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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第五十一章 地下文明の謎
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LⅠー5 地下の湖の秘密――音と声の謎

■地下水路の秘密

 山に夜が来た。

「地下でも夜があるんだな。なんかヘンな気分だ」

 アイリがゴロリと横になり、洞窟の入口から見える夜空を仰ぎながらつぶやいた。


 昼間の緊張からか、子カメはじいちゃんカメに守られてぐっすり眠っている。

 サキがグリに尋ねた。

「あの子カメは、カメの世界でも相当めずらしい種なのか?」

「はい。あそこまできれいな色の甲羅を持つカメなど見たことがありません。突然変異というのは十分にあり得ます」とグリが小声で答える。

「だとしたら、ヘンだな。見つかったら即、生きた標本にされるほど珍重される個体だ。そんなにありがたくて、しかもやたらと目立つカメがこれまで見つからずにここで暮らしていたというのか? 子カメだぞ。親はいったいどこにいる?」とアイリが首を捻った。


 グリは洞窟の奥で眠る子カメを見やった。

「あの子は記憶を失っています。わたしたちもここに来たはずなのですが、記憶を奪われました。ただ一つ確かなのは、この地下都市に来たときに通ったのは、オロ殿下が辿った〈ミグルの道〉でも、リトさまが進んでおられるという〈神殿の道〉でもないということです。〈ミグルの道〉とは入り口が違いますし、道の記憶はないとはいえ、水の感触は残っています。陸路ではありません」

 サキが閃いたように尋ねた。

「ラクル地下都市に続く第三の道、いわゆる〈弓月の道〉か。〈弓月の道〉の全容は不明だが、今の話だと、ラクル岸壁から地下都市までは実在するということだな」


 アイリがさらに言った。

「グリたちが通った水路が都市や湖を超えてさらに西方に伸びている可能性はどうだ?」

「おそらくその通りかと――」

 グリの答えに、サキとアイリは顔を見合わせた。

「子カメの一族はその水路で暮らしている可能性もあるということか……」


 グリは頷きながらも、慎重に付け加えた。

「むしろ、こうは考えられないでしょうか? この地下都市の自然環境は一つではないと」

 アイリが驚いた。

「どういうことだ?」

 グリは聡明そうな瞳をまっすぐにアイリとサキに向け、ためらうように切り出した。

「この地下都市では城壁都市と城壁外の自然区域が一体化しています」

「そうだな」

「自然区域は森と湖と山がセットになったコンパクトなものですが、水路つまり地下の河の周辺にも自然区域が広がっているとしたらどうでしょうか?」

「河は長く続き、自然環境がほかにも存在するということか?」

「はい」


「なぜそう思う?」とアイリが興味深そうに身を乗り出した。

「湧水です。湖の底からは地下水がどんどん湧いていましたが、湖面の高さは変わらず、水は溢れていません。都市に流れる水路でも水量は調整されています。溢れる水を逃すルートがあるはずです」とグリは思慮に満ちた目を二人に向けた。

「それが東西に伸びる地下河ということか?」と言いながらアイリが考え込んだ。


 金ゴキに仕込んだ地図を映し出す。

「この図は都市だけの設計図だ。都市を取り巻く人工自然の地図は描かれていない。だから、こちらも思い込んでしまった。ラクル地下都市が単体で独立していると――それが違うとしたら?」

 アイリの目が強く光った。

「もし、河が東西に長く延びていたとしたら、ラクル地下都市のような都市がほかにあっても不思議じゃないな」

 サキが唾を飲み込んだ。喉がゴクリと動く。

「まさか、地下都市がほかにも?」

 アイリ、サキ、グリの身体がこわばった。


「ともかく、地下都市の中かそばを通り抜ける水路、いや、河を見つける必要があるようだ」とサキ。

 アイリもグリも大きく頷いた。サキは二人の目を交互に見つめ、こう告げた。

「明日さっそく河の流れを調査するぞ。アイリはあの教師に憑依して、パソコンから中央情報システムに潜入しろ」とサキが命じた。


■学校情報

 翌日は快晴。森と湖が朝からなにやら騒がしい。一千年に一度の貴重な青い美カメ大捜索が始まったらしい。


 グリはじいちゃんカメと子カメに厳しく命じた。

「子カメ・ユウよ、ぜったいに洞穴から外に出るな。じいちゃんカメはユウを守り切れ。よいな。われらは夕方には戻ってくる」

「はい、仰せの通りに」

 忠義一筋のじいちゃんカメが平伏した。


 大捜索網をかいくぐって河の流れを見つけるのは至難だ。この森や湖でいちばんよく見かける生き物の姿を使うことにした。カメのグリと今度は野ウサギに姿を変えたサキが湖と森から偵察する。

「今度はうまくいったぞ!」サキはホッとした。

 白ウサギになりたかったが、茶色いウサギ止まり。多少耳が短いが、ウサギには違いない。


 アイリは、昨日のエリート学校に行った。目立たぬようカラスの姿になったが、校庭で子どもたちに追い回された。

――なんでだ?


「うああっ! なんだ、あの真っ黒い魔物みたいな鳥は?」

「図鑑で出ていたカラスっていうやつじゃない?」

「なんだって? カラスなんて野蛮で汚い鳥はとっくに抹殺されたはずだぞ!」

 アイリは追い回され、ほうほうの体で倉庫に飛び込んだ。


――カラスは抹殺対象種だったのか……。カムイなんぞは一発で焼き鳥にされるな。きれいすぎてもつかまるし、汚ければ殺される。この都市の倫理観はいったいどうなってる?


 ひとまず気持ちを落ち着かせ、アイリはサキから教わった憑依術を試した。

 憑依術は高度な忍術だ。だが、アイリのような高度異能者にとってはさほど難しくない。しかも、相手はあの教師。上の評価ばかり気にして、生徒の家柄で露骨に差別する俗物教師だ。欲が深い人間には憑依しやすい。友人も少ないから、気づかれることもほぼない。


 午前中は体育の授業で生徒たちは運動場に出ていた。指導は体育学の専門家に任せ、担任教師は教員室で成績処理をしていた。

 教員室に残っている教師は少ない。

 ふっと、担任教師の顔が硬くなった。指の動きも止まる。だが、だれも気づかない。みんな自分の仕事にかかりきりで、教員同士の会話などほとんどない。


――好都合だ。


 アイリが憑依した教師の目が険しくなった。指の動きも速くなる。完全に戦闘モードだ。

 各教員に与えられているパソコンはそこそこ高性能だった。だが、管理されているのが丸わかりだ。どのデータにアクセスしたか? 何時から何分間、どの情報を調べたか? 他の居員や外部とのやりとりまで、すべて記録されている。

(こんなのお茶の子さいさいさ)

 アイリはフェイク情報を仕込み、担任レベルのパソコン操作の記録しか残らないように設定を変えた。


 学校で最も重要な個人情報である生徒の成績情報は中央システム直結だ。

(うわ。こんなものまで把握されているのかよ)

 生徒の家族関係はもとより、素行、読書記録、校内での購買記録、健康情報、交友範囲など、ありとあらゆる情報が報告されていた。

(本人同意はなしだろうな――いまどきありえんようなコンプライアンス違反だが、この地下都市ならなんでもありなんだろう。まあ、こっちにとっちゃ都合がいい)


 アイリはシオン博士一家と総監一家の情報を中心に、この学校きってのエリートクラスの生徒たちと学校関係者の情報をファイルにコピーした。


 学校から届けられる個人情報は、中央情報局の教育センターで集約されていた。

(なんだ? ラクルの学校以外の情報もあるぞ)

 ラクルが「RA」と記されているため、アルファベット記号は地名か学校名を示すのだろう。一つ一つの記号の下に紐付けられた基礎データは、ラクルほどではないにせよ、一定数の生徒たちの情報だった。

(「LU」はルキア、「BO」はブール、「CA」はカラン? まさかな……)

 アイリの顔が青ざめた。もし略号が地名を示しているとすれば、カトマール有力都市の地下に同じような学校があることになる。それは地下都市があることを意味する。

(もし、いくつもの都市が地下の河を通じて鎖のようにつながっているとしたら? いや、それどころじゃない。記号は二十個近くあるぞ。まさかな、網の目のように広がっていたりして……)

 アイリの顔は青を通り越して白くなり始めていた。

(地下国家、いや、地下の大帝国? ルナ古王国がそっくりそのまま地下に潜ったようなものがあると?)

 アイリの背に冷や汗が落ちた。


■河と湖

 同じ頃、サキとグリは〈河〉を見つけようとやっきになっていた。


 山から見ても、空から見ても、湖に流れ込む河はない、湖から流れ出す河もない。だが、湖底では水がつねに湧き出ている。

 たしかに、湖にはいくつかの水路が合流している。ほとんどは水中でつながっており、水の出入り口は自動的にコントロールされていた。清らかな水が都市を循環し、浄水されたあと、湖にもどってくるようだ。つまり、湧水の処理を目的とはしておらず、都市空間の清浄化システムの一つらしい。


 グリは、湖の隅に、一か所微妙な揺らぎを見つけた。陽炎のように一瞬、木々や水が揺れる。慎重に近づいたが、揺らぎは錯覚だったようだ。湖岸に木が張り出しているだけだった。

 立ち去ろうとしたが、ふと思い浮かべた。

(もしや、〈鏡〉効果?)

 〈ミグルの道〉の第五関門〈鏡〉は、錯覚と反射鏡と音響を利用した関門だった。現実には〈鏡〉などなかった。ないものがあるように見えたのだ。そうであれば、あるものをないように見せることもできよう。


 グリはもっと近づこうとした。


――カキーン。

 

 突然、身体が止まった。金縛りに遭ったように動かない。しだいに息まで苦しくなる。鼓動すら押し塞がれているみたいだ

 グリは動けなくなった。

 〈音〉の力に強いはずのグリでさえ、絡め取られる。まして、人間などとうてい近づけまい。

 サキが駆けてきた。


――まずい! サキ先生まで犠牲になる!


 グリは最後の力を振り絞った。

《来るな!》

 可聴音ではない。脳に直接響く声だった。サキは足を止め、近くの梢に身を潜めた。


 必死で叫んだグリは気を失った。水面に半分プカプカ浮いている。手足はピクとも動かない。

――このままではグリが死ぬ!

 サキは人間姿に戻り、アイリ特製の耳栓をして、水に飛び込んだ。グリが浮いている場所には強力な結界があるようだ。何度行っても撥ね返される。背後の湖岸で多くの声が聞こえ始めた。


「だれかが湖に飛び込んだぞ!」

「清らかな湖を汚した者がいる!」

「はやく捉えろ!」


 湖は人間が入ってはいけない場所だったようだ。サキが一瞬戸惑うと、足をだれかが引っ張った。ふと見ると、じいちゃんカメだった。グリのそばには青緑の子カメ。じいちゃんカメはサキを、子カメはグリを背負うように、湖の底近くに沈み、山岸へと泳いでゆく。

 灌木が生い茂った岸辺にじいちゃんカメと子カメがたどり着き、サキとグリを横たえた。二人とも気を失っている。じいちゃんカメが自分の身体ごとサキの心臓マッサージをすると、サキが息を吹き返した。

「ゴホッ、ゴホッ!」

「おお、気がつかれましたか!」

 まだぼんやりする頭を揺らすと、目の前にグリが横たわっていた。

「グリ! グリはどうだ?」


 じいちゃんカメが深刻な顔をした。

「ユウが薬草を探してきて口に含ませたのでござるが、まだお目覚めになりませぬ」

 ユウは甲斐甲斐しくグリの世話をしていた。目立つ甲羅には大きな枯れ葉を巻き付けている。

 背後の対岸で人が増えたようだ。


「急げ! 洞穴に戻るぞ。目立たないように注意しろ。わたしにつかまれ!」

 サキはグリを抱き、子カメをポケットに入れ、じいちゃんカメを背負って、灌木の間を駆け抜けた。逃げる姿を隠す術を使った。


 洞穴に戻り、サキは、グリを静かに横たえた。まだ意識は戻らない。

「子カメ、何か策はないか?」

 心配そうにグリを覗き込む子カメにサキが訊ねた。子カメは申し訳なさそうな顔をしている。


「ごめんなさい。ボク、覚えてないの……でも、グリさまが倒れたときに響いた音は聞こえたよ」

「どんな? どんな音だった?」とサキがにじり寄った。

「甲高い音。耳の奥をつんざくような音だった――ボク、以前にもどっかで聞いたことがあるような気がする」

「聞いたことがある?」

「うん。でも、よく思い出せない……」

「ユウよ、頼む。思い出してくれ! グリさまのお命がかかっておる」とじいちゃんカメは必死だ。


 子カメのユウは真剣な顔で頷いた。目を閉じ、神経を集中させている。

 突如、ユウの顔が光に包まれたように輝いた。目を閉じたまま、ユウが言葉を発する。明らかにユウの声ではない。


《聖なる水に身体を浸せ》


「聖なる水? それは何だ?」とサキが問う。


《どの生き物も触れていない清浄な水》


「どこにある?」


《瀑布の下の湧き出る水》


 そのあとはどれほど質問しようにも答えは返ってこなかった。ユウも元に戻ったが、しゃべったことをまったく覚えていない。


「瀑布って……普通は滝だよな。だが、いったいどこに滝がある?」

 サキの戸惑いにじいちゃんカメも子カメも答えを持たない。

「ともかく探すぞ。子カメ、グリを見ておけ。じいちゃん、わたしと一緒に来い!」

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