第6話 近い特訓
その男、山崎竜馬は見た目は普通の学生だ。地味で、よくいるタイプ。短髪で、少しよれたシャツを着ている。
「あー、山崎君だよな?ちょっと俺たち聞きたいことがあってな。とりあえず座ってくれないか?」
「どうも。」
シュートは突然の事態に困惑しながらも、自分も落ち着かせるためにその男、山崎に座るよう促した。
(いつの間に背後に…?気配を感じ取れなかった。)
「取り乱して申し訳ない。全く気付かなかったものでね。」
「いやいや。こちらもよく影が薄いと言われるよ。」
(トイレ行く時は存在感はあるけどな。)
「あんた、なんか能力……いや、変な体質とかあったりはしないか?」
酒樽の問からしばらくの沈黙が続いた後、彼は口を開いた。
「……実は、僕、近くにいる人の飲み物の“水分”だけを吸っちゃうみたいなんだ。」
2人は顔を見合わせる。
「自分でも困ってるんだ。周りの人を困らせるのは不本意だし。それに…」
「それに?」
「吸った水分は体内に直接入るから、とにかくトイレが近くなるのが辛い。」
やはり、と2人はうなずく。ここで、シュートが最も気になっていた疑問をなげかける。
「ところで、トイレ行く時やけに足音がうるさいのは能力が関係しているのか?」
「ん?足音?うるさかったのかな?それは申し訳ない。」
「まさかの無意識なのか。」
「異能より恐ろしいな。」
「能力はずっと発動し続けてるんじゃなくて、不定期にぶわって感じで一気に吸い取るんだ。だから急にトイレに行きたくなる。かなり毎回焦って急ぐから、うるさかったかもしれない、皆に申し訳ないな。水分を取っちゃうのに加えてうるさくもしていたなんて…。」
それに対し、酒樽は
「まぁなに、そう気を落とすなって。おそらくそれは異能ってやつだ。簡単に言うと生まれつきの特技だな。俺たちも持ってるんだが、鍛えれば上手く調節できるようになるはずだ。俺たちが付き合ってやるよ!」
シュートは目を丸くし小声で酒樽に問いただす。
「(おい、何俺まで巻き込もうとしてるんだ。)」
「(三人寄れば文殊の知恵って言うだろ?それにお前も茶を苦くされるのは懲り懲りだろ。)」
「(それはそうなんだが…。)」
「迷惑かけるのは悪いから、自分一人で頑張ってみるよ。」
山崎は申し訳なさそうに席を立つ。
「ぐ、わかったよ。俺も講堂で水だけしか飲めなくなるのは嫌だからな。やるならさっさとやろう。」
「ありがとう、シュートくん。」
「よし!そうと決まったら早速特訓といきたいが、生憎ここでやると少し目立つな。」
テラスの他の席には、いくつものグループが座って課題や談笑をしていた。
「なら、いい場所がある。」
シュートはニヤリと微笑んだ。
「ここだ。」
「おお、運動部の部室ってこんな感じなんだな。」
「トイレは…出てすぐそこか。いい場所だね。」
「基本的に部室はたまにやるミーティングとかでしか使わん。だから人はほぼ来ないし、用途の割には広いから今日の特訓には十分使えると思う。」
「最高だ。では早速だが山崎君。始めようか。」
「うん、宜しく頼むよ。でも具体的には何をするんだい?」
「俺がかつて師匠にやらされたことは、もうできることを繰り返しやってみて、操作、調節できそうな取っ掛りを探すことだ。」
「滝間君…いや酒樽、くんには師匠がいたんだ。どんな人?大学の人?」
(それは俺も気になるな。)
「まぁ、中々に強烈な人だったよ。まぁこの事はそのうちまたな。とにかく、大学は20時までに出なきゃいけないからドンドンやろう。」
そういうと酒樽は、長机を引っ張り出してきて紙コップをいくつも並べた。そしてその中にペットボトルの中身を注ぎ始めた。
「とりあえずやってみよう。能力は無意識でも出てしまうとのことだったが、意識的に発動させることはできるか?」
「出来ると思う。ちょっとやってみるね。」
そういうと、山崎は目を瞑る。
「…できたと思う。ちょっとトイレ。」
ドタバタと走って部屋を出ていった。
「あの能力と足音が無関係なのが1番怖い。」
「それはわかる。さて、変化はあるかな。」
酒樽は5つ並べた紙コップの中身を凝視する。
「お、真ん中のがかなり減ってるな。それにその左右も半分ほどになってる。どれどれ。」
そういうと酒樽は残った物を飲み干した。
「〜〜〜っっああぁ!」
酒樽は突然声を上げた。
「どうした!?」
シュートは突然の事態に驚きを隠せなかった。
「これは効くぜシュート。焼酎の水分がほぼ全部抜かれて有り得ない濃さになってる。」
「酒入れてたのかよっ!」
呆れながらシュートは酒樽の尻を蹴りあげた。
「痛い痛い。まぁ何も飲むためだけに入れた訳じゃないさ。ミネラルとかは分からないが、少なくともアルコールは吸収できないのが証明されたぜ。」
「ただいま。」
ふざけていると山崎が帰ってきた。
「おう、5この内3つが減っていたんだが、対象は選んでいる感覚はあるのか?」
「うん。一応真ん中を狙ったつもりなんだけど、どうも他も巻き込んじゃうみたいなんだ。講義中もなるべく自分の水筒から吸収しようとは思ってやってるんだけど、どうも上手くいかないんだ。」
「なるほど、ある程度の指向性は持たせられている、と。」
「2人ともこういう能力に詳しそうだけど、どんな能力なのか聞いてもいい?」
「ああ。俺は1ヶ月ほど前から使えるようになった。だから酒樽ほど詳しくはない。俺の能力はめちゃくちゃ速く走れるんだ。大体時速600キロくらい。」
「はや!」
「俺はアルコールを直接エネルギーとして使える能力だ。目覚めたのは3年ほど前かな。」
「…3年前にその能力に目さめたのか?おい酒樽、お前何歳だ?」
「ははは。21だが。」
「シュートくん、これ以上は聞かない方が良さそうだね。」
「こいつ…。」
「さて、そろそろ2回目と行こうか。山崎君、できそうかい?」
「うん、もう1回やればいいのかな?」
「いや、今回は能力の対象をなるべく絞ってみよう。腕を前に突き出して、手のひらから細いホースをコップにぶつけるイメージで能力を使うんだ。」
「なるほど、やってみる。」
山崎は腕を前に突き出し、目を瞑る。
「…これって向けるのは指だけでもいいのかな?」
「いいと思うぞ。自分がやりやすい形でやってみよう。」
山崎は人差し指をコップに向ける。
その瞬間
山崎はトイレに駆け込んで行った。
「成功したみたいだな。」
酒樽は残った酒を飲み干す。
「しかし酒樽、お前は俺みたいに体を強くするような能力なのによく教えられるな。」
「昔、師匠が同じような中距離タイプの能力の使い方を教えているところを見たことがあってな。それを真似しただけだ。」
「お前の師匠ナニモンだよ…。」
「失礼。戻ってきたよ。今回は上手くいったかな。」
山崎がトイレから生還した。
「大成功だ。これを安定してできるようになれば、少なくとも他人の飲み物を減らすことは無くなるはずだ。」
「ありがとう。」
「1つ疑問なんだが、山崎君の能力は無意識に発動すると言っていたが指を向ける余裕はあるのか?」
「うん、あると思う。能力が出ちゃうのって気付かない内にと言うよりは、なんというか、スタートボタンを勝手に押されちゃう感覚かな。」
「なるほど。」
(俺で言うと走りたくもないのに突然600キロまで加速してしまうというところか。それは困るな。)
次に行ったのは、講義中以外で咄嗟に能力が出そうになった時用の特訓。
「よし、このコップの水だけを狙え!」
「うわっ、こっちが減ったぞ!」
「おい、それ部室に隠しといた日本酒だ!ちょっと高かったのに!」
「わ、ごめんよ。」
「じゃあ俺が飲むわ。」
「お前は飲みすぎだ!」
ドタバタしつつも、能力の操作感覚をつかんでいく。
やがて、彼は特定のコップだけを狙って吸えるようになる。
「……おお!」
「やったな」
「2人とも本当にありがとう。」
静かに微笑む彼に、シュートがぽつりと言う。
「次からは、教室で安心して美味しいお茶が飲めそうだな」
「酒もな。」
「それは飲むんじゃねぇ。」
「…はい。」
そして、彼は笑顔で頭を下げた。
「今日は、ありがとう。」
2人は手を振り、帰路につく。
「…思ったよりいいやつだったな。人と距離が近くなるというのも悪くないかもな。」
「ま、トイレも近いやつだったけどな。」
暮れていくキャンパスに、スパンッといい音が響いた