Ⅲ-5 小さな冒険
■はじめてのお出かけ
週末の恒例だ。ミオが娘カコを連れてやってきた。露出度高めの服で男たちを品定めしていたが、それをやめたようだ。胸元スレスレまで大きく開いた服だと、キュロスが真っ赤になって逃げ回るかららしい。
五歳児のくせに、カコは母親に似て、美少年好きだ。いつものように、オロのところに突進した。最近ではオロも心得たもので、まずは真っ白の子ネコミミを確保し、カコにミミを差し出すようになった。カコがミミに夢中になっている間に、さっさとカコから離れ、いつのまにか出かけてしまうのである。
そんなことが何度か続き、カコも作戦を考えたようだ。
いつものようにミミを抱かされたが、オロから目を離さず、ミミを抱いたままオロの後をつけたのである。ミミの親代わりのノラネコ――クロ以外の誰も気づかなかった。クロは、こりゃたいへんとばかり、カコのそばをつかず離れず……。
オロは、まず橋の下に向かった。これが幸いした。橋の下に暮らす浮浪者ケイが気づいたからである。
櫻館の小さな女の子が、少し離れたところから白い子ネコを抱いて、オロの様子をうかがっている。そばに黒い痩せたネコが女の子と白い子ネコを守るようにぴったり寄り添っていた。
元警官であるケイは、すぐに櫻館に連絡した。
――自分がついているので心配するな。
櫻館でカコを探して真っ青になっていたミオが、そばにいたキュロスの腕の中でヘナヘナとくずおれた。泣きすぎて化粧がドロドロに崩れている。櫻館の管理人兼シェフであるツネさんがホットレモンを持ってきた。ミオはありがとうと言って受け取ったが、まだ動転が収まらないようだ。櫻館の周りでカコを必死で探していたサキもばあちゃんも飛んで戻ってきた。
「ふうう。命が縮まったわい」
めずらしく、ばあちゃんまでぐったりソファに倒れ込んだ。
「ばあちゃああん!」
ミオは、ばあちゃんの胸に顔を埋めてワンワンと泣いた。ばあちゃんがミオの背をよしよしと撫でている。
ミオが泣く姿など初めて見た。キュロスはどうしていいかわからず、立ちすくんでいた。
ややあって、ミオはすっくと立ち上がり、こう宣言した。
「行ってくる!」
「どこへじゃ?」
「橋の下とやらへ。カコを迎えに行く!」
「ほうか。では、その前に顔を洗え。ひどい有様じゃ」
化粧室から戻ってきたミオは、すべての化粧を落としていた。そのまま櫻館の玄関から駆け出そうとするミオにばあちゃんが尋ねた。
「場所はわかっとるのか?」
そうだった。どの橋の下だ? いつもなら真っ先に動くはずのリトが、今日はカイと出かけている。サキが案内しようと足を踏み出した瞬間、キュロスが歩み出た。
「わたしがご案内します」
さすが、気配りのひとキュロスだ。
ミオはカコのこと以外、頭にないようだ。いつも追っかけているキュロスとの同行なのに、黙りこくっていた。キュロスは合宿用の大型車ではなく、いつもの高級セダンで櫻館に来ている。助手席にミオを乗せた。
素顔のミオはすっきりした美貌だった。どうしてあんなに濃い化粧でこの美貌を隠しているんだろう? ミオは衝撃からまだ立ち直っておらず、顔は青白い。
橋の下につくと、カコがミミを抱いたまま、オロと手をつなぎ、そばにケイが立って、こちらに手を振っていた。クロがカコの足元でミミが落っことされないかと心配そうに見上げている。
「カコおおっ!」
ミオは脇目もふらず、娘に向かって突進した。そしてこう言いながら泣いた。
「ごめんねえ。ママがほったらかしにしたせいね」
するとカコが言った。
「ううん! ねえ、ママ。カコ、はじめてひとりでおでかけできたよ!」
カコが自慢そうに顔を上げている。この言葉にミオの緊張が切れたようだった。ミオはカコの頭をくしゃくしゃに撫で、思いっきり抱きしめた。
「そうだね! えらい、えらいよ、カコ。でも、これからはまずママにどこに行くか言ってからお出かけしてね」
「うん!」
娘を抱きしめて泣くミオを見ながら、オロはぼんやりと考えていた。
――オレには、あんなふうに泣いてくれる母親はいない。でも、スラ姉は、幼いオレを抱きしめ、泣きじゃくった。母親はいなくても、スラ姉がいる。スラ姉だけは、何があってもオレを見捨てない。あのときの絶対的な安心感は今も忘れられない。
「ねえ、ママ。いっしょにあるいてかえろ!」
無邪気なカコの一言に大人たちは我に返った。
「そうしよう!」
ミオはカコの手を引いて櫻館へ引き返そうとして、ハタと止まった。道を知らない!
「お連れします」と歩み出たのはケイだった。
カコはミオとケイの二人の間で手を引かれ、満面の笑みだ。こんなことはいままで経験がない。いつもどちらか一方の手に引かれるだけだった。パパの代わりに見上げるケイおじさんがミミを抱っこして、やさしそうにカコに微笑む。クロが三人のそばを付かず離れずついていく。
遠ざかっていく三人を見送りながら、オロがふーっと安心したように息を漏らして言った。
「オレ、ちょっと寄るところがあるから……」
「わかりました」
キュロスは車を発進し、橋の下を後にした。
■遊園地
カコは、櫻館に来るたびにケイを呼び出すようになった。ファミリーごっこがしたいらしい。だが、ケイはサキにとっても重要な調査員。そうそうカコの面倒ばかり見てもらうわけにはいかない。
ある日、カコがねだった。遊園地に行きたいという。保育園の友だちが親と一緒に行って、自慢していたらしい。
これを耳にした風子が勇み立った。
(遊園地? 行きたい! 行ったことないもん!)
この春、特別奨学生としてアカデメイアに来たとき、バスに乗っていた風子は、空港橋の事故に巻き込まれた。記憶を失った。家族については、五歳まで四国の田舎で大ばあちゃんと暮らした記憶がおぼろに残っただけだ。だが、風子は前向き――モモとアイリを得て、〈蓮華〉で学び、櫻館で過ごすいまはとっても楽しい。
サキは、頭をかかえた。カコはケイの手を離さない。向こうでキュロスがじっとこちらを見ている。
「おい、カコ。ケイおじさんは用事がある。キュロスおじさんと一緒に行ってもらえ!」
ケイが残念そうにしている。ホントはミオといたいようだ。ミオはキュロスと聞いて、顔を輝かせた。近頃のミオは、普通の化粧で、おしゃれなカジュアル路線の服装だ。キュロスにはこれが一番受けると経験的に悟ったらしい。サキがキュロスを手招きした。
「おーい、キュロスさん。頼みがあるんだが」
キュロスが近づいてきた。
「何でしょうか?」
「カコを遊園地に連れて行ってくれないか? もちろんミオ姉も一緒だ」
キュロスが困ったように顔を翳らせた。
「は……はあ。ですが、わたしはシュウさまをお守りする義務があります」
「シュウも連れて行けばいい。ついでに風子も。どうだ、シュウ?」
シュウが大喜びだ。風子もはしゃいでいる。今日は、アイリとオロはルナ神殿のデータ再現でパソコン室に籠り切り。リクは父親と出かけている。ヒマなのは、風子とシュウだけだった。モモを置いていくのは気が引けるが、休憩時間にモモがいないことがわかるとアイリがキレる。
カコはシュウが一緒と聞いて張り切った。キュロスではなく、シュウと手をつなごうとする。キュロスはそんなカコの小さな手をシュウから引き離して肩車に乗せ、車に向かった。こんなに高いところに登ったのははじめて。カコが大興奮している。
残念そうな目で見送るケイに、サキがぼそっと言った。
「やめとけ。ミオ姉は料理上手な男が好みだからな……」
早いうちに熱を冷ましておかないと、ケイはまた失恋して落ち込むだろう。あーあ。コミュ力ゼロの生徒たちの世話だけでも手が焼けるのに、櫻館に集まる男たちは純粋で善人ばかりだから、これまた別の意味で手がかかる。
目指す遊園地(最近はテーマパークというらしい)に着くと、人だかりだった。キュロスはシュウと風子に言った。
「どうぞ二人で手をつないで、わたしたちからはぐれないようにしてください!」
シュウは真っ赤になりながら、おそるおそる手を出した。風子がそれをギュッと握って、元気よく言った。
「OKですっ!」
観覧車、ジェットコースター、白馬の乗り物など、定番の乗り物に乗り、アトラクションを楽しんでいると、時間はあっという間にすぎていった。カコはキュロスと手をつないだり、肩車をしてもらったりと大はしゃぎだ。
ふと気が付くと、シュウと風子が取り残されていた。いかにも不良っぽい少年数人が、シュウにからんできた。
「おい、きれいなボクちゃん。オレたちと一緒に遊ばないかい?」
風子は無視され、シュウばかりに少年たちがたかる。
――シュウが危ない! 守らなくちゃ!
風子は少年たちに頭突きをくらわした。
「なんだ? このへなちょこな女は?」
風子をけなされ、シュウが怒った。だが、まだ武術は習いたてで、使い物にならない。
風子は少年たちに突き飛ばされて道に転がった。それでも風子はめげずに少年たちに突進していく。今度は、少年の腕に嚙みついた。風子の頬が殴り飛ばされた。シュウがあわてて駆け寄ると、リーダー格の少年がおもしろそうに言った。
「ほう。あんた、えらくきれいなのに、こんなのが好みなのか? 変わってるよな!」
少年たちがゲラゲラ笑いこけた。風子が起き上がって言い放った。
「わたしの大事な友だちをバカにするヤツは許さん!」
いや、バカにされてるのは風子の方だが……。
シュウたちがいないことに気づいたキュロスはカコをミオに預け、シュウを探して疾走していた。向こうで風子の大声が聞こえる。
少年たちが、もう一度、風子とシュウの襟首をつかんだ。しかし、キュロスが助けに入る前に、少年たちがみんなすってんころりと転んだ。転んだまま動けなくなったらしい。
キュロスが駆け付けると、やっと起き上がった少年たちは必死で逃げて行った。
「シュウさま、風子さん、大丈夫ですか?」
キュロスが二人を助け起こした。シュウは無事だが、風子は泥まみれで、頬が赤くなっており、口の中を切ったようだ。
向こうからミオとカコも駆けてきた。
「まあ、風子ちゃん! 大丈夫?」
風子はしっかり頷いた。ミオは風子の泥を払いのけ、水に浸したハンカチを赤くなった風子の頬に当てながら、風子に言った。
「風子ちゃん、あんたはえらい! シュウくんを守ったのね。それでこそサキの教え子よ!」
えへへ。風子は気恥ずかしそうに笑った。
シュウは真っ青になっている。自分が不甲斐ないばかりに、風子にケガをさせてしまった。
ミオがそんなシュウを見かねてその背を撫でた。
「シュウくん。いまどき、男だから強くなきゃいけないとか、男が女を守るべきなんて、まったく受けないからね。女に守ってもらえるのは、シュウくんにそれだけの価値があるからだよ。むしろそれを誇りに思うことね」
キュロスはハッとした。武術者の自分は、知らず知らずのうちに、シュウを追い込んでいたのではないか?
「そーだよ! ねえ、シュウは怪我してないよね?」
風子の問いに、シュウはほとんど涙目で何度も頷いた。
「よかったあ!」と風子は安堵の息を漏らし、シュウの手を取り、ギュッと握った。
風子は改めて気づいた。シュウは深窓育ちだ。身体も弱く、腕力も体力もない。だから、キュロスが守っているわけだけれど、今日みたいにキュロスがいなければどうする? 風子は腕力には自信がないが、体力には自信がある。もっと腕力を磨けばいいのかも? サキ先生に教えてもらおう! 大事な友だちを守らなくっちゃ!
■ファミレス
カコが、晩御飯はファミレスに行きたいとねだった。いつもはママと二人なので、今日は五人でそろって行きたいらしい。
人気のファミレスは混んでいた。順番を登録し、待合で待つこと二十分。シュウは物珍しさに緊張している。普段はキュロスが食事を作ってくれるし、外食のときはキュロスが高級レストランに予約を入れる。こんなにワイワイ、ガヤガヤする大衆的なレストランなど入ったことがない。やっと席が空いた。窓際の広めのテーブルだった。カコが突進する。
メニューを見て、カコと風子が目を輝かせている。シュウは風子から渡されたメニューをおずおずと見て、ウッとなった。あまり健康に良さそうとは言えない。
しばらくしてテーブルに料理が並べられた。風子がシュウの料理と自分の料理を見比べている。シュウのもおいしそう!
「ねえ、シュウ。半分こしない?」
風子の頼みを断るはずがない。シュウは喜んで頷いた。風子はさっさと切り分けて盛り分け、うれしそうに笑った。また、シュウの胸がキュンとなる。(かわいい!)
「あ、カコちゃんだ!」
見知らぬ幼児がカコに声をかけた。両親と来たみたいだ。その母親らしき女性がミオに言った。
「まあ、今日はご家族みんなで?」
「ええ、まあ……」とミオが言葉を濁していると、キュロスとミオの間に座っていたカコが胸を張って答えた。
「うん! カコのママとパパとおにいちゃんとおねえちゃんだよ!」
その家族が遠ざかったあと、カコが言った。
「カコのかちだよ! むこうはさんにん、こっちはごにんだもん!」
キュロスが一瞬むせた。決め手は人数か?
風子はなんだか視線に気づいた。いろんなひとがこっちを見ている。五人がめずらしいのか? いや、四~五人は普通だ。特に多いわけではない。なんでだ?
女性店員が入れ替わり立ち代わり、やたらと水を注ぎに来る。ミオが言った。
「さすが、美少年シュウくんね。女性の目をくぎ付けだわ」
そうか! みんな、シュウを見てたんだ。
「きれーなおにいちゃんはカコのもん!」と、カコが口を尖らせた。ミオが笑った。
「あれええ? オロお兄ちゃんはどーするのかな?」
カコが困っている。
「えっとねえ、カコはオロおにいちゃんとケッコンするの! そいで、シュウおにいちゃんともケッコンするの!」
「そーなの? でも、ふたりと一緒にケッコンするのはムリだよ。順番にならケッコンできるかもね」
ミオの解説に、キュロスがまたむせた。いったい、この人は子どもに何を教えてるんだか。
カコがしばらく考えてから、こう宣言した。
「じゃ、そーする! カコはさきにオロおにいちゃんとケッコンするから、シュウおにいちゃんはさきにフーコおねえちゃんとケッコンすればいい!」
シュウがむせながら、真っ赤になっている。風子はポカンとしているだけだ。ミオはそんな二人をからかいながら、楽しそうだ。そして、そんなミオと子どもたちをキュロスは微笑みながら見守っていた。
ファミリー……ここにいる五人のだれもが持たないファミリー。だが、櫻館の絆はファミリー以上のもののようだ。週末のファミレスに集う幾多のファミリーに溶け込んで、五人もまた最高の晩餐を楽しんだ。
その夜、キュロスは、不思議なことを思い出した。遊園地での一件だ。あの少年たちは、なぜ転んだのだろう? 風子もシュウも手を下さなかった。キュロスも間に合わなかった。
キュロスは冷静に分析した。そしてある可能性に気づいた。カコだ。カコの目が一瞬朱く光った。そのとたん、少年たちはひっくり返った。キュロスはそのことをサキ姉とばあちゃんに伝えた。
ばあちゃんは驚いたようだった。
「念力じゃ。九孤族の中でも強い異能の一つじゃな」
サキ姉もまたビックリした。
「どうする? ばあちゃん……」
「もうしばらく様子を見るが、カコが異能者であれば、それなりの指導をせねばならんの」




