Ⅴー4 エピローグ――変わり者の皇女
「変わり者の皇女」――陰で、多くの者がわたしをそう呼ぶ。
皇帝たる父は、ある日突然、兄の後を継いで帝位についた。帝位とは無縁であった若いころに世界をめぐったせいだろう。気さくな皇帝として人気が高い。だが、弱き者、貧しき者に心を寄せる皇帝は、貴族たちから見ると「変わり者」らしい。
皇后たる母は、香華族の名門貴族出身。その美貌は国中に知られる。だが、学者顔負けの知性と教養で周りを圧倒する皇后は、男たちからは「変わり者」だと敬遠されている。
わたしは、「変わり者」の親をもつ「変わり者の皇女ファウン」として育ったのである。
少年のように快活でやさしい父と、少女のように自由で強い意思をもつ母――対等な夫婦を間近に見て育ったせいだろう。わたしは、威張る男も、気遣う女も、苦手だ。
だれもが、母譲りのわたしの美貌と知性をほめたたえる。だが、両親が一番喜んだのは、香華族に由来する異能だ。異能を持つ皇帝は、歴史上ほとんどいない。他国の警戒を怖れて、わたしの異能は隠された。相手の異能に気づく力は、わたしを守る「見えない鎧」になった。
わたしは弱冠十歳で皇太女となった。
帝王教育はつまらぬ。
聞いた話や読んだことのある話ばかりで知的刺激が乏しい。
新鮮だったのは、新しく抜擢された女官セイだった。彼女は、わたしが知らない世界を知っており、一緒にいると楽しかった。セイの助言で、父帝も、国外から教師を呼んでくれるようになった。
問題は、学友だった。
わたしが十五歳になったころ、同世代の貴族子女はみな、わたしといることを嫌がるようになっていた。わたしは普通の議論をしているだけだ。だが、彼らはそう思わなかったようだ。やたらと難しい議論をふっかけられ、ポカンとすると毛虫を見るみたいな目で見られて、尊厳などズタズタにされると親たちに泣きついていたらしい。
女官セイはこう言って慰めてくれた。
「ファウンさまだけの責任ではございませんよ。皇太女というご身分は自由がききません。教えてくれる師もご学友もご自身で選ぶことができないのですから」
セイによると、友だちというものは自分で選び、相手にも自分を選んでもらい、互いに深く信頼し合い、切磋琢磨する関係らしい。そのような者はいままで一人もいなかった。
今回、大公の長子を泣かせてしまった。父帝がいずれはわたしの夫候補にと考えている少年だった。あんな少年は、こちらからごめんだ。
だが、大公の手前、父帝はわたしにしばらく離宮で反省するよう申し渡した。
首都の皇宮から遠く離れた離宮に行くのはいやではない。多忙な両親は離宮にはほとんど来ず、時間は自由になるからだ。だが、離宮の外には出られない。危ないからと言う。皇宮には外苑も内苑もある。だが、離宮は狭い。城のバルコニーからは広大な森や農地が見渡せる。なのに、外に出られない。
――今日は村祭りの日。
いったいどんなものなのだろう。一度見てみたい。
ひそかに少年服を用意した。だが、セイに気づかれ、取り上げられた。城でもサーカス団の上演があり、地元の有力貴族たちが挨拶に来るという。謁見用の白い正装を着せられた。みんなにうっとり見られたが、窮屈で仕方がない。
勘の鋭いセイがじっと見張っている。逃げ出せない。でも、縛られれば縛られるほど、それを破ったときの快感もひとしおだ。
雨が降るよう念じた。
突然雨が降り出して、サーカスは中止になり、訪問客の相手にセイたちも大わらわになった。まさか、この大雨の中をわたしが外に出るなど思いもよらなかったのだろう。
チャンスだった。わたしは後先考えず、決行した。
抜け出た先は、一面の田畑と遠くに小さな村、あぜ道を太くしたような道だけだった。
遠い向こうの丘の上に大きな木が見える。それを目印に歩いた。すぐに止むと踏んでいたのに、雨は次第に強くなる。衣服に雨が浸み込み、どんどん服が重くなった。木の下に人影が見えた。泥に足をとられ、そのまま気を失った。
くちびるに生暖かさを感じて目を覚ますと、すぐ目の前に少年の顔があった。
驚いてひっぱたいた。見ると、粗末な小屋に寝かされていた。おまけに少年は上半身裸だった。
――不埒なことをするつもりか?
わたしは少年を睨んだ。真正面から見た少年は、秀麗な顔に戸惑いの色を浮かべていた。身を固くしていると、白いカエルがぴょこんと跳ねた。
――カエルがペットか?
少年の服はあまりにみすぼらしい。これが、「貧民」というものか?
女官セイからさんざん聞かされていた。
「城の外には、貧しい者がたくさんおります。本人の責任でなくとも、貧しくなるのです。そのような者のほとんどはまっとうに生きております。ですが、中には不埒な者もおります。お気をつけなさいませ」
セイはこう付け加えた。
「ご身分の高い者の中にいる不埒な者は、貧しい者よりもはるかに卑劣で狡猾です。こちらはすぐに見破ることができるよう、人を見る目を養いなさいませ」
この少年は貧困者だが、聡明そうな目には陰りも欲もなかった。そもそも白カエルをかわいがる者に悪人はおるまい。
我ながら妙な理屈だったが、自分では納得した。
城で詮議したとき、少年もその父も、言い分はまっとうだった。あの父に育てられているのであれば、子も信頼できるであろう。
白カエルがわたしのところにやってきたのはうれしかった。覚えていてくれたのか?
ふと、少年ともっと話したくなった。セイは反対したが、押し切った。身を清め、上質な衣をまとった少年は、皇宮で見るどの貴族子女よりも美しかった。
なによりうれしかったのは、少年が書物に強い関心を示したことだった。あの部屋は、わたしのいちばんのお気に入りの部屋――図書室。彼は目を輝かせて、書物を読みたいと申し出た。その後、二人で議論した。今まで感じたことのない快感が身をめぐった。わたしは、やっと同志に出会ったのだ。
シュンに異能はない。だが、まっすぐな心があった。
シュンは、わたしが持ちえない物差しで物ごとを見た。つねに新鮮だった。シュンもこう言ってくれた――ファウンといると世界が広がるようだ。
白いカエルは代替わりしながら、わたしたちのそばに居続けた。わたしとシュンは運命の絆で結ばれていた。
振り返れば、わたしが彼をひっぱたいたときに、その運命は決まったのかもしれない。
わたしは彼に恋をした。生涯で初めての、そして、ただ一度の恋だった。




