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自転車で積乱雲を目指す

作者: とある1192

 今、自分は自転車を漕いでいる。

 真っすぐに伸びる国道を西へ西へ西へ。

 少しずつ、国道の道幅は狭まっていき、横を抜けていく車の数は減っていく。

 上り坂が見えてきた。自分は立ち漕ぎになり、尚もペダルを蹴っていく。

 まだ、目的地は見えない。この坂を上り切れば見下ろせるだろうか。


 今、自分は自転車を漕いでいる。

 青白い日の光が痛く体に突き刺さる。


 痛い。痛い。痛い。


 という自身の体からの声。

 しかし、この声は果たして自分の体からなのか。

 ペダルを踏み続けて、疲労困憊となったふくらはぎからなのか。

 熱い空気を飲み込み続けた肺からなのか。

 前傾する体を支え続けた、背中からなのか。


 いいや。違う。

 この痛みは心の痛みだ。

 青白い日の光が突き刺さっているのは心の芯だ。


 あの、巨大に膨張を続ける積乱雲を目指せと心が叫んだ。だから、自転車で積乱雲を目指している。

 暖色の光のみが照らす自室。わが心の安息の場所。

 そこからとび出た自分が唯一持つ、体も心も乗せてどこまでも行ける乗り物。それが自転車。

 だから、自転車で積乱雲を目指す。何とも豪気なことだ。


 しかし、自分が本当に目指しているのは積乱雲だろうか。

 この青白い光は、本当に日の光だろうか。

 あれ程までに、積乱雲という自然現象は雄大で彼方向こうに在っただろうか。

 これ程までに、日の光は痛く、しかし心地良いものだったろうか。

 本当に自分が目指しているものは、別のものではないか。

 今、自分の体が感じている物理的な情報と、今、自分の心が感じている情緒的な情報は、必ずしもリンクするものではないのではないか。


 何度か、積乱雲に夢を見たことがあった。

 何度か、日の光に憧れを抱いた時があった。

 しかし、それは本当に自分が求めていたものではなかった。

 自分は、何も考えていなかったし何も知らなかった。

 自分が自分に向けて使う言い訳を幾つもつくった。自ら飛び込んでみて、大きな怪我をした時もあった。何もない虚無の空間に辿り着いた事も少なくない。


 そうだ。自分は……私は。

 私は概念に憧れを抱いたのだ。

 偶像を崇めていたのではない。虚像を信じていたのだ。


 そうか。だから、私は自転車で積乱雲を目指すのだ。

 そうさ。であるから、日の光を青白いなどと形容したのだ。

 辿り着けなくてもいい。

 いつまでもどこまでも、抽象的で答えのない積乱雲。

 そんな、概念だけの存在に向けて、まだ、私は自転車を漕ぎ続ける。

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