Ⅴー2 雨の精
■雨の精
――来た!
その日も、シュンは待っていた。雨になると決まって現れる相棒……。
その小さな白い生き物は、木を伝い上り、シュンの掌にピョンと飛び乗った。アオガエルだった。だが、皮膚の色は白い。突然変異というものらしい。
野生の世界では、白は目立つ。天敵に狙われやすい。その白い皮膚のアオガエルがここまで生き残ったのは、運とこのカエルの才覚ゆえだろう。
シュンが「シロ」と名付けたカエルは、とても賢かった。クリクリとした両目は端に向いているが、カエルの視角は広い。シュンを見つめているのだ。
「けろっ」
シロが鳴いた。誰か来る。この雨の中を、いったいだれだ?
シュンは目を凝らした。シロに負けないほど白い衣を着た細い姿が見えた。村には、あんな色白の娘はいない。みんな野良仕事を手伝うからだ。
――まさか、雨の精?
このまえ読んだ物語に出てきた。
銀色の細い雨に打たれて、白い衣の細い姿がいきなりくにゃりと半分に折れた。シュンはあわてた。
――間違いない。雨の精だ! どうすればよい?
シロがシュンの掌から飛び降り、雨の精の方に飛び跳ねて行った。
「おい! シロ、待てよ! 待てったら!」
雨の精は、ほっそりした見た目と違い、獰猛で、カエルやバッタを食べるという。シュンはシロの後を夢中で追った。この村でシュンが一番大切にしている友だちだったからだ。
シロのそばで、白い衣の雨の精が倒れていた。触れていいものか、どうか……。ためらっていると、声がした。
「う、ううん……」
人間の声だった。折り重なった上半身を抱き起こすと、同じ年頃の少女だった。見たことがないほどきれいな少女だ。額に手を当てると熱がある。
シュンは、少女を背負い、近くの野良小屋に走った。シロは少女の肩にチョコンと留まっている。
■出会い
野良小屋の乾いた藁を地面に敷き詰め、少女を寝かせた。
全身が雨にぐっしょり濡れている。どれほど長い時間、雨に打たれたのか。まさか、服を脱がすわけにもいくまい。
シュンは自分の上着を脱ぎ、濡れていない下着を脱いで手拭い代わりにした。丁寧に少女の身体の水を拭き取っていく。下着はすぐにぐっしょりと濡れた。そのたび固く絞り、拭き取る。
できた水たまりで、シロが楽しそうにチャプチャプと水浴びしている。
熱は引かない。
家には解熱剤のような高価な薬はない。
シュンは思い出した。解熱効果がある薬草があったはず。
雨は上がっていた。シュンはすぐそばの里山に走った。目指す薬草を摘み、飲み水にも使う湧水を竹筒にいれ、丸い石を何個かポケットに入れて小屋に戻った。少女はまだ気を失ったままだった。
シロが少女を守るようにそばにいる。
薬草を石ですり潰し、水に混ぜた。
――はて、どう飲ませる?
うーん。以前に見た本では、意識を失った人に口移しで薬を飲ませる場面があった。ちょっと気が引けるが、やってみるか……。
三口ほど口移しで薬を飲ませると、少女が目を開いた。そのとたん、シュンの目に火花が散った。
「無礼者!」
少女が思いっきりシュンを平手でぶったのだ。
少女の目が少年を見つめ、少年の目が少女を見つめた。
ちゃっぷ~ん。
シロが水たまりで跳ねた。
少女のまなざしがシロに移った。少年の目は少女に釘付けだ。
「ヘンなカエル」
少女がシロに手を伸ばすと、シロがうれしそうに少女の掌に乗った。
「けろろ」
「かわいい!」
少女がクスっと笑った。少年の心臓が飛び跳ねた。
シロがシュンの肩に飛び移った。跳ぶ力を自慢しているようだった。
シロの動きを追った少女の目が、瞬時に凍り付いた。
「おまえはいったい何者だ! なぜ服を着ておらぬ?」
シュンはあわてて自分の姿を見下ろした。ズボンははいているが、上半身は裸だった。この少女の身体を拭うためだった。わらの上に広げていた上着をかっさらうように手に取り、大急ぎでまとった。
色褪せ、つぎはぎだらけの古ぼけた上着だ。ボタンなどとっくに落ちて、どこへいったやら。祭りの日にすら、こんな服しか着られない。
上着を羽織っても、裸の胸がさらされたままだ。シロがシュンの胸に跳んだ。少女が白いカエルとその奥の少年の胸をじっと見つめる。
「けろろん」
シロが少女に声をかけた。安心しろとでも言ってくれたのか。
少女の目から怒りが消えた。そのとたんに少女がくずおれた。名まえも知らない少女はそのまま目を閉じた。ふたたび気を失ったようだ。
シロは少女の胸の上に飛び降りた。息は浅いが、胸は確かに上下している。シュンはさきほど水を拭った下着を固く絞り、少女の額に当てた。
雨上がりの田では、植えられたばかりの小さな稲苗の緑が泥水に映り込み、美しく風にそよいでいる。
風は甘く、若葉はかぐわしい。
少女のそばで、シュンは少女を見つめ続けた。
これほど美しい人間を見たことがなかった。黒い髪はまっすぐで、うりざね顔。小さな赤い唇。さきほどの怒りと驚きに満ちた大きな目は漆黒の夜空に光がまたたくようだった。今閉じられている瞳を長いまつげが覆っている。
ようやく多少乾き始めた白い服を改めて見てみると、細かい刺繍が全体に施され、生地は非常にしなやかで織目は細かい。こんな衣装など村一番の金持ちも持っていない。
腰に巻かれた帯も白色だったが、これには金色の刺繍がほどこされ、淡く光る白い小さな珠が随所に縫い付けられていた。これほどきれいな珠も見たことがない。
少女が苦しそうに寝返りを打った。
こんなに腰を締めているのはよくないはずだ。だが、腰帯を解けば、またきっと平手打ちを喰わされる。
シュンはさんざん悩んだが、そっと手を伸ばし、腰帯を緩めた。少女の息が緩やかになる。
外は夕暮れだった。
山を、河を、木々を、太陽が朱く染めていく。
家に帰らねば――きっと、父ちゃんが心配している。だが、この子を置いてはいけない。
ウトウトした。
外の大きな音で目覚めた。何人もの立派な制服を着た男たちが、シュンを小屋から連れ出した。
――あの子は?
ちらりと見えた少女は、何人かのきれいな女性たちに抱きかかえられるようにして、大きなものに運び込まれた。黒くつやつやしたもので、いつかの本の挿絵にあった車というものだろう。
シュンは縛られ、殴られ、目隠しをされ、引っ立てられた。どこに行くのだろう……。父ちゃんの顔が浮かんだ。
――オレが不始末をすれば、きっと父ちゃんが責められる。




