ⅩⅢー1 生死の狭間
第十三章 天月の銀狼
1 生死の狭間
■月の華
櫻館に月影が落ちる。
ヤオに伴われ、あわただしくやってきた見慣れぬ白髪の老女が、暗い顔で部屋から出てきた。ヤオが尋ねた。
「セイどの、いかがでございますか?」
「レオンさまの生気がほとんどござらん。このままでは時間の問題……わしの力などでは、とうてい及びませぬ……」
カイはセイにそっと尋ねた。
「レオンさんは、甦りの禁術を使ったのですね?」
「そうじゃろうの……。この禁術は、使う者の生命力を犠牲にする。生命力を何か別のもので補わぬかぎり、いのちは尽きるほかない……」
「補う手立てはあるのですか?」
「香華族では、月の光を体内に取り込む方法があると伝わる。じゃが、それに耐えうる力がなければならぬし、特別な神具も必要じゃ」
「神具とは?」
「珠じゃ。〈月の華〉と呼ばれる水晶の珠でな。代々、カトマール皇室に伝わる秘宝じゃが、いまは行方知れずじゃ」
「水晶の珠ですって?」
カイは顔色を変え、レオンが横たわる部屋に飛び込んだ。真っ青な顔の彪吾に尋ねた。
「彪吾さん、レオンさんが姉上から託された球はどこに?」
彪吾があわててレオンのデスクの引き出しを開けた。
「これのこと?」
カイは、それをセイに手渡した。セイの顔に歓喜が浮かんだ。
「まさしく、これじゃ!」
セイは、月の光とレオンの間に珠を置き、光を調整した。月光が集められ、レオンの胸元をあざやかに照らす。
「おおお! 〈月の華〉の力を引き出すことができるとは、やはり……!」
セイは、すべての者を下がらせた。
水晶の珠に導かれるように、敷き詰めた香草から香りが虹のように立ち上り、珠に集まり、月の光に溶け込んでいく。レオンの胸に落ちる月の光から、えもいわれぬ高貴な香りがゆらめいた。
セイは一心不乱に祈り続けた。
ドアの外では、彪吾が銀狼を抱きしめて泣き続け、カイは沈痛な面持ちを変えない。リトもヤオもなすすべがなく、立ちすくんだ。
夜があける頃、ようやくレオンの表情にわずかに生気が戻ってきた。
セイは彪吾を呼び入れた。
「いま、このお方は生死の境におられる。あなたさまのお力で呼び戻されよ」
彪吾は、レオンの手を握り締め、ひたすらレオンの名を呼んだ。
■生死の境から
薄い白い霧が一面に立ち込める
水面に波はない
ここはどこなのだろう
そっと足を進めると
ひんやりとした水が足首にからみつく
ふと耳を澄ませると遠い声が霧を揺らす
慕わしいひとがわたしの名を呼び続けている
振り返るとひとすじの光が射した
かのひとの声が次第に近くなる
足許の水が引き
手のぬくもりを感じた
記憶があざやかに甦る
レオンがうっすらと目を開けた。彪吾がわっとレオンに縋りついた。
「よかった! よかったああ。レオン、よかったああああ」
彪吾はワンワン泣き出した。レオンは彪吾の後ろに立つ老女を見た。セイだった。
「セイどの……セイどのがお助けくださったのですね」
「わしは力添えしただけでござる。このお方とあなたさまの思いが強かったおかげですな」
レオンは彪吾をやさしく見つめた。
「わしは外におりまする。まあ、急がんでもよろしいぞ。わしもこの櫻館で部屋をもろうておりますでな」
セイが出るのを待ちきれず、彪吾がレオンを抱きしめた。レオンも彪吾を抱きしめ返す。セイは、深い皺が刻まれた顔をニッとほころばせ、ドアを閉めた。
■夢の意味
「ごめん……。レオン、ボクのせいだ。ボクが妙な夢を見たせいで、キミにひどいことをしてしまった」
「夢……ですか?」
「うん……」
彪吾は、あの少女の夢を語った。レオンは静かに聞いていた。
「ボク、ひどいだろ? キミだけを愛しているつもりだったのに、浮気したんだ。しかも、その女の子のことも騙してた。ボクはその子を見てたんじゃなくて、その子にキミを見てたんだから」
レオンは彪吾の手を取った。
「その少女はわたしに似ていたのですね?」
「うん……」
彪吾はレオンの反応を確かめるように、ためらいがちに言葉を継いだ。
「……キミに似て、とてもきれいな子だった。十六歳のレオンならこんな感じかなって思った……」
レオンが頷いた。あの時の少女が見せた深いやさしさにあふれたまなざしだった。
「彼女の名を聞いてもよいですか?」
「うん……フレイア……」
「彼女が言ったのではないですか? 自分をレオンと思えばいいと」
「そうだけど……でも、なんでレオンが知っているの? そこまでボクは言わなかったのに……」
不安そうな彪吾の手を握りながらレオンは言った。
「わたしも夢の中で思い出したのです」
「え?」
「〈十歳のレオン〉はたしかにわたしでした。そして……そのフレイアという少女もわたしだったのです」
彪吾が呆然とレオンを見つめた。
「わたしには特殊な力があったようです。天月宗主にその力は危険と言われ、封じるように命じられました。崖から落ちたのは事実ですが、わたしは死にませんでした。その代わり、女性の身体に変わったのです」
「え?」
「あの孤島であなたを見つけたときは喜びに胸がはちきれそうでした。あれほど会いたかったあなたと再会できたのですから。ですが、わたしの力はあなたを危険にさらすかもしれず、わたしは真実を話せないまま、フレイアとしてあなたに接したのです。ですから、あなたがフレイアを愛してくれてうれしかった。わたしは、レオンでもあり、フレイアでもあったからです」
彪吾の目に涙が浮かんだ。
「じゃあ、ボクはキミを裏切ってなかったんだね?」
「そうです。あなたはわたしだけを愛してくれました。わたしの姿が変わってもわたしを愛してくれました。そして、わたしもあなただけを愛してきたのです。その記憶がやっと戻りました」
「レオン……ボクのレオン……」
彪吾はまたレオンに抱きついた。ゆっくりとレオンの唇が彪吾の唇に降りてきた。そのまま二人は時を忘れて抱き合った。




