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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十九章 緋と碧の交錯
308/329

ⅩLⅨー6 水と音――二つの関門

■銀麗月と聖香華

 カイは、窓辺の明るい光を背に上半身を起こしていた。ほのかな逆光に白い顔が消え入りそうだ。

「叔父上。お戻りでしたか」

 入ってきたレオンに目を留め、カイは丁寧に頭を下げた。

「どうぞそのままで。ずいぶん無理をしたと聞いています。調子はいかがですか?」

 カイは目を伏せた。長いまつげの下にはまだ窪みの陰が残る。

「ご心配をおかけしました。もう歩けるのですが、セイどのが許可を与えてくれません」

 レオンが微笑んだ。冷徹なレオンが微笑みを見せるのは、彼が愛するほんの数人の前だけ。

「香華族最高の薬師セイどのの指示に逆らってはなりませんよ。ゆっくり休みなさい。姉上にはわたしから安心するよう伝えておきます」

「恐れ入ります」


 レオンの姉リリアがカイの生母とわかってからまだ数か月。ゆっくり話す時間もないまま、リリアもカイも激動に巻き込まれてきた。リリアはカトマール第二副大統領夫人アユとして暴動の鎮圧にあたったばかり。カイは銀麗月として暴れ狂う〈時空のはざま〉を封じるために異能のすべてを出し切り、意識を失った。


「叔父上、ご相談があるのですが、よろしいですか?」

 レオンは柔らかい微笑みを絶やすことなく、甥を見つめながら頷いた。

「どうぞ遠慮なく」


「今回のことで二つのことが気になったのです。一つは、あの〈時空のはざま〉の巨大なエネルギーです。長年にわたってとてつもないエネルギーが溜まっていたようでしたが、なぜそのようなエネルギー溜まりができたのか、調べる必要があると思います」

「なるほど」


「もう一つは、リトです」

「リトくん?」

「弦月として完全に覚醒しました。わたしを助けようとして分気術を使ったようです」

 レオンは驚いた。

「分気術――超難度の危険な技と聞いています。それをリトくんが……」

 カイは静かに頷いた。


「わたしは封印していた遠い記憶を取り戻したのですが、リトはわたしから去っていきました。そのとき、わたしの魂は肉体を離れて浮遊していたのですが、リトの姿が変わり、リトが触れるとわたしの肉体が黒ずんだのです。それを恐れたリトはわたしから去ったのだと思います」


 レオンはカイを見つめ、その肩を抱きしめた。レオンの胸の中で、堪えていた涙がカイの頬にひとしずく落ちた。


「戻ってきますよ。リトくんは必ずあなたの許に戻ってきます。リトくんを信じなさい。それだけがリトくんの闇落ちを防ぎます」

「叔父上」


「〈時空のはざま〉についてはわたしのほうでも調べてみましょう。サキ先生によると、あの場所からマキ博士とアイリさんが調査に入り、異様に美しい広場と緋色の回廊を見つけたそうです。ところが、〈カラン神殿巫女〉の歌には、〈神殿の道〉はさかんに称えられているのですが、広場や市を寿ぐ歌はないそうです」

「え? 〈神殿の道〉は古代の地下参道、その道がのちに通商路〈ミグルの道〉として整備されたと伝えられてきたのではなかったですか? 通商路なら要所要所に市や広場があるのはあたりまえ――でも、違うのですか?」

「わたしもそう思っていたのですが、違うようです。さきほど〈島ミグル〉の長が櫻館にお越しになりました。長によりますと、ミグル族にとって〈神殿の道〉は神聖な道――〈ミグルの道〉の起源というのは象徴的意味であって、実際の通商路は〈神殿の道〉とは別に築かれたはずとのことです」

「それはどういう?」


「どうやら、カトマールの地下世界には、いくつもの〈道〉やエネルギーなど大きな謎が隠されているようです。リトくんの覚醒もそれに関わる可能性が高い」

「そうでしたか……」

「ラクルから入る〈ミグルの道〉については、いま、オロくんとグリさんがじかに調べているようです。いずれ報告があるでしょう」

「わかりました」


「長からのご依頼は、〈ミグルの道〉を守ってほしいということでした。〈ミグルの道〉を手中に収めようとしているのは、弓月財閥――弓月御前だそうです」

 カイは目を見開き、低く唸った。

「弓月御前……」


 弓月財閥は、ラクル財閥の中でも最近とみに成長著しい財閥だ。絹織物を中心にいまや染織産業の世界トップの一つに躍り出ている。その長が弓月御前。しばらく前、カイとリトは弓月御前に囚われ、大ケガを負ったリトが弦月として覚醒するきっかけとなった。御前は、いまや、カイたちの最大の障壁になっている危険な人物だ。


 レオンはカイの毛布を引き上げながら、こう告げた。

「弓月財閥の暗躍はカトマールの政争にも深く関わるようです。姉上とも相談しながら対応していくつもりです。弓月御前が関わる以上、いずれは天月宗主の闇にも関わるはずです。そのときにあなたが十分な力を発揮できるように、いまは無理をしてはなりません。ゆっくり養生なさい。リトくんのことも、サキ先生や宗主と相談しながらわたしも考えてみます」

「ありがとうございます」

 カイは心からの感謝を捧げた。


 聖香華レオン――香華族最高の異能者にしてカトマール帝国皇子は、その身分と異能を隠し、ラウ財団筆頭秘書として経済・政治世界の最前線に影のように存在する。

 銀麗月カイ――異能者集団天月仙門の最高異能者であり、至高の存在。聖香華レオンと銀麗月カイが叔父=甥の関係にあると知る者はほとんどいない。

 そして、この二人が同じ時代に並び立つのは三千年前の初代以来のこと。歴史が大きく変わった時だ。いまふたたび歴史が大きく動こうとしている。


 カイは窓の外に遠くたなびく天月山脈の稜線に目をやった。

――リト、わたしは必ずキミを見つける。闇落ちなどさせぬ。


 カイの部屋を出たレオンは、サキを見かけ、お辞儀をして去って行った。

 サキは、レオンの後ろ姿を見送りながら、カイの部屋の前で軽くため息をつき、窓から遠く霞む大陸を眺めた。

(オロ、〈ミグルの道〉はおそらくおまえが思っているよりはるかに危険だぞ。アイリがおまえの部下カメに秘かにアカテン三号(赤いテントウムシ型ロボット)を渡した。防水・耐火・防磁にすぐれた改良版らしい。おまえを守るためだ。気づいても棄てるなよ!)


■水の難所

 オロは水の中を進んでいた。


(あのおばさんが言ってたな。〈ミグルの道〉には五つの関門があるって。いったい何だ?)

 オロが言う〈おばさん〉とは鷹丸組組長――〈島ミグル〉の長だ。彼女によれば、ミグル族は海と陸の二つの〈道〉をもち、〈島ミグル〉は〈海の道〉を使って海洋交易を行ってきた。ラクル岸壁には、二つのミグルが共用する〈共有路〉の入り口があり、〈はぐれミグル〉が管理する長大な地下の道〈陸の道〉につながるという。この地下の道を〈ミグルの道〉と呼ぶ。


 〈共有路〉から〈ミグルの道〉に入るには、関所を通らねばならない。関所の向こうに何があるかはだれも知らない。ただ、噂だけが広がっている。とてつもなく厳しい難所がいくつもあって、特に難しいものは〈五つの関門〉と呼ばれるとか。それを通り抜けることが〈はぐれミグル〉にとっては最高の栄誉になるらしい。


(水、音、熱、氷、鏡の五つって、いったい何を意味するんだろう? 〈ミグルの道〉は地下の河だ。だから、水・熱・氷はわかる。水は熱っせられたり、氷になったりして形を変える。水の三変化だ。だけど、音、鏡? 水中で音が響くとか、響かないとか? それ以上に、鏡って何?) 


 関門がいつどのような形で姿を現すかわからない。自分に従うカメたちを犠牲にはできない。彼らを無事仲間のもとに戻さねばならない。銀青龍の力量が試される。

――なかなか厄介だ。

 オロはめずらしく肩で息をした。でも、悩んだって答えは出ない。行動あるのみ! 持ち前の切り替えの速さを活かして、オロは水中を進んだ。カメたちがオロを信じてついてゆく。


 積み荷を確認し、通行料を取っていただろう関所の門はいかにも古びている。あちこちに隙間があり、オロもカメたちも難なく通り抜けることができた。


 関所の向こうには、神秘に満ちた世界が広がる。滑らかだが突起の多い壁が続き、いくつもの石柱が迫りくる。道を熟知していなければ、すぐに岩にぶつかるだろう。水は静かだが、緊張が続く。ところどころに広い空間が設けられているのは、こうした緊張を解くためだろうか。


 そうした広めの河岸の一つにオロとカメたちは上がって一休みした。

 陽光は届かない。だが、みずから光を放つ石がある。洞窟の中はほんのり明るい。地下の気温は一定している。冬の季節は外気温よりも高い。カメたちもくつろいでいる。


 前方を見やると、洞窟は急に狭くなっているようだ。遠くから音が響いてきた。かすかな音がしだいに轟音に変わる。


 ゴオオッツ――。

 

 雪崩を打つような地響きの音だ。オロが叫んだ。


「水だ! 水が逆巻いている。近くの壁に這い上がれ!」


 カメたちが大慌てで壁に這い上がった。オロも石柱につかまり、上によじ登った。

 そのとたん、河に水があふれ込んだ。激しい波しぶきが立っている。穏やかな水が突然牙をむき、深い渦を巻いて、流れが一転した。

 ものの数分だった。だが、一瞬でも判断が遅れていたら押し戻されていただろう。カメたちがブルブル震えている。いったん上がった水位はカメたちのすぐ下まで迫ったが、やがて何ごともなかったように水は引いていった。


「ふうっ」


 オロのそばに控える元気な若カメは、主人オロの身震いを感じた。人型へと小型化しても、銀青龍の力は残っている。身震い一つで波が立つ。若カメは首元に隠し持つお守りにひそかに語りかけた。

(銀青龍殿下、わたしの命に代えてもきっと殿下をお守りいたしまする。アイリさまより承ったこの赤いお守り。何かあればこのお守りを解き放てと命じられました。最後まで殿下についてまいりまするぞ)


 オロは考えていた。

――〈道〉に入ったのは大潮の引き潮のとき。ほぼ六時間たち、外海は満ち潮に変わったはず。潮位の変化がこの河の水位も変えているのか? だが、この河は淡水。潮位の変化はピストンのように河の水位を調整するのだろうか?


 オロは奔流と渦巻が引いた河でふたたびプカプカ浮きながら、あたりを見回した。


――静かな暴れ河。〈はぐれミグル〉でなきゃ乗り越えられないってのは、こういうことだったのか。


 ミグル族には、普通は聞き取れない音を察知する〈ミグルの耳〉をもつ者がいる。〈音読師(おとよみし)〉だ。すぐれた〈音読師〉が一人いれば、水のかすかな音に反応して危機を回避できよう。広めの河岸に一時的に船を係留し、渦が去るのを待てばよい。


――これが第一関門〈水〉だな。


 オロは慎重に進むことにした。音、光、水、温度、流れ、すべてに気を配る。


 また奇妙な音がした。小さな音だ。目を凝らすと、流れの向こうに水の壁が見え、その下に向かって、河の水と滝の水が流れ込んでいる。


「うわっ! 今度は滝かよっ?」


 ところが、さっきとは違う。響くはずの轟音は聞こえない。どうやら壁と岩が音を吸収しているらしい。オロの指令もカメたちには届かなかったようだ。だが、オロがよじ登り始めるのを見て、付き従ったに違いない。

 石柱から下方を伺うと、河の正面に横たわる崖に広い範囲で水が落ちている。

――なんで? さっきと水の方向が逆だ。


 さらに目を凝らして驚いた。滝の向こうにダムのような大きな水たまりがある。滝のそばには、大きな古ぼけた水車がゆっくりと回っていた。水車の羽で水の流れを止めたり、早めたり――普通は水が水車を回すが、逆だ。水車が水を操っている。


 またたくまに滝の水が激しさを増した。なぜか急速に水位が上がった。


 オロは河に飛び込んだ。


 チャ――プ……。


 音が消える。カメたちが次々と飛び込んだ。


 最後まで壁にしがみついていた一匹のカメが絶叫した。声は石壁に吸収され、他のカメには聞こえない。だが、オロには聞こえた。

「うわああ、壁だ!」


 オロが振り返ると、壁がゆっくり姿を現した。分厚い木製の擁壁のようだ。音はない。だが、水が八方にしぶきを上げ、擁壁はぎこちなくきしみながら上昇してゆく。天井近くには滑車がぶら下がっていた。水車が壁を引き上げているのだろうか。


 水位が高まり、一面が広い湖のようになった。やがて擁壁は水に沈み、滑車も洞窟の天井に姿を消した。まるで何ごともなかったかのように、ふたたび滝が水を落とし始めた。


 音がない世界は不気味だ。


 水の激しい動きも重い木の上げ下げもすべて無音で進む。察知できないのに、危険はすこぶる大きい。気づいたときには木っ端みじんだ。だが、〈ミグルの耳〉があれば、船を一時停止し、水位上昇を待って、段差をクリアできる。つまり、船体が山登りをしているに等しい。


――音のない滝。これが第二の関門〈音〉のようだな。

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