐれ香華〉とは、中央の香華族とは異なり、異能を持たず、心身に何らかの支障を持つがゆえに、香華族から見捨てられた人びとを指す。

 三十年前の内戦で王侯貴族身分に属する〈本香華〉の一族は皆殺しにあい、彼らが持つ広大な領地や財産、居城はすべて政府に押収(おうしゅう)された。だが、〈はぐれ香華の村〉は放置された。

――〈忘れられた村〉は忘れられたままに捨て置け――。

 軍幹部はそう言ってのけた。軍の投入に見合うだけの価値がなかった村に、政府が関心を向けることはなかった。軍事政権は、村の周囲にある豊かな諸部族の抗争に手を焼いていたからだ。


 〈はぐれ香華の村〉から一山(ひとやま)超えた谷あいに、一人の老女が住んでいた。いつ頃ここにやってきたのか谷の民にもわからなかった。老女は村人とはなじんでいないが、村人は老女を怖れながらも排除はしなかった。卓抜した医療知識と薬草知識を持ち、村人や周辺の人々を救ってきたからである。


 老女の名は、セイといった。


 いつものように、日の出とともに、セイは山に薬草を採りに出かけた。深い森と清涼な水と適度な冷気に育まれ、山には希少な薬草が多い。半日ほど歩いて採取した薬草を背負(せおい)(かご)に入れ、一休みしようと岩場に腰かけたセイの目に、白い(ころも)が映った。


――だれだ?


 この深山(みやま)には村人も入ってこない。〈狂い森〉と怖れられる樹海(じゅかい)が広がり、方向感覚が狂いやすく、一度入ると出られない。


――〈狂い森〉に迷い込んだ行き倒れか?

 セイは目を()らした。


 助けるには、渓流を渡らねばならない。

 いまは水が引いて渡りやすいが、昨日の雨で、まもなくこの渓流はあっという間に増水するだろう。あの白い衣の人間は水につかり、急流に運ばれるはず。さすれば命はない。


 セイは岩を蹴った。老女とは思えないほど軽い身のこなしだ。流れから出ている岩を飛び渡り、白い衣の者を抱き上げた。若い女だった。


 香りがした。香華族の香りだ。

――しかも、きわめて高貴な香り。


 セイは女を肩に担ぎ、元居た岩場に戻った。その瞬間、渓谷に水があふれた。ごうごうと鳴る水を背に、片方に女、片方にザルを背負い、セイは自宅の小屋を目指した。


 横たえると、女はまだ十代半ば――非常に美しかった。だが、何らかの事情で、体力と気力を消耗しきっていた。このままでは死ぬ。


 腹に手をやると生命の〈気〉が感じられた。子がいるようだ。

 ただ、子宮が十分に生育していないように思われる。このままでは、出産は非常に危険だ。


 セイは、ありったけの知識と薬草を総動員し、女と子の命を救うために力を注いだ。まる二昼夜、セイは不眠不休で女の救済に専念した。


 三日目の夜、満月が差し込む小屋の中で、女はゆっくりと目を覚ました。黒い髪の美貌の少女は、長いまつげの奥にある黒い瞳にセイの姿を映した。


「安心なされ。ここはわしの家。さあ、この薬湯(やくとう)を飲んで、もうしばらくお眠りなされ」「

「子は……子は?」

「お子は無事じゃ。安心しなされ」

 少女はホッとした表情で、セイにこころからの感謝をささげた。差し出された薬湯を口に含んで、少女は再び深い眠りに落ちた。


 セイは確信した。

――この少女は、香華族。

 しかも、香りからすると、最高位の香華族だ。顔立ちは、かつて仕えたカトマール皇帝の若い頃にとてもよく似ている。


 カトマール皇室の者は全員処刑されたと聞く。ひょっとして、生き残りがいたのか? 年のころからすると、可能性は皇子レオン。クーデター当時は二歳になるやならずだったはず 。


 だが、今、目の前に横たわるのは少女だ。

 しかも身ごもっている。皇子のはずはない……。


 セイは身を(ふる)わせた。


――まさか、〈(せい)香華(こうげ)〉? 

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