Ⅶー1 火の一族
■アイリの村
まだ夜が明けないころ、キュロスの高級車に子どもたち五人が乗り込んだ。
シュウ、アイリ、リク、風子、ルルだ。モモとキキも当然一緒。サキもまた引率教師としての責任上、同行した。カイやリト、ばあちゃんたちは、もう一度ルナ大神殿の確認に行くと言う。ケイとレオンが車を出した。ジェシンはサキについていくと粘ったが、結局、ケイの車に押し込められた。
「祭り」という言葉を、風子が聞き逃すはずがない。
ルキア祭りの時、アイリがポロッと漏らした。アイリが生まれた村でも年に一度の祭りがあるとか。アイリはモモと離れたくないので行かないという。風子の口からとっさに出たのは、「モモと一緒に行こうよ」だった。
アイリの眉がピクリとあがった。
「でも、どうやって行くんだ?」
風子の思うつぼだ。
「キュロスさんに運転してもらって、わたしたちだけで行こう!」
モモが一緒で、交通費も浮くとなれば、アイリが断るはずはない。もくろみは見事に成功した。アイリは、アカデメイアに来てから一度も家に戻っていないという。
アイリが村のばあちゃんに連絡すると大歓迎だ、みなで来いと言う。サキもアイリの里帰りを拒めなかった。
首都ルキアから南に走る高速道路はできたばかりで、ほとんど車が走っていない。速度制限もない。キュロスは時速百五十キロで飛ばし、二時間は快適だった。だが、高速を降りてからの一時間は、ひどいでこぼこ道。絶壁に張り付くようにうねる細い道にはガードレールもない。
運転には絶対的な自信をもっていたキュロスも真っ青。消耗しきったようだ。モモは車に酔ったのか、目をまわしてしまった。キキは案外平気だ。
〈火の山〉と呼ばれる裾広がりの巨大な山は、活火山だ。山頂からは常に煙が立ち上る。〈火の山〉に降った雨は積もった火山灰に濾過されて豊富で清浄な湧き水となり、あちこちに池や滝を産みだしている。
〈火の山〉の西面――中腹から深くえぐられた谷にはいくつかの村があり、アイリが生まれた村もその一つだった。
谷間にへばりつくようにわずかな民家が集まる小さな村が見えてきたころ、すでに日は天中に昇っていた。小さな段々畑が日射しにきらめき、村を彩るとりどりの花に、風子はおもわず息をのんだ。アイリの表情は、いつになくやわらかい。向こうで手を振る老女の姿が、しだいに近づいてくる。
アイリが生まれ育った家は、小さな茅葺き家。土間にあるススだらけの竈の上で、底の丸い鉄鍋が湯気をあげている。石をうがって作ったのであろう洗い場には、土のついている大根や青菜。土壁はところどころはがれ落ち、板の間は黒光りしている。天井を見やると、節やまがりのある木で梁が組まれ、編み込まれた茅が剥き出しになっている。
風子の目の奥で何かが浮かんだ。土間、土壁、障子、野菜、竈、鉄鍋、そして茅葺きの家。すべて、幼い頃に見たような気がする。
キキを抱きながら、ルルが斜面一帯の見事な段々畑に歓声をあげている。シュウも一面の畑を見上げている。なぜか女装している。風子と手をつなぎたいかららしい。なのに、また風子が誤解した。シュウはルル=オロといたいから女装していると考えたようだ。
風子のとんちんかんな気配りとルルの無関心のせいで、せっかくシュウがおしゃれしているのに、誰も見向きもしない。これは笑えない。
畑で野菜を引っこ抜いている風子たちにサキが声をかけた。
「おーい。シュウも仲間に入れてやれ」
「は~い。ほら、シュウ、早くこっち来てえ!」
風子に呼ばれたシュウの顔が輝いた。シュウはピョコンとサキにお辞儀して、畑に駆けていった。
(ホントにシュウは純粋で一途ないい子だ)
泥が付いたシュウの顔を見て風子がケラケラ笑いながら、その泥を拭ってやっている。泥に足を取られたシュウを風子がひっぱってこけないように支えている。また、アハハハと風子が笑った。シュウの笑顔もはじけている。
そんなシュウを見守りながら、キュロスがそっと涙ぐんでいた。
アイリは老女をいたわりながら、老女が手にしたカゴを自分の手に移し替えた。板の間の奥では、座布団の上に寝かせられたモモをリクがさすっている。
山の湿気を含んだ空気はやや重く、木々は高くそびえ、時間はゆっくりと流れる。
小さな板の間は、数人が座るといっぱいになる。車座のまんなかには心づくしの祭りのご馳走がならんだ。山でとれた木の実、畑の野菜や果物がずらりとならぶ。
「こりゃ、こりゃ、先生ですかな。ひ孫がお世話になっとります。みなさん方がうちの孫のお友だちかね。孫が世話になって、ほんとにありがとさんでござんす」
しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにしながら、老女が頭を下げた。
「ばあちゃん。べつに世話になってないから、頭なんかさげなくていいよ」
アイリが、老女の丸い背をかかえて、もとに戻そうとする。風子もあわてて老女の手をとった。
「そうです! 世話になってるのは、わたしたちのほうですから」
おもわず場が白んだ。
アイリはだれの世話にもなっていないが、だれの世話もしていない。
隅で寝かせていたはずのモモが風子に走り寄ってきた。
「うわああ、よかった。モモ、元気になったんだね」
風子がうれしそうにモモを抱き上げた。モモが舌を出して、風子の頬を舐める。車の中で目を回していたモモだが、すっかり回復したようだ。アイリにも同じように愛想を振りまき、モモはアイリと一緒に板の間から飛び降りて庭へと走り出た。
(ヘンだな。あいつ、さっきまで死にそうだったのに)
ルルがつぶやいた。そのことばをサキが拾って、アイリと一緒に庭で走るモモを見た。そして、さきほどまでモモの傍らにいたリクに目を転じる。
リクは少し青い顔をしていた。座るとき一瞬足下がふらついたリクに、風子が思わず声をかけた。
「どうしたの?」
「ちょっと車酔いしたみたい。でも、もう大丈夫」
リクはまた無表情に戻った。風子が、うれしそうに笑顔を向ける。
二人の様子をサキは注意深く見守った。
■はじまりのうた
くねった山道の向こうから、みすぼらしい身なりの老人がひなびた琵琶を片手に歩いてきた。そばに片足が不自由な若者が一人――老人の手を引いている。
モモがシッポを振って老人に近寄り、老人を見上げた。老人は腰をかがめ、モモの頭をなでながら、円陣の中央に座った。
アイリのばあちゃん――村長をつとめるテモルばあちゃんだ――の家の庭には茣蓙がしかれ、何人もの村人が集まっている。
円座の中央に座る老人の声は低くうなり、高く突き抜け、太く震わせ、細く震える。自在な声音に、だれもがその場に吸い寄せられていく。
テモルばあちゃんが、風子たちに言った。
「〈はぐれ月のうた〉じゃ」
老人は、見知らぬ子どもたちに謎かけのように語りかけた。
「さあても、お若い人びと。〈始まり〉を聴きたいか、それとも、〈終わり〉を聴きたいか?」
「〈始まり〉!」と、即座に風子が答えた。
「よおし。では、〈始まり〉を歌おうぞ」
老人は両目を閉じ、朗々と響き渡る声で、ふたたび歌い始めた。唸るような、ささやくような声音も混じる。細い身体がさながら楽器のように震え、人の声とも思えぬ音の波が、梢を抜け、深い谷へと響き渡る。
かすかな記憶にのこるはるかな時代
月もなく、日もなく、星すらもまばたかぬ闇のなか、時もまだない
しっとりと広がる闇は、濃くもなく、薄くもなく
時を飲み込むばかり
ある日、ひとかけらの星が舞い降りた
きらめきながら、またたきながら、ゆらめきながら
濃くもなく、薄くもない暗い水のなかに飲み込まれていく
鏡のような水面にただひとつの波紋が広がる
ひとかけらの星は水面にその影を吸い取られながら
卵のような小さな頭を突き出した
月もなく、日もなく、星すらもまばたかぬ闇のなか、波紋が時を産む
波紋がとぎれた向こうがやがて赤くなり、黄金色に変わった
いくつもの光の珠が弧を描きながら昇り、天が生まれた
九つの光の珠が星のひとかけらの肌を照らす
燦然と、鮮烈に、煌々(こうこう)と
水は黒くしずまり、天は白く輝く
ひとかけらの星の肌が赤銅色に変わるころ
九つの光の珠は水の彼方に消えていく
朝が生まれ、昼に変わり、夕べが暮れる
生まれて久しい時は、生まれたばかりの天をとりどりに染め替える
黒い鏡面を切り抜く二つの丸い穴
一つは白く、一つは朱く、並びたつ両の丸
そして、夜が生まれた
赤銅色の肌から、ほろり、小さなかけらが転がり落ちる
黒い水がおぼろな記憶をとりもどそうとひとしずくの飛沫をあげる
飛沫が落ちた先から円弧がゆっくりと広がり、やがて消えていく
水のなかのかけらはまっすぐに下へ、下へ
どれくらい落ちていっただろう
水底に日の光が届くたび、きらめきをまとい、
かけらの背に月の光がかかるたび、動きを覚え、
そして、一匹の魚が生まれた
どこまでも、どこまでも、魚は泳ぎ続ける
泳いだ後は泡になり、泡は貝となり、貝は岸辺に流れ着く
静まりかえった黒い水面に跳ねる魚と魚
かれらの息は大気を生み、
大気は雨をもたらし、雨は木々を育てた
空が生まれ、海は青く広がる
ある日、大地が揺れた
山が火を噴き、大きな波が島を襲い、何一つ残らなかった
死に絶えた者の陰で、新たな生命が芽吹く
生命はまわり、めぐりゆく
■老女
座にいるだれもが心を奪われた。ルルが他人の歌にここまで聴き入るのは珍しい。涙ぐんでさえいる。
万雷の拍手が沸き起こった。
テモルばあちゃんが、老人にさまざまな食べ物を手渡した。感謝してそれを受け取った老人は、村の老人に誘われて去っていった。
テモルばあちゃんが教えてくれた。
「あの者は〈はぐれ月〉と言いましてな。目も見えんし、耳も聞こえん。じゃが、音を身体で感じることができる。いろんな土地を旅から旅へと渡り歩きながら、行く先々の求めに応じて詩を詠ずる一族ですのじゃ」
「へええ。〈はぐれ月〉って、はじめて聞きました」
風子は、知らないことを知らないと言い、わからないことをわからないと言う。それは、つねに話題の突破口を開く。
テモルばあちゃんがやさしげに風子を見た。
「そうじゃろうな。昔は数もそれなりにおりましてのう。〈はぐれ月〉一座はこのあたりの祭りには欠かせない存在だったのですじゃ。いくつもの一座が村々を旅しておったというが、いまでは数も減り、残った一座もこうした山間の小さな村しか回らんという」
「どうしてですか?」
「町には、彼らを必要とする者たちがおらんのです。あの者たちの役割がなくとも、祭りがなりたつようになってしもうた。異界におわす神々やこの世の者ならぬ精霊を呼び寄せ、祟りを封じ、実りを祈願するための祭りは、多くの町では、いまや派手な娯楽になってしまいましたからのう」
風子はルルやシュウと顔を見合わせた。その派手な娯楽を、昨日楽しんだばかりだ。
「あの〈はぐれ月〉は、代々、一座を組んで、この村に来ておりましてな。あの者は、まだほんの赤ん坊のころ、母親の腕に抱かれて眠っておった。彼らの舞台は、そりゃあ華やかでしてなあ。秋の収穫の祭りに現れる一座の鳴り物や歌や踊りは、この村にへばりついて暮らすわしらには、年に一度の楽しみであった」
テモルばあちゃんは遠い目をした。
「じゃが、十五年前にどこか遠くの村で一座のみなが津波に飲み込まれたと聞く。生き残った者がいるかどうかもわからぬそうじゃ。そばにおった若者はそのとき拾われた子だとか。二人は、古い記憶だけを頼りに村々を回り、歌を披露しては、軒先を借りて仮の宿とし、食べ物を恵んでもらって生きつないでおる。食べ物がなければ、代わりに金を受け取る。目が見えず、耳も聞こえない者にとって、金はだましとられるだけのもの。じゃが、腹を満たす食べ物は、けっして裏切らん」
みなが言葉を飲み込んだ。
「〈はぐれ月〉の一座は、どんな詩でも歌うことができ、それにあわせて舞い踊り、腹の奥までしびれるような太鼓を打ち鳴らすことができた。とおい昔、その音曲・芸事の技能で、ウル大帝国の神殿に奴隷として仕えた祭祀集団の末裔という者もおる。まあ、どこまでホントかはわからんがな」
(ウル大帝国の神殿奴隷……?)と、ルルがつぶやいた。
「ウル大帝国って、ウル舎村と関係あるの?」
風子がシュウに尋ねた。
「うん。ウル大帝国の王族は三柱からなっていて、祭祀を司った第一柱が、アカデメイアのウル舎村の先祖とされるんだ」
「ほう……あんたさんは、ようご存知じゃな。その通りじゃ。ウル王族の第二柱が、この村まで落ち延びたという言い伝えもある」
「えええ? ホントですか?」
ルルが色めき立った。
「アホか。ウル落人伝説はどこにでもあるんだよ」
アイリが、いかにもバカにしたようにつぶやいた。
これにはムッとして、ルルがアイリを睨んだ。
「知ってるさ。だけど、歴史的事実を伝えてるかもしれないじゃないか」
「ま、根拠なき伝説ですがな」
テモルばあちゃんは、あっさり言いのけた。
「落人伝説は便利でしてな。これを言うと、カトマール政府もなかなか手出しできませんでの。カトマール帝国は、ウル大帝国の後継国を名乗りますからな。歴史上の大帝国を誉れとする人たちは多くて、ウル伝説は大人気ですのじゃ。〈落人の里〉を名乗る場所をみだりに荒らすと、とんでもないしっぺ返しがあると信じられてきましたしのう」
「どんなしっぺ返し……?」
ルルが思わず身体を乗り出す。アイリはそれを封じて、言った。
「じいさんの歌はなつかしかったなあ。昔よりも迫力が増した気がするぞ」
「そうか……そういえば、おまえがこの村で最後に聞いた歌も〈始まり〉の歌じゃったな」
「うん。あのときも、じいさんはヒュッペおじさんのところに泊まっていったよね」
孤独な老人同士、ささやかな酒を酌み交わしているのかもしれない。
みんなでしんみりとなごんでいるときに、突然、場を読まない風子が言った。
「あの〈始まり〉の歌って、どんな意味があるんですか?」
サキとキュロスが、あっという顔をして、風子と老女を見比べた。
唐突に幼稚な質問をするのは、いかにも風子らしい。天地創造の物語を歌っていることくらい、だれだってわかろう。風子の無邪気さは、見ていてハラハラする。
だが、テモルばあちゃんの反応は意外だった。
「そうさな。あんたさんはどう思ったね?」
風子は、一瞬、首をかしげて、思うままの言葉を連ね始めた。
「……すごくごっちゃだと思いました。インド神話の宇宙の卵みたいな話もあれば、九個の太陽を打ち落とした中国の神話もあるし、ノアの方舟、エジプトのイシリス……、大八島を作った日本の天地開闢神話とか。しかも、全然系統立っていないし、てんでバラバラ」
アイリが風子をじっと見ている。サキもシュウも驚いたように風子を見た。皆から少し離れたところに座すリクは、居住まいをくずさず、しずかに聞き入っている。
「でも、今どきのSFみたいで、物語としてはステキ。宇宙からだれかが地球にやってきて、未開の地球に万物と文明をもたらしたっていう話だもん。これで、〈終わり〉が宇宙人と地球人の闘いと仲直りだったら、まるでB級SF」
「ヒャッハッハッハ、B級SFか。なかなかおもしろい喩えじゃの」
テモルばあちゃんは豪快に笑いとばした。
「ごめんなさい……あの〈はぐれ月〉のおじいさんに悪いこと言っちゃったかな……」
「よいよい。神話というのは、所詮、人間の作り物。だから、内容は似たり寄ったりじゃ。人智でわからぬことがあると、つねに、天や地や森、海からいろいろなものが現れる仕掛けになっておる」
テモルばあちゃんは、百万力の味方だ。四国の大ばあちゃんみたいだ!
風子はうれしくて、つい続けた。
「朱い目をした長い白い髪の人や、身体の半分が白い虎の人や、銀色の尾をもつ狼……そんな人たちが暮らす森もどっかにあるのかな?」
テモルばあちゃんが一瞬、口を閉ざした。
「ふむ……それは、〈禁忌の森〉とよばれる森のことじゃな」
「〈禁忌の森〉?」
たずねたのはアイリだ。
「ばあちゃん、それって、実在する?」
「いや。言い伝えのなかの森じゃ。人間が迷い込むことはあるが、いったん入ったが最後、決して出てはこられないという。ただ……」
「ただ?」
「その森にはとてつもない宝があると聞く。森の実在を信じている者は、森を探すのにやっきになっておる。ほれ、副大統領シャオ・レンなんぞがその筆頭じゃ」
「シャオ・レンかあ」
サキがその名を口にした。一昨日会った美女の夫だ。
「でも、宝ってなんですか?」
身体を乗り出すルルの袖を風子が引っ張った。
「やめろ! 宝って聞くとすぐこうだからな。かっこ悪すぎだろ!」
「さあてのう。わしにもわからん」
テモルばあちゃんが答えた。
「じゃが、シャオ・レンが目をつけるほどじゃ。カトマールの国の利益につながるようなものじゃろう。あの男は私利私欲で動くような小者ではないからの」




