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悪役令嬢に転生したら、お義兄様が断罪してきたのはヤンデレだったからと判明したけど、今は愛が重過ぎる。

作者: 鰯野つみれ


 私、日本人、ヤマモトミキ、性別女、23歳独身。

 最後の記憶はトラックにひかれたところ。

 そして覚醒を果たした今、鏡の自分の姿に呆然としているところ。


「え、このつり目グルグル縦ロール金髪ツインテって、『オルグレ』のヴェロニカじゃない……?」


 私は目の前の姿見を両手の指紋がべったりとつく勢いで覗き込んで、その「私らしき姿」を確認する。


 えっ、待って!?

 私ってば、あの悪役伯爵令嬢の「ヴェロニカ・ワージントン」に、転生しちゃってるの!?


 私はその事実に、何でか突然、お風呂上がり寝る直前のたった今、気づいてしまったのでした。


 ヴェロニカ・ワージントン、といえば、乙女ゲーム『聖獣オルグレンドと帝国の聖女』、通称『オルグレ』の悪役令嬢。帝国の第一王子・ユイルズの婚約者だけど、ヒロインかつ聖女のアミィの存在が許せなくて嫌がらせを繰り返して断罪される、定番の悪役担当キャラだ。


 断罪後は死亡エンドや、「平民落ちとお家断絶からの、人攫いに遭って以後消息不明」なんていう、生死さえも不明な不穏なエンドもある。


 ちなみに、彼女の義理の兄・ザカリーも攻略対象の一人だったりする。

 そのヴェロニカとザカリーは、あまり仲が良くない、という設定だった。


 ザカリーは元々、ワージントン伯爵家の遠縁にあたるアボット家から養子に入ったのだけれど、それを知ったヴェロニカは「女の子だから、お父様は自分に跡を継がせたくないから、年上の男の子の跡継ぎ候補を親戚筋から連れてきたのかも。自分は愛されていないのかも」と傷付いていた。


 そこに使用人たちの間でまことしやかに「ご主人様は、いずれヴェロニカ様とザカリー様を結婚させるつもりなのでは?」という噂が流れて。

 それで「私を利用してこの家を乗っ取るつもりなのか!!」と、ヴェロニカの中で一気にザカリーに対する警戒感が高まってしまった。


 さらに、ある日、ザカリーがユイルズ王子とその取り巻きたちに「彼女を妹だと思ったことはない」と言ったのを聞いてしまったことが決定打になってしまって、それ以来、ヴェロニカの中では「ザカリーに追いやられるくらいなら自分から出ていく!」という思いが強くなった。


 だからこそ、原作ゲームのヴェロニカにとっては、その計画が崩れる原因となったアミィが余計に許せなかったのだ。


 ――とはいえ。


 完全にミキの人格に目覚めてしまった私としては、特に「ユイルズ王子との結婚」には執着していないかなぁ……。


「むしろ殺されるぐらいだったら、彼との縁もなるべく早めに切っておきたいよね。アミィと張り合う気もないし」


 うんうん、と私は一人納得して頷く。


 結婚自体は、いつかこの世界の令嬢の義務として果たすとしてもさぁ。

 私的にはまだ死にたくないし。


 そんなことより、せっかく『オルグレ』の世界に転生したんだったら、まずは聖地巡礼したいよね!

 もし死亡エンドになるとしても、せめてその前に世界中を旅して回りたい!


 そう、この世界に転生したというのが確かなら、思いっきり堪能したい!!というのが、今一番の本音だ。


 アミィがユイルズ王子とのお忍びデートで訪れる帝都郊外のカフェ「エステランス」のふわふわパンケーキ二段重ね生クリームとフルーツ添えは食べてみたいし、聖女の試練を受ける「アミュラ神殿」の白壁に金の装飾が映える荘厳かつ優美な眩しさとか、ひと目も見られないまま終わるなんて、ありえない!!


 もっとこの世界がどうなっているのか、見てみたいもの!

 今ならゲームで見れなかったところも、じっくりと楽しめるのよね……!?

 前世でも旅行は大好きだったのよ!


「よーし、決めたわ!!ヒロインや攻略対象者たちには関わらない!早速、お父様には婚約の打診は受けないようにしてもらおう!」


 私はオタク特有の速さで判断を下す。


 グズグズしていると、萌えはなくなっちゃう!!

 グッズ販売もチケ取りも、初動がモノを言うのよね!!


 実はユイルズ王子との婚約前提の顔合わせの日が数日後に迫っていたりする。

 何も気にせずに参加予定だったけど、それって実は、すごく断罪フラグに近づいてしまう、恐ろしい状況だったりして?


 だったら、婚約成立前に転生に気付けたのは助かったかもしれない。

 あっぶなーい!!


「ここは全力で逃げの一手よね!!」


 ごめんね、ユイルズ王子。

 確かにイケメンではあるのだけど、悪い人ではないんだけど、でも、ユイルズは私にとっての最推しではなかったんだよね……。


 だって、私が一番萌えてたの、ザカリーだし。


 そうなんだよねぇ。

 よりにもよってミキの最推しが、ヴェロニカが一番、ツン極まった対応をするべきザカリーお義兄様、ってことなのだ。


「うーん、私にできるのかな、原作ヴェロニカっぽい怒り心頭ツンツンの演技。しかも最推しに対して?ええ~、無理じゃない?嫌われるようにするなんてさ」


 やっぱり顔を合わせて「いつものヴェロニカじゃない」ってバレちゃう前に、さっさと逃げるしかなくない?


 推しと絡めないのは残念ではある、けど、推しに不審な目で見られるのも、それはそれでかなり辛いじゃないの。


 ていうか、普通にザカリーの顔、真正面から見た瞬間に挙動不審になって萌え死にするに決まってるし、私。


 私はさっそくクローゼットをあけて、旅行用に良さそうな服や化粧品などをコンパクトにまとめ始める。


 さっすが伯爵令嬢。大量の服があるので、「この世界基準で悪目立ちせず動きやすそうなもの」をいくつか厳選することもできた。


「あっ、これ、ヴェロニカが平民落ちする時に着てた、町娘風のお洋服じゃないの!!元々持ってたものだったのね」


 クローゼットの奥、まるで隠すように掛けられていた、この世界の庶民用のドレスを私は手に取ってみる。

 ゲームでもとても見覚えがある衣装だ。


 原作のヴェロニカも時々はこれを着て、街にお忍びで出かけたり、していたのかな。


「うわぁ、せっかくだし、これを着て行こうかな」


 私はいそいそと着替えを開始する。


 豪華そうな他のドレスとは違って、これは私一人でも問題なく数分程度で着られる簡素な作りで、サッと着て外に逃げようとしている私にとってはかなり助かったかもしれない。

 動きやすそうだし。


 最後に、姿見の前でくるくる回りながら確認をして。


「あは。何だかコレ、コスプレみたーい、ウケる」


 私は思わず、笑ってしまったのだった。

 いや、本人が普通に、自分が持っている服を着ているだけなんだけどねっ!!


 そして平民ならお高過ぎてそうそう手に入れられないだろう「無限収納と軽量化」の魔法がかけられたバスケット、という、ゲーム内ですっごく高額な金満チートアイテムさえもクローゼットに置いてあったため、夜逃げするくらいの荷物を詰め込んだはずなのに、まるでご近所にでも出かけるかのような見た目で荷物がまとまってしまった。


「おっわ、すっご。異世界ファンタジー世界ならでは、って感じて面白ーい」


 実際にバスケットを手にすると、「この荷物の内容なら、大体このくらいの重さのはず」みたいな日本基準での「重さの感覚」が頭に残っているためか、とっても不思議に思える。


 最後に、「王子様との婚約はお断りして下さい。そしてヴェロニカはしばらく旅に出ます、気が済んだら戻ります」と書いた手紙もお父様宛てに用意して手を合わせておいた。


 ごめんなさい!!

「未来の王妃の父」の夢と出世は諦めて下さいね、お父様!!


 そして私は明け方を待ってからこっそりと屋敷を忍び出て、速攻で聖地巡礼へと旅立ったのだった。


 ……そういえば、ルートによってはお家断絶になるんだけど、何でお義兄様がいるのに断絶するのかしら?


 ゲームの中でヴェロニカを断罪する側に回っていた、ということは王子の側近で聖女とも親しいザカリーなわけだから、跡継ぎの彼がいるなら断絶することはなさそうなんだけど……。


 ヴェロニカが処罰されてからもう一段階、何かワージントン伯爵家に問題が勃発してたり?

 そこのところはゲームのシナリオでは明かされてなかったけど。


 とか何とか考えながらも、バスケットを片手に私は駅へと向かう。

 魔導列車に乗るためだ。


 列車の乗り方は、日本での切符買う乗り方とそんなに変わらないわよね?

 魔導列車に揺られながら、駅弁ならぬ異世界グルメ系の軽食でも食べてのんびり一人旅……いい感じじゃなーい。


 一度乗ってみたかったのよね。

 蒸気でもなく、電気でもなく、磁気でもなく、魔導力で動く列車ってやつ。


 想像すると楽しみな気持ちを抑えられなくなってきて、思わず「うふふ」と小さく忍び笑いを漏らしてしまう。


 まだ朝早いからか人通りは少なくて、朝特有の清らかな空気感が心地いい。

 朝焼け特有の柔らかい赤みの光を浴びながら、思わずスキップでもしてしまいそうな気分だ。


 けれども、その穏やかな静寂を壊すような音が段々と近づいてきた。


「ん、何、騒がしいな……」


 足を止めて、耳を澄ませてみる。

 近づくそれは、馬の蹄の音だった。

 それも、猛スピードで駆けている様子の。


 私は音の方に振り返って見て……。

 その漆黒の馬に乗っているのは、黒いフードがついたマントで顔を隠した男だった。


 え、あれ、私、このシーン見たことある。


「平民として放り出されて呆然と一人路上にたたずむヴェロニカが、なす術なく黒馬に乗った黒衣の男に拐われてしまう」という、スチルにもなっていたあのシーンに、ものすごく、似ている。


 え、まさか、ヴェロニカの「平民落ちからの人攫い」エンドの人攫いの人が、来ちゃったってこと!?


 しかも今!?

 なんで、まだ私平民になってないタイミングなのに、もう拐われちゃうの!?


「はあああ!?やだ、そんなっ、まさか、ここでバッドエンドってこと!?」


 まだ何の名所も見れてないのに!?


 私は逃れようとしたけれど、馬の方がずっと早かった。

 背後から掬い上げられるように抱えられて、ふっと地面を踏みしめていた感触が消える。


 ふぎゃっ!?

 私、浮いてる!?


 その代わり、腰・背中・脇とがっしりとした腕に支えられていて。

 そのままドサッ、と馬の背中にたどり着くことになった。


 やっとこさ目を開けたその視界、ものすごい速さで地面が流れていく。

 それに、馬ってこんなに目線が高いの!?


「ひぇ……っ」


 乗馬なんて、日本にいた頃は幼稚園児だった頃に触れ合い体験コーナーでパカパカと歩く背中に乗って二百メートルほど引いてもらったくらいだったのよ!?

 この世界でだって、馬車にしか乗ったことなかった。


 いや、無理無理無理っ、こんなの怖すぎるってば…!!


「う、嘘でしょおぉぉぉ………!?いやーっ、何てことするのよぉっ、放してよぉぉぉ!!」

「っ、待て、そんなに暴れるな、落ちる!」


 パニックを起こして半狂乱になりかけた私。

 だったのだけれど。

 耳に届いた声が、覚えにあるもの過ぎて、私はピタリと暴れるのをやめた。


「え……」


 知ってる。

 今の声は。

 間違いない。


 だって私、何回も『オルグレ』は周回したんだもの。


 特にこの人のルートは、細かいイベントも逃すことなく念入りに……。

 だって、一番好きなキャラだったから……。


「ザ、ザカリー、お義兄様……!?」


 私が口にした通り、彼は紛れもなく「ザカリー・ワージントン」、その人だった。ぱさりと、フードから隠されていた顔が露になって、もはや疑いようがなかった。 


 おわああああ、ザ、ザカリーじゃないの……!!

 あああ、やっぱり実物も、ものすんごくイケメンだわぁぁぁ!!


 視界に姿を捉えた瞬間、まるでキラキラと光り輝いて見えてしまう。

 ゆるりと馬はスピードを落として止まり、お義兄様はこの手や腰を取るようにして私を優しく地面に下ろしてくれる。


 ええっ?

 待って、どういうことなの!?


 スチルで見た通りの黒っぽい服と黒い馬だ……。

 ということは、「人攫いヴェロニカエンド」のあの人攫いは、お義兄様だった……!?あれは「平民になったヴェロニカをザカリーが連れ去る」エンドだった、ってこと……?


 いや、それも気になることだけど、ザカリーが追いかけてきた、何で!?

 しかもあれだけこっそりと屋敷から逃げたはずだったのに、こんなに早く見つかっちゃったなんて……!!


「あああ、あの、お義兄様、一体、何でっ……!!」

「令嬢の一人旅なんて、義父上が許すはずがないだろう?」


 つまり、かなり早いタイミングでお父様に屋敷からの脱出を悟られてしまっていた、ということらしい。

 うーん、残念……。


「……俺だって許さない」


 残念、と吐息をついたところで、突然、ぎゅっとその両腕の中に抱き締められてしまった。

 そのため、さっきの恐怖とは全く違った意味で心臓が止まりそうになる。


「ふぇっ!?」

「よかった、何事もなくて」


 ふうっ、と吐き出したその息は、本当に心配の感情がこもっているものに感じた。

 腕の力の強さも。

 これは、演技ではないと思う。


 え、すごく心配されてる?

 元のゲームのヴェロニカとザカリーって、こんな抱き締め合うような仲だったっけ?もっと険悪だったような…?


 そもそも、本編での展開を考えると、わざわざザカリー本人がヴェロニカのために行動するなんて思えない。


「お父様に連れ戻すように言われて、来たのですか?」

「それもある。が、聞きたいこともあった」


 だから私はこう尋ねたし、実際、頼まれて来たのも、確かみたいだ。

 けれど、ザカリーとしては単にそれだけではなかったらしい。


「俺が家を継ぐなら高位貴族の殿方と結婚して早々に家を出る、あなたは昔からそう言っていた。相手がユイルズ王子なんてうってつけだろう?なぜ急に態度を変えた?」


 訊かれて、私はウッと言葉に詰まってしまう。


 や、やっぱり、以前のヴェロニカのキャラや言動と一致しなかったから、不審に思われちゃってるんだわ。


「あ、ああー、そうですわね。たしかに、以前はそう言っていましたわね。お義兄様のお嫁さんが来られたら、わたくし邪魔ですものね」


 私はわざと原作のヴェロニカらしい、ツンとした言い方を選ぶ。


「っ、邪魔など……っ、俺はそんなつもりは!」


 そうすると、そうそう、こんな、感じ。

 ちょっと煮え切らない感じで、でも「違う」ってザカリーは慌てて言うもんだから、「邪魔なら邪魔と、本当のことを言えばいいものを!」とますますヴェロニカはイライラしちゃうんだ。


「いいんですのよ。わたくしのことはどうとでもなるでしょうし、お気になさらずに。アミィ様のところにでも行かれたらよろしいのでは?」


 ツンツーン、と私は続けて、本作のヒロインのアミィの話題を口にする。


「アミィ嬢?なぜ?」


 すると、何でか、お義兄様はきょとんとその首を大きく傾げた。

 それが本当に心の底からの「なぜ?」という口調だったから、私も同じくらい「なぜ?」とこの首が傾いてしまう。


「なぜって。お好きなんでしょう?彼女を」

「まさか。誰がそんな噂を?」

「え、違うのですか?」

「……全く違う」


 何でか、お義兄様は私の問いに、ムッとしているように見えた。

 それはゲームでザカリールートをしっかりと見たミキの視点でも、義理の兄妹として見たヴェロニカ視点でも、認識したことがない感情表現だと感じた。


「勘違いでした……?あら、それなら、申し訳ありません」


 あまりにも不本意だと言いたげな表情だったから、私は思わず頭を下げて謝罪する。


 ……どういうことなのかしら?

 彼女はお義兄様とのフラグを立てていない、ということ?

 それか、他の攻略対象狙いだったのかしら?


「ヴェロニカ。俺はあなたのことを邪魔だと思ったことは、一度もない」


 疑問に気を取られている間に、至近距離に近付かれていた。

 真剣な顔つきで見つめられてしまって、ドキ……と自然と胸の鼓動が大きく鳴る。


 うわ、やっぱり、推しかっこいいわ……。


 ううーん、ヴェロニカはザカリーのこと苦手だったみたいだけど、私は本当に、攻略キャラの一人ですごくかっこいい男の人なんだなあ、って思ってしまうなぁ。


 何だかんだ『オルグレ』はもちろん、たくさんの乙女ゲームを楽しんでいたわけだから、基本イケメンキャラは好きだし、ヒロイン目線での「少し影がある、落ち着き大人めタイプの攻略対象」としてのザカリーに萌えもしていたわけだし。


 こういうの、普通にドキドキしちゃうよなぁ。


 でも、私は原作のヴェロニカらしい、ツンツン高飛車な演技を必死に頑張ることにする。


「そ、そんなこと、今さら取り繕うように言われても。困りますわ、お義兄様」

「取り繕ってなどいない」


 信じてくれないのか、と言いたげにこの肩を掴まれてしまう。

 その表情はひどく切なげだ。


 うぅ……。

 やっぱり、上手くできないぃ。

 むしろ取り繕っているのは私の方だしね!!


 だめ、ザカリーの顔面が好みすぎるぅ。

 ヴェロニカの立場なら、もっとお義兄様にはツンな対応するべきなのに。


 あーっ、近過ぎ!!

 こんなのダメだよ、ときめいちゃう……。


「邪魔なのは、むしろ俺の方だと思ってきた」


 行き場なく視線を漂わせる私とは違って、彼はじっと私を見つめ続けていた。

 こう呟いた時も。


 スッと跪いて、お兄様は私の手を取る。


「ヴェロニカ嬢。俺はあなたを愛している。まだワージントンになる前、ザカリー・アボットだった頃から、ずっと。親戚筋のパーティで、家族と王都から来たあなたに初めて会った、その時からだ。一目惚れだった」

「ほえっ!?」


 思わず変な声が出てしまっていた。


 えええ、「ヴェロニカ嬢」なんて、今まで一度も呼ばれたことなかったんだけど!?

 原作ゲームでもそんな場面なんて、なかったんだけど!?


 しかも、あああ、「愛している」って言ったよね!?


 それはザカリーがアミィにしていたあのプロポーズのスチルの絵とは、全く違っていた。


 お城の舞踏会の日に、美しく整えられた中庭の東屋で、伯爵令息らしく「俺はその立場にふさわしくあろうと常に努力し続ける者のことは、いつも好ましいと思っているよ。そしてその人が立場を失うようなことがあれば、全てを捨ててでも、一生をかけて支えたいと思っている」と情熱的に語り、立ったままアミィの手を取るザカリーのスチルは、本当に余裕があって大人の男の人で、どこまでも優しくエスコートして導いてくれそうで、かっこよくて、作画も最高で。


 けれど、ここは整えられた貴族街ではあるものの道端であり、私を追って取るものもとりあえず駆けつけました、という状況だからこそ、髪や服だって乱れてしまっている。


 その上、ヴェロニカの前にいるザカリーは跪いていて、不安そうで、余裕なんて欠片もなくて。

 指先なんて、少し震えてもいて。


 でも……そのかわりに、ヴェロニカへの執着だけは、何よりも強く、そこにあった。


「あのパーティーは親戚の子供たちの中からあなたと相性が良さそうな男子を見繕う、そういう場でもあったんだ。将来女伯爵になるヴェロニカ嬢の婚約者を一族から探す、そういう名目だった」


 そして私は、それまでミキである私もヴェロニカである私も知らなかった情報を、ここで知る。


「女伯爵?私が?お義兄様を伯爵として迎えるために選定した、お祝いのパーティ、というのではなく?」


 この点について、お父様もゲーム公式も、何も説明してくれていなかった。

 だから、私はすっかりそうだと思っていた。


「伯爵になれるだけの血の正統性は俺にはないんだ。アボット家は傍系でしかないから……」


 言い切るお義兄様。


 そうか、だからお兄様が継ぐことはなく「ヴェロニカという跡継ぎ」が不祥事を起こしていなくなったワージントン伯爵家は断絶する、ってことだったんだ――


 私はヴェロニカとしてのパーティでの記憶を思い起こす。


 あの日、とてもヴェロニカは不機嫌だった。

 知らない男の子たちがたくさん話しかけてきて、その両親も話しかけてきて、逆に、いつも仲良く話す子も含めて女の子たちは少し遠巻きに見てきて、「何だか嫌な感じ」だった。


 お父様がぴったりと隣にいて守ってくれていたから、何もトラブルは起こらなかったのだけれども。


 おそらく、「うちの息子の子が未来の伯爵かも」みたいな過剰な期待や「女の子なのにヴェロニカ様だけは特別扱いなのね」みたいな白けたドン引き感が蔓延していたんだと思う。


 頭の中にある記憶とミキの中のゲーム情報、その後の思い出せる親戚関連のヴェロニカのエピソードを思い起こしてみると、あのパーティは確実に彼女が一族の中で孤立していくきっかけとなっていた。


 その時期、「男子がいなかったはずの親戚にまで、養子の男子が増えていた」。


 だからこそ、分家筋からの乗っ取りを恐れたヴェロニカは、どんどん警戒心を強めていったんだ……。


 思い起こすことに集中しているうちに、取られた右手の指先に、お義兄様の唇がそっと触れていた。


「ひうっ……!?」


 待って、変な声出る!!

 これ、ゲームを見ていた時の野次馬気分とは全く違うんだけど!?

 あわわ、ザカリーの、息遣いとか、くくく、唇の感触とかが、私のゆび、指先にっ……!?


 それは先ほど言われた「愛している」を示すような、慕う令嬢にするようなもので、妹への扱いとは完全に違っていた。


「ふ……。やっと、兄妹としてではなく、ただのザカリーとして、この想いをヴェロニカ嬢に伝えられた」


 微笑みと共に漏れたザカリーの声。

 吐息混じりのそれは心の秘密をようやく吐露できて、少し安堵した口調だとも、ザカリー推しオタクとしてのミキの意識は感じる。


「初めて見たあなたは俺よりも年下のはずなのに、その場にいたどの令嬢よりも凛としていて、美しくて、俺は生まれて初めて恋をしたんだ」


 あの浮かれきった会場で、ザカリーたった一人だけが身分ではなく、ヴェロニカ本人を見て恋していたのだと言う。

 取り入ろうとか、白けているとか、そんな気持ちではなく。


「多くの令息たちが親に促されてあなたを口説こうと駆け寄る中、俺だけがあなたを見つめたまま、その場に立ち尽くして動けなかった。アボット家の両親もさすがに驚いていたよ」


 ザカリーが言う通り、ヴェロニカの頭の中に、パーティ当日のザカリーに関する記憶はない。

 それは逆に「ヴェロニカに無礼な声掛けはしなかった」ということの証明かもしれない。


 だってヴェロニカ、「パーティで会った〇〇家のあの子と、××家のあの子と、△△家のあの子、すごく嫌だったわ」なんて、嫌な気持ちにさせられた男子の名前は全て、速攻でお父様に報告していたものね。


 つまりお父様の「息子選び」の審査はその時点で既に始まっていた、ということなのだろうけれど。


「あなたの夫選びの件を聞いたのはパーティ後だった。アボット家としてはその時点で養子に出す予定はなかったようだが、恋煩いで腑抜けていた俺を見かねて教えてくれた。それで、俺は奮起して……そして、運良く俺が選ばれた」


 思い出しながら当時を語るザカリーの顔には、ふわりと優しい微笑みが浮かんでいる。

 選ばれた、まさにその時の喜びがよみがえったかのように。


「何人もの令息たちの中から俺、たった一人が選ばれて、嬉しかった。これで好きなだけ一緒にいられると思って。君の隣を首尾よく手に入れたと思って。ただ、あなたはそんな俺の邪な気持ちを見透かしていた。警戒されても仕方がない」


 彼はそこで笑みを消して、少し恥じたようにこう言ったけれども。

 見透かしていたから、というのは、さすがにヴェロニカのことを買い被り過ぎな気もする。


 あれは完全にただの嫉妬だったのだから。


「それ、は……お父様は、私よりもお義兄様を跡継ぎとして認めたんだって、あの時は思ってしまったから……」

「それは違う。跡継ぎとしての実力を認められているのはあなただ。あの時も今も、変わらずお義父様はあなたを愛している。でなければ、私に何をおいても早急に探しに行け、傷一つつかないように守り切れ、などとは言わない」


 ヴェロニカが長年抱き続けた不安を、ザカリーはその台詞で一蹴する。


「お父様が、私を愛して……?」


 思わず呟いたのは、ミキとしての意思よりは、ヴェロニカの意思の方で。

 自然と、ポロリと涙が両目から溢れてくる。


「そうだ。自分は大切な一人娘を、家出するほどに追い詰めていたのかと、悔いていらした。亡き妻に顔向けできないと」


 お父様は、ヴェロニカを、愛している。

 お母様のことも。


 この熱い涙を、両手のひらで受け止める。

 これは私の心の中の幼いヴェロニカが、泣いているのだと感じた。


 ヴェロニカは長年、ずっと寂しかったのだ。

 ことあるごとに「愛しているわ」と抱きしめてくれた大好きなお母様を病で亡くし、お父様にはあまり構われることはなく、突然に現れた養子の兄は、自分を押しのける敵にしか思えなかった。


 私はゲームでミキとして見た記憶、そしてヴェロニカの記憶、両方のお父様を思い起こした。


 お父様はお母様が亡くなって以降、いつも忙しそうで、ヴェロニカに対しても、一見無関心で。


 でも、呼び寄せられた各専門の先生方経由で、とてもしっかりと厳しい教育を課せられていたと思う。

 ふさわしくない言動をすると、どこで話を聞いたのか、後で必ずキッチリと叱られた。

 令嬢としての教育だけでなく、跡継ぎの長男が学ぶような領地経営についてもヴェロニカは勉強していて、それは「未来の王妃として嫁がせるために違いない」とヴェロニカは考えていた。


 でも、本当は「女伯爵として恥じないように」という目的での教育だった?

 最初からそうだった?


「私は、ちゃんと、愛されて……?」

「お義父様も、お義母様も。そして俺も。みんなちゃんとヴェロニカ嬢を愛している。信じて、欲しい……」


 抱いてくる腕の強さで、ザカリーはその事実を伝え切ろうとしてくる。

 思い込んでいた全てが覆された状況に、ヴェロニカは、私は、ただ茫然と涙を流すことしかできない。


 愛してくれる母はすでになく、父は無関心で、義兄には邪魔者と思われている。

 そんな不幸な娘なのだというのは、ヴェロニカの勘違いだったのだ。


 そうだわ。

 そもそも、初めてパーティで引き合わされた時のまだザカリー・アボットだった頃の彼も、義兄としてワージントンの屋敷に来たばかりの彼も、ヴェロニカに対して敵対的な態度を取っていたわけではなかった……。


 私の頭の中に、あるイメージが思い浮かぶ。

 それはミキが日本で見たゲーム映像ではなく、ヴェロニカ本人としての記憶の中にあるもの。

 ザカリーが初めて養子、つまり義理の兄として屋敷にやって来た時の記憶だ。


 恥ずかしそうに頬を赤らめて、もじもじと挨拶をしてきたザカリーのその手を、必死に泣くのを我慢しながらも、払いのけたヴェロニカ。


 だって、お父様が仕事の合間を縫って久しぶりに帰って来たから、「やっとふたりっきりで一緒にいられるのね」って嬉しく思っていたら、お父様ってば、ニコニコと笑ってザカリーのその肩に手を置いて彼を養子として迎える話をしてくるものだから、とてもショックだったのだ。


 あのゲーム原作の、ずっと周囲に当たり散らすような態度を繰り返していたヴェロニカも、本当はただ愛されたいという一心であがいていたのかもしれない。

 王子様とか、ヒロインとか、本当はどうでも良くて。


 お父様に「娘として大事で有用で必要だ」と思ってもらうことで愛されたかったからこそ、ヴェロニカは「未来の王の母」という名誉ある立場にこだわったのかもしれない……。


「ヴェロニカ嬢、どうか泣かないでくれ」


 耳元、宥めるザカリーの声も震えているように聞こえた。


 今回は我慢することなくポタポタと落ちる涙を、いつの間にか彼の指先が拭ってくれていた。

 下まぶたに触れる感触がひどく優しくて、けれど、もう昔の、原作の何も知らないヴェロニカのようにその手を乱雑に払いのけることなんて、私にはできなかった。


「俺のことは、今も嫌いか?二度と顔も見たくないと思うくらいに?」


 屋敷での義兄としてのザカリーとの初対面のあの時、「あなたなんて大嫌いよ!!」と口走った。そして「もう二度と顔を見せないで」とも言ったと思う。

 きっとその事を彼は言っているんだろう。


「き、嫌いだとは、思っていないわ。今は……」


 嫌いだ、と言い切るための理由は、もはや消えてしまったものね。


「婚約者候補としては?」


 けれど、その次の問いには、上手く応えられなかった。


 そう、さっきの話の流れで、本来はそういうことでザカリーがワージントン伯爵家に引き取られてヴェロニカの義兄となったという、その経緯自体は分かった。

 けれど。


「そっ、そんなの……分からないわ。考えたこともなかったもの」


 確かに「ザカリーとヴェロニカの結婚」という話は当初から屋敷で噂になっていて。

 でもヴェロニカは家を乗っとるのが目的と警戒していたから、結婚なんて考えたこともなく。


 そして、今の……ミキである私だって、リアルに考えることではなかったのだ。

 あくまでもそれは二次元のゲームの中だけ、都合がいい妄想でしかないと思ってきたのだから。


 目元の涙を拭っていたはずの彼の手が、スルリとほっぺたを撫でる。

 それはただ、泣いている妹をなだめるやり方のように思える。


 けれども、震える唇にも、その指は触れてくるから。

 これは兄としての触れ方ではない、はず……。


「一欠片も俺に応える気がないのなら、そんな顔をしてはダメだ、ヴェロニカ」


 その感触を心地いいと感じている事実を、私は彼に知られてしまった。

 そんな私の反応に喜びを感じているらしい、彼の気持ちも、私に伝わる。


「ほんの少しだとしても、望みがあるかもしれないと、縋りたくなるだろう……?」


 それはさも義兄らしく優しく諭すような口調や手つきなのに、何かその先に一歩踏み越えてしまいそうなのを、必死に踏みとどまっているような台詞だった。


 もう一度私をぎゅっと抱きしめてから、お義兄様は意識して、あえて離れる。

 離れがたいと思ってしまった、そんな、自分に気がついてしまった。


 それはヴェロニカの気持ちなのか、それとも、日本人・ミキの気持ちだろうか。


「俺と一緒に屋敷に戻ってくれるか?」


 こくんとうなずく。


「あなたを愛し続けることを、許してくれるか?」


 また一つ、うなずいて返す。


 すると、手を差し出された。

 それはこの手を取って欲しいと、まるで強く願いが込められているような指先だった。


 ああ。

 たしか、初対面の時の挨拶で、ヴェロニカが差し出された手を払いのけたあの時も、ザカリーはこんなに不安げな泣きそうな顔をしていた……。


 初めてこちらから彼に手を伸ばして、触れる。

 途端、強めにぎゅっと握り返されて。


「ありがとう。さぁ、帰ろう、屋敷に」


 彼が、微笑む。

 ひどくくすぐったそうな顔で。


 それを、今までにない気持ちで見つめてから、私はとんでもない勢いで自分の胸の鼓動が鳴り響いていることを悟りつつ、ただその手を同じくらいの強さで、握り返した。




 ◇◇◇◇◇




 今日は前々から私が「何をおいても行きたい」と宣言していた、『聖獣オルグレンドと帝国の聖女』における超絶重要名所である「静寂の湖」へ、お義兄様とピクニックに来ている。


 木漏れ日を反射した水面はキラキラと輝いて、この目に眩しい。

 ごくたまに魚が跳ねる音が、その静寂を破るように小さく響く。

 水音と共に魚の長い背びれと尾びれがひらひらと薄青く光って、またそれも何とも言えず美しいのだ。


 ヒロインのアミィはこの湖で聖獣オルグレンドと遭遇するのよね。

 全ての物語の始まりの地が、ここなのだ。

 ゲームでの湖のスチルがすごく美しかったから、絶対来たかったの。


 私が「たとえ一人でも、絶対行くんだから!!」と宣言したために、お父様とお義兄様が馬車を手配してくれた。

 今回は侍女や護衛もしっかりついている状態だ。


 あれ以来、お義兄様もお父様もすっかり過保護になっちゃったのよね……。

 日本でやっていたような一人歩きは完全に禁止されてしまった。


 そして、お義兄様は、私が突如駆け出して離れてしまわないように「常に私の体のどこかに触れている」という状態になってしまった。


「あーっ、あそこはラストバトルの舞台になる、王都の地下闘技場の隠し通路がある、水門の裏口の……!!」などと、萌えに錯乱して駆け出すことを何度も繰り返してしまったからよね、うん……。


 今も。

 お義兄様の手は私の頭を撫でたり、ドリル状ツインテの毛先を軽く引っ張ったり、手櫛で梳いてみたり、好き勝手に私に触れている。


 ザカリー・ワージントンは、実は義理の妹のヴェロニカのことが昔から大好きで、特に髪の毛の、クルクルのツインテの縦ロールがぽよぽよと揺れるのが好きで、いつかそれを好きなだけ弄り倒すのが夢だった、らしい。


 し、知らなかったなぁ……。

 いや、たまにすごい勢いで凝視されてるのは、ヴェロニカ本人にも分かってたんだよね。


 ただ「やっぱりわたくしを嫌ってるのね、また睨まれてるわ」って彼女は思い込んでいたわけで。

 お義兄様のあの熱心過ぎる視線は、完全に裏目に出ていたみたいだ。


 うーん、ちょっと不憫。


 でも、もうミキである私は全てを知ってしまったので、こうして熱心に触れられると、くすぐったいような嬉しい恥ずかしい気持ちが止まらなくなる。


 さも満足そうに触れながら、途中で私のいたたまれないような恥じた視線に気づいて、けれど決して止めることなくにこりと笑いかけてくる。

 さらに見せつけるみたいにわざと髪の先にキスを落としたりして。


 そうやってこちらの表情の変化まで追われてしまうと、私も意識せざるを得ない。


「もう、お義兄様、さっきからそんないじわるばっかり……」

「焦らされたみたいに思ってしまったか?」


 睨んで呟くと、クスクスと笑われてしまう。

 だから、私はプイッと視線をそらして、すっかり拗ねた顔になってしまう。


「っ、知りませんわ、そんなこと……」


 分かってるくせにわざと焦らすなんて、ひどい。

 私から言わせたいみたい……。

 髪以外のところにも触れて、って。


 私がヴェロニカとして「前向きに将来の夫として考えてみる」と返事をして以来、お義兄様はこういうふうに積極的に触れてくることが増えた。

 もう今の私はその手を決して跳ねのけはしないと、彼が知ってしまったからだ。


 さすがに「今後は名前を呼んで欲しい」という彼の希望には、まだ応えられてはいない。


 そんなことしたら、恥ずかし過ぎて萌え過ぎて、そのまま蒸発してしまうかもしれないじゃないの。

 もうしばらくは「お義兄様」呼びで何とかしのぎたい。


 その分、あちらから「ヴェロニカ」と呼んでくる時の声が、とんでもなく甘くなったような気もするけれど……。


「ふ……分かった、降参だ。怒らせたいわけじゃないからな」


 お義兄様は忍び笑いをしながら、今度は私の頬や目元に触れるだけのキスをする。

 何度も、まるで私の心をなだめるみたいに。


 ふええ、どうしたらいいの、こんな自分からグイグイ来るザカリー、原作でも見たことないんだけど!!

 こんなのますます深みにはまっちゃうじゃない……!!


「怒ったヴェロニカも、とても可愛いが」


 ただ、耳元で低めのイイ声で囁かれたこれは、少し頂けないなぁ……。

 彼が本心からそう思っているんだって、分かってしまうから。


 だって、恥ずかしさで反射的に怒りの反応をしてしまったヴェロニカが睨みつけてくるのを、彼はちょっと期待してるのよね。

 心から嬉しそうに穏やかに笑うヴェロニカだけじゃなくて、烈火のごとく怒るヴェロニカも、彼女が自分に向ける感情の全てを、ザカリーは独り占めしたいんだもの。


「……怒らないようにあえて我慢しているのも、それはそれでいいな」


 あっ、しまったっ。

 やっちゃったわ。


 そうは問屋が卸さないわよ!!と黙ってやり過ごそうとしたはずが、さっそく楽しませてしまったらしい。

 直後、思わず眉間のしわを寄せて「つい怒りの顔になってしまった」ことも引き続き堪能されていると思う。


 ふふっ、と耳元にかかってくる彼の息が震えている。

 その笑うのを我慢しようとしているところが、余計にこちらの悔しさを刺激してくれる。


 うっ、どう転んでも喜ばせてしまうパターンだったわ……。

 筋金入りってこういうことをいうのね。


 そんな攻略サイトにも書かれていなかったザカリー・ワージントンの本性をどっぷり知ってしまった私だったが。


 だからこそ、最近は原作ゲームのヴェロニカとザカリーのことを、時々考えてしまっていた。

 とりわけ、例の「平民落ちからの、ザカリーに攫われたヴェロニカ」エンドの二人のことを。


「ねえ。お義兄様。もし私が婚約者になった王子様に入れあげた結果、ものすごく悪いことをして、断罪されて平民に落とされたりしたら、どうしてた?」


 頬に触れるキスのくすぐったさに目を細めつつも、私は直接、「隣にいるザカリー・ワージントン」に訊いてみることにする。

 原作のザカリー本人の思考に一番近い回答が返ってくるはずだと、期待して。


「しないだろう、そんなこと」

「もしもの話よ」


 何をあり得ないことを、と言いたげな顔をしているお義兄様だけど、「実際にやってしまったヴェロニカ」の物語を私は知っているのだ。


 お義兄様は少し真面目に考える顔つきになった。

 その間、数十秒ほど沈黙していた。


「……そうだな。きっと王子のことばかりのあなたに嫉妬してわざと王子から婚約破棄させるように動いてから、自分も平民になって馬だけを連れて、路頭に迷うあなたを攫いに行くと思うな」

「婚約破棄、させるの?」


 断罪じゃなくて、婚約破棄?


「そう。今度こそあなたを手に入れようとして、俺のこの手だけしか取れないような状態にわざと仕向けたかもしれないな。そして二人で国を出て、どこか俺たちを誰も知らない土地で暮らすんだ」


 えっ……?

 ザカリーは嫉妬で、ヴェロニカとユイルズ王子との婚約を破綻させるためだけに、あえて断罪に参加するってこと?

 ゲーム本編でも、実はそうだった?


「俺以外の、他の誰にも渡さない。触れさせない。たとえ王子という立場でも。ヴェロニカ、どんなにあなたが他の男を望んでも、俺を嫌って泣き叫んで逃げようとしても、絶対に許さない。あなたと共にいられるためなら、俺は手段を選ばない。たとえこの想いがあなた自身を苦しめるとしても、離れる気はない。パーティで出会ったあの瞬間、俺は一生、あなたの隣にいるためなら何でもすると決めたんだ」


 顔のあちこちにキスが降ってくる。

 囁き声が甘くて重くて、本当に逃げられそうになくて……。

 実際に両腕で閉じ込めるみたいに抱きしめられていて、身動きもできなくて……。


 く、苦しい。

 それに。


「どうしても俺と生きられないというのなら、一緒に死んでもいい、あなたが望むなら、それでも……」


 う、うん?

 待って?


 何かこの人、ものすごいヤバいこと、口走り始めてない……?

 それって、ヤンデレの人の反応みたいなんだけど?


「いえ、待って、死ぬ気はないから」


 私は妙な方向に行ってしまいそうだったお兄様の台詞を強めにぶった切る。

 すると、何でか、いやにキラキラとした希望に満ちた視線で、お義兄様は私を見つめてきた。


「それは、俺と共に生きてくれるという……!?」

「ええ、それは、まあ」

「ヴェロニカ……!!ああ、生きよう、共に寄り添い長く生きて、幸せになろう……!!」


 ――ううーん、腕の締め付けが更に苦しくなってしまった。

 重苦しいなあぁ、愛が。


 でも、これまでの彼の数々の重ったるい言動を思い返してみると……。


 私は過去を思い出し、たった今目元に触れている唇の感触や髪を撫でる指の感触の濃厚さについても考えて、とうとうその結論を認めるしかなくなる。


 あっ、ヤンデレだわ。

 間違いなくそうだわ、この人。

 ただ単にゲームのシナリオでは隠れてて、見えなかっただけだわ。


 まさか本当に、あのザカリーにヤンデレ設定があったなんて。


 そんなの攻略サイトのどこにも載っていなかった。

 きっと『オルグレ』ファンの中でも私だけにしか辿り着けなかったことなのかもしれないわ、これ。


 あの「ヴェロニカを妹とは思ってない」っていうのも、まさか、「好きな子だから」とか「あくまでもワージントン家を継ぐのはヴェロニカで、その婿の立場でしかないから」とか、そういうことだった……?


「じゃあ、お義兄様。もしさっきの『例えばの状況』になって、そんなふうに思って行動したお義兄様に攫われた後のヴェロニカは、少しでも心安らかに生きられるかしら?」


 私は続けて問う。

 実際のところは、分からないと悟りつつも。


 ゲームのシナリオの中でも製作側へのインタビュー記事でも、「断罪後の悪役令嬢」のことには全く触れられていない。


 自分を攫った相手の顔を見た瞬間、ヴェロニカは一体、何を思うんだろう。

 驚きと困惑の後に訪れる気持ちは何だろう。


「元々大嫌いな上に、聖女に寄り添って自分を断罪することに手を貸していた義兄」への激しい怒り?


 それとも、「何もなくなった自分の味方になり得るかもしれない、貴重な身内」への安心?


 それとも、もっと……別の気持ちだろうか。


「当然だ。そうなっても、俺は俺にできる限りの力で、あなたを幸せにするためにと動くはずだからな。どんなに時間がかかるとしても、絶対に諦めない」


 応えたお義兄様の両腕は私の背中に回されて、ぎゅっと強く抱き寄せられる。

 絶対に逃がさない、離さない、とでもいうように。


「そう……そうね。お義兄様なら、そうするわね」


 温かい胸に頬を寄せるようにして、私はこの目を閉じる。


 あの分岐の先のことは、何も分からない。

 けれど、絶対に諦めないこの人がヴェロニカに寄り添うことで、何か一つでも変わることがあって。

 そしてせめて少しでもそのルートの彼女が幸せになれていたらいいなと、どうしても私は願ってしまう。


 それはこの「静寂の湖」という場所の特性でもあるのだろうか。

 聖獣が暮らすこの場所は聖気に満ちていて、ここにいるだけで強く敬虔な気持ちを人の心から引き出すのだ。


 ばしゃん、とまた小さく魚が跳ねる音が響くのを、私はじっと、静かに聞いている。

 閉じたまぶたの向こう、それでも神秘に満ちた聖地の輝きの青は隠せない。


 静寂の中、他に聞こえているのは、私とお義兄様の、いつもより少し早くなっている鼓動だけ。


「とても静かで、落ち着くわ……」

「ああ……。俺も、とても安らいでいるよ、ヴェロニカ」


 耳元に響く声も穏やかで、彼も同じ気持ちでいてくれているのだと、伝わってくる。


 ――こうして今、私の心が、彼の腕の中でとても安らいでいるように。

 あの原作ゲームの「攫われルート」のヴェロニカの未来も、ザカリーと共にある、穏やかなものであったならいいな。


 ミキであり、同時にヴェロニカでもある私は、今、心からそう思っているのだった。









(おわり)


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