Ⅰー3 ウミヘビの毒
■ウミヘビの毒
櫻館での夕食を終え、シュウ=リョウは舎村の館に戻りたいとキュロスに伝えた。いつもなら喜んで櫻館に泊まるのにと、キュロスは一瞬いぶかしんだが、シュウの願いを無碍にすることはできない。
舎村にたどり着いたとたん、シュウ=リョウはめまいを感じた。キュロスが大慌てでシュウ=リョウを支えた。リョウはなんとかシュウから自分を分離し、幽体のまま、自室で硬直したように横たわる五歳の身体に戻って、そのまま寝入った。
リョウが抜けたシュウは、ぼんやりと立ち上がった。夢を見ていたような気がする。なんだかものすごく疲れた。部屋でベッドに倒れこむと、そのまま深い眠りについた。
「シュウさま!」キュロスの声がだんだん遠くなる。
月がまもなく沈む頃、向こうであわただしく人が出入りしている。シュウの部屋で何かあったらしい。だが、リョウは動けない。尋ねられない。幽体の小鬼たちが見に行った。
シュウは高い熱を出し、意識がないらしい。ウミヘビの毒が残っていたのか。リョウはなにもできない自分が歯がゆかった。ウミヘビの毒だとひとこと伝えれば、シュウは助かる。なのに、手だてがない。
夜、満月が昇った。青フンドシが窓を開けた。三匹の小鬼たちも姿を取り戻している。リョウは姿を変えた。
――オロのところに行かなくちゃ!
ボフンッ!
三匹の小鬼があっけにとられた。トラネコじゃない。白い子トラがそこにいた。大人のネコより大きい。
虎フンドシが困ったように言った。
「いや……リョウ坊ちゃん。なぜ突然トラになったかはわからんが、トラはまずいですぜ」
「そうなの?」
「この島にトラはおりませんでな。いつもの子トラネコになってくだされ」
「うん!」
ポフッ!
変身の音まで違う。
リョウは、子トラネコの姿で虎フンドシと赤フンドシを背に乗せて、闇夜に飛び出した。
めざすはオロ。オロが持っていたきれいな丸いものが要る!
「ちぇ、兄ちゃんらばっか。……オレはいつも身代わりかよ」
青フンドシが、今度も恨めしそうに兄たちを見送りながら、モゾモゾとリョウのベッドに入りこんだ。
大通りを突っ走ろうとして虎フンドシにたしなめられ、森を通り抜けながら、かなり遠回りをして、櫻館までたどり着いた。リョウはゼイゼイと息を吐いた。
こんなに必死で走ったことはない。途中、何度もころび、そのたび、ネズミ姿の二匹の小鬼が背からふっとんだ。ずいぶんアザをつくったようだ。
虎フンドシがたまらず言った。
「ゆっくりでええから、ワシらを落とさんと走ってくれませんかの!」
そんなこんなで櫻館についたときは、夜もかなり更けていた。家々の門の灯りは消え、街灯も明るさを落としている。物陰に潜みながら、リョウはオロの部屋に忍び込もうとした。
悪戦苦闘だ――木によじ登れない。塀に飛び乗れない。リョウは塀の回りをうろつくばかり。
「あーあ、坊ちゃん、ほんとにネコかよ? さっきはトラにまでなったくせに……」
赤フンドシが悪態をつく。
「まだ修行中だ。ホントのトラになるかどうかはこれから決まるんじゃ」
虎フンドシがたしなめた。そんな彼もあきれ顔だ。
自分たちだけなら、木にも登れるし、塀に飛び移ることできる。だが、子どもとはいえ、すでに一キロを超えているトラネコを引っ張り上げることなどできない。たまらず虎フンドシが弟に言った。
「おい、中を見てこい」
「えっ? オレが?」
赤フンドシは尻ごみする。
「やだよう。あのクロネコがこわいもん」
虎フンドシは赤フンドシの尻を蹴り上げた。
「いけいっ!」
赤フンドシは塀の向こうまで飛んで行った。ギャッ。うわっ。同時に声がした。
「うわあああああああ」
赤フンドシの声が遠ざかっていく。
「ニュワワアアアアア」
ネコの声も遠ざかる。追いかけっこがはじまったらしい。十分に声が遠ざかるのを確認して、虎フンドシが塀を超えた。
オロの部屋は暗い。まだ戻ってきていないようだ。
開いている窓から、虎フンドシは中に入った。それなりに夜目は利く。部屋の中は散らかっていた。
机の周囲を探す。あのキラキラ光る丸いものは、どこにあるのか。
ガタゴト、ガタガタ、ゴットン。
さんざん探したあげく、脱ぎ捨てたズボンに蹴つまづいた。虎フンドシのフンドシがポロリとはだけ、ずり落ちる。あわててひっぱりあげる目に、あのキラキラ光る丸いものが映った。しわくちゃのズボンのポケットからとびでたらしい。
それは、小鬼の手のひらいっぱいほどの大きさで、妙にずっしり重い。さわるとピリピリする。虎フンドシは、丸いものを慎重に布の切れ端でくるみ、背に負った。
帰り道も、またもや転びまろびつ、珍道中。赤フンドシと虎フンドシがぐったりしている。二匹を背負ったリョウがなんとか舎村についたとき、すでに東の空が白み始めていた。
リョウは、裏口から忍び込み、シュウの部屋に駆けあがる。だが、シュウはいない。
――ええええ? そんな……。
外で声がする。執事と女中頭イミルの声だ。
「若さまは大丈夫でしょうか? 真っ青なお顔で、ひどくお苦しそうでしたが……」
「うむ……」
「でも、なぜ岬の上病院なのですか? 舎村には、天下に名だたる大病院がありますのに……」
「むこうには名医がいるらしい。かなりの偏屈者だとか。だが、舎村長さまがその者を見込んでおられてな。若君の主治医に指名なさったそうだ」
「そうですか……。それにしても、若さまはここしばらく発作がおさまっておられて、安心しておりましたのに……」
声が途切れる。
リョウはそっと自室に戻った。青フンドシが待ちかねたように言った。
「はやく代わってよ。身代わりもラクじゃないんだからね」
ベッドのうえのリョウの身体が、風船のようにしぼんでいく。小さな角があらわれた。
リョウはベッドに横たわった。やがて、手足がもとのように硬直し、首を動かすことさえままならず、声も失われた。小鬼たちの姿も消えていく。朝日が部屋に差し込み、ドアを開けてイミルが入ってきた。
「坊ちゃま。お白湯をおもちしました」
■青いウロコ
ベッドの下で三匹の小鬼が幽体のまま、キラキラした丸く青いものを囲んで、頭をひねっていた。
見たことがないほどきれいな透き通った深い青色だ。光が届かない場所でも淡く七色の光を放ち、不気味なほど美しい。
青フンドシが、おそるおそる手を伸ばした。
ピシッ!
超ミニ稲妻のような光が走った。青フンドシがひっくり返る。
「兄ちゃん……。これって、ソートーやばいんとちゃう?」
赤フンドシが不安そうに虎フンドシにたずねる。
「そうかもな……」
虎フンドシが、中央の丸いブツをにらんだ。
「ウミヘビの毒を全部吸い取っているから、毒の塊りであることは間違いない」
「ド……ドクのかたまり?」
赤フンドシがのけぞった。
「エラブウミヘビの毒だろ? コブラと同じ毒って聞いたよ。かなり危険じゃん!」
「兄ちゃん、捨てようよ。そんなぶっそうなもん、どっか捨ててきて!」
青フンドシが悲鳴に近い声をあげる。
「まあ、落ち着け。それよりいくつか気になることがある。まずは、リョウじゃ。この毒で死にそうになったせいかどうかわからんが、突然、トラに変身する力が目覚めた」
二匹の小鬼がウンウンと頷く。
「二つ目に、あのオロとかいうヤツは、このキラキラしたものを扱える。なぜじゃ?」
赤フンドシだけが大きく頷いた。
「三つ目に、これは、毒であって毒でないかもしれん」
「どういうこと? 大兄ちゃん」
青フンドシが、赤フンドシの頭越しに身を乗り出す。
「エラブウミヘビは猛毒をもつが、燻製にして高級食料にもなるし、焼酎にも漬ける」
「ふうん」
「エラブウミヘビの一種には、使いようによっては薬にもなると聞いたことがある」
「薬? どんな?」
「記憶をよみがえらせるとか、死者をよみがえらせるとか……」
「えええっ? じゃあ、オレたちがさがしている三つの宝の一つってこと?」
「いや……。まだ、それはわからん。ともかく、リョウを一人前のトラにせにゃならん。リョウが、もし本物の〈緋目の白虎〉なら、リョウといっしょに森に戻れるかもしれんぞ」
「森?」
「おれたちの生まれた森?」
「なつかしいふるさとの森だ」
■シュウの病気
クラス仲間にシュウの欠席が伝えられた。急病とのこと。
ルル=オロは首をかしげた。
――一昨日はあんなに元気だったぞ。
まさか、ウミヘビに噛まれた後遺症か? でも、あれはオレが持ってた青いウロコで治したはず。
あるいは、例の頭痛? あの悪夢を伴う頭痛に苦しんでいるのかもしれない。
シュウの病気が気になるが、ルルにも、風子やリクにも何かできるわけでもない。
授業が早く終わったので、風子とリクは連れ立って虚空病院に行くことにした。モモの定期検診が終わったので迎えに行くのだ。アイリはすでに病院に着いているはずだ。途中、リクは岬の上病院に寄るという。昨夜、宿直だった父の恭介から荷物を言付かっているとか。
部屋に恭介はいなかった。救急医だ。部屋にいることはあまりない。リクは頼まれたものを置き、部屋を出た。三冊の書物だ。
廊下に出たところで、キュロスに出くわした。
「あれ? キュロスさん」
シュウの検査のためだろうか? それにしては、顔が暗い。
「これは、これは……。風子さん、リクさん」
「どうかしたんですか?」
風子の問いに、キュロスは言い淀む。唇をキュッと結び、一瞬、目を落とした。
「まさか、シュウ? シュウに何かあったんですか? また、例の頭痛?」と、風子が声をあげた。
キュロスは意を決したように、口を開いた。
「いえ。……頭痛だけならば、まだよかったのですが……」
「え?」
「わからないのです。なにかの毒にやられたようなのですが……何の毒かもわかりません」
「毒? ……毒って? だれかに毒を盛られたってこと?」
「それもわかりません。誰かをむやみに疑うこともできません」
風子とリクは顔を見合わせた。
「一昨日、シュウさまは、いつものようにお休みになりました。ですが、昨日も今朝もお目覚めにならなかったのです。ひどい熱にうなされておいででした。すぐにこちらの病院にお連れしたのですが、アオミ先生も首をひねるばかり」
特別室のベッドの上にシュウが横たわっていた。いくつもの機械につながれている。キュロスとともに二人は室内に入った。呼吸が浅い。
風子がシュウの手をとった。リクもその上に手を重ねる。二人は一心にシュウの回復を祈った。やがて、シュウが目を覚ました。
キュロスと風子が喜んでいると、かたわらのリクが気を失った。
風子はパニックになって、恭介を呼びに走った。
■癒しの力
――「癒しの力」は犠牲を伴う。
リクの身体にウミヘビの毒が回っていた。シュウを助けた代わりに、リクが毒を引き取ったのだ。
だが、そもそもシュウの病気の原因がだれにもわからない。まして、リクがなぜ倒れたかなど、まったく見当がつかない。
恭介が怖いほど殺気立った目で看護師に指示をあたえ、意識を失ったままのリクは集中治療室に運ばれた。
風子にも立ち入りが禁じられた。キュロスに抱きかかえられるようにシュウもやってきた。真っ青だ。キュロスもわけがわからないのだろう。めずらしく呆然としている。
虚空とアイリも駆け付けた。モモを病院内に入れることができないので、アイリは外で待機している。恭介は虚空に何かをささやいた。普段穏やかな虚空の丸い顔が非常に厳しいものに変わり、ほとんど四角になった。
リクの血圧が下がり、脈拍も減っている。このままだと心臓が停止する。
いくら心配しようとも、素人では手が出せない。
風子は震えながらサキに連絡した。サキは、午後の授業を休みにして、ばあちゃんのところに飛んで戻った。ばあちゃんは、リトとカイを呼びよせた。
リトが言った。
「一昨日、シュウはオロと出かけてたみたいだ。オロが事情を知っているかもしれない」
リトは櫻館に戻り、オロに尋ねた。オロも風子から聞いて、とまどっていたようだ。
「シュウが毒で倒れたってホント? おまけに今度はリクが倒れたって? なんで?」と、オロの方から矢継ぎ早に質問してきた。
「わからないんだ。おまえが何か知っていることや気づいたことはあるか?」
オロは悩んだ。ウミヘビのことを明かせば、あの浜と自分の変身についてもバレるかもしれない。だが、ひとの命がかかっている。オロはボソボソと話し始めた。小さな浜で遠浅の海に入り、サンゴ礁のそばでウミヘビに噛まれたらしいこと。いったん回復したものの、ふたたび具合が悪くなったんじゃないかな……と。変身のことはなんとか隠した。
リトは、「ありがとう!」と言って、ばあちゃんたちが待つ小屋に駆け戻った。
ばあちゃんはリトに指示した。
「虚空にすぐに伝えよ。ウミヘビの毒らしいと。ウミヘビなら、解毒剤があろう」
リトが走り出た。
それを見届けて、ばあちゃんは小屋に結界を張り、唸りながら黙り込んだ。カイも厳しい表情をしている。
「カイ修士はどう思う?」と、ばあちゃんが尋ねた。
「おそらく「癒しの異能」でしょう」
「わしもそう思う。リクが無意識に使ったのじゃろうの。異能を抑えられているにもかかわらず発揮したのは、隣に風子がおったからじゃろうが、オロによると、シュウはいったん治ったと言う。だれがシュウを治した?」
「まさか、オロ?」とサキが言った。
「そうじゃの。オロが何らかの方法で、ウミヘビの毒を解毒したと思われる」
「どうやって?」
「それがわからんのじゃ。カイ修士、何か思い当たることはあるか?」
カイは、思案気に美しい顔を翳らせた。
「龍族は、カメもヘビも従えることができます。龍のウロコは、ウミヘビの毒を無毒化できるはず」
「……龍族か。〈閉ざされた園〉のときにも、オロは時間を止める異能を発揮したようじゃしの。やはり、オロは龍族か……」
カイが頷いた。ばあちゃんが唸るようにつぶやいている。
「じゃが、そうだとすると、龍族たるオロが消したはずの毒が、なぜ、シュウの身体でぶり返したんじゃ?」
これにはカイも答えられなかった。