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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第六章 月下のルナ大神殿
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Ⅵー6 火の谷の民

■流れぬ水

 二日間にわたり、ばあちゃんと小じいちゃんは、ルナ大神殿を取り囲む森を調べ続けていた。

「この森に〈閉ざされた園〉の入り口があっても不思議ではないんじゃがの」

「そうよの。わしも同感じゃ。それで、雲龍の森と似た場所を探しとるんじゃが……なかなか見つからんのう」


 バサバサッと羽音がして、カムイが降り立った。

「ば……ばあさん。向こうに妙な湖があるぞ」

 慌てた声に、ばあちゃんと小じいちゃんは顔を見合わせた。次の瞬間、ばあちゃんは九尾の狐、小じいちゃんは五尾の狐へと姿を変え、小さくしたモモとキキを背中に乗せて、ダッと駆けだした。


 深い森の奥に、ぽっかりと湖だけが浮かんでいた。

 水は透明――鏡のように平らな水面には、青い空と木々の緑が映り込んでいる。


 風は吹いている。木々はざわついている。

 だが、湖面の水は、そよとも動かない。


 カムイが(くわ)えた木の実をポトンと落としてみた。木の実は吸い込まれるように沈んでいく。なのに、波紋が一つもたたない。


 ばあちゃんと小じいちゃんは息を呑んだ。

「流れぬ水……」


 雲龍九孤族の伝説の一つだ。

 波紋を持たぬ水は「流れぬ水」――死の世界につながる不吉な水だ。

 

 死の世界は時をもたぬ。 

 「流れぬ水」は、満ちもせず、干上がりもせず、存在するだけで生成も消滅もない。

 生き物が触れれば、死の世界へ引きずられるという。


 カムイが震え上がった。三足烏の仲間にも伝わる話らしい。

「早く出ましょうや……ここは、あまりに不気味でっせ」

 

 音がない。匂いがない。風もない。

 水は流れず、時は動かぬ。光だけがある。

 

 ばあちゃんの背中から飛び降りた小さなモモが、チョコチョコと湖へ近づいた。

 その瞬間、はじかれたようにひっくり返った。湖には、結界が張られているようだ。

 キキが慌てて駆け寄り、懸命に顔を舐める。


(風子の大事なモモをなくしてたまるか!)


 風子の曾祖母・稲子の魂を宿すキキは、小さくなってもデブネコだ。そのたっぷりとした肉と毛に守られるように、モモが目を開けた。


 そのときだった。


 微動だにしなかった湖面から、白いものが静かに浮かび上がった。

 

――小さな神殿。

 

 波は立たず、音も響かない。

 ただ、異様な寒さが身を刺した。


「姉さん、これは……!」

「氷の神殿じゃろうな。水神殿の一つじゃ」


 狐の毛皮をもってしても寒さが染みる。動物たちは震え上がった。

 ばあちゃんがシッポを振ると、丸い珠が現れ、震える生き物たちを包み込んだ。ふうわりと温かい。


 やがて、湖上の神殿は砕けるように消えた。

 それでも、水面は動かない。


――水は動かぬ。光だけが動く……。


 いつの間にか、夕闇が迫っていた。

 小さなイヌとネコを背に乗せた二匹の狐は、元来た道を一気に駆け抜けた。

 

■火の谷の民

 マキ・ロウは、澄んだ秋空を見上げながら、光の向こうの遠い南方を思った。


 カトマール南部には険しい山脈が連なる。その中でもひときわ目を引く大きな山が二つある。


 一つは「月の山」。

 カトマール山脈の最高峰で、秀麗な形を誇る。

 そこからは澄んだ水を湛える河川がいくつも流れ出し、裾野の経済を潤した。

 だが一方で、「狂い森」と呼ばれる深い森に覆われる地域も広がり、その近くの谷には人が寄り付かなかった。「忘れられた村」のある谷だ。険しい崖が多く、耕作にも狩猟にも向かない痩せた土地として忌み嫌われた。人が入らぬ山は薬草の宝庫――カトマール随一の薬師セイが、月の山に近い谷に向かったのはそのせいであった。


 もう一つの山が「火の山」である。

 巨大な噴火口をもつ活火山で、東面にはいくつもの堰止湖が点在する。湖からは河が流れ出し、温泉が湧き、特産物に恵まれた。湖畔には街道が発達し、農業や牧畜も盛んで、古来、多くの村や町が賑わいを誇った。

 だが、西面は別世界だった。

 噴火の災害はつねに西を襲った。溶岩が作り出した洞窟が点在し、有毒な硫化水素ガスが漂う地域もある。特別な産業も育たず、危険な土地に貧しい村が築かれ、何度も火砕流に吞まれてきた。「火の谷」はその中でも最も危険な場所であった。


 「忘れられた村」に住むのが香華族から排除された「はぐれ香華」だとすれば、遠い昔に「火の谷」に住み着いた古い一族は「火の谷の民」と呼ばれた。その由来を知る者はいない。


 「火の谷の民」は、幾度火砕流に襲われ、幾度村と畑を失おうとも、谷を離れなかった。そこにしか住めない貧しい村人だったからだ。

 谷の所有権は村人にはない。

 「火の山」全体が神域で、カトマール皇室の庇護下にあった。東の町には、皇室から「帝国自由権」を買い取り、自治権を得た町も少なくない。しかし、西にはそんな町はない。皇帝家の庇護により侵略からは守られたが、特権も支援もない。誰から見ても、山の西は関心を持つ価値のない寂れた地域だった。


 三十年前にカトマール帝国が崩壊すると、皇室の財産や土地をめぐる争奪戦が起こった。「火の山」は政府に接収され、自治権の確定していない土地は細分化され、政府幹部が所有権を得た。西面は利益がなく整備に手間がかかるとして放置された。

 

 「火の谷の民」を知る者はほとんどいなかった。

 ただ貧しいだけの小さな村に、誰も関心を払わなかった。交流を避け、子どもすらめったに生まれない。そんな村にとって、アイリは待望の赤ん坊だった。


 一歳になったばかりの子を村に預け、マキは谷を出た。

 五歳までのアイリは、元気で朗らかだった。だが、五歳のときの事件が陰を落とした。片手と片足、そして愛犬を失い、笑顔が消えた。


 それから十年――無愛想で皮肉な表情は変わらない。

 けれど、子イヌを抱き、寮の友だちといると、フッと笑顔が戻る。心の棘が抜ける。

 〈蓮華〉の生徒たちは、アイリにとってかけがえのない仲間になっているようだ。


 陽光を受けて、子どもたちは楽しげに遺跡を調査している。言い合いも、軽口も、いかにも子どもらしい。だが、これは遊びではない。子どもたちはそれを理解した上で、謎解きを楽しむように知恵を絞り合っている。

 大人たちに見守られながら、子どもたちは生き生きとしている。

 マキは、思わず目尻を押さえた。


――アイリはひとりじゃない。


■それぞれの思惑(おもわく)

 ルキアへの帰路。ケイが運転する車の中で、ジェシンがサキとばあちゃんに言った。


「あの美女の館はもとカトマール皇族の離宮だったんだって」

「皇族の離宮?」と、サキがいぶかしげに尋ねた。

「どうしてそれを知っている?」

「ボクたちの部屋に食事を運んできてくれた女性たちに聞いたんだよ」

(こいつは……! また、女をたぶらかそうとしたのか?)


 サキの鋭い視線にも気付かず、ジェシンは有頂天でしゃべり続けた。探偵ごっこのつもりらしい。

「もともとあのあたりは王領地の森林で、皇族の狩猟場も兼ねていたらしい。でも、内戦のときに政府軍に接収されてね。軍政府幹部のお気に入りだったらしくて、主力級の軍隊が守ってたんだって。それを抵抗軍が奪還して、抵抗軍の最初の拠点の一つになったそうだよ。つまり、抵抗運動のシンボル!」

「ほう、そうじゃったか。では、新政府ができてから、あの美女はあの館に住むようになったんかのう?」


 ばあちゃんが関心を示したのがよほどうれしいらしく、ジェシンはさらに調子に乗った。ばあちゃんには丁寧な言葉遣いだ。

「いいえ、もっと前かららしいです。ボクもびっくりしたんですけど、あの美女、ああ見えて抵抗軍のリーダーの一人だったんですって。表向きはダンナのシャオ・レンが抵抗軍を率いていたように見えるけど、実質的に作戦を立てたのは彼女で、彼女のおかげでルナ大神殿を守れたって、給仕係の女性たちが誇らしげに話してましたよ」


「それは、それは……。あの美女、なかなかの戦術家なんじゃのう」

「そりゃそうですよ。だって、アメ……いや、夫人は博識で、判断力も度胸もあるすごい女性でね。副大統領のシャオ・レンは彼女にぞっこんで、夫人になんでも相談するっていうのは有名らしいですよ」

「なるほどのう。確かに、わしもあの女人には何か特別なオーラを感じたのう」

「そうでしょ!」と、ジェシンがうれしそうに言った。


「アメ……なんとか、おまえもキュロスも名前を(わめ)いてたが、知り合いなのか?」とサキが問うと、ジェシンは大慌てで振り返り、大きくかぶりを振った。

「いやいや、違うって。初対面だよ! ちょっと似た人を知ってただけ!」

 サキは疑わしげに眉を寄せたが、それ以上追及しなかった。ばあちゃんが言った。


「あの館は、確かに、立地上、軍略の拠点になるのう」

「どういうこと?」とサキ。


「東部と北部は深い森、森の北は広い河。南部はもう一つの河に向けてせり出した絶壁じゃ。西には都へと続く古くからの街道があるが、それを遮断すれば、難攻不落の城になる。じゃが、退路を断てば、城を袋のネズミにすることもできよう。相当土地勘のある者が抵抗軍にいたということじゃな。シャオ・レンもよくあの館にくるのか?」

「いいえ。ほとんど来ないそうです。本宅は都の一等地にあるそうですが、夫妻は普段は副大統領府にいるそうです。あの館は夫人専用らしく、パドアという女性が仕切っているそうですよ。彼女、なんと、ラウ伯爵のもと乳母なんですって」


「乳母だと?」

 サキの驚きは、ジェシンの優越心をいたくくすぐったようだ。鼻をヒクヒクうごめかしながら、ジェシンが続けた。

「そーなの! だからレオンとも古くからの知り合いみたいだし、夫人とラウ伯爵をつないでるんじゃないかなあ」


■弦月

 深夜のホテル。

 ばあちゃんとサキは話し込んだ。もちろん結界を張っている。


「ばあちゃんが、若君のことを気にしたのは、(かなめ)義父(とう)さんとの関係?」

「そうじゃ。リトの〈弦月〉の血がどうやって流れ込んだのか、知りたいと思うての」


「まさか、シンおじさんと要義父さんが兄弟なんて……ありえないよね?」

「そうじゃの……。じゃが、〈弦月〉はめったに現れん存在じゃ。ただ、いったん突然変異のように現れると、二~三世代は続く可能性がある。女侯爵の相手が〈弦月〉で、侯爵家には入らなかった――つまり野放しにされた――とすれば、別の女性との間に子をもうけても不思議ではあるまい。あるいは、若君とやらが出奔先で子をもうけたこともありうる。リトの力を考えると、相手の女性もまた相当の異能者であった可能性が高い。〈弦月〉や香華族の毒に耐えうるほどの異能者だな……」

 ばあちゃんが考え込んだ。


「例えば?」

「そうじゃのう……。リトには香華族の〈蘇りの異能〉はない。じゃが、空間を歪める力は〈弦月〉の中でも最高レベルじゃ。となると、単なる〈弦月〉ではのうて、〈月読族〉かもしれんのう……」

「〈月読族〉って、滅んだはずじゃ?」

「そうじゃが、一人、二人の生き残りがおっても不思議ではあるまい」 

「へええ。でも、要義父さんには異能はなかったよね?」

「うむ。隔世遺伝じゃ。異能は隔世遺伝の方が強く出ることが多いというでの」

「ふうん……」


「じゃが、わしが一番驚いたのは、あのパドアとかいう女子(おなご)じゃ」

「なんで?」

「〈弦月〉のことを聞いたことがあるとすれば、香華族の末端などではない。本流も本流――ど真ん中じゃ。相当に身分が高い香華族の出と見て間違いあるまい。それに、香華族や皇室のことに非常に詳しい。皇室に仕える最側近の香華族であったのではないかの?」

「ふうん」


「とすれば、それほどの香華族女性がああまでして(うやうや)しく仕えるアユという女性は、いったい何者か? パドアが仕えているのは、アユが副大統領夫人だからか? 誇り高い香華族が、たとえ副大統領夫人といえども、一介の女性にああまで尽くすことはあるまいて……」

「ということは……?」

「あのアユという女性も香華族の可能性があるの。しかも、パドアより上の身分……最高レベルかもしれん」

「最高レベルって……。まさか、皇族? でも、みんな死んだよ」


「そうじゃの。まあ、生き残っておる可能性はほとんどないわの」

「……生き残っているって? たとえば、皇女がどっかに逃げて、生き延びたってこと?」

「その可能性も捨てきれんのう……。まあ、ほとんどお伽噺のような話じゃが……。ただ、あの離宮を政府軍から取り戻せるほどの人物じゃ。相当、あのあたりの地理に詳しそうじゃ」


 ばあちゃんは続けた。

「サキよ。あのジェシンとかいうチャラ男、なかなか役に立つぞ。チャラさとバカっぽさ全開じゃから、誰からも警戒されん。見た目が良くて、金払いも良い。そうした自分の魅力を武器に、さらりと情報を引き出してくる。しかも意味がある情報をな。ただ、本人は情報の価値に気づいておらんようじゃがの」

(え? ジェシンの探偵ごっこは伊達(だて)じゃないのか?)


 サキは驚きながら、ばあちゃんの表情をうかがった。

 ばあちゃんは深い思案顔に変わった。こうなると、何を言っても無駄だ。


 サキはサキで情報を整理し始めた。

 リトの問題は、〈弦月〉と香華族と、そして〈月読族〉までが関わっているというのか?

 

 リト本人はまったく気づかなかっただろうが、おそらくカイはばあちゃんと同じことに気づいたはず。そのために、ばあちゃんはわざとみんなにメイ大叔母のことを聞かせ、〈弦月〉の名を出して美女と老女の反応を探った。


 銀麗月ならば、われわれが見落としたことにも気づいた可能性がある。

 ともかく、美女アユと老女パドアのことは、おいおいケイに探らせてみよう。

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