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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第五十一章 地下文明の謎
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LⅠー6 音のない滝――音の罠と視覚の罠

■グリを救え!

 サキがじいちゃんカメと出かけようとした瞬間、アイリがヨレヨレの姿で戻ってきた。

「ここまでカラスが嫌われるとはな」

 ブツクサ文句を言いながら、洞穴に足を踏み入れたアイリの目に、横たわるグリの姿が映った。

「どーしたっ! グリに何かあったのか?」

 真っ青になってグリに駆け寄るアイリに、サキが説明した。

「湖の妙な結界に囚われて、意識を失った。〈聖なる水〉とやらに身体を浸す必要があるらしい」

「〈聖なる水〉? なんだ、それ?」

「〈瀑布の下の湧き出る水〉だとか、だが、どこにあるかわからん。これから探しに行く。一刻も早く見つけないと、グリが危ない」


 アイリが即座に立ち上がった。

「あたしも行くぞ! グリを見殺しにできるか!」

 サキが止めた。

「いや、おまえはここで中央システムに入って、水路や河に関する機密情報を探れ。おまえしかできん!」

「よし、わかった。このアカテン四号を持っていけ。試作品だが、通信機能は抜群だ。悟られずに通信できる。何かわかれば知らせる」


 サキは頷き、じいちゃんカメに指示した。

「じいちゃん、見つからないように水路を辿れ。いまは湖に近づくな」

 サキは、完璧な(はやぶさ)の姿に変わった。アイリが、サキの足とじいちゃんカメの首にアカテン四号を巻き付ける。

 超高速の隼は空高く舞い上がり、スッと雲間に消えた。じいちゃんカメは水路に潜り、秘かに進み始めた。


――グリを救え!


 いまはそれが最優先だ。


■隼の目

 さすが隼だ。野鳩などよりはるかに速く、はるかに高く飛び上がる。雲を切るのは快感だ。

 雲に遮られて、都市の景観が切れ切れにしか見えない。城壁に囲まれた美しい都市の周囲は白く煙っており、北部の自然区の山や木々、湖だけが目に映る。


――いびつだ。


 「空」はかなり高い。しかも相当に広い。なのに、視界に入るのは、一個の都市と附属する自然区のみ。スケール感がズレすぎている。河も滝も見えない。

 「空」をどれほど飛んでも結果は同じだった。どの角度から見ても、その高さから見ても、変化がない。


――なぜだ? 視界が操作されている?


 〈視覚の罠〉……? 

 あの湖では、グリが〈音の罠〉に閉じ込められた。この地下空間一帯で音が操作されている。音を消す、反響させる、聞こえない音を出す。ひとは惑い、恐怖し、扇動される。

 〈音の罠〉があるのなら、〈視覚の罠〉があってもおかしくない。見えるものを隠し、見えないものを見せる。見た記憶を消す。混乱、焦燥、そして怒り。ひとは混乱の極みに達する。

 罠の罠たるゆえんだ。罠に落ちた者は、自身の錯覚によって狂気に向かう。


 サキは飛びながら唸っていた。

 変身術は、変身した生き物の能力をほぼ発揮できる。だが、脳と直結する視覚と聴覚だけは人間のままだ。隼としての飛行能力は獲得するが、まともな狩りはできない。動体視力が劣るからだ。

 目を閉じた。

 ふたたび目を開けたとき、サキの目が変わった。隼の目だ。視力八・〇、視野は三百三十度。紫外線まで識別できる二焦点レンズのすぐれもの。


――だが、もつのはわずか三分間。

 視覚を変えるのは、途方もないエネルギーを使う。下手すると、空中で技が解け、落下の恐れもある。


 隼の目で下界を見下ろし、サキは絶句した。

(まるで別の光景じゃないか!)


 湖の北西部には河が流れ込み、都市の周囲にも湖からつながる河。その向こうは岩壁――ただ、都市の南面は大きく開けていた。白い水煙が上がっていた。

(都市は、地下河の巨大な中州だったのか?)


 全速力で南に向かう。

――あと一分。


 開けた南面では一面に滝となって水が流れ落ちていた。

――残り三十秒。

 この水煙が白いもやの正体か?

 息が荒くなる。もう限界だ。


 隼の視界が途切れた。かろうじて落下は免れた。

 サキの目に戻ったとたん、都市はもやに囲まれた孤絶した空間に変わり、河などはいっさい消えた。


■カメの嗅覚

 水路の底深く、じいちゃんカメは慎重に辿っていた。

(この水路では、水が循環しておるようじゃな)


 流れは緩やかで一定し、清涼な流れが都市の人口圧による閉塞感を緩和し、つねに自然の息吹を感じる。植栽はあちこちに配され、オフィス街でも歩道は公園のように整備されている。

(きれいすぎるのう……わしには息が詰まりそうじゃ)


 どこからか水の匂いが漂ってきた。

(湖とは違う匂いじゃな。めまぐるしく匂いが入り交じる――勢いが強いのう)

 じいちゃんカメは匂いの方に向かって泳いでいった。音は消されているのだろう。だが、水が岩を穿(うが)ち、底を削る匂いは消せなかったようだ。


 カメと言えば、海カメか、陸カメ。淡水で暮らすカメもいる。海と河と陸の三つを行き来できるカメは、普通存在しない。だが、じいちゃんカメもグリたちも海と河と陸を問わずに自在に動くことができる。

 嗅覚も特別だ。とくにじいちゃんカメは嗅覚の鋭さでは並ぶカメがいない。水の匂い、空気の匂い、生き物の匂いを瞬時に嗅ぎ分けることができる。


 匂いだけを頼りに、じいちゃんカメは都市の南端にやって来た。水路は城壁で折り返し、浄水されて湖に戻るようだ。浄水装置特有の匂いがする。都市で発生する有害な物質や不快なものを水路が取り込み、この浄水装置で濾過されてもとに戻るのだろう。


(ご丁寧なこった!)

 じいちゃんカメは呆れながらも、勢いをもつ水の匂いの出所が分からず、思案に暮れた。城壁に沿って水路を泳いでみても、緩やかな流れの水以外何もない。

(しかたないの。登るか)

 じいちゃんカメは、手足を器用に使って城壁を登り始めた。センサーがあるようだが、じいちゃんカメの甲羅は城壁に使われた石そっくり。見分けるのは難しい。


 やっとこさ、城壁の上に登り切ったじいちゃんカメは驚いた。城壁の下、豊かな河の匂いが立ち上る。じいちゃんカメの脳内で、匂いが映像を取り結んだ。


 河から溢れた水がきりたった崖から下に流れ落ちている!

 水はしぶきを上げ、勢いは強く、水量は多い。


 空気は動く。岩も穿たれる。なのに、音はしない。姿も見えない。音声が切れた映像のように激しいうねりが匂いとともに繰り返される。

(これか! この水の匂いだったか!)


 じいちゃんカメは恍惚とした。むろん怖い。だが、あまりにも壮大な匂いがじいちゃんカメの理性を麻痺させてゆく。音をもたぬ激しい動きはぞっとするような冷気を振りまき、冷気が呼んだ風がじいちゃんカメの甲羅に突き刺さる。

 じいちゃんカメは思わず顔をしかめた。見えない滝をじっと見つめる。

(グリさまを助けるための〈聖なる水〉とは、この滝の下にあるのか?)


 じいちゃんカメはアカテン四号に向かって何ごとかをしゃべった。カメ語だ。

 言い終えると、じいちゃんカメは城壁から身を躍らせた。甲羅に手足と頭を収めて、まるで石のかけらのように水に煽られながら、じいちゃんカメの姿が滝壺に消えてゆく。


 空で旋回中のサキ。その足元に結び付けたアカテン四号に緊急信号が入った。

 じいちゃんカメのメッセージだ。カメ語が自動翻訳されている。


《瀑布を見つけた。都市の南壁だ。これから滝に潜る》


 入れ違いのように、アイリからも通信が入った。

《見つけたぞ! 河の情報だ。早く戻ってこい!》


 サキは瞬時に判断した。

《南の城壁に向かう。じいちゃんカメに加勢するぞ》

《あ、オイッ!》

 慌てふためくアイリとの通信はオープンにしたまま、サキは城壁を目指して滑空した。いまは「ひと」の目だ。城壁以外は見えない。だが、じいちゃんカメはここから飛び降りた。


――よし!

 飛びながら、サキの身体が隼からヘビに変わった。ヘビがまっすぐに白いもやの中に吸い込まれていく。飛び込んだ音すらしない。


 静かだった。音のない滝は、だれにも見られず、何ごともなかったように、溢れる大量の水を城壁の下に落とし続ける。下には悠々と河が広がる。静寂が立ちこめ、河面にしだいに闇が落ちていった。

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