第2話「5合のデッドヒート」
「――1周ごとに、1合だ。シンプルだろ?」
そう言って笑ったのは、タンクトップ姿の巨漢――滝間四季。
何でもシュートの走りを見て、勝負を挑みたいらしい。
巨漢といっても、身長はさほど高くなく、主に横に大きい。それでも、圧倒的な存在感を放っている。
どうやら同じ学部の同級生らしく、酒樽と呼ばれているのだとか。
その手には、いくつもの酒瓶を持っていた。
夜の皇居ランニングコース、スタート地点に、2人の男が立つ。今日は珍しく、霧が立ち込んでいた。
「普通は飲んで走らないよな」
「だからこそ、面白いだろ?」
酒樽はグビリと日本酒をあおった。
月明かりの下、異様な緊張感が漂う。
勝負のルールは単純だった。
皇居1周約5km。
1周を走り終える直前に、日本酒を1合飲む。
これを合計5周。先にゴールした方が勝ち。
酒が置いてある給水所はゴールの10m手前にある。
「……正気の沙汰じゃない」
シュートは呆れながらも、目の前の酒樽を見た。
デカい図体に、妙な余裕。
ただの酔っ払いではない。
(こいつ……なにかある。おそらく俺の超速のように。)
直感がそう告げていた。
だがシュートも負ける気はなかった。
(どれだけ飲んでも、速さだけは負けねえ)
スタートの合図はない。
互いに目を合わせた瞬間、2人は地を蹴った。
爆発的な加速。
シュートはすぐにリードを広げる。
(なるほど、確かに速い。だが……)
酒樽は一般人としては遥かに速いスピードで走っているようだが、時速600キロ近いシュートと比べると酒樽の走りは凡人もいいところだ。
(余裕だな)
皇居をぐるりと1周し、戻ってくる。
呼吸は乱れていない。
給水所には、日本酒が並べられている。
シュートは1合を一気に流し込み、顔をしかめる。
「美味いんだが……きっつ」
すきっ腹に、日本酒の熱が広がる。
だがまだ、問題ない。
酒樽はまだ半周以上後ろにいた。
2周目。
シュートは再び地を蹴る。
だが、酒のせいか、僅かに重い。
(くそ……早く決める)
2周目も圧倒的なスピードで走り切り、再び日本酒を1合。
ゴクリ、と飲み干す。
胃が熱くなる。
身体が僅かに軋む。
それでもリードは広がっていた。
「まだいける」
3周目。
ふと後方へ意識をやると、酒樽が距離を縮めてきているのを感じた。
(……?)
シュートは違和感を覚えた。
奴の走りが、明らかに軽く、速くなっている。
1周目、2周目とは比べ物にならないスピード。
それに、酒をかなり飲んでいるはずなのに、顔色一つ変わっていない。
(まさか……飲むほど速くなってる?)
奴は、もしかして。
3周目終了地点。
日本酒をまた1合。
喉を焼き、胃を叩く。
酒樽もゴクゴクと飲み干し、ニヤリと笑った。
「楽しくなってきたな!」
(冗談だろ……)
4周目。
シュートの足は重かった。
意識がぼんやりと滲む。
それでも、走る。
目標はただ一つ、勝利だ。
だが酒樽は、すぐ背後に迫っていた。
まるで重力が違うかのような、異様な走り。
4周目の終わり、二人はほぼ同時にゴールラインを踏み、
同時に4合目を飲みだした。
もうシュートはフラフラだった。
(……やべぇ)
そして、5周目。
先にスタートしたのは、酒樽だった。
(ここで抜かれるか…!)
焦りが胸を打つ。既に奴は、シュートとの周回差近い距離を縮め追いつける程度のスピードは出ているのだろう。そんな奴が先にスタートしたのなら、普通は勝ち目は無い。
(ここで走り出しても、結果は絶望的……)
このままじゃ負ける。
(……何か、何か手は……)
そこで、シュートはあることを思い出した。
「……あれに賭けるか!」
酒樽はまるでバイソンのような迫力でゴールに迫る。
「がはははは!俺の勝ちだ!」
しかし、彼の視線を誘導するものがゴール直前にあった。
「……お?」
酒樽が減速した。
それは赤ワインだった。
時は5周目開始直後に戻る。
「ちょっと勿体ないが、これに賭けるか。」
シュートが取り出したのは、リュックに忍ばせていた、ワイン。
もともとは練習終わりに1人で飲むつもりだった、少し良い赤ワイン。
(……奴が引っかかるかは分からんが。)
給水ポイントにさりげなくワインのボトルを置く。キャップを開けた状態で。
酒樽はワインを手に取り、香りを嗅ぐ。
そして周囲を一瞥した直後、一口、飲んだ。
その表情が、崩れる。
「……ッ、うまっ」
完全に気を取られている。
酒樽は1口1口を味わい、嚥下する。
その隙に、シュートは全力でラストスパートをかける。
重い身体を引きずりながら、歯を食いしばり、日本酒を1合流し込み、
ゴールラインを、先に踏んだ。
シュートはその場に倒れ込んだ。
視界がぐにゃぐにゃに歪む。
「……っしゃああ……!」
かすれた声で、勝利を噛みしめる。
遅れてゴールした酒樽が、のんびりと歩いてくる。
「参った、参った」
缶チューハイを開けて、ゴクリと飲みながら、話しかけてきた。
「作戦もワインも、うまかったぜ!完敗だ!酒だけにな!」
「……そいつは、どうも。」
シュートはぜぇぜぇと肩で息をしながら答える
(こいつ、暑苦しい奴かと思ったら急に寒い事言いやがる……)
酒樽はゴミ箱の縁に腰を下ろした。
シュートは起き上がると近くの自販機で水を2本買い、片方を酒樽に投げ渡した。
「お、サンキュ。丁度そろそろチェイサーが欲しいと思ってたんだ。」
そう言いながら、酒樽は半分以上残っている焼酎の瓶に水を注ぎ始めた。
「は!?何やってんだお前」
「何って、チェイサー作ってるんだよ」
「お前チェイサーの意味知らねぇだろ…」
「ははは、ところでお前、ただ足が速いだけじゃないな。あんな走り、当然だが人間じゃできねぇ。いつから能力に目覚めた?」
「…2週間前だ。最初は驚いた。」
「なるほどな、なら知らなくて当然か。実はこの国にはな、俺やお前を含め、様々な異能力者がいる。」
酒樽は真面目な顔でそう切り出した。
「……明日教えてやるよ。“異能”の使い方ってやつをな」
その言葉に、シュートは一瞬だけ顔を上げた。
だが、それ以上は何も言わなかった。
ただ、夜風がふたりの間を通り抜けていった。
彼らは特殊な能力を持っています。皆様は真似されないようお願いします。