Ⅻー4 罪の意識
■目覚め
櫻館のレオンのベッドの上で、彪吾がやっと目覚めた。レオンはうれしさの余り、涙を流した。銀狼がのそりと首をもたげた。
「レオン……ボク、どうしてたの?」
「ちょっと事件に巻き込まれて、しばらく意識を失っていたのです。目覚めて本当に良かった!」
彪吾はぼんやりしている。まだ実感できないのだろう。レオンは彪吾の手をとって彪吾を抱きしめ、その唇に口づけた。
いつもなら大喜びする彪吾が、まだぼんやりしている。
「どうしたのですか? まだ、どこか具合が悪いのですか?」
レオンの美しい顔が心配で翳っていく。
「ううん……大丈夫だよ。ちょっと夢を見てたみたいだ……」
銀狼が彪吾を見つめた。
「ジルバ……。ねえ、おまえはレオなの?」
彪吾が銀狼に尋ねた。
「レオ……? いったい何を言っているのですか?」とレオンが尋ねてもそれに答えず、レオンがのばした手に、彪吾はわずかに身を逸らした。
レオンは、衝撃のあまり、固まってしまった。彪吾に拒否されるなど、いままで一度もなかった。ヨロヨロと部屋を出たレオンは、ツネさんに彪吾の食事を頼み、ぼんやりとしたまま、仕事に出向いた。
ラウ伯爵が心配した。こんなに意気消沈したレオンなど見たことがない。彪吾を拉致されたことに罪の意識を持っているのだろうか。だが、ともかく彪吾が戻ってきて良かった!
彪吾から笑顔が消えた。それは、櫻館のだれもが気づいた。あの拉致事件がよほどの衝撃だったのか。レオンが心配そうに佇むが、彪吾はレオンに頼ろうとしない。
リトは不思議に思った。
――レオンにあれほどメロメロだった彪吾がいったいどうした?
彪吾は自分の部屋に籠もるようになった。銀狼は招き入れるが、レオンが入るのを頑なに拒む。拉致事件で、何らかの精神的ショックをうけたのだろうと虚空は見立てた。
レオンは再び冷然とした姿を取り戻したが、それは表面上だけだ。リトの目に映るレオンは、ガラス細工のように脆くて壊れそうな雰囲気に変わった。
彪吾はレオンを嫌いになったのではなさそうだ。部屋からそっとレオンの後ろ姿を盗み見ている。その目は切なさに満ちている。
レオンは、出張先のカトマールに戻った。そのときも彪吾はレオンをじっと見つめていた。
■葛藤
彪吾は悩んでいた。
あの夢が意味することがわからない。記憶を失った一年間のことのようだ。あまりにリアルな感覚で、夢の中のこととは思えない。
――もし、あれが夢じゃなく、失われた一年間の記憶だったなら、ボクはレオンに顔向けできない……。
だって、あのとき、ボクはフレイアという少女を愛してしまったんだもの。その少女と何度も口づけを交わし、固く胸に抱き、愛し合った。ボクはレオンだけを愛していたはずなのに。
彼女は言った。自分をレオンの代わりだと思えばいいと。本当にそうしてしまった。
ボクは彼女のことも裏切っていた。なんということだ。ずっと二十年以上もレオンだけを愛していると思い、それをよすがに生きてきたのに、レオン以外のひとを愛してしまったなんて。
レオンの顔をまともに見られない。つらくて見られない。
でも、レオンを見ていたい。レオンに触れたい。
でも、怖い。
自分のこころが怖い。
何も言えないまま、レオンが去って行った。もしかしたら、二度とここに戻ってこないかもしれない。そんなことになったら、ボクは生きてゆけない。レオンを失ったら生きてゆけない。
レオンに真実を告げるべきだろうか?
でも、そのとき、レオンはどんな顔をするだろう……。レオンに嫌われるのはイヤだ。
レオンを裏切った自分が悪い。すべて自業自得だ。
■禁術
ツネさんは、心配して何度も見に行った。彪吾は、ふたたび食事を取らなくなり、衰弱するばかりだ。頼みのレオンすら、彪吾が拒否する。レオンには絶対連絡するなと念を押す。
虚空が点滴を手配した。擬薬が何度も投与されたせいだろうか。肝機能が急激に落ちている。このままでは危ない。
虚空の医師命令で、レオンが呼び戻された。彪吾は意識がない状態だ。
レオンは絶句した。迷い、悩んでいるうちに、ただ一人愛する人が、死の淵に立たされている。レオンは彪吾の手を取った。二人だけにしてほしいと頼み、レオンは彪吾を見つめた。
――この人を喪ったら、生きてゆけない。
彼がわたしを必要とする以上に、わたしが彼を必要としている。なのに、不可解に距離を取られただけで、その真意を確かめもせず、彼のそばを離れたのはわたしだ。
レオンは彪吾に身体を重ねた。記憶にない遠い昔に同じことをしたような気がする。
レオンはひたすら念じた。
――この人を助けてください。その代わりにわたしの命を捧げます。
いつの間にか月が昇り、満月の光が二人をやさしく包んだ。意識が遠くなる中で、レオンは彪吾の声を聞いた。
――レオン! 行かないで!
そして息絶え絶えに答えた。
――よかった……。
そのままレオンは意識を失った。彪吾が目覚め、呆然と恋人を見つめた。
レオンが目覚めない。銀狼が悲しそうに首を上げた。
虚空には、まったく原因がわからなかった。危篤だった彪吾が生き返り、代わりにレオンが危篤に陥った。ただ、よく似た光景を目にしたことがある。
――リク。
幼いリクは突然、意識を失い、危篤になったことがある。五歳のときだ。
カイは冷静に判断していた。
彪吾の危機に直面して、レオンの潜在力が呼び戻されたのだろう。
だが、命を救うのは、自分の命とひきかえだ。異能を使った場合、医術では対応できない。香華族の異能の抑制にも回復にも、香華族の強い異能者の助けが必要だ。
だが、そのような者はここにはいない。リクがたとえ香華族だったとしても、死の淵から人を呼び戻すことなどできない。
青ざめた顔で横たわるレオンの手を彪吾が握りしめている。ボクのせいだと言い続け、まるで正気を失っている。
櫻館のだれもが沈痛な面持ちになった。
スラからレオンの様子を聞いたイ・ジェシンは真っ青になって、橋の下に飛んでいった。
「だれか、なにか、手立てはないの? ねえ、教えてよ!」
半狂乱のジェシンの声に、ケイもケマルもなすすべがない。
ヤオが気づいた。
――レオンさまが危篤?
ヤオは、すぐに心当たりをつれてくるからとジェシンに金と車を借り、あと一日はなんとかもたせろと言い残して、ケイに車の運転を頼んだ。ケイはすぐに櫻館に連絡し、ヤオを空港まで送り届けた。
ジェシンは〈蓮華〉のサキの許に走った。
――サキ先生はボク以上に心配してるだろう。
サキは授業をしていた。櫻館の子どもたちもいる。キュロスも廊下に立っていた。ヤオのことを聞くとキュロスはホッとした。一度会ったあの人物は並みの者ではない。
真っ青な顔でブルブル震えるジェシンをキュロスが宥めた。ジェシンは本当にレオンが好きなのだろう。
ジェシンの涙目の中で、サキは気丈に耐えているように映った。強いなあ……。
ヤオは、セイの許に駆けつけた。
話を聞くや、セイはヤオとともにすぐにアカデメイアに飛んできた。
――レオンさまは禁断の術を使ったに相違あるまい。香華族としての力が目覚めるだろうが、はたして、レオンさま自身のお命がもつかどうか……。なんとしても助けねば。〈聖香華〉かもしれぬお方を喪うわけにはいかん。
セイは、すべての者を部屋から遠ざけた。そして、特殊な薬草を焚きしめた。
今宵は満月――。
術を施すのに必要な天の力を受けることができる。月の銀色の光と薬草のかぐわしい香りに包まれて、セイは、自分が持つ〈気〉のありったけをレオンに注ぎ込んだ。
ロビーでみなが心配そうに二階を見上げている。カイはヤオに近づき、そっと尋ねた。
「あのご老女は香華族ですか?」
「さようです。香華族最高の薬師セイどのです。セイどのだけがレオンさまをお助けすることができます」
カイはヤオをじっと見た。
「……あなたはレオンさんが何者かご存知なのですね?」
ヤオがハッとした。銀麗月だ。隠してもすぐバレる。
「はい。存じております」
カイは頷いた。
「香華族最高の薬師セイどのといえば、亡きファウン皇帝の女官長。そのセイどのだけが助けられるとすれば、やはりレオンさんは、カトマール皇室の皇子なのですね?」
「……さようです。すでにお察しだったのですね」
「じつは、レオンさんもご自身のことに気づいておられます。ですが、さまざまなことを考慮してその事実を伏せているのです。わたし以外は、彪吾さんをはじめ、櫻館のだれもこのことを知りません」
「そうでしたか……」
「ご本人が直接お話しになるまで、わたしの口から秘密が漏れることはありません。どうぞご安心ください」
セイが部屋から出てきた。沈痛な面持ちだ。
「容態はきわめて深刻でござる……。今夜一晩もつかどうか……。手は尽くしましたが、これ以上は手立てがござりませぬ」
彪吾が真っ青になり、カイも顔面蒼白だ。
「ねえ! なんとか手立てはないの? レオン、レオン! ボクだよ、ねえ、目を覚ましてよ!」
彪吾は部屋に走り込み、レオンの手を取った。もはや半狂乱だ。
レオンの手はすでに冷たい。
○レオンの隠された異能については、
「銀月の島と緋月の村」第十一章 〈天月の子〉Ⅺー2 レオンの秘密
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