Ⅵー5 月下の大神殿
■月夜の大神殿
その夜は満月だった。
一行は、ルナ大神殿の近くに宿をとり、神殿の森に入った。深夜まで作業する。ジェシンとケイにはキュロスが酒を飲ませて、宿に足止めした。小うるさいジェシンは邪魔だ。
月の光に浮かぶ神殿は、昼間よりもいっそう壮麗だった。レオンは、マキをルナ大神殿から引き離すため、月神殿の案内を頼んだ。レオンたちがマキを連れて遠ざかるのを見届け、チームは活動を開始した。
――月の光で神殿レリーフはどのように見え方が変わるのか。
リトは写真を撮るのをアイリに任せた。写真より正確なのは、ルル=オロの目と記憶だ。さまざまな角度からレリーフを眺め、ルル=オロがブツブツとつぶやく。暗闇でも目が利くリトは、その言葉をせっせとノートに書き取った。
ルル=オロは、リトを従えている気分だった。
(うーん、最高!)
アイリは、ルル=オロが足を止めた箇所を中心に写真を撮りまくる。光の微妙な違いを理解できるのはアイリだけだ。
すぐそばでは、風子がこまごまとアイリの補助をしている。アイリの微妙なニーズに即座に反応できるのは風子以外にいない。
(なかなか見事なチームワークだな)
サキは感心した。
――リクとシュウはどうだ?
リクは月の光の変化にあわせて立ち位置を変え、神殿内を少しずつ移動していた。まるでルル=オロを誘うように。リクが立つ場所に行けば、必ずレリーフの変化が読み取れる。これにいち早く気づいたのは、ルル=オロとカイだ。二人はリクの潜在的な力に驚いた。
シュウは、神殿の外で、月の光の邪魔にならない位置にライトを置き、リトのメモを分類・整理している。それをカイに渡し、カイが全体に指示を出す。
その間、サキは、リトのメモをシュウに届ける配達係をせっせと務めた。子どもたちの下働きだ。
(しかたない。アイツらのほうが力は上だ)
レオンと彪吾は、マキの手引きで少し離れた「月神殿」遺跡を確認している。小さな遺跡なので、発掘作業は順調に進み、神殿のほぼ全容がすでに掘り起こされている。ただし、発掘途中なので、マキの案内がなければ足元はかなり危ない。
ばあちゃんと小じいちゃんは、月下の森を調べ回った。これにはモモとキキとカムイが協力した。モモは匂いに反応し、キキは暗闇の遠くを見通した。カムイは空を旋回し、ばあちゃんたちに情報を伝えた。
■月神殿遺跡
レオンは、月神殿遺跡をぐるりとめぐった。発掘前も、発掘開始後も、昼も夜も何度も訪れている。
だが今夜は、月の光に浮かぶ遺跡の影がなぜかいつもより淡い。神殿遺跡の中央付近から、何かわからないが、かすかな音が聞こえる。
――まさか、だれか人が? 作業員が取り残されているのか?
マキが青ざめた。四方から音を確認するにはもう一人必要だ。十五歳チームは大神殿のレリーフに夢だ。
唯一ヒマそうなリクに、彪吾が声をかけた。レオンはなぜか緊張した。この子は気になるが、とりつくシマがない。
リクは、無表情のまま、彪吾に従った。マキは身体をこわばらせ、何かに集中している。
「ねえ、リクちゃん、何か聞こえる?」
リクは耳を澄ませ、やがて小さく頷いた。
「どんな音? どこから?」
リクは周囲を見回し、つぶやくように言った。
「壁を隔てた人の声……二人いる。声は、この周り全体に反響してる」
マキがハッとした。
彪吾とレオンは顔を見合わせる。二人には、風のような、虫のような、か細い音にしか聞こえない。だがリクは「二人の声」だと言う。
――壁の向こうの声? 壁とは何だ?
レオンは急ぎカイとリトを呼びに行った。マキは彪吾とリクに上にとどまるよう指示し、遺跡の下へ降りていった。
彪吾はリクと向き合った。影の薄い子だ。リクがふと顔を上げる。
月の光がリクの顔に集まるように煌めいた。
――瞳が朱く、髪が銀色に……。
彪吾は絶句した。まるでレオンがそこにいるようだった。
レオンが戻ったときには、すべて元通りだった。
リトは、目をつぶり、耳に神経を集中させた。驚異的な聴力だ。
「……たしかに声が聞こえる。男の人が二人いるような。でも、何を言っているのかまではわからない」
「リクちゃんは〈壁を隔てた声〉だと言った。〈壁〉って何を指すの?」
彪吾がカイとリトに尋ねたが、ふたりとも首をひねるばかりだった。
レオンが、ためらいがちに口を開いた。
「月神殿をめぐる物語にこういう一節があります。ルナ神話異本に採録されているものです」
銀月の光の下
緋月の世界への階段が現れる
二つの世界を隔てる壁
その扉を開く者こそ
月の神なり
レオンの言葉を聞いていたカイが静かに続けた。
「二つの世界の物語ですね。天月にも似たような一節があります」
「じゃあ、この神殿は……二つの世界をつなぐ場所ってこと?」とリト。
「可能性はあります。ただ、うかつに動いてはなりません」
カイは神妙な顔で言った。
「どうして?」
「天月ではこう伝わっています。宗主と銀麗月にのみ伝えられる秘密の歌の一節です」
天に「緋月の気」が満ちるとき
地は大きく割れる
天に「銀月の気」が満ちるとき
海は高くうねる
二つの月が交わるとき
世界は終わり闇がはじまる
「なんだか、終末神話みたいだね」
彪吾が震えた。
「そうです。わたしが天月を降りた理由が、まさしくこの二つの月の関係を調べるためでした」
「何かわかったの?」
「いえ……まだです。ただ、この神殿の存在は大きな手掛かりになりそうです」
そのとき、マキが遺跡から登ってきた。
「何か異状はありましたか?」とレオン。
「いえ、昼間と変わりありません」
「そうですか……」
リトはリクを仲間のもとへ連れ戻しに向かった。
マキは意を決したようにレオンに向き直った。
「レオンさん。あなた方はいったい何を調べているのですか? 遺跡から音がしたとか、声が聞こえたとか……この遺跡に何があるとお考えなのです?」
「まだ確証はありません。ただ、この神殿がもし本当に月神殿ならば――ルナ古謡には、二つの世界を呼んだものがあります」
「二つの世界?」
「銀月のこの世界と、緋月のもう一つの世界です」
「……緋月の世界?」
「なにかご存知ですか? ロウ博士は、軍事政権下でご苦労をされ、その後も長くカトマールの各地を巡ってこられた伺っています」
「その前に、わたしから質問させてください」
「どうぞ」
「なぜ、あの子どもたちがルナ遺跡に興味を持つのです? 月夜のルナ遺跡を見物するなど、ミュージカルのためとはいえ、度が過ぎているように思えます」
「そう思われても仕方ありません。あの子たちは、アカデメイア〈蓮華〉の生徒たちで、古代文化同好会として各地のルナ遺跡を調査しているのです」
マキの警戒は解けない。
「単なる学校のサークル活動に、天月修士やラウ財団の筆頭秘書、九鬼教授まで同行するとは思えません」
レオンは彪吾たちに向き直った。
「この方と少しお話をします。しばらく二人だけにしていただけますか?」
彪吾は頷き、カイとともに大神殿のほうに向かった。
■母の思い
レオンはマキに向き直った。
「詳しくは申せません。子どもたちの安全がかかっています」
「安全? では、子どもたちは危険に晒されているのですか?」
「いますぐではありません。しかし、調査が進むほど危険は増す恐れがあります」
「そんな! そのような危険に子どもたちをさらすなんて、正気ですか?」
「もちろんです」
マキはレオンを睨みつけた。
「ラウ財団筆頭秘書ともあろう方が、ここまで非常識だとは!」
「お怒りはもっともです。しかし、あの子たちの力が不可欠なのです」
「力……?」
「異能です。〈火の谷〉のご出身なら、おわかりでしょう」
マキの身体がこわばった。
「調査責任者を任命するにあたり、いくつか調べさせていただきました。その結果、ソン・ララ教授とマキ・ロウ研究員――お二人が最適であり、信頼できると判断しました」
「信頼……?」
「はい。ソン・ララ教授はわれわれの調査の発端となった事件の被害者ファン・マイを事実上指導した方です。そして、あなたのご本名は、マキ・トゥルガ――アイリさんの母上です。あなたが娘を危険に晒すことはありえない。つまり、われわれの敵にはなりえない」
マキは絶句した。
「このことは誰にも話していません。アイリさんにも。伝えるかどうかは、あなたが決めることです」
「……この神殿にこだわる理由は何ですか? 特別な神殿というだけではないのでしょう?」
「その通りです。わたしは、この神殿は月神殿であり、異世界への入り口があると考えています」
「〈緋月の世界〉ですか?」
「はい。二つの世界の間には〈閉ざされた園〉という緩衝帯があり、時空がゆがむようです。仲間がそこに引き込まれましたが、戻ってくることができました。けれども、まだ囚われたままの者もおります」
「囚われたまま?」
「さきほどのかすかな声は、その者たちの声かもしれません」
マキは深く考え込んだ。
――声……。
あの人の声は、〈緋月の世界〉から聞こえていたのか?
時空が歪むのなら、〈火の山〉とこの遺跡の双方で聞こえても不思議ではない。
「……わかりました。アイリとの関係はいましばらく伏せてください。しかるべきときに、わたしが本人に伝えます」
「承知しました」
マキの表情が、母の顔から、研究者の顔へと変わった。
「わたしも、この神殿は月神殿だと考えています。異世界への入り口という見立ては興味深い。ただ、確証が得られるまでは、絶対に秘密にしてください。子どもたちが危険です。おそらく、あなたがたが想像している以上に」
「その通りです。しかし、何もしなければ、子どもたちはさらに大きな危険に巻き込まれます」
「どういう意味です?」
「アカデメイアでは、アイリさんと仲間たちは〈蓮華〉と櫻館で過ごしています。どちらも、天月の銀麗月と雲龍九孤族の宗主らによって保護されています。世界で最も安全な場所と言えるでしょう」
「銀麗月と……雲龍九孤族宗主が? なぜ、あの子たちを?」
「ルナの秘密を解き明かすためです。アイリさんのルームメイトは都築凛子さんの娘、さきほどの青年の一人は、朱鷺要博士の忘れ形見。ほかにも、ルナに関係する人が複数います」
マキは息を呑んだ。
「そ……それでは、アイリもその一人……?」
「はい。天才科学者として、さまざまに活躍しています」
レオンは静かにマキを見つめた。
「もし差し支えなければ、あなたが十年以上もこの神殿にこだわっておられる理由を伺えませんか?」
マキは、レオンを見つめ返した。
この人物は、営利も名誉も求めていない――それはよく知っている。
「……わたしは、恋人を探しています。アイリの父親です。十五年以上行方不明ですが、わたしには彼の声が聞こえるのです」
「声が?」
「ええ。この神殿地区と〈火の山〉で。十年前、わたしはこの付近で瀕死となりましたが、だれかに助けられ、大神殿遺跡で目覚めました。恋人が助けてくれたのだと思っています。それ以来、ずっと調査を続けているのです」
「その方も異能者なのですか?」
「わかりません。わたしといるときに異能を見せたことはありませんでした」
マキは悟った。
レオンは、恋人が誰かについてもすでに推測している――ただ、言わないだけだ。
「声の件は重要です。二つの世界の関係をさらに調べ、何かわかればお知らせします」とレオン。
「わたしからも何かわかればご連絡しましょう」とマキも約束した。
深夜、調査はすべて終わった。
子どもたちは眠い目をこすりながら帰途につく。モモはアイリの腕の中で、キキはルルの腕のなかで眠っていた。
宿に戻ると、彪吾はカイとレオンに、月神殿で見たリクの一瞬の変化を伝えた。
カイは驚いた。ファン・マイが見たのと同じ変化――〈月の一族〉に関する変化だった。
カイはマイの言葉を二人に伝え、リクの変化を秘密にするよう頼んだ。おそらくリク自身は、何も自覚していない。
「おそらく、リクさんの母親の血統なのでしょう。舎村古城でも、雨を降らせた可能性があります」
「香華族の異能……」
レオンがつぶやいた。
「ええ。リクさんのことは慎重に見守るべきです」
カイが言い、彪吾は青ざめたレオンの手を握りしめた。
「月神殿の発掘にはさらに慎重を期します」
レオンは静かに告げた。




