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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第五十章 地上世界と地下世界 
313/331

Lー1 ブールの森の神木

■オロ足止めされる

 オロは最悪の気分だった。

 〈ミグルの道〉を無事踏破できた。みんなに称賛された。危機のときにリトが現れ、救ってくれた。これらはうれしい。これまでの人生の中でも最高のできごとだ。

 だが、大好きなリトがいない。玄武ディーンとともに旅に戻った。

「なんでだよっ!」

 地団太を踏んでみても、怒鳴ってみても、リトには届かない。


 おまけに、出席日数不足とサキからダメ出しされ、課題を山のように積まれた。

「けっ! オレ、文字読めないし、書けないぞお!」

 オロがどんなに反論しようと、課題は減らない。唸っているとアイリと風子がやってきた。アイリはオロにパソコンを渡した。

「音声読み上げと音声入力をバージョンアップした。おまえ用の特別仕様だ。これを使え」

「ねえ、オロ。これでばっちりじゃん!」と風子がうれしそうに言う。

「おい、おまえら、オレに課題を全部しろって言うのかよ?」

「あったりまえじゃん。でなきゃ、オロ、留年しちゃうよ。いいの?」

「よくは……ない」

「じゃ、やるしかないじゃん! サキ先生が碧海先生に頼んで、自宅療養証明書をとってくれた。だから、櫻館で課題を仕上げればいいよ」


「オロ、言っておくが、くれぐれも逃げ出すなよ。逃げたとたんに留年確定だ」

 アイリが勝ち誇ったようにオロに告げた。オロは気づいた。

(そうか! アイリがオレにタダで親切なはずはない。オレをここに足止めして、オレがさんざん苦労するのを見て楽しむつもりか!)

 元気になったらすぐにでもリトを探しに行きたかったのに、これではムリだ。オロは肩を落としてパソコンに向かった。パソコンから女性の声が響いてくる。

「な、なんだっ、 これ?」

「おう、サキ先生の声だ。おまえに一番効く声をわざわざ合成したんだ。感謝しろよ!」

 アイリがニヤリと笑った。オロは思わずパソコンに突っ伏した。背後でアイリの声が響いた。

「パソコン画面に注意しろ。サキ先生からときどきリアルチェックが入るからな!」

「くそおお!」

 風子は苦笑した。

(ホントは親切心なんだよ! オロ、わかってあげてね。アイリは屈折してるだけ――)


■アイリの決断

「火の山のばあちゃんのところに行ってくる」

 リンゴを剝いていたマキ・ロウの手が止まった。風子がフォークに刺したリンゴのひとかけらを落としそうになった。

「どうして?」

「あの蒸気が気になる。オロが〈ミグルの道〉で出会った蒸気と同じか、違うのか、確認したい」

「でも、危なすぎる! わたしはまだ動けない。あなた一人で行かせるわけにはいかない。それにおばあちゃんのいる火の谷は山の裏手でしょ? あの事故があった場所からは遠すぎるわよ」

 マキ・ロウはそう言いながらも、目を落とした。

「そう言っても、あなたは行くんでしょうね……」

「そうだ!」


 風子が横からハイッと手を挙げた。

「あたしとモモも行く! 洞窟には入れないかもしれないけど、火の山にはついていく!」

「――おまえ、はっきり言って役に立たないぞ」

「うん! でも、アイリにはモモが必要だし、モモにはわたしが必要だもん。それに、一週間くらいなら休んでもギリギリ単位が取れそうだし」

 風子は当然のように主張した。マキ・ロウが頬を緩めた。

「そうね。二人で行きなさい。その前に、あの地域のガスと地形について詳しく教えておく」


 突然、ドアが開いた。

「久しぶりだな」

 緋龍の女王陛下ルビーだった。相変わらず、ゴージャスな美貌を振りまいている。

「ここにもケイはいないのか?」

「ケイさんですか?」と風子が首を傾げた。女王緋龍がなぜか惚れてしまった元警官の浮浪者だ。

 アイリが興味なさそうに言う。

「ケイはラクルそばでいろいろ偵察しているはずだ」

「なんだと? ラクルにいるのかっ? わたくしがここに来たのに? オロに申したではないか――近々、櫻館に行くと伝えろと」

「まあいろいろとオロも大変だったんだ」

 ルビーはオロのことなど聞いちゃいない。


「いつ、いつ、戻ってくるのだっ? ケイはいつ?」

 龍族が人間の姿で地上に留まれるのは一か月――その間に会えなければ、また海に戻って次の機会を待たねばならない。

「さあ――」

 ルビーの顔が紅潮した。怒っているようだ。しかも相当の怒りだ。


 ルビーの到来を知ったグリが駆け付けてきた。

「へ、陛下――」

「グリ! さあ、ケイのところにわたくしを連れてまいれ」

「は、はい。しかしながら、ケイどのは、秘密調査のさなかでございますので、所在がわからず――」

「なにを調べているのだっ?」 

「ラクルの弓月財閥でございます」

「ああ、あの成り上がり財閥か? 長の女はちとやっかいな人物だな」

「弓月御前を知っているのか?」とアイリが驚いた。

「むろんだ。あの者に会ったこともある。物腰は柔らかいが、腹の底が読めぬ女であった」


 風子とアイリが顔を見合わせた。

「どこで会ったのですか?」と風子。

「わが緋龍一族が地上に構える商館だ」

「商館?」

 アイリが尋ね、風子が首を傾げ、グリがあわてた。

「へ――陛下。商館のことは――」

「構わぬ。隠しても意味がなかろう。この者たちは海底の珊瑚宮にも来たことがあるのだからな」

 グリは黙った。その通りだ。


 アイリが身を乗り出した。

「で、その商館とやらはどこにあるんだ?」

「火の山のふもとの町だ。昔から商いの中継点として知られる町だ」

「火の山のふもと? ひょっとしてブールという町か?」

「そうだ、よく知っているな」


 アイリが立ち上がって叫んだ。

「ケイを見つけてやる。だから、あたしらをブールの商館につれていってくれないか?」

「緋龍一族の商館に? なぜだ?」

「弓月財閥を調べるためだ。ケイの仕事も減るぞ。そしたら、思う存分ケイとデートできるじゃないか!」

 女王緋龍の頬がポッと赤らんだ。怒りではなさそうだ。

「そ、そうか? よし、わかった。わたくしもまいろう。グリ、ついてまいれ」


 即断即決。女王はまことに決断が速い。

 すぐにキュロスが車を用意し、女王、グリ、アイリ、風子、モモ、シュウが乗り込んだ。イ・ジェシンもついていくと言い張り、ちび緋龍二匹を連れて割り込んできた。そのチビ緋龍が遊び相手に美少年カメのユウをカバンにしのばせていたことなど、だれも気付かなかった。


 風子がコソッと聞いた。

(なんで商館?)

(例の森に近い! それにタダ飯だ!)


 いざ、出発!


■緋龍の商館

 ブールは、いかにも中世風の面影を強く残した、活気にあふれる中規模都市だった。ラクルやカランには及ばないが、取引が活発で、多様な人が集まる。そのブールの中心部から少し離れた高台に商館が建っていた。建物は相当古い。だが、古い建物を丁寧に修理しながら使い続けてきたようだ。

 女王陛下のお出ましだ。こたびは、カメ族筆頭のグリまで付き添っている。商館のみなは緊張していた。商館という名の大使館も兼ねている。集まっているのは、緋龍一族に忠誠を誓う龍族とカメ族だ。


 グリの指示で、お忍び訪問が徹底された。櫻館メンバーについても詳細は明かされなかった。一行には、商館の最高級の部屋が用意されたが、町をそぞろ歩くときには、一般市民のなりをする。この地域をよく知る者が案内人となった。


 アイリは案内人に聞いた。

「町はずれに森があるな?」

「ああ、あれは〈ブールの森〉と呼ばれましてな。もとはブール地域の領主が持っていた狩場の一部ですが、いまはブール市が管理する公園になっております。市民の憩いの場として有名でして、いろいろな催しもおこなわれますぞ」

「憩いの場? あの森が?」

 アイリと風子は顔を見合わせながら、互いに眉根を寄せた。

(あの森は相当危険な森だぞ。なのに、憩いの場だと?) 

「森に行けるのか?」

「もちろんですとも。ご案内いたしましょうか?」

「頼む」


 森林公園への入口は、アイリや風子が以前に入った場所の反対側だった。遊歩道が整備され、広場やステージがあり、遊具も置かれている。小さな湖には、青い空と対岸の木々が映り込み、華麗だ。いたるところにベンチが置かれ、そぞろ歩きを楽しむ人や、芝生に寝転ぶ人たち、犬と散歩する人たちが行きかっている。ごく普通の公園だ。


「森の奥の方に入ってはいけない区域とかあるのか?」

「いいえ。この森はとても明るく規模も小さくて、しょっちゅう管理人が見回っていますので、そんな禁止区域などございません。森の端まで行ってみますか? すぐそこですよ」

 一行はゾロゾロと森のもう一方の出入り口まで歩いて行った。ものの十分。

 たしかに平坦で開けた森だ。案内人の紹介で、出入り口のそばに建つしゃれたカフェに入った。

 風子やシュウは大きなパフェを頼み、アイリは二種類の特大パフェを頼んだ。ペロリとたいらげ、アイリはもう一度、森を眺める。

(おかしい! この前、この店はなかった。出入り口もあんなにきれいじゃなかったぞ)

 隣で風子も首を傾げている。だが、菓子の魅力が上回る。アイリは三つ目のパフェを頼んだ。


■お散歩タイム

 商館の客室に戻り、アイリは地図を睨んでいた。隣で風子がモモの頭を撫でながらつぶやく。

「ほかにも森があるのかな? わたしたちが入ったのはいったいどの森だったんだろう?」

「――さあな」と言いながらも、アイリはずっと考え込んでいる。


 こんなときこそ散歩だ。風子はアイリに声をかけた。

「モモの散歩の時間だよ!」


 モモをつれてのお散歩タイム。まだ明るい。二人はもう一度森の公園に出かけた。モモがうれしそうにクンクンと土や草の匂いを嗅いでいる。

 モモに引っ張られるように、風子とアイリは森の奥に進んだ。一周しても三十分程度。迷うことなどない。

 ふと湖に目をやると、夕日が朱く反射していた。金色のさざ波がたち、穏やかな夕暮れが訪れる。随所に街灯があり、夕暮れ時にも人は多い。

 モモが立ち止まったので、風子たちもベンチに座った。風が次第に冷たくなる。

「寒くなってきた。もう帰るぞ!」

 アイリが立ち上がり、風子を促す。だが、風子は固まったように動かない。

「どうした? 風邪ひくぞ」


「あ、あれ――」

 風子が指さす方を見ると、湖の向こう岸に暗い森が揺れている。

「森じゃないか?」

「――うん」

「あんなもの、あったか?」

「ううん。さっきまでなかったよ。まばらな林はあったけど、森はなかった」


 二人は顔を見合わせた。

「どうする?」

「もう暗くなるよ。明日にしよう! もうすぐ晩御飯の時間だもん」

「う――晩御飯か」

 アイリはすぐにでも行きたそうにしていたが、晩御飯と聞いて足を止めた。


 夕食時、アイリは案内人に尋ねた。

「公園の湖の向こうに森が見えたが、あれは何だ?」

 案内人はこともなげに言った。

「ああ、あれは森とは言えないんですよ。明るい雑木林でしてね。ただ、夕方になると、光の加減か、暗い森があるように見えるんです」

「雑木林?」

「あの林は平凡なのであまり人気はありません。ですので、手前の森ほど整備されておらず、湖を一周する遊歩道があるだけですね」

「林の中に入り込んでも大丈夫なのか?」

「もちろんです。用水路もありますし、自然の散策路もありますよ。落ち葉もサクサクでね。ちょっと歩けば広い道路に通り抜けることができます」

 翌朝のモモ散歩コースが決まった。

 その夜は雨だった。しとしとと降り注ぐ雨の音に包まれながら、いつものようにモモを真ん中に寝かせ、アイリと風子は並んで眠りについた。


 快晴だ。日が昇り始める頃、風子とアイリはモモを連れて公園に向かった。

 湖をめぐる遊歩道をそぞろ歩く。朝の体操をする人たちが広場に集まり、元気な声が聞こえる。だが、土のままの散策路に人影はない。

 雨上がりの明るい日差しが舗装されていない自然な道に降り注ぐ。落ち葉が積もったままのところを見ると、この散策路を歩く人はさほど多くはないようだ。みな、並行して作られた舗装済のサイクリングロードと手すり付きの遊歩道を使っているのだろう。


 雑木林はほとんどが落葉樹だが、樹高が高く、早春のこの時期は樹冠が明るい。ところどころ常緑の太い木がある。長い時間を潜り抜けてきた林なのだろう。雨を含んだ落ち葉は滑りやすい。ズルっと何度も転びそうになりながらも、風子たちは散歩を楽しんだ。


 商館で案内人が青くなっていた。

「お二人の姿が見えないのですが、ご存知ですか?」

 シュウがにこやかに答えた。

「モモの散歩だよ。あの雑木林の方に行くって言ってた」

 案内人の顔がさらに青くなった。

「ほ、ほんとうですか?」

「どうかしたの?」

「いえ、あの雑木林の自然遊歩道は雨上がりには足元がよく滑るものですから大丈夫かなと――」

「滑る?」

「はい。水が一日は引かないんです。歩けないことはないのですが、地元の者は靴に水が浸み込むからとあまりあの自然遊歩道は歩かず、そばにある舗装済みの道を歩きます」

 シュウは不審を感じた。

「危なくないのなら、なんでそんなに青くなるの?」

「は、はあ――今の時期は、ヘビがたくさん出てきますので。いえいえ、毒ヘビではございません。ヘビ注意とか、湿地注意という立札は出ていますが、ご覧になったかどうか――」


 シュウはただちに動いた。キュロスも従う。

――風子はともかく、アイリは、なんとか注意ってのを見たら、きっとあえて進むはず。そもそも森を調べに来たんだから。


 向こうで、チビ緋龍たちが遊び相手のカメがいないと大騒ぎし、ジェシンが懸命に宥めている。女王は優雅に朝食を楽しみ、グリがそばにつきっきりだ。

普段は静かな商館が、女王と櫻館メンバーに振り回されている。


 遊歩道では、風子がモモを抱き上げていた。

「うわっ! ヘビだ! ゾロゾロいるよ!」

 アイリが目を凝らした。

「おい、見ろ!」

 アイリの指先の方を見て、風子も息を呑んだ。


 あれは――例の神木!


 とたんに空が翳った。遠雷がとどろき、雨がポツポツ落ちてくる。向こうの広場では体操をしていた人たちが屋根のあるステージに移りはじめたようだ。そのざわめきはやがて雨の音に消された。

 湖面のさざ波が大きくなり、やがて雨に煙って向こう岸は見えなくなった。


 風子とアイリは神木の下に駆け込んだ。そこだけ雨から守られるようにふわりと白い(もや)に包まれている。

「なんか妙だな――」

 アイリがぽつりと漏らすと、モモが木の下に向けてウウウと低くうなった。カサッ――何かが動いた。ヒッ! 風子はアイリにしがみついた。


 落ち葉の塊から蒼緑の宝玉のような二つの光がこちらに向けられていた。睨みつけると、ノソノソとはい出てきた。場違いなほどきれいな青緑の甲羅が現れた。

「こいつ、ラクルカメじゃないか? 逃げ出すつもりだったのか?」

「いいえ!」

 風子もアイリもギョッとした。

「おまえか?」アイリの問いに、風子が首を振る。

「きっと、この子――」

 きれいな子カメはじっと二人を見上げた。

「湖がきれいだったから泳いでたの――そしたら、大きな魚に追われて、怖くてここに逃げのぼったの」


 なんで、こいつがしゃべってる?


 アイリは子カメをつまみあげ、靄の外に出してみた。雨に打たれながら、子カメが口をパクパクさせている。中に引き込むと、声が聞こえた。

「この白い靄が結界みたいだ! この中だとカメの声が聞こえる」

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