なんばー7 不可能は可能にならない。
ものすごい不安を感じつつ、私はとある公園の噴水の前に立っていた。
流石東京のど真ん中。
人通りは多く、ガヤガヤと人々が行き交う。
待ち合わせとしてよく使われている場所なのだろう。顔を青くして立つ私の周りに数人スマホをいじりながら座っている若者がいる。
今の気持ちは? と聞かれたら『最悪』と答える。
虫歯ができて歯医者に行き、自分の名前が呼ばれるまでの短い猶予に白い壁に囲まれながらソファに腰かけ、辞世の句を考えている子供の気分だ。
私歯医者行ったことないけど。
閑話休題。
鬼が出るか蛇が出るか。
嫌な予感しかしないがそれでも仕事、チロメのためにやるしかない。
チロメのために――いや、生活のために。
「…………」
そんなとき、その人物は現れた。
くせっ毛でクルクルと跳ねている、腰まで伸びた大ボリュームな『緑の髪』
そんな中からチラリと覗く尖った耳。
私とほぼ同じくらいの小柄な身長、愛くるしさを感じる体。
目の下の熊と鷹を連想する鋭い三白眼がある顔もそれらを除けば童顔系で可愛らしい。まあ除けないから怖いんだけど。
シルフィア様である。
何でこんなところに、と言った風に、私の顔を見てピクリと反応した後、その目で睨みつけてくる。
怖い。
私服なのだろう可愛らしい白のワンピースを着て、麦わら帽子をポスンと頭にのせている。
可愛らしいファッションなのにその鋭い三白眼のせいで台無しになっている。
「シ、シルフィア様?」
――私はまるでシルフィア様がここに来るのを知らなかったように彼女の姿を見て、驚いたかのような声を発した。
シルフィア様は訝しむように私を見ている。
「……どうしてあなたがここに?」
「え、と。チロメさんに2人で出かけようと誘われたので……」
「…………」
その隈目の三白眼でジッと見つめている。
気まずい。勇気を出して聞いてみる。
「シ、シルフィア様こそ何でこちらいらっしゃるんですか?」
「…………」
何も答えてくれない。
嫌な空気が流れている。
「…………私もチロメさんに誘われて来ました。あなたがいるとは、言われていませんでしたが……」
シルフィア様がボソリと私の質問に答えた。
少しホッとして胸を下ろす。
しかし、その質問に答えた後、2人の間で何とも気まずい空気がまたもや流れ出した。
お互い喋ることが無い。微妙な関係だし。嫌な雰囲気だ。た、耐えられない!
勇気を決して喋りかけてみる。
「あ、あはは……チロメさん、なんで伝えなかったんでしょうね。私達3人で出かけたかったなら、それならそうと初めから言ってくださればよかったのに」
「…………」
「チ、チロメさんまだですかねー。ちょっと、遅いです、ね……」
「…………」
――ガン無視!
気まずいなんてもんじゃない!
周りの通行人たちも何となく憐れみのこもった目で私のことを見ている気がする。シルフィア様はどこ吹く風と言わんばかりに目を閉じて微動だにしない。
冷や汗。
そんなこんなで困り果てていたら、ふと突然、シルフィア様のポケットから『ブーブー』と電子音が響いた。
ポケットからスマホを取り出し、何かを確認している。
すると一瞬その隈目を少し見開き驚いたような表情をすると、その後一泊置いて「はぁ……」とため息を吐いた。
「……チロメさん、来ないようです」
「――え?」
そして、そんなことをボソリと告げてきた。
私は驚いたような表情を作る。
シルフィア様は麦わら帽子をキュッと掴んで少し下げた。
「お腹が痛くて体調が良くないらしいです。なので2人で出かけて来いと。急に私たちを鉢合わせさせたことを謝罪する文面も添えられています」
「え、そ、そうなんです? じゃあ、え、と……どうします、これから?」
質問には当然のように答えない。シルフィア様は何か考え込むように手を口元に添える。
先程麦わら帽子を下げていたせいか、隣からだとよく目元の辺りは見えない。
私は用意されていた言葉を言う。
「ず、随分とタイミングのいいメールでしたねー、なんて……。シルフィア様がここに来てちょっと経ったくらいの時に届いたじゃないですか。まるで、チロメさんがシルフィア様の到着した時が分かってた、みたいじゃ、ない、です? な、なんて。あ、あはははは……」
「…………」
反応しない話し相手に、気まずくなってだんだんボリュームを下げる。
適当に面白くもないと分かりつつも空気に耐えられず話題を振った、そんな心を表すような会話。
しかし一応第一関門は突破できたらしい。
「……二枚、チロメさんからチケットを渡されています」
シルフィア様がそう言う。
「当日に渡せばいいのに、と思っていたので何かおかしいとは感じていましたが……ここは人通りが多い。周りには飲食店や木々なんかも多いです。人が一人隠れるには十分すぎる」
まあ、そういうことだ。
チロメの言った通り、シルフィア様は賢いらしい。すぐに答えに辿り着く。きょろきょろ軽く辺りを見ていたが、まあ、そんなことをして見つかるほど自身の愛娘はバカじゃないと悟ったようだ。
シルフィア様がチケットを一枚差し出してきた。
ちっちゃくて可愛らしいおてて。白い。
ワンピースの袖の第二ボタンまでキッチリしっかり止めてあるのは、彼女の厳格な性格の表れだろうか。
「……行きましょうか。きっとここで別れたら、彼女は悲しむでしょうし」
私は何のことだかわかっていないように、おどろおどろしくそれを受け取った。
◇ ◇ ◇
『シルちゃんね、博物館とか好きなの』
数日前の、例のとき。
私はチロメに言われたことを思い出す。
『優秀だからさ、シルちゃん色々多忙で疲れてると思うんだけど、そんな中でも休日なんかにちょくちょくそういうところに行ってるんだよね。よく分からないけど日本史系? かな。刀とか国宝展とかそういうの』
お堅い感じがするし、イメージ通りと言えばそうか。
『だから多分日本史好きだと思うんだよね。お侍さんとかそういうの、イ世界の方じゃ新鮮なんだと思う。ここから察するに、そこら辺のシルちゃんの好きなところを責めてけば中々うまくいくんじゃないかな』
両手をグーにしてファイト!の形を取る。その振動で黒い髪がさらりと揺れる。白い頬は紅潮していた。
少し興奮してチロメは言う!
『だから多分、リダムとシルちゃんの2人で仲良く博物館を巡ればきっと仲良くなれると思うんだよね! シルちゃんに歴史のこととか教えてあげてさ! きっとリダムならできると思う!』
回想終了。
現在私とシルフィア様は件の通り博物館に赴いていた。
中々人の入りはいいようで、日本人イ世界人に限らずまあまあの人が歩いている。
そんな中2人で並んで仲良く歩く。訂正、あんまり仲良くはない。
2人ともかなりの低身長。傍から見れば勤勉な女子中学生が社会科見学にでも来ているように見えているのだろう。
実際のところ可愛い少女2人の正体は、実年齢不明のエルフと17歳の男なんだけどな。
私はふっと笑う。
理由は先程の回想していたアレである。
当然博物館なので色々と歴史的なものがたくさん展示してある。刀とか、屏風とか、まあ色々。
私はその中の一つを適当に見る。
なんかいい感じの刀がそこにはあった。多分江戸時代とかのものだと思う。
そして説明欄を見る。
『明智光秀の刀と推測されているものです。○○県○○市のとある民家の蔵から巻物と一緒に発見され――』
ほう、明智光秀さんのものらしい。
明智光秀、明智光秀ねぇ。ふーん。これがあの。
はーん…………。
『三日天下で有名な武将ですね。数多くの謎を残している人物で、しかしそこが魅力的にも映っているのでしょう。現代でも盛んに研究が行なわれている人物でります』
説明欄の続きを読む。
ふむふむ……三日天下ね。
『日本史上一番有名な人物を殺害したのは語るまでもありません。さて、ここであなたに一つ問題です。――その人物は、誰でしょう?』
説明欄の最後はそんなクイズで締めくくられていた。
その下には雑に上下さかさまにしただけの答えが書かれている。
私がそうしてぼんやり刀を眺めていると、隣にシルフィア様が来た。
「……明智光秀ですか」
私に話しかけているわけではなさそうだ。
何となくとなりに来て、ボソリと呟いたといった感じ。
「知ってるんですか? 明智光秀さん」
「……有名な人物ですからね。あっちから来たとは言え私もこれくらいは分かります」
「有名なんです? この人」
何気なく思ったことを口に出す。
まさに絶句と言った表情で、シルフィア様は私のことを見ていた。
今日初めて目が合った気がする。
しかしそのお顔の表情は決していい感情ではなさそうだ。
「……知らないんですか?」
「うーん……初めて聞く名前かもしれません。シルフィア様お詳しいんですね。すごいです」
「義務教育レベルの知識ですよ、これ」
…………。
そうなの?
「……社会で生きていくうえで必要な知識ではありませんが、日本国民としての一般素養であるはずです。ちゃんと義務教育の課程を修了していたら知っているはずのことですよ」
「そ、そうですね。ご忠告、ありがとうございます……」
「……まさか信長まで知らないとは言いませんよね?」
「…………」
なんでチロメは私がシルフィア様を満足させられると思ったのか。
このときのシルフィア様の顔を、私は忘れることはできないだろう。
幸先不安と言いますか、絶体絶命と言うべきか。
「…………」
私のクソザコ知性の発覚から少し時間が経ち。
現在私とシルフィア様は、よく分からない屏風を眺めていた。
まあ『よく分からない』というのは私の主観であり、シルフィア様にとってはそうでないようだけれど。
横をちらりと見る。
シルフィア様は屏風を見つめながら、口元に手を当てて何かをじっと考えている。
知力に大きな壁がある。
はてさて、どうしたものやら。
――対する私も、考える。
さて、私はここでどうにかチロメのために、シルフィア様に『誤解』を解いてもらうよう色々と画策しないといけないわけだ。
これが今回の目標。
しかし、『良いところ』を見せると言っても今現在醜態をさらしたように、義務教育の敗北を感じるレベルの私の歴史知識じゃ、そんなことできるわけもなく。
なんならあちらはイ世界出身とはいえ私よりもよっぽど日本史に詳しそうに見える。
だって賢そうな顔で屏風をじっと見つめているし。
対する私はよくわからないものを見て「よく分からないな」としか思えない。
これじゃあ難しい、というか無理だろう。
詰み。
――いや、しかし私は諦めるわけにはいかないのだ。
一瞬諦めかけたけど、そう簡単に根を上げるわけにもいかない。
チロメがにこにこと提示してくれた作戦は使い物にならなさそうだとしても。
というか、先程の通り使い物にならなかったとしても。
かなり苦しい状況、しかしまだ完全に終わりと言うわけでもない。
強かに生きると誓ったはず。
勇気を出さねばならない!
「……シルフィア様は歴史とかお好きなんです? 先程もとても詳しかったですし!」
できるだけ笑顔を作って話しかけてみた。
『日本史好きだと思うんだよね』というチロメの事前情報を基にした話題の提供。
これなら『……はい、まあ嫌いではないですね』やら嫌々返事を返されながらも、少々無理矢理とはいえ会話をつなげられるだろうという試み。
しかしそんな私の女々しい努力に対し、少し無言があったのち、こちらに一瞥もくれることなく。
「別に」
三文字、漢字にしてたった二文字の簡素な返答が返ってきた。
……おいチロメちゃん! あんた間違っとるやんけ!
早速予想外な答えかつ予想以上の塩対応かつ一瞬にして計画が崩壊したことに驚きつつ、めげづに何とか続けてみる。
「そ、そうなんです? 前にチロメさんからシルフィア様は博物館がお好きだって聞きました。とても詳しく知っておられましたし、好きじゃないんですか? だとしたらどうしてここに赴かれるんです?」
「……私はあちらからこちらに来た人間です。こちらの文化を尊重するために、歴史や人々の営みを学ぶのは当然の義務です。――あなたも翻訳家を志すならそれくらい理解していなさい。――というか」
一泊置いて、
「先程の知識は詳しいというレベルではない」
――くりてぃかる!
言葉の鋭さにヒットポイントが100削れた。もう瀕死。
こちらを一瞥することなく放たれた言葉の威力に心が悲鳴を上げる。
攻めていたと思ったら鮮やかなカウンターを決められた。
……こんなんで仲良くなんてできるんか?
い、いやまだだ! そちらがカウンターを使ってくるなら、目には目を! 歯には歯を! である。
「それは私の考えが及んでいませんでした。――ですが私も日本にいる中で、シルフィア様の言う通り翻訳家を志す身。そちらの文化を少しとはいえ学んでいます」
「…………」
イ世界の文化はそこそこ知識があるつもりだ。
――日本史でダメなら、イ世界の知識で対抗する作戦。
何と言っても私が受ける予定の国家試験、文章読解やリスニングだけでなく文化や風習についても聞かれる。なのでまあまあ勉強している。日本史は出ないからノータッチだけど。
シルフィア様も少しだけ反応している模様。
一瞥すらなかった今までと比べ、ピク、とその長い耳を動かしこちらを一瞬流し見した。
ここで挽回を目指す。
「例えば……シルフィア様はエルフですよね?」
「……そうですが」
「なので、エルフの文化をいくつか話してみますか」
シルフィア様なら答え合わせができるだろうし。
エルフは少数民族だ。数自体は少ないとはいえエルフは欧米原産の昔話に出てくる『森人族』と似ているのでかなりこちらだと『ねぇむばりゅう』があるのだが、文化などはあまり知られていない。
まあ、数が少ないから当然と言えば当然である。物凄く特徴的、個性的な文化を持つわけでもないし。
しかし今はそんな知識を持っている、というアピールの場。存分に活用させてもらおう。
「イ大陸の南の方にだいたい分布している種族ですが、特徴的なのはその尖った耳と、体に含まれるマナが多いことによる精密な魔力操作が挙げられます。歴史の長いイ大陸のヒト族の中でも、とりわけ昔から存在している種族ですね」
「…………」
シルフィア様は黙って聞いている。
「木々の中の精霊を信仰する宗教観があり、とりわけユグドラシルと呼ばれる木を大切にしているらしいですね。建築、杖、弓、多岐にわたる用途に使える優れた柔軟性を持つ木材と言うのもそうですが、適応マナの保有量が多いことから、魔力硬化が行いやすいというのがやはり最大のメリットでしょう」
ほお、と感心したようにシルフィア様が頷いた。
おお、今までにない好印象。珍しい! これはちょっと私の見る目が変わってきているのでは。
――これはいけるんじゃないか?
このまま押し切る!
「あとは種族間で強固な美的感性が共有されているとも聞きます。高身長でスラリとした体形で、ストレートに艶やかに流れる長髪、堀の深い顔が『美』の象徴なのだとか」
ピク、とシルフィア様が反応した。
緑のクルクル癖ッ毛から覗く耳が揺れた。
「数千年単位でその美的感性は揺るがなかったものと言います。いや、これはすごいことですよね! 日本史に出てくる『美人さん』を見ても今では全くその美が分かりませんからね。 寿命が長いことなども関係しているんでしょうか。精霊信仰の中でも、ユグドラシルの木の精はそんな姿だと言いますよね。そういえばシルフィア様も、そんな姿を美しいと、思われるので、しょう、か…………」
「…………」
くせっ毛でクルクルと跳ねている、腰まで伸びた大ボリュームな『緑の髪』
私とほぼ同じくらいの小柄な身長、愛くるしさを感じる体。
目だけは鋭いが、基本的には愛くるしさを感じる童顔。
これがまさにシルフィア様。かわいらしい。
癖ッ毛、『美』の象徴はストレート。
小柄な体、『美』の象徴はスラリとした高身長。
童顔、『美』の象徴は堀の深い顔。
対比。
あっ。あっあっあっ。
…………待って、ちょ、待って。
悪気があったわけじゃない!
「わ、わわ私はとってもキレイだと思いますよシルフィア様! ええ、ええ! そもそも美しさ、そういう価値観は人によって違いますからね! そういう相対的なものをさも絶対的な値があるかのように『美しさ』と言うのも何かおかしいと思いますし――」
「黙りなさい」
今回は、睨まれすらしなかった。
勝負を急いだせいでどうやら私はしくじったらしい。
絶定零度のごとく冷え切ったシルフィア様の「不快」という視線を受けて、私はサーッと背中が冷たくなっていく。冷や汗で。
流石に今のは無い。
「…………」
無言で小さな足を進めどこかへ行こうとする。
そんなシルフィア様に、私は言葉をかけることなぞできることもなく。
……私は、生き延びることができるか?




