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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十九章 緋と碧の交錯
310/329

ⅩLⅨー8 第四の関門――〈氷〉に閉ざされた世界

■櫻館――アイリの推理

「おい、喜べ。グリが見つかったらしいぞ」

 サキの言葉に、イ・ジェシンが飛び上がって喜んだ。

「ほんとっ? ねえ、グリちゃんは元気なの? いつ戻ってくるの?」

 ジェシンの質問攻めにサキは逃げ出した。アイリが寝ぼけ顔で、ボソッとつぶやいた。

「どっかで美少年カメを拾ったらしいぞ」

「美少年カメ?」

「ああ。グリを追っかけてるらしい」

「うそおお? グリちゃんがかわいいのはわかるけど、グリちゃんに手を出したら承知しないぞ!」

 愛娘を取られた父親の心境らしい。喜びはどこへやら、新たな心配ごとはもっと厄介そうだ。

 一人で髪をかきむしるジェシンを捨て置き、アイリはパソコン室に向かった。


 オロ配下の若カメに持たせたアカテン三号は、適宜情報を送ってくる。巨大スクリーンに映された映像は臨場感抜群。一緒に洞窟を辿っている気になる。むろんオロには内緒だ。いくら危機に備えるとはいえ、アイリたちに監視されていると知ったらオロは何を仕出かすかわからない。


 アイリはまた同じ映像を映し出した。例の〈蒸気柱〉が吹きあがった瞬間の映像だ。緋の回廊で自分が経験した蒸気爆発と似ている。マキ・ロウは、硫化ガスではないと言った。匂いが違ったらしい。

 あの緋の回廊は〈神殿の道〉だった。オロがいま進んでいる〈ミグルの道〉とは違う。グリたちが迷い込んだ道とも異なる。


――三つの道か……。それが並行して走っているということか? しかも、ところどころ、蒸気でつながるってわけ?


 唸り込んでいると、タダキが入ってきた。先日来、タダキは櫻館の新しい住人になった。〈カラン神殿巫女〉の末裔であり、〈島ミグル〉の直系であるタダキには、〈神殿の道〉と〈ミグルの道〉に関する詳しい知識がある。しかも、神殿巫女のばあちゃんにまめに連絡をとって、アイリやサキの疑問にせっせと答えてくれる。イ・ジェシンよりはるかに役に立つ。

 スラは相変わらずタダキを避けまくっているが、オロを助けるためにタダキを完全無視もできず、微妙な距離感を保っている。ガガばあちゃんは白虎覚醒に備えてタダキの知識や人脈が不可欠と考えたらしい。ガガばあちゃんからの依頼に応えて、タダキはリョウの世話係を申し出た。五歳児への接し方については、ジェシンの指南を受けている。


 そのタダキがアイリに言う。

「〈カラン神殿巫女〉の神話には、〈時空のはざま〉に似た物語はあるそうですが、〈蒸気柱〉の話はないそうです」

「〈神殿巫女〉の神話は五千年前のものだよな?」

「そうです」

「〈神殿の道〉はあったが、まだ〈ミグルの道〉は開発されていなかった。ましてグリが行ったらしい〈弓月の道〉などなかったはず。ということは、〈蒸気柱〉は〈弓月の道〉が原因ということだよなあ」

「おそらく」

「じゃ、柱の目的は何だ? 邪魔者を吹き出すためとは思えん。ひそかに始末するならいくらでも方法があるからな。うーん」


「うーん」後ろで同じことをいうヤツがいた。風子だ。腕を組んで座り込んでいる。

「どうしたの?」とタダキが声をかけると、「下から見た感じがどうなのかなって」と風子が上目遣いをした。

「なんで、下から目線だ?」とアイリ。

「だって、その柱は下から上にピュッと伸びるんだよね?」

「そうだ。ピュッというより、ビューンって感じかな」

「ふうん、まっすぐに?」


「下から上に突き抜ける感じだ。それがどーした?」

「うん――この前読んだ漫画を思い出しちゃって」

「漫画? おまえが今はまっている魔女漫画か?」

「うん! 魔女がね、危機に直面したら、光と熱に姿を変えるんだ。ピュッと伸びて、煙のように消えちゃう。箒を使ったりしない。光線になって魔女集会に飛んでいく」


 魔女漫画――タダキが額を抑えて笑いをこらえる横で、アイリは真剣な表情に変わった。

「魔女の変身転送術か。ありうるな。だが、魔女がおらんぞ。今回、グリたちは巻き込まれただけのようだし、あたしのときも誰も何も湧いてこなかった」

「うーん。ごめん、わかんない!」

 風子が(しお)れた。だが、アイリはますます真剣な表情になる。

「危険を察知した魔女が……光と熱に変わる。光と熱の塊が、石を熱して聞こえない音を出させ、みなの記憶を消した――だが、〈ミグルの耳〉をもつオロの記憶は奪えなかった……」


 アイリはふたたび映像と詳細な地図を睨んだ。

「変身転送術じゃなく、危機対応のセンサーだったとしたら?」

「は?」タダキが呆気にとられた。

「〈弓月の道〉にとって重要なポイントの上にだれかが来たとする。それを感知したセンサーが働く。センサーは防御のために蒸気を上げる。破壊力は抜群なのに、跡は残らない。その蒸気は周囲の石壁に作用し、やってきた者の記憶を奪う――」

「すごい!」

 風子が手をたたいたが、素朴に疑問を口にした。

「でも、そうなったら〈ミグルの道〉でしょっちゅう記憶喪失者が出て、たいへんなことになっちゃうよ?」


 アイリは頷いた。

「そうだな。だが、奪う記憶を選別していたとしたらどうだ?」

「選別?」

「そうだ。蒸気は不審者のチェック機能――〈弓月の道〉に関する記憶に反応するような音を出させるとか、だな」

「よくわかんないけど――」

 アイリは風子に説明する答えを探した。

「例えば、〈弓月の道〉やラクル地下都市に関するキーワードだけに反応するように石の音を設計するんだ。すると、声に出された記憶だけが消去される」

「全部じゃなくて?」

「記憶はつながってはじめて意味をなす。断片が残っても意識の下に埋もれてしまう――つまり、関連することだけを忘れてしまうから、記憶を失ったことに気づかない」

「ふうん、忘れちゃったら、何も起こらなかったことになるってこと?」

 風子の感想にアイリは頷いた。


 アイリは拳を握って画面を見据えた。

「〈熱〉の関門の目的は、きっと、記憶の選別と統制だ!」


■〈氷〉の関門

 グリたちと美少年カメも加わり、オロ一行はさらに〈ミグルの道〉を進んだ。

 水は相変わらず澄み渡り、流れは緩やかで、岩肌は滑らかこの上ない。何千年、何万年もかけて作られてきた自然の洞窟と水の流れ――そこに〈はぐれミグル〉が手を入れ、何百年もかけて、船が通る水路に改良したのだろう。過ぎた時間の穏やかな長さを偲ばせるように、景観は陰影に富んで美しい。


 少年姿のオロを背に乗せた大カメを先頭に、多数のカメが行列をなす。大カメのそばに若カメがぴったり寄り添う。アイリたちが龍宮に行ったときに、グリの母から最側近として紹介された有能なカメ母子だ。


 大カメがピクリと首を上げ、進むのをやめた。大カメの右側先頭を守る若カメがスッと先に出て様子を確認する。

「母上、あの淀んだ水の先で、温度が急激に下がっているようです」

 流れが止まり、水の色が不自然に濃くなっている。水底が深いのだろう。

「殿下、どうなさいますか?」と大カメ。

 オロは身構えた。ラクルからすでに百キロは進んできたはずだ。その百キロの間になにも起こらなかった。

「そろそろ次の関門が現れても不思議じゃないな」

 大カメの左側先頭に位置するグリが顔を上げ、よく通る声を響かせた。

「殿下、あれをご覧ください!」

 

 岩壁が突然凍り始めた。またたくまに氷の壁ができる。オロたちのいる水面もピシピシと固まってゆく。

「みんな、水に潜れ! できるだけ深く!」

 オロの号令に一斉にカメたちが水に潜った。

「殿下、われらは?」

「あの岩の窪みに逃げ込め!」

 オロを乗せた大カメと左右のカメ二匹が窪みに逃げ込んだとたん、窪みの下の水面も凍った。極寒だ。身体も甲羅も凍りそうだ。カメたちは必死で動いた。


 岩の窪みには段差があり、一段高いところには水はきていない。濡れていなかったのが幸いしたのだろう。氷が張っていない唯一の場所だった。上に張り出した岩が屋根のように窪みを覆う。


 あたり一面氷の世界と化した河をオロは茫然と見つめた。

「第四の関門〈氷〉だ!」


「みんなは大丈夫か?」とオロが聞く。

 グリが精一杯クビを伸ばして答えた。

「大丈夫のようでございます。下の方で蠢いているのがかすかに見えます。氷の厚さは二メートルくらいありそうです」

 例の美麗な少年カメの鮮やかな甲羅は分厚い氷の下でも光を放っている。彼が動いているのだ。他のカメも大丈夫だろう。


 ホッとしたのも束の間、ドドドッと猛烈な音がした。天井からいっせいにツララが落ちてくる。ツララの先は鋭くとがり、河の氷に何本も突き刺さってゆく。

 突き刺さったツララは氷の上で溶け、また新たな氷となり、氷の面を上げてゆく。この窪みも氷で閉ざされるのは時間の問題だ。


 いつか氷は溶けるだろう。だが、それまでにこの窪みも水の下も氷に閉ざされるに違いない――冷凍カメの出来上がりだ。


 オロは深呼吸した。

「あっ! オロ殿下! お待ちください」

 グリがオロに縋った。

「いけません。危険です!」

 グリの絶叫が響く中、オロは巨大な龍の姿に変わった。銀青龍――その頭は洞窟の天井に届きそうだ。口から吐き出されるのは龍の炎。


 ゴオオウウ。フォオオオオ。ヒュルルルル。


 豪快な炎が舞うように氷の世界を朱く染め上げる。剣のように鋭利なツララも龍の鱗にはじかれ、横にふっとんだ。オロを止めようとして飛び出たグリを腹で守りながら、オロは四方八方に龍の炎を浴びせた。


 氷の壁が水晶のように煌めき、この上なく透明な水となって滴り落ちる。

 銀青龍が踏みしめる河面の氷にやがて亀裂が入り、分厚い氷の塊が氷山のように分かれて流れ、水の中に消えた。


 入れ替わりにカメたちが姿を現す。歓声が上がっている。

「オロ殿下、万歳! 銀青龍殿下、万歳!」


 地下から来た美少年カメは恍惚として、龍の姿に見惚れた。

 しかし、グリは真っ青だ。


――銀青龍殿下も龍の炎を吐くことはできる。だが、火を吐くドラゴンである緋龍一族とは違い、青龍一族はそもそも水の龍。龍の炎はご自身をも焼き尽くす……。


 オロの巨体がグラリと(かし)いだ。そのまま大きな音を立てて横向きに倒れた。龍の巨体が縮み、ひ弱な少年姿に変わる。


 目を開けない。グリが必死でオロに縋った。

「殿下! オロ殿下! お目をお開けください!」

 薄れゆく意識のなかで、自分を繰り返し呼ぶグリの声にこたえることもできない。大カメの上に横たわる白く細い身体はそのまま動かなくなった。

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