Lー8 ラクル染織博物館での攻防――表作戦と裏作戦
■館長室
染織博物館到着は昼過ぎ。旧市街見学には参加できなかったメンバーもここに合流した。二人のばあちゃん、銀麗月カイ、マキ・ロウ博士という重量級人物が追加参加だ。むろん身分は隠しているが、特にカイが放つオーラは止めようがない。体調がすぐれないせいか。オーラの統制がうまく機能しないようだ。
博物館に入ったとたん、出迎えた者みながカイのあまりの美しさに釘付けになった。
博物館では表計画と裏計画を並行して走らせる。
表計画は三つ。
その一――オロの課題。
つまり聞き取り調査。これが調査の名目上の目的だ。オロだけが聞くのはあまりにもったいないので、同好会メンバー全員で調査し、その一つを素材にオロが自力でレポートを仕上げることになっている。
なんと、館長が登場した。
え? たかだか、生徒の学習調査に館長が?
一行は館長室に案内された。サキの教師歴五年。こんな待遇は初めてだ。いつもなら、書類にいろいろと書き込み、なんとか時間をひねり出してもらって話を聞き、私費で手土産まで持参し、ちょっとでも相手が迷惑そうにするとさっさと切り上げて退散、というパターンだった。
サキはいまさらながら、緋龍とシュウの存在の大きさに恐れ入った。広く快適な館長室の大きな会議用テーブルに座り、秘書に茶と菓子まで出してもらって、中央にデンと構えた館長と両脇に専門家が座っている光景など、一介の教師にはありえない世界だ。
二人の専門家は、それぞれラクル大学の教授と講師。ラクル染織に関する世界最高峰の研究者だそうだ。弓月御前の手配によるものだろう。
もはや、〈落ちこぼれ生徒の留年回避課題〉などと明かせる状況にはない。
その二――シュウの問い。
そもそもこの博物館の再訪は、ブールの弓月商館でシュウが御前に質問をしたことから始まった。〈道〉(交易路)の存在と〈絹〉生産の実態について。
そんな専門的なこと、質問するなよな。説明を受けたって、どこまで理解できるやら――サキは頭を抱えていたが、教授はともかく、講師の話は非常にわかりやすかった。
その三――紫の絹と帛書。調査はシュウとカイ。
最古の絹を確認し、展示されていない帛書を見せてもらう。目的は二つ。
一つは、シュウの祖母ウル舎村国主エファがもつウル古文書の帛書と比較するためだ。
もう一つは、最古の絹の秘密を解き開かすためだ。五千年前に放棄された玄武神殿には色鮮やかな紫の絹布が残されていた。そのことは、弓月御前も博物館員たちも知らない秘密だ。そして、弓月御殿の正面タペストリーに描かれていたという山ブドウを祀る神事は、いまも絹の里で受け継がれており、カイもひそかに潜り込んだ。紫の絹は、弦月として覚醒したリトを救う手掛かりになりうる。カイが無理をしてでもこの合宿調査に参加した所以だ。
■R大作戦裏作戦PART2・染織博物館
これらの表計画は、事前にメンバー内で共有したR大作戦の柱の一つだ。だが、表には裏がある。アイリはこっそり裏計画をシュウたちと共有していた。
裏作戦その一、聞き取り調査(表作戦一・二への対応)。
「聞き取りではオロはでしゃばるな。風子が主導して、シュウが補佐しろ」
「主導って、ムリだよ。わたし、よく知らないもん」
「それでいいんだ。いつものままでいい。風子は期せずして本質を突く。構えない方がいいんだ」
「ふうん」
「それに、風子のようにいかにも子どもっぽい女の子が無邪気な顔で素朴な質問をすると、専門家はプライドをいたくくすぐられる。かみ砕いて、手取り足取り教えてやりたくなるんだ。ほかの専門家に対しては絶対に言わないような本音をポロリと漏らすこともある。まだ検証できていない疑問や謎だな。敵と思っていないから警戒しないんだ」
「そんなもんなのか――」
風子は納得したような、していないような微妙な顔つきで頷いたが、すぐにいつものポジティブ風子に戻った。
「わかった! いつも通りでいいんだね」
オロが不服そうに訴えた。
「じゃあ、オレは何をすればいいんだよ?」
「黙ってなりゆきを見守れ。おまえの問いはぶっ飛びすぎているから、話を潰すのには向くが、相手から話を引き出すことはできん。それくらい自覚しろ!」
「ちぇ。オレは用なしか」
「違うぞ。誤解するな。相手の反応を観察して分析するのがおまえの役目だ。御前は、あたしらを舐めるなと警告しているはずだ。だれが出てくるかはわからんが、相手は相当緊張しているはず。しかも、御前に忠実なヤツらが登場するに違いない。会議はひそかに中継されて御前に送られているだろう。風子とシュウが会議の注目を集めている隙に、オロはしっかりと情報を把握しろ。座る場所は、部屋に入った時にあたしが指示する」
裏作戦その二、現物調査(表作戦三への対応)。
「現物確認は、シュウとカイに任せる。カイは賢いし、こうしたことに慣れているから、放っておいても大丈夫。きっとあたしらの想像も及ばないことをするから、むしろあたしらが学ぶ機会とした方がいい」
「えらくカイを高く評価するんだな?」とオロが口先をとがらせた。
「あたりまえだ。銀麗月だぞ、これまでの修行の時間とレベルが桁違いだ。オロ、いいな。いくらリトを競っているからといっても、張り合おうと思うなよ。そんなことをすれば、銀麗月の足を引っ張るだけだ」
「な、なにを――」
オロは真っ赤になってプルプル震えた。アイリはこれを軽く無視し、シュウの方を向いた。
「さて、シュウだ。帛書はウル舎村貴重書庫にもあると言っていたな」
「そうだ。だから、比べてみたい」
「貴重書庫に帛書があることは、公表されているのか?」
「存在することは公表されている。でも、現物をだれかに見せたことはないはずだ。どれも一点ものばかりの、貴重文書だから舎村関係者にも見せないほどだもの。ボクもやっとお許しをいただいた」
「内容は?」
「内容はすでに知られていることがほとんどだよ。大事なのは、材質、書体を含めた現物があるってことだからね」
「よし! シュウ、それを使え!」
「使うって?」
「うん。おまえがウル舎村国主の孫だというのはすでに御前は知っているはず。博物館の責任者にも極秘情報として伝わっているに違いない。そのおまえが帛書に関心をもつんだ。当然、ウル舎村帛書との比較をすると思うだろう。むしろ、向こうの方からいろいろな質問が飛んでくるはずだ」
「なるほど」
「質問には支障がない範囲で、適当に答えろ。むしろ何を聞くかを引き出すんだ」
「何を聞くか?」
「質問というのは、答えを探しているからだ。答えをさがすのが研究だ。質問にこそ核心がある」
■聞き取り調査開始
緊張の館長室。
「今朝、弓月御前さまに旧市街を案内していただきました」
風子がくりくりとした目で口火を切った。館長が目を光らせた。
「それはそれはじつに珍しい。御前さまがじかにご案内なさるなど、昨年のラクル国際会議のような時を除いてほとんどございませんな」
「そうだったんですか。知りませんでした」
「ラクル国際会議とは、あのシャンラ王父殿下が参加したと評判になった会議のことですかな?」とばあちゃんが問うと館長が大きく頷いた。
「そうです。弓月御前の長年のご尽力が実を結んだとこの博物館も一同でお祝いいたしました」
「御前がご尽力なさったのか?」
「そうです。あの国際会議には各国政財界の大物が集まります。カトマールからも大統領と第二副大統領夫妻が参加しました。ですが、なぜかシャンラだけは毎回、代理を立てるだけで、積極的参加がなかったのです。このため、御前さまは何度もお伺いを立て、シャンラの王族をお招きするよう努力してこられました」
「そうであったか」
「シャンラ王父殿下のご参加はこのうえない名誉。シャンラの経済活動の要は王父殿下が握っているといわれておりますからな」
「それはいかなることでござろうか? すみませんな。この年寄りは国際情勢には疎いものでして」
館長はやや自慢そうに答えた。
「シャンラ王国は立憲君主制で、王族は政治には関与できません。ですが、ルナ大祭典のような文化行事には積極的で、そうした文化行事を王家の経済活動と結びつけて支援しているのです」
「王家の経済活動?」
「はい。王家はシャンラ王国の土地の半分をもちます。この土地経営をもとに、環境保全と文化保護に積極的でしてな。こうした政策に完全に転換して成功を収めた人物が王父殿下なのです。ただ、殿下は人嫌いで知られ、外に出ることはほとんどありませんでした。その殿下を引っ張り出したというだけでもすごいことだったのです」
カイは静かに聞いていた。
シャンラ王父殿下ダムは、カイの実祖父。カイをやさしく迎え、カイの願いを聞き届けてルナ大祭典への協力を決断した。王父殿下がラクル国際会議に出席したのはその一環。弓月御前の努力の成果などではない。だが、表ではこういうストーリーに改変されているのだろう。それはそれで、王父殿下にとっては好都合なカモフラージュになる。
館長は十五歳の生徒たちに笑顔を向けた。いかにもつくりものっぽい笑顔だ。
「で、みなさんはどちらをご見学に?」
「市庁舎と古い僧院と弓月御殿です!」風子が元気よく答えた。
館長は口をあんぐりと開けて風子たちを眺めた。
「い、いや。市庁舎はわかります。旧市街の華ですからね。だが、僧院とおまけに弓月御殿まで――これは驚きました」
「そうなのですか?」
「もちろんですよ。僧院はわれら研究者も特別許可をもらって調査したことはありますが、普通は入れません。まして、弓月御殿など、われら一人とて招かれたことはありませんのでね」
「へええ。そんなに珍しいことだったんですか」
明らかに風子が戸惑っている。別に自慢するために話題にしたわけではない。共通の話題をつくろうとしただけだ。それが、とんでもないレア話だったとは。
館長も脇の二人も明らかに態度を変えた。御前がこれほど特別待遇をするこの集団をないがしろにできないと改めて思い定めたようだ。
次に子どもたちからどんな質問が飛び出すか、三人は身を乗り出すように問いを待った。だが、風子が発した問いは拍子抜けするほど一般的なものだった。
「ラクルという町の成り立ちを教えてください!」
アイリに「普段通りでよい」と言われ、いつものように風子は素朴な質問をしたのだ。
講師がくすりと笑いながら、説明を始めた。中高生向け講演でしゃべり慣れているのが丸わかりのわかりやすい解説だった。ひととおり聞いた後で、風子が重ねて聞く。
「午前中に古い神殿を見学したんですけど、あれはもともとウル大帝国時代にあたる三千年前に作られた古い小さな神殿あとに建てられたというお話でした。三千年前のウル大帝国では、独裁君主が現れて宗教改革を行い、古代からのウル教を弾圧したと古書には書かれています。ラクルは月読族に安堵された領地。ラクル神殿はいったいどの神を祀ったのですか?」
講師の顔色が一気に変わった。
「そ、その古書とは、『ルナ異本』のことですか?」
「そうです。断片的な記録ですし、正史ではないので、無視されてきたと聞いています」
「あの本は奇書とされ、古代ウル文字で書かれたもので、現代語訳などありません。まさか、原語を読んだのですか?」
「はい!」
シュウが隣から応援した。
「彼女は、古代ウル文字は全部読めますし、古代ルナ文字も一部読めますよ」
講師も教授も館長も絶句した。仕切り直しだ。
講師の説明レベルが一挙に上がった。
「古代ラクル神殿が何を祀ったかは考古学上の謎の一つです。ただ、当時の勢力関係から推測すれば、もともとウル教の主神大地の女神ウルを祀っていたけれども、それが知られて神殿を潰されたという考え方も成り立ちます。原初神殿はあまり長く持たなかったようだからです」
「それはどうしてわかるのですか?」
「この地域にはほかにも多くの神殿遺跡があります。それらのほとんどはいまも神殿として存続しており、そうした神殿はすべて月の神ルナを祀る神殿なのです」
「ホントですか?」
「ええ。ただ、神殿縁起には、大地の女神ウルから月の神ルナに神を変えたという記録はいっさい書かれていません。ですので、証拠はありません」
風子が首を傾げた。
「逆にへんですね。一斉に全部記録を消すなんて、よほどの権力がないとムリでは?」
講師が目を細めた。
「その通りです。そういう指摘を行っている研究者もいます。つまり、今残るルナ神殿はある時期に一斉につくられた神殿体系であって、古代ルナ神殿とは別物だと。だからこそ、ルキアのルナ大神殿は貴重なのです。あの神殿は、まさしくルナ古王国の神殿ですから」
「へええ」
無邪気に驚く風子に、マキ・ロウ博士が発言した。
「都築凛子博士の説ですよ」
講師が驚いた。
「よくご存じですね!」
マキはわずかにほほ笑みながら、ちょっと頷いた。
「わたしは別分野の研究をしていますが、神殿のことは多少調べましたので」
素人だと思って舐めるなという警告に等しい。講師はまた襟を正した。史料解読が入ってくると、教授も館長も口を挟めるレベルではない。
重要なことが確認された。
ラクルはウル大帝国時代に設置された神殿をもとに発展した門前町。だが、その繁栄は長く続かず、ラクルは神殿を犠牲にし、商業都市として再出発した。そのときにだれがどう支援したのかは不明。
神殿建築の三千年前より以前は、ラクルが面する東海方面はまだ開発が十分に及ばず、ラクルという町も存在しない。だが、絹の里は存在した。だれかが何らかの方法で、ルナ古王国やカトマール帝国の拠点たるカトマール中央部~西部に絹織物を運んでいたのだろう。それが弓月財閥のルーツだろうか?
結局、〈道〉についてはわからないままだった。研究の世界では、〈ミグルの道〉もヘビ族の〈試練の迷路〉もまったく知られていない。〈神殿の道〉は神話世界の話とみなされ、実在は想定すらされていない。
これなら、地下世界は弓月御前のやりたい放題だな。アイリは改めてそう思った。




