Ⅶ-5 エピローグ――密偵への指示
■織物染色博物館
翌日、一行はラクルの町を見学した。
ウル舎村とは異なるが、見事な街並みだった。それぞれの歴史の違いが街並みに反映されている。ウル舎村はウル第一柱が治める城下町として中国城都のような条里制が発展したが、ラクルは町衆の自治都市としてヨーロッパ中世自治都市のような姿を留めていた。
一行は、弓月財団の織物染色博物館にも足を伸ばした。たかが一財団の博物館と侮ってはいけない。収蔵・展示資料には、非常に貴重なものが多かった。
ガラスの向こうには、古い織物が展示されていた。カトマール西部の山の谷に伝わる部族の伝統的織物だという。部族ごとに模様が異なり、模様でどの部族かを判別できるとのこと。この織物は、出生・婚姻・死去などの冠婚葬祭のときに用いられる特別なもので、神の加護を受け、邪を祓う宗教的意味を持ったとか。
山の谷の諸部族にとっては日常的な織物であり、特に珍しいものではない。しかし、文化財としては貴重な一枚であった。その織物は、代々の部族の長が用いる特殊な絵柄が追加されていたからだ。
リトはある織物の前で足を止めて見入った。カイが近寄った。思念で会話する。
(ルナの紋様に似ているよ)
「忘れられた村」と呼ばれる村の織物だ。一点だけ、展示されていた。この織物は所有者の埋葬と共に埋められるので村には残らないが、大きな行事があると特別に織られてカトマール皇室に献上された。その一枚が奇蹟的にラクル博物館に保存されていたのだ。
解説によると、紫地のこの絹織物は、百年前にルナ遺跡が発掘されたさい、それを寿ぐために献上されたものらしい。中央の織文様は、ルナ遺跡の紋様をかたどったものとか。周囲には、村の伝統模様が巧みに織り込まれている。
(フラッシュを炊かなければ写真撮影可能みたいだから、写真を撮って、あとでカタログも買っておくよ)
一方、サキは、染料の展示の前で絶句していた。美しい紫の染め物だった。その染料の材料となるのは、カトマール東部の山の一画にのみ生息するヤマブドウの実だった。特殊な加工をほどこされたヤマブドウが一房展示されていた。
(雲龍のヤマブドウにそっくりだ……)
解説文にはこうあった。このヤマブドウは甘く熟することがないため、食用には向かないと。
(食べられないのか? では、別物か?)
隣にアイリと風子が立った。
「へええ、これって染料になるのか?」
アイリの声に振り返ったサキが驚いて訊ねた。
「このヤマブドウのことを知っているのか?」
「うん。うちの村の近くの山にいっぱい生えているぞ」
「ほ……ほんとか?」
「コイツはまずいどころか、危険だ。厄介もの扱いされて、ほったらかしだ。こんなきれいな色が出るとは知らなかった。だが、よくこれを使ったもんだ。信じられんな」
「なぜだ?」
「実を潰すと、手がかぶれるんだ。ただ、実を潰さない限り、害はない。駆除するのもむずかしいから放置されてきたようだ」
「かぶれるのか?」
「そうだよ。まるで火傷したみたいに。そりゃ、ひどいもんだ。治ってもケロイドのような痕が残る。だから、絶対にさわっちゃならんと言い聞かされてきた。食べるなんてとんでもない。内臓が腫れて死んじゃうぞ」
「内臓が腫れる……?」
サキとアイリは互いを見た。
このまえ、リトが言っていた。天月で奇妙な事件があったという。
――内臓が腫れて危篤に陥った天月士がいたんだって。天月草を処方されて快復したらしいよ。天月草は万能薬みたいだけど、ほとんど手に入らないんだって。カイがいたから、天月草を用意できたらしいよ。でも、内臓が腫れた原因はいまもわからないんだってさ。怖いよな……。
■弓月御前の指示
弓月御前は、自室のモニターで展示館を訪れた一行の行動を監視していた。
――ふうむ。「忘れられた村」の織物とヤマブドウか……。
ヤマブドウが生息する谷の村の生まれとは……。やはりあの娘は只者ではないようだ。
奇妙な一行の情報を受け、ラクル大学博物館への臨時寄付を口実に博物館に出向いたのは正解だったようだ。
美麗な天月修士が銀麗月だとの報告は、長く〈蓮華〉教頭として潜伏していた密偵〈朔月〉から、すでに受けている。銀麗月に博物館で直接会うことはできなかったが、こうしてモニターで見ても、たしかに、尋常な者ではなさそうだ。
老女は雲龍九孤族宗主のはず。これもまた好々婆のように見えるが、軽い身のこなしや慧眼ぶりは只者ではない。
弓月御前は、天明会幹部。〈朔月〉は、弓月御前にのみ仕える天明会最高レベルの密偵だ。〈朔月〉は、まったく姿を変えて、引き続き蓬莱本島に潜んでいる。
弓月御前は、〈朔月〉にこう指示した。
――例の秘薬を使うときには十分注意せよ。彼らが気づいた可能性がある。
そして、もう一つの指示を出した。
――「忘れられた村」の織物の紋様について詳しく調べろ。
ラクル博物館の若き女性学芸員は、御前からの秘密の指示に従い、資料庫に向かった。




