Ⅵー4 美女の館
■アユ夫人の館
美女の館は、舎村古城と同じくらい広く、花や木に囲まれた上品なたたずまいの城館だった。銀髪の老女が一行を出迎えてくれた。パドアと名乗った。
タダメシ大好きのアイリが、会食に出るのを嫌がった。モモを抱きしめて、身体をこわばらせている。
それを汲むように、子どもたちには別室で食事が用意された。キュロスが子どもたちに付き添っている。ジェシンがホストの女人に失礼なことを言わないよう、そして、レオンにつきまとわないよう、キュロスは力尽くで別室にジェシンを引っ張ってきた。
「やだよう!」(せっかくおしゃれしてきたのにィ!)
そう言いながらも、ジェシンはそれ以上の抵抗もせず、キュロスに従った。
抵抗したところで勝ち目がゼロってことは櫻館で身に染みてわかっている。一番お気に入りの服がやぶけるのもイヤだ。ケイもまたお目付役としてジェシンについてきた。
静かな大人たちだけのテーブルで、アユが語りだした。
「アイリ・トゥルガは、わたしのことを恨んでいるのでしょう」
みながびっくりした。
アユが続けた。
「アイリは、わがカトマールが誇る天才科学者です。ですが、彼女は、わたしのみならず、カトマールという国を恨んでいるようです。それも仕方がないでしょう……。カトマールでは優秀な若者をアカデメイアに国費で留学させていますが、亡命を防ぐために、家族をいわば人質にとっているも同然だからです」
「人質……?」と、彪吾が驚いた。
「そうです。みなさんに隠してもしかたないでしょう。アイリのためにも知っておいていただいたほうが良いと思います」と、アユはみなを見回し、いったん落とした目を上げてふたたび話し始めた。
「アイリが生まれ育った村は、火の山の谷にある小さな村です。火の山の一帯は、帝国時代から国立公園に指定され、豊かな自然と土着の文化が保護されてきました。ところが、軍事政権は、皇帝家や帝国の財産を奪い、その保護を破って乱開発を進めようとしたのです。土地が切り売りされ、多くの村が立ち退きを迫られました。その時、辺鄙な場所にあったアイリの村は、立ち退きを免れました。しばしば火砕流に見舞われる不吉な村とされたからです」
みなが息を呑んだ。
「軍事政権の間中、村人は息を潜めるように暮らしたといいます。ようやく軍事政権から解放され、村人の表情が明るくなったときに、今度は新政府軍が入り込んできました。軍事政権の残党を見つけるためだったようです。軍事政権時代に目こぼしをされた村には、軍事政権の協力者がいると嫌疑がかけられたのです。もちろん濡れぎぬです。村長をはじめ、多くの村人が引き立てられようとしたとき、村が火事に見舞われました。火は村中を舐めつくし、村を焼け野原にしたのです。アイリの村は新政府軍に潰されたと言っても過言ではありません。ですから、あの子は新政府軍のことも、新政府を支援していたラウ伯爵のことも恨んでいます。ラウ伯爵には何の責任もないのですよ。未熟な政府が暴走したせいですから……」
「わたしはアイリの才能を見込み、ルキアでアイリに特別英才教育を施すよう手配しました。でも、それは、あの子に家族と別れろと言うも同じこと。あの子は泣きながら、ルキアに来たのです。そのとき、かわいがっていたイヌとも別れてしまって……。あの子にとっては、わたしも許しがたい人間なのでしょう」
「アイリは、もとはとても明るい子だったのですが、ルキアに来てからは変わってしまいました。村の村人たちは、もとの村を再建し、アイリの祖母もそこを離れようとしません。ですから、アイリはけっしてカトマールを棄てられないのです。わたしが迎えに行った時も小さな火事が起こりました。五歳のアイリは腕と足に大やけどを負いました。そして、義手と義足を自分で開発しようとルキアにとどまったのです」
みなが沈黙した。
「でも、今日、遺跡でみたあの子は笑っていました……。じつは以前にも一度、あの子とあの小柄な子が子犬と一緒に遊んでいたのを見かけたことがあります。楽しそうでした。カトマールではついぞ見せなかった笑顔です。みなさんと一緒にいて、アイリは本来の姿を取り戻しつつあるのかもしれません。どうぞ、あの子をお願いいたします。あの子はカトマールにとっても大切な子です。けれども、それ以上に世界にとって大事な人間です。これからも健やかに幸せに過ごしてもらいたいと思っています」
レオンが尋ねた。
「夫人がカトマールに女子大学を作りたいとお考えなのは、アイリのような少女たちを育てたいからなのですね?」
「そうですが、それだけではありません。カトマールは二十年間にわたる軍事政権の影響で女子教育が抑圧されてしまいました。いまも多くの女性が大学で学んでいません。女性が力をつけるには、高等教育が必要です。いまのカトマールの大学では、カリキュラムが男性中心なのです。ですから、女子大学を作って、女子教育のレベルを高める必要があります」
「かつてのシャンラ王立女学院は優れた女子大学でした。いまは〈蓮華〉となり、落ちこぼれ校のように揶揄されていますが、〈蓮華〉の教育方針はあるべき教育の姿です。個性を大事にする教育を否定する今の風潮こそが歪んでいます。カトマールに新たにつくる女子大学は、国籍や年齢を問わず、能力と意欲のある女子・女性を受け容れ、女性をエンパワーメントする教育・研究機関にしたいと考えています」
みんなが頷いた。
■カトマール帝国大学
それまで黙っていたばあちゃんが口を開いた。
「話は変わるが、昔のカトマールについて、ちとお尋ねしてもええじゃろかの?」
アユは微笑みを絶やさず、ばあちゃんの方を向いた。
「どうぞ、何なりと。雲龍九孤族の宗主さま」
リトがビックリした。(え? 知ってるの?)
「カトマール帝国大学について一つ教えてほしいことがあるんじゃがの」
「なんでしょうか?」
「このカトマールで高度な文化が栄えていた頃、ファウン皇帝の時代じゃな。その頃、カトマール大学に留学した者について知ることはできるものかの?」
夫人は美しい顔を翳らせた。
「帝政時代の資料はほとんどが軍事政権によって焼かれ、廃棄されました。大学も壊滅的打撃を受けました。十年前に大学はようやく再開しましたが、まだ万全とは言えません。残念ながら、お尋ねの件につきましてお調べするのは難しいと存じます」
「そうだろうの……」
「どなたかお探しなのですか?」
「うむ。わしの亡き妹は若い頃に家を出た。その後、消息がわからんかったが、どうやらカトマール帝国大学に通い、そこで出会った者と恋仲になったようじゃ。いまさら知ってどうなるもんでもないが、妹のことを知るよすがでもあればと思うての……」
リトもサキも同じことを考えていた。
(きっと、シンおじさんの手掛かりを探そうとしてるんだ)
「そうでございましたか……。帝国大学の教授は、軍事政権に反対する者と迎合する者に分かれました。反対者はことごとく処刑されました。迎合者は現政権下でパージされ、大学には残っておりません。当時の学生もほぼ同様です」
どの独裁政権も、まず狙うのは、知識人の排除だ――言葉狩りも同然のこと。
いつの世も、知識人は批判者、大学は体制批判の牙城だ。個々人はささやかな存在であっても、批判を言葉に乗せ、国際的に発信する力をもっている。集まれば、歴史が動く。だが、逆も真――表現の自由を奪われた社会は、いともたやすく崩壊する。
かつて、カトマール帝国政府は、大学の自治と言論の自由を保障した。批判を受け止め、政策や体制の改善に役立ててきた。国際的に知名度を上げた大学には、多くの学生が集った。そのエネルギーが帝国の文化を支えた。
だが、軍事政権は、大学をつぶした。その爪痕は深く、いまなおカトマールは国際的信頼度が低い。
このたびのルナ大祭典は、文化復興のシンボルだ。税金を使う以上、国民に利益が回るように設計しなければ、貧しい国民の理解を得られない。
軍事政権以前から綿密に検討されていた地域おこしや失業対策の資料は、各地に保存されていた。それが復活された。中央では、政治家や官僚の私利私欲を排除するために、情報公開が徹底された。こうした情報公開のなかで、アイリの村が被ったような被害もまた表に出されたのである。
「アユさま」と、パドアが口を開いた。
「なにかしら?」
「わたしが知っていることを少しお話してもよろしいでしょうか?」
「そうだったわね」と頷き、アユはみなにこう述べた。
「パドアはカトマール帝国大学で学んでいたのです」
パドアは過去を偲ぶように、しずかに語り始めた。
「わたしが通っていた頃のカトマール帝国大学は華やかで、多くの留学生があふれ、活気に満ちておりました。わたしの夫もミン国からの留学生でした。わたしは結婚によってカトマールを離れたため、クーデターの惨禍を免れ、生きながらえることができました」
パドアは続けた。
「留学生はそれぞれの出身国別に互助会のような学生団体を作っており、日本からの留学生団体もございました。当時、日本の学生団体には一人のかなり目立つ女性がいたのです。才色兼備のその女性のことを知らぬ学生はおらず、わたしも彼女を見たことがあります。名前は、メイ……。お探しの方ではないでしょうか?」
ばあちゃんが身を乗り出した。
「まさしく! 妹の名はメイじゃ」
パドアは周りを見回した。
「別室でお話させていただいたほうがよろしいのではないでしょうか?」
ばあちゃんが言った。
「かまわん。いまさらメイのことを隠す必要もあるまい」
■大叔母メイ
――メイはなぜ目立っていたのでござるか?
美貌と才智のゆえです。
なによりも、討論の能力に長け、だれもがその弁舌の巧みさと論証の正確さに舌を巻きました。男女を問わず、多くの学生が彼女に夢中になり、少なからぬ女性が恋人を奪われたと彼女を恨みました。でも、一番彼女を有名にしたのは、彼女がある高貴な若者を誘惑したという噂です。
(小じいちゃんがやはりという顔をしたが、その意味がわかったのはサキとリトだけだった)
――高貴な若者?
はい。香華族の名門中の名門の御曹司が彼女に夢中になったのです。
――香華族の名門中の名門とは?
侯爵家の若君で、ファウン皇帝の従兄弟にあたる青年です。
――皇帝の従兄弟じゃと……?(さすがのばあちゃんも驚いたようだった)
さようです。ファウン皇帝のお母上である皇太后陛下は香華族名門の侯爵家の姫君でした。皇太后陛下には二人の妹君がおられたのです。そのお一人は同じ香華族名門の御曹司とご結婚され、その孫にあたる若君は、のちにファウン皇帝の皇女さまとご結婚なさいました。このお二人が、クーデターの時に処刑された皇帝陛下とご夫君殿下です。
お二人の間には皇女さまと皇子さまが生まれたのですが、皇女さまも皇子さまも皇帝陛下とともに処刑されたと伝わります。
(レオンは人知れず身を固くした)
――して?
もう一人の妹君はご結婚なさらず、侯爵家をお継ぎになりました。
香華族の女性は、夫やパートナーを自由に選ぶことができます。結婚せずに子をもうけることもよくあります。その女侯爵どのも未婚で若君をもうけられました。お相手がだれかは伏せられたままでした。これもよくあること。だれも不思議には思いませんでした。家格などの点から侯爵家に迎えることはできないけれども、優れた男性の血を入れることはむしろ歓迎されたからです。
若君は非常に美しく賢い青年に育ち、多くの女性のこころを虜にしました。彼は母上の跡を継いで侯爵となる予定であり、カトマール帝国大学で学んでおられたのです。
――はて? その若君がメイと関わったというのか? 香華族の男性は自由に相手を選べぬと聞いたことがあるが……?
はい。香華族の場合、女性は相手を自由に選べますが、男性は香華族の女性を配偶者に選ぶ定めです。香華族の血を一族内に留めるためです。ですが、それだけではありません。香華族の血は、一族外の人間にとって毒となるのです。
香華族の女性はどの男性の血も受け容れることができますが、香華族の男性と交わった女性がもし妊娠した場合には胎児が母胎にとっての毒となり、子は産まれません。母親も命の危険に晒されます。
(サキもリトも背筋を凍らせながら納得した。小じいちゃんに聞いた話と符合する)
――それで、妹のメイはその後どうなった?
しばらくして、メイさんの姿は大学では見かけなくなりました。ところが、お相手の若君も侯爵家を出奔したのです。これはたいへん大きなスキャンダルとなりました。当時の皇太后陛下が介入したらしく、何とか侯爵家は維持されました。
たとえ、香華族の血が外に出ても、子は産まれず、育たないと考えられたからです。もしや、メイさんはお亡くなりに?
――そうじゃ。妹は命を落とした。たいへんな難産での。どうしてそうなったのかわからんかったが、いまようやく理解できた次第じゃ。
さようでございましたか……。
では、まさか、お子がお生まれになったということでございますか?
(あまりに予想外とばかり、パドアが目を見開いた)
――うむ。生まれたが、いまは所在がわからん。その子は長じるほどに異能を発揮するようになっての。十歳のときに姿を消してしもうたんじゃ。
異能……? まさか、香華族の異能でございますか?
(パドアは一瞬絶句し、やっとのことで声を絞り出した)
――違うの。香華族の異能ではない。そうじゃの……、強いて言えば、〈弦月〉の異能に近いように思うのじゃが。
なんと! ……〈弦月〉でございますか?
――〈弦月〉を知っておるのか?
……いえ、知っているというほどではございませんが、その名を聞いたことはございます。
――女侯爵の相手が、〈弦月〉だったということかもしれんのう……。
まさか! 侯爵さまがそのような者をお選びになったとは思えないのですが……。
――なぜじゃ?
〈弦月〉は、香華族にとっては忌むべき存在だからです。香華族の異能を断ち切る力をもつと伝わりますゆえ。
――断ち切るとは?
〈弦月〉の異能のほうが香華族の異能を上回るからです。〈弦月〉が意図的に香華族に近づけば、世代を重ねるうちに香華族の異能は消え失せます。よもや……女侯爵は〈弦月〉の若者に騙されたということでしょうか?
――そこまではわからん。恋愛であれば、騙し騙されたとまでは言えんからの。で、メイの相手となった侯爵家の若君はその後どうなった?
二度と戻ってこられなかったと聞いております。もし戻ってこられても、爵位に就くことはできず、不名誉な生きざまを晒すことになります。お母上はたいそうお嘆きになりましたが、香華族と侯爵家の血を絶やすわけにはいかず、香華族から別の男性を夫君にお迎えになりました。そのお方はカトマール大学の非常に優れた若手学者でございました。姫君が誕生し、侯爵家は無事存続いたしました。
――すまんの。わが妹が香華族の方々にたいへんな迷惑をかけたようじゃ。詫びを申すぞ。
いえいえ……。迷惑などと、そのようなことはございません。ひとを愛するとき、その人以外は見えぬもの。
わたしは香華族の末端ではございますが、香華族の本流におられた方々はすべて命を落とされました。香華族はもはや過去の存在になってしまったのです。このたびのルナ大祭典を機に、一つの文化として歴史に刻まれれば、お亡くなりになった皇室ご一家のみなさまもお喜びになると存じます。
■香華の若君
みなが去った城に月の光が差し込む。
それを見上げながら、アユは、パドアに問うた。
「パドア、あそこまで香華族の話をしてよかったのか?」
「はい。手探り状態ではございましたが、あの宗主どのは、わたしやアユさまの身分に気づいたようでございます。ですが、宗主たるもの、そう簡単に他の一族の秘密を触れ回ったりはせぬはず。妹御のことを知りたかったのは事実でしょう。ですが、それ以上に、甥御さまの異能の理由を知りたがっておられたように思われました」
「なるほど」
「やや解せぬのは、なぜ、妹御の話をあの面々に聞かせたかということでございます。ひょっとしたら、甥御さまに関する何らかのことをみなさんがすでにご承知なのかもしれません」
「わざと聞かせたということだな」
「はい。ですので、聞かせてもよいところまでしかお話しませんでした」
「もっと深い秘密があるのか?」
「はい、ございます」
「どのようなことか?」
「侯爵家若君のその後のことは、ほとんど知られておりません。ですが、陰で若君をお守りした者がおります。香華族と皇室に仕える密偵〈鷹〉の一人です。その者の報告によれば、若君は、火の山に行かれたようです」
「火の山だと?」
「さようです。あの山は古来より聖域とされており、むやみによそ者は入れません。〈鷹〉といえども、火の山に入ることはできなかったようです。若君の消息はその後プッツリと途絶え、亡くなられたと考えられてきました。ですが、若君が〈弦月〉の血を引くのであれば、話が違ってまいります」
「火の山には、〈火の一族〉がいると伝わる。その女人であれば、香華族どころか、〈弦月〉の毒にも耐えうるな。子が産まれた可能性があるということか?」
「はい。〈火の一族〉は、〈月の一族〉によって排除された一族ゆえ、〈月の一族〉の本流を名乗る香華族が村に入ることを許しはしないでしょう。けれども、〈弦月〉であれば違います。〈火の一族〉の異能を強めるためにも、〈月の一族〉の異端〈弦月〉の血を歓迎したのではないかと存じます」
みなが寝静まった夜――。
キュロスは小さな包みを取り出した。ゆっくり開くと、指輪ケースと白いハンカチ。ケースを開けると、美しい意匠の指輪があった。
(ロアン王太子さま。ようやくアメリアさまを見つけました。ただ、まだこれをお渡しするわけにはいかないようです。今しばらくお待ちください)
キュロスはじっと指輪を見ながらそう念じた。
カトマール・ルキアの月の光が指輪を淡く照らした。




