第3話「業火な晩餐」
夜。とある工事現場にて、シュートと酒樽は向かい合って立っていた。
「まず、異能力について説明するが、本当に、多種多様な能力が存在するんだ。お前みたいに身体能力が強化される奴もいれば、目からビーム出せる奴だっている。」
「お前の能力はなんなんだ?酒飲むと強くなるみたいだが。」
シュートの問に対し、酒樽はチューハイ缶をクシャと潰し、ニヤリと笑う。
「アルコールをエネルギーに変換する。そのエネルギーを使って様々なことをする。それが俺の異能だ」
「具体的には?」
シュートは続けて問う。
「そうだな、昨日みたいに身体能力を上げるのは基本で、傷の治りが早くなったり、毒が効きにくくなったりだ。あとは異能を使ってる間は汗が霧状になって空気に混ざるんだが、それを一般人が吸うと、近くで何があったかなどの記憶がぼやける。」
「!まさか昨日やけに霧が深かったのは…」
「そう。あれは予め俺が周辺をランニングして異能を他人に気づかれないようにしておいたんだ。そうでもなきゃ、皇居周辺で酒飲んでランニングなんて出来るわけがねぇ。お前と違って俺は一般人でもなんとか視認できる速さまでしか加速できないしな。」
「ちょっと聞きたくはなかったな。」
(昨日人前であんなことやっていいのかと聞いたら何とかすると言っていたが、このことだったのか。)
「便利な能力だな。何かしらの制約とかは無いのか?」
「鋭いな。俺の汗による霧はただの風程度ならそんなすぐには霧散しない。ただし、異能者には効かねぇ。同類には通じないってこった。お前も昨日のことは覚えてるだろ?」
「もちろんだ。」
(実は酒のせいであまり記憶が無いが、めんどくさそうだから黙っておこう。)
「さて、次はお前の能力についてだが、俺もよく分かってないからな。実戦形式で探りながら細かい使い方をさぐっていこうじゃないか。じゃあ、かかってこい」
そう酒樽は言うと、腰を低くし、構えた。
「まずは全力で、やってみろ。」
シュートが地を蹴る。
空気が震える。
目にも止まらぬ速さで突っ込むが、酒樽は微動だにしない。
お望みなら、その広い腹に拳をめり込ませてやr――
『ドゴッ』
拳一発、先に打ち込んだのは酒樽だった。
「ぐっ……!」
シュートの身体が跳ね飛ばされる。
(速い。)
酒樽はニカッと笑った。
「お前の武器は速さだろう?だが真正面から突っ込むだけじゃ意味ねぇ。例えどんなに速くとも、来る方向がバレちまってるなら対処は簡単だ。」
「っせぇ……分かってるよ」
シュートは歯を食いしばる。
もう一度、加速。
今度は右にフェイント。
酒樽が僅かに身体を振り、腕を突き出す。それは空を切り、シュートは酒樽の死角へと滑り込む。その一瞬の隙をシュートは見逃さなかった。
最大加速。
重心を落とし、溜めた力を――
『バンッ!』
右膝に乗せて、酒樽の腹に叩き込む!
酒樽が一歩下がった。
「……ほう」
「……!」
確かな手応え。
(最大加速したつもりだったが、あの程度の助走だと半分にも満たないな。しかし、やはり蹴りがいいか。)
走るための力。しかしどうして、こんなにも蹴りがしっくりくるものか。
シュートは小刻みに軽くジャンプをし、ニヤリと笑った。
「やるじゃねぇか。だがまだ最高にはほど遠い!」
酒樽もアガってきたようだ。
23時過ぎ、2人は積まれている角材に腰を下ろした。
「……ふぅ、能力使ったランニングの数倍疲れるな。」
「いずれ慣れるさ。お前は特に筋がいいし。」
酒樽はそう言うと、ゴロンと仰向けになる。
しばし夜風に吹かれながら、ふたりは呼吸を整えた。
「ま、異能を悪用する奴なんざ、滅多にいねぇけどな。」
酒樽がふっと笑った。
「…だといいけどな」
シュートは呟く。
「…腹減ったな」
「だな」
「どっか飯行くか? 焼き鳥とか。まだやってるとこあるだろ。」
「お、いいねぇ。焼酎で行きたいぜ。」
そんな呑気な会話を交わした、次の瞬間だった。
『――ドォン!!』
爆音。
ふたりは同時に立ち上がる。
近くの店から、火柱が上がっていた。
灰色の煙が漆黒の夜空を割り、焦げた臭いが漂う。
(事故か?いやあれは…)
シュートは店の中を凝視した。どうやら、店内に手から火を放つ者がいるようだ。おそらく、異能力者だろう。
「……いるじゃねぇか」
シュートは酒樽を白い目で見る。
「いや、マジで滅多にいねぇんだって…!」
酒樽は顔をしかめながら、周囲を見渡した。
「思ったより目撃者が多い……俺、とりあえず1周走ってくるわ。今から記憶ぼやかしても間に合うはずだ。」
そう言いながら、缶ビールを飲み干す。
「おい待て、巻き込まれた人を助けないのか?」
「気持ちはわかるが、俺は他人の命よりも自分の安全優先だ。シュート。やるならお前だ。お前のスピードなら、誰にも見られずに救助ができるはずだ。俺の準備が終わったら、2人で能力者の方は対処しよう。」
そう言い残すと、酒樽は煙の向こうへ走り去った。
シュートは軽くストレッチをする。
「まかせろ。」
超速で飛び込んだため、人に見られることなく店内へ入ることが出来た。
現場は地獄だった。
炎が路上まで溢れ、熱風が顔を叩き、煙が視界を滲ませる。どうやら、巻き込まれた人はいないようだ。
(あいつが1人で暴れてるのか?)
シュートは呼吸を整え、
瓦礫を踏み越えて進む。
そして、見えた。
瓦礫の中央で騒ぐ1人の男。
大声を上げながら、狂ったように暴れている。
(あいつか)
シュートは地を蹴った。
近づくと、熱風が容赦なく襲いかかる。
だが。
(……意外と平気だな)
確かに暑い。息がしにくい。
だが、焼けるような激痛はないし、煙も少し吸ったが特に体に異常は無い。
(……そういえば、超速で転んだときも、擦り傷で済んだ)
シュートは確信する。
(身体の耐久も強化されてるということか!)
濛々と立ちこむ黒煙が、視野を狭める。
床は熱で歪み、天井の梁がきしみながら音を立てる。
(これ…なるはやで片付けないとヤバいな)
シュートは袖で口元を覆いながら進む。
視界の先、炎の向こうに人影があった。
その男はフードを深く被り、顔はよく見えない。そのはずなのに、限界まで見開かれた目だけは遠くからでもはっきりと見えた。
腕を曲げ、手のひらを胸の高さで開く――
その中心は、空気が吸い込まれていくように歪み、熱が収束していた。
(手のひらに熱が集まっている?)
注視しようとしたその時
「……危ねっ!」
直後、赤い線が発射された。
シュートは反射的に身をひねる。
爆ぜる熱風。煙が跳ね上がる。余波だけで、壁の張り紙が炭と化す。
「だァレだァ?お客様なら申し訳ないが、この時間はやっていないんだァ。また明日お越し願おうかァ!」
そう言いながら左手の赤い球から熱線を打ち出す。
それは明後日の方向に打ち出された。天井に針を指したような穴があく。
シュートは跳び込むタイミングを見計らうが、熱は空気を揺らし、煙は視界を絶望的に悪くする。
声の方向から位置を予測し攻撃を仕掛けるが、むなしくも蹴りは空を切る。蹴りにより少し視界がクリアになる。そして間髪入れずに2度目の蹴りを打ち込むが、それは男のフードを少しずらす程度で終わった。
とっさに離れ、距離をとった直後、天井の梁がきしみを上げ、
「ッ、うわっ!」
頭上に火で焼けた板が崩れ落ちてきた。
咄嗟に肩を丸めて地面に転がり、直撃は避けたが、
爆ぜる火花に一瞬、皮膚が焼ける熱を感じた。
(っぶねぇ……!)
冷や汗は流れ落ちる前に蒸発し、吐息はどこまでが煙か境界が曖昧になる。
その男は炎の渦の中で不気味に笑っていた。
「クソ店長が悪いんだァ……俺に支払い渋るからだァ。
あいつ、いっつも上から目線でなァ…!」
男の手に、またしても熱が収束する。
「この力ァ、“ホットスポット”って言うんだァ。
ススキノの有名な占い師に名付けてもらったァ。カッコいいだろァ?」
「センスねぇな。俺がガキの時に書いたポエムの方がよっぽどマシだぜ。」
「…なぁァァァ?」
「『俺の言葉に、彼女の頬が赤く染る。そう、まさにホットスポット』……フハッw」
男の顔が周囲の炎よりも赤く染まる。
「テメェェァ、ブチ殺してやらァ……!」
次の瞬間、もう一度熱線が撃ち出された。
シュートは咄嗟にかわす。
だが少しかすり、左足の靴から細い煙が上がる。
「……うわ、マジか。お気に入りだったのに……!」
視線を落とすと、スニーカーのつま先が溶けていた。
幸い動きに支障は出なそうではあったが、これがシュートの心に火をつけた。
ふと視線を横にやると、煙の切れ間に何かが見えた。
倒れている男。服装と年齢から察するに店長だろうか。
肩と髪が焼かれ、動きがない。火の手がすぐそこまで迫っていた。
(……くそっ)
男がシュートに手を向けたその瞬間、シュートは方向を変え、倒れている男に近付く。
周囲の炎に気を付け、店長を肩に担ぎ上げる。
炎の中を駆け抜け、熱線を避けながら破られた窓から店の外へと飛び出す。
少し離れた路上に寝かせ、軽く頬を叩くと、微かに呻き声が返ってきた。
「…死ぬなよ。」
再び店内へ突入する。
「てめぇァ…!俺に喧嘩売っといて逃げ腰かァ?」
男が怒りに満ちた声を上げる。
シュートは炎と煙、そして男の言葉もかわしながら思考を回す。
(そろそろ、酒樽も来るだろう。他に被害者はいなそうだし、2人で戦えば…)
その時、シュートを謎の感覚が襲う。
(今のは、なんだ?)
まるで楽しんでいたゲームのボス戦に、高レベルのフレンドが乱入してきた時のような、なんとも言えない虚しさ。
今は遊んでいる場合ではない。だが、酒樽はまだ来ない。それなら――
「俺1人で、お前を打ち負かしてやる。」
「無視するんじゃァねぇよァ!」
だが、奴の熱線は発射のタイミングが読めない。1発打つ事にタメ時間が5秒程度あるようだが、発生自体はほぼノーモーションだ。
酒樽との戦闘では、広い場所で十分に加速ができた。しかし、今は距離が近すぎはしないが、遠すぎもしない。
(加速の余地がねぇ……っ)
無理に飛び込んで蹴っても、威力が足りない。
実際、さっき一撃を入れたが、男はふらつきすらしなかった。
(……くそ、どうすりゃいい)
煙と炎の隙間を縫うように、店内を逃げ回る。
視界が狭く、思い切った動きができない。
だが、何度か攻撃を避けている内にふとある考えにたどり着く。
(…俺は皇居を走る時、カーブで減速をしていない。おそらく、俺の能力は最高速でもカーブで曲がれるように調節する機能もある。と今は仮定しておこう。)
ならば、ここでも同じことをやればいいだけだ。
フロア、厨房、壁、バックヤード…障害物は多く、広くは無いがこれなら…
(徐々に速度を上げられる……!)
火の中、煙の中。
危険だが、迷っている暇はない。
シュートは走り始める。
くるり、くるり。熱線を避けながら、細やかに曲がり角で方向を変えながら走り続ける。それは、段々と速度をあげていった。
(――いける!)
男の背後に回り込む。奴が適当に放った火球をチャージし直し始めたその瞬間――
最大加速。
壁を蹴り、煙の中を突き抜け、1本の矢のように飛びかかる。
男がハッと振り返り、指先に光が走る。
だが今までとは違い、弱い光がシュートの頬を掠めるだけだった。
「……甘ぇ!」
シュートはそのまま男の顔面に、蹴りを叩き込んだ。
炸裂する加速蹴り。
強力な一撃を受けた彼の体は、その場に留まることができず、大きい弧を描きながら火の海へと落ちていった。
火の勢いがわずかに揺らぎ、空気が少しだけ軽くなるのを感じる。
天井の穴から差し込む一筋の月光は、勝者にのみ降り注いでいた。
「よぉ、お疲れー」
ふわりと背後から酒の匂いとともに、声が届いた。
酒樽は涼しい顔で現れた。
「記憶処理は完璧だ!」
「…遅ぇよ」
シュートは肩の煤を払いながら呟いた。
フォトスポット?とか言ってたやつを外に連れ出そうとしたが、警察やら消防やらが到着したようで、1人で抜け出すのがやっとだった。
「お前が店長を担いで外に出るところは見えたんだが、どうも店長の爺さんが死にそうでな。病院に直接連れに行っていた。戦闘に間に合わなくて申しわけない。」
酒樽は軽く頭を下げる。
(……。本当に間に合わなかっただけだろうか。いや、まぁ、問い詰めるほどのことでは無い、か。)
シュートは戦闘中、外に気配を感じていた。それが酒樽かどうかはわからないが、なぜか聞く気にはなれなかった。
「それはいいんだが、あいつはほっといてもいいのか?」
「問題ない。警察には異能力専門の部署があるって噂だからな。あとは任せていいだろう。」
「異能力者でも普通に捕まるのか…」
「にしても、まさかほんとに1人で倒すとはな。」
「もうお前より強いかもしれないぜ?」
シュートはゆっくりと立ち上がる。
「いつでも相手になるぜ」
酒樽は缶チューハイを飲みながら笑顔で答えた。
燃え盛る建物を背に、夜風が2人の間を通る。
「…飯、どうするか。」
「行くか?」
「腹減ったしな」
ふたりは肩を並べて歩き出す。
赤く染まった夜空の下、異能者たちの小さな1つの戦いが、静かに幕を下ろした。