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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第十二章 孤島の琵琶
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Ⅻー1 拉致

■ある日突然

 ある日突然、彪吾が消えた。


 いつものように授業を終えて研究室に戻り、荷物を置いて研究室を出た――そこまでは足跡をたどれた。だが、その先がまったくわからない。カトマールから駆けつけたレオンが真っ青になって彪吾を探し回る。彪吾に貼り付けていた天月士でさえ見失ったという。

 サキがユウ警部に知らせ、警察も秘かに動いた。カイもカムイとともに蓬莱群島一帯を捜索し、橋の下の仲間たちも総出で協力してくれた。ジェシンも必死だった。だが、まるで手掛かりがない。

 レオンから極秘の報告を受けたラウ伯爵も青ざめた。ルナ・ミュージカルに支障が出るのは致命的だ。彪吾の捜索を最優先するようレオンに指示した。


 やみくもに探しても見つかるまい。レオンは、一週間ほど前からの彪吾の行動を徹底的に洗い直した。


 その頃、レオンはカトマールに出張中だった。そんなとき、彪吾は授業以外は櫻館のレオンの部屋に籠もりきりになる。銀狼が護衛を兼ねて、彪吾のそばにいるため、櫻館内で彪吾を拉致することは不可能だ。大学への移動は万蔵さんの車で、音楽学部玄関まで送り迎えがある。ここにも隙はない。


――授業はどうだ?

 

 彪吾は講義一つとゼミ一つを担当している。講義は人気科目で定員制、いつも満席だ。授業後に学生の質問に応じることはるが、次の授業の邪魔になるため長居はできない。

 研究室には学生を入れない。あふれかえって収拾がつかなくなるからだ。レオン以外の教員や来客も入れない。必要な場合は学部秘書室隣の応接室を使うが、最近、使った形跡はない。


 大学で彪吾が一人になるのは、研究室からミュージカルの稽古場に向かう通路だけだ。ここにも監視カメラがあるが、映像に異常はなかった。ただし、コンピューターは操作可能だ。警備員の異動は最近ないが、あの女性秘書が二十五年潜んでいたことを思えば、油断は禁物だ。


 レオンはハッとした。


――あの女性秘書が姿を消して一ヶ月。彪吾について何らかの情報を握り、失踪に関わった可能性はないか?

 

 彼女はルナ大祭典の情報にはアクセスしていない。しかし、ラウ財団秘書室のアカデメイア担当部署にいるため、通常モードで音楽学部教員データにアクセスできた。彪吾の公的予定は音楽学部秘書室が管理し、他の教員同様、表として共有されている。これを見れば、学内での彪吾の動きはほぼ把握できる。

 やはり、失踪日は、ミュージカルの稽古を終え、研究室に戻る途中で消息が切れていた。


■ルルの推理

 連絡通路に向かったレオンは、物陰に潜むルルを見つけた。


 ルルは口に指を当てて黙れと示し、そっと手招きした。音楽家として彪吾を尊敬するルルは、失踪を知って独自に調べていたらしい。レオンは表情を変えずに近づいた。


――どうしたのですか?

「ここは監視カメラの死角だ。アンタが来ると思って待ってた。もう一つ死角がある。おそらく、そっちでヒョーゴ先生は狙われたんだ」


――何故そう思うのですか?

「先生は大学では無駄な動きはしない。いつもさっさと帰る。ちょっとでも長くアンタといたいからだろう。だから狙う隙なんてない」


――……。

「だけど、あの日は違った」


――え?

「稽古場に、いつもと違う見物人がいた。あたしと同じ特別選考で入ってきた女子学生だ」


――女子学生?

「ああ。田舎の純朴な子を装ってたが、ありゃ違う」


――どういうことですか?

「作曲専攻で入ったが、ヒョーゴ先生によると天才型じゃなく、相当訓練された努力型の秀才だ。だが、あたしにはソイツはこうほざいてた。ピアノは下手だし、教師に勧められて来たけど戸惑ってる、なんてな。ところが、どっこい。学生の中で一番優秀だ。どっかから計画的に送り込まれたんだろう」


 レオンは思い出した。夕景を見に行った日、大学の玄関ホールで見かけた女子学生に違いあるまい。


――いま、その学生はどこにいますか?

「もういない。実家の親が急病とかで、休学願いを出してトンズラだ。もう戻らんだろう。アイツほどの力があれば、アカデメイアで名を挙げなくても、他にいくらでも道はある」


――なぜ彪吾を狙うのですか?

「そこまではわからん。ただ、アイツがヒョーゴ先生に惚れてたのは確かだ。だが、先生はアンタ以外見えてない。気づくはずもない。ともかく、アイツは単なるファンじゃない。ただ、いくら死角を使って襲っても、誰にも見られずに運び出すなど、協力者がいなけりゃムリだろう」


――協力者?

「ああ。あっちの死角には倉庫につながるドアがある。ほらこの図面を見ろ。アイリに調べてもらった」


――警備員室につながりますね。そういうことでしたか!

「そうだ。警備員のだれかが協力者だ。クロロフォルムでも嗅がせて気絶させ、夜に運び出すこともできる。証拠は残らんだろうが、髪の毛ぐらい落ちてるかもしれん」


――ヒューガ警部に頼んでみましょう。

「うん。車は監視カメラに写るはずだが、おそらく消されてる。アイリに調べさせるといい。アンタは、さっき言った女子学生のことを調べてくれないか? アリエル・コムという名だ。あたしは、学生仲間から情報を引き出す。櫻館で相談しよう。ヒョーゴ先生に手をだすなんぞ、絶対に許さん!」


 レオンは舌を巻いた。この少女の洞察力と判断力は群を抜いている。


 レオンは何事もなかったように引き返し、本部の自室でアリエル・コムを調べた。しかし、情報はすべて消されていた。あの女性秘書の時と同じだ。


 その夜、カイが結界を張る中、ユウ警部が鑑識担当の専門家とともに調査に入り、彪吾の髪の毛が発見された。アイリは警備室のコンピューターをハッキングし、失踪当夜に一台の車の記録が消されていたことを突き止め、復元した。例の教頭と同じく、ごく平凡なセダン。ナンバーも判明した。


 ユウ警部が高速道路の監視カメラで追跡したところ、車はミン国へ入ったが、中部で消息が途切れた。乗り換えられたのだろう。ここから先は手詰まりだ。


■モモの散歩――ミン国のさびれた町

 ルルから新たな手掛かりが寄せられた。


 クラス仲間によると、アリエル・コムの言葉には独特のイントネーションがあり、ミン国北部の出身ではないかという。別の仲間は、彼女の曲風は、ミン国を代表する作曲家エルムに似ていると感じたらしい。


 レオン、カイ、カムイ、リトは、レオンの車でミン国へ向かった。リトはクロを連れていった。クロの嗅覚は何かと役立つ。

 ルルとアイリだけでなく、風子とリクとモモとキキも、キュロスの車で向かった。むろんシュウも一緒だ。表向きは「ルナ研修PART2」。子どもたちが行く以上、責任者としてサキも同行することになった。


 アカデメイアが参画するルナ大祭典に〈蓮華〉が協力する絶好の機会と位置付けられ、校長は「学外研修」として喜んで許可した。もちろん、レオンが周到に根回しし、サキの代替授業費を含む資金提供を申し出たことは言うまでもない。


 なぜか、イ・ジェシンとムトウもついてきた。ミン国北部出身の彼らは役に立てると張り切っている。期限は一週間。それ以上伸びた場合、子どもたちはいったん引き上げる予定だ。


 ミン国北部にはラウ伯爵領がある。管理人屋敷が拠点となった。長く空き家だったが、手入れは行き届き、滞在に不便はなく、秘密も守られる。


 ミン国で音楽の英才教育を行う場所は限られる。その一つが、エルムが属する音楽学校だった。伯爵領から遠くない。カムイがさっそく偵察に飛んだ。


 ムトウはジェシンを連れて実家に戻り、ピアノ教師の母から学校の評判を聞いた。知人の孫が入学し、さんざん自慢されているという。

 母の話では、その学校は才能ある子どもを学費免除で入学させ、トップクラスの教師に指導させる。設立は百年ほど前。知人は天志教団の信徒で、学校にも教団関係者が多いが、勧誘はなく宗教色は薄いという。

 敷地は広大で全寮制。卒業すれば、首都の国立音楽大学への推薦が開け、皆それを目指す。アカデメイアの特別入試を受けた者は多いが、誰も合格しなかったらしい。


 ジェシンからの報告を受け、アイリは名簿をハッキングしようとしたが、学生情報はネットから切り離されていた。そこで金色ゴキブリを飛ばし、中継点として突破口を開いた。

 ルルはすぐに例の女子学生を見つけた。名前はまったく違った。そして性別すら。


 記録にあるのは、ホン・スヒョンという男子。すっきりとした顔立ちの美少年で、作曲コース所属。成績は抜群。指導教員はエルム。スヒョンは国立音楽大学に進学していた。実家は、学校から車で一時間ほどの海辺の小さな町。父は亡く、母がスヒョンと妹のジミンを育ててきた。ジミンは十五歳――十五歳組がその町へ向かった。


 町はさびれていた。


 シュウやルルは目立ちすぎる。こんな時に役立つのは風子だ。平凡な容貌の風子は、さびれた町にすっとなじむ。

 風子とアイリはモモを連れて散歩に出た。ジミンもイヌを飼っており、散歩はジミンの役目らしい。ミックス犬のオスは人なつっこく、モモを見るとすぐ寄ってきて遊ぼうとする。イヌ同士が仲良くなると、初対面でも飼い主同士の会話が弾む。しかも同世代の女子同士ならなおさらだ。アイリはそばで見守った。


「へええ。親戚の家に来たの?」とジミンが人懐っこい笑顔を見せた。

「うん、だから、この町は初めて。いい町だね」と風子が返す。

 明るい笑顔だ。風子は表情を作れない。思ったままの素直な感情が出る。ジミンはとても話しやすい。


 ジミンが、ちょっと口を尖らせた。

「そうかなあ。若い人も子どももいないよ。みんな町に出てっちゃうから」

「ふうん。うちと同じだね。わたしのお兄ちゃんも大学に行くって家を出ていっちゃった。帰ってくるのは年に二回くらいかな」と風子が誰かを思い浮かべながら答えた。アイリは思った。

(たしか、リトがそんなことを言ってたな)


「いいなああ。うちはもっと少ないもん。お兄ちゃんはほとんど戻ってこない。音楽の練習で忙しいから我慢しろってお母ちゃんが言うけど、寂しいよ」

 ジミンは、本当に寂しそうだ。兄が大好きなんだろう。

「わかるなああ。うちのお兄ちゃんは音楽はてんでダメ、体育会系かな。でも、いま留年してて、アルバイトでたいへんなんだって」

(うわ……やっぱり、リトじゃないか)


「ふうん。でも、留年ってなあに?」

「落第だよ!」

(直球だ!)


「そっかああ。わたしのお兄ちゃんは優秀すぎてさあ。ちっちゃい頃から注目されて、集会でいつもピアノを弾いてた。家にはピアノはないけど、教会にはピアノがあってね。そこで練習してたんだ。そしたら、教父さんが有名な先生を紹介してくれたみたい」

「すごいなあ。エリートじゃん。うちのお兄ちゃんはダメなんだあ。とってもやさしいんだけどね、数学も外国語も全然ダメ! 国際常識も欠けてるって、ばあちゃんにしょっちゅう叱られてる」

(リトそのままじゃんか!)


「いいじゃん。やさしいんだったら。わたしのお兄ちゃんはちょっと冷たいよ。昔はそうじゃなかったんだけどね。去年から変わっちゃって……お母ちゃんは、音楽家を目指しているから仕方ないって言うけど……このニコに会うのだけは楽しみみたいで、帰ってきたらずっとニコと一緒なんだ」

「へええ。うちのお兄ちゃんはイヌがダメなんだよ。このモモがこんなにちっちゃかったときも、逃げ回っていたもん」

(リト……かわいそうに、いじられまくってるぞ)


 ひとしきりおしゃべりに花を咲かせ、バイバイと手を振って、二人は別れた。

 アイリにはどうにもわからない。


――いったい、あれは意味ある会話だったのか?

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