えぴそーど6 名前を呼んではいけないあの人
喫茶店。
こじゃれた雰囲気の店内。
落ち着いたダークオークの店内は清潔に保たれている。
現在12時近くでお昼時だが、お客は上品に紅茶をたしなむマダムが数人とあまり多くなく、『知る人ぞ知る名店』といった感じだ。
目の前には適当に頼んだパスタが置かれている。
フォークでクルクルと丸めて口に運ぶ。
「おいしいですね、これ!」
「そうでしょ! おいしいでしょ! 私のお気に入りの店なんだ、ここ!」
現在私、柊リダムは、マネージャーとして仕えているご主人様――春風 チロメとお食事をしていた。
例の数日前の約束の件。
あの恐ろしきシルフィア様との遭遇から一日。
バカ舌なのでイマイチ普通のパスタとの違いがわからなかったが笑顔でおいしいと伝えると、チロメが満開の笑顔を浮かべて嬉しそうに返事を返す。
チロメとの交流も仕事の一部である。
『黒い髪』に『白い肌』。
それら『白黒』が特徴的な彼女だが、その例に漏れずというか何というか、探偵のような『白いコート』を羽織って黒い長靴のような靴を履いており、服装も白黒づくめだった。
ちなみに私もいつもはスーツだが今日は私服だ。
仲の深まってる感じの演出。
藍色の髪のポニーテールを作るヘアゴムも、いつもは使わないオシャレな玉つきのものを使っている。
前の職場ので客からもらったものだったりする。
「雰囲気がとても落ち着きますね。私、こういうところ好きなんです」
「リダムもそう? 私もこのお店の感じ好きなんだ。友達とか幼馴染の子とかとよく来て一緒に勉強したりするの。静かな雰囲気だからさ、集中するのに色々良くて――」
いい感じの日常会話。
親交が深まってる感じがする。
今日の目標はチロメに私と仲良くなった、と思ってもらい満足してもらうこと。
ミートスパをクルクルフォークで絡めながらにこにこ喋っているチロメ。
そんな笑顔に平和な空気を噛みしめていると。
「――シルちゃんともよく来たりするんだ。シルちゃん、静かなところの方が好きだから…………あっ」
チロメが口に運ぼうとしたミートスパが、空中でくるりとフォークを抜けて皿に落ちた。
急に不穏な空気になる。
チロメは「やってしまった」と顔を気まずげにする。
名前を呼んではいけないあの人。
多分無意識のドジ。
……いや、まあ昨日の今日だし触れないことはないだろうな、と思っていたけれど。
どこまで聞いていたのかは分からないが、昨日のシルフィア様の私に対するアレを見聞きしてしまったらしいチロメ。
シルフィア様とはかなり仲がよろしいらしいし、色々思うところがあるのだろう。
ええ、分かってたともこうなる展開は。
ただ、もう少しだけ束の間の平穏を謳歌したいのも人心じゃない?
「ご、ごめんリダム! その……シルちゃんの件!」
チロメが頭を下げる。
「シルちゃんは……厳しいというか、厳かな性格でね。昔からちょっとでも怪しいって思ったらすごく疑って、何というか……かなり厳しいことを言う人なの。だから、ちょっと疑ってるだけでリダムのことすごく嫌ってて侮辱したわけじゃ、ないと思う……」
「い、いえいえ。大丈夫ですよチロメさん」
すごく嫌ってて侮辱したんじゃないかなぁあの人。
あの三白眼から繰り出される敵意マックスの視線を思い出す。
あれはマジで怖かった。
「しかしシルフィア様とチロメさんの関係って、いったいどんなものなんですか?」
このまま謝り倒されるのも困るので話を変えようと質問してみることにした。
親代わりだのなんだの、イマイチ把握しきれていない。
ちなみに様呼びは恐怖からなのか自然と口から出た。
「シルちゃんとの関係?」
「ええ。あまりよく分かっていなくてですね。チロメさんのお父様の会社の翻訳家であるとは聞いたんですけど……チロメさんのご成長を見守られていた、と」
「うーん、ちょっと複雑で説明しずらいところもあるんだけど……」
説明のために頭を使い始めたからか暗かった表情が少し和らぐ。
どうやら私の話変えは一応の効果はあったらしい。
うんうんと頭をひねって考えている。
そして数秒の間が開いたと、
「――育ての親、みたいな感じ……かなぁ?」
「育ての親、ですか」
と答えた。
すごく微妙そうな表情。
自分の答えに納得がいかなかったのか答えた後も「うーん……」と何か考えている。
「ごめん、一回答えておいてなんだけど……育ての親、っていうのは少し違うかもしれない」
「そうなんです?」
「んーと……お父さんが忙しかった時期に、どうしても家に帰れないときとかに一緒に遊んでもらってたんだ。晩御飯作ってもらったりとか、一緒に寝てもらったりとか。けど、育ての親とはちょっとベクトルがこう……違うかもしれない。何とも言えない所だけど」
「親戚の優しいお姉さん、みたいな感じです?」
「ああ! そうかも!」
ばっちり得心したようだ。
しこりが取れたような満足げな表情をしている。
「――私がお父さんの子供になってシルちゃんと会ったのって5歳くらいのことだからね」
パスタを口に入れながら、何事でもないかのように、さらりとチロメはそう言った。
「私にとってのお母さんって、どっちかというと教会のシスターさんなのかも……ああいや! シルちゃんに面倒見てもらったことを何とも思ってないわけじゃないんだけどね? ただ、シルちゃんのことお母さんってあんまり感じないのはそこなのかもしれない」
私に語り掛けるというよりは、自分で納得するようにうんうん頷いている。
――チロメとチロメパパに血縁関係はない。
どこかで言った気もする。
そう、私の中で笑顔が素敵なことに定評のある似た者同士の二名だが、血は繋がっていないのだ。
私もそれは聞いている。
チロメパパとチロメの間にどんなストーリーがあったのかの詳細までは知らない。
ただこの2人べらぼうに仲がいいので、見ている分には血がつながらなくとも親子の絆は確かに感じる。
素敵なお父様を持っていて羨ましい限りである。
「……シルちゃんもさ、すごく厳しい言い方をするけどホントはすごい優しい人なの」
妬ましいくらいキレイな黒い瞳で私はスッと見つめられる。
悲しそうな、申し訳なさそうな表情だった。
しかしそんな悲壮な表情に対して、確かな『芯』のようなものを、何となくチロメから感じる。
「私ね、シルちゃんのリダムに対する『誤解』を解いてほしい」
そして彼女はそんなことを言った。
「リダムのこと、ちゃんとシルちゃんにも知ってほしい。シルちゃんもリダムも私にとってすごく大事な人だから……2人には仲良くしてほしいんだ。その、あんなひどいこと言われたリダムの前でこんなこと言うのも、すごくひどいことだけど……」
『誤解』ね。
大きく誤ってはないんだなこれが。
……しかし、仲良くしてほしい、ね。
もう個人的にはあの人と関りたいとは思わないのだけれど。
随分手厳しいことを言う。
だが、これは『私に仲良くしてほしい』と命令しているのではなく、どちらかというと、『そうだったらいいな』という願望を言っているだけだろう。
流石にあの人と仲良くなるのは私でも厳しい。
「リダムはさ……シルちゃんのこと、嫌いになった?」
ここでそんな質問が飛んできた。
不安そうに黒い瞳をゆらしながら、しかし私の真意を取り違えないようにしっかり私の瞳に視線を合わせている。
変なことを聞いている自覚はあるのだろう。
罪悪感のようなものも感じる。
シルフィア様のことが嫌いか、ね。
好きか好きじゃないかなら間違いなく好きじゃない。
「自分で言うのもなんですが 、私は相当怪しい人間ですからね。シルフィア様の考えはもっともだと思います――ですので、シルフィア様にああ言われたのも仕方のないことだと思いますから、悪口を言われたからと嫌いになったりはしていません」
しかしストレートにそういうわけにもいかないので、そう答えた。
パスタをクルクル回す。
クルクル、クルクル。
手のひらのフォークでクルクル踊らせる。
チロメは意外そうな顔をしていた。
まあそうやろうな。
「シルちゃんすごくヒドイこと言ってたと思うけど……本当にリダムはシルちゃんのこと嫌ってないの? 本当のこと気持ちを言ってくれてもいいんだよ」
「信頼が無い人間がある程度の差別を受けるのは当たり前のことだと思っています、個人的には。怪しい大切なものは任せないのは大事なことですよね。きっとシルフィア様は、チロメさんのことがとても大切なんですよ。宝物を守る彼女を責めることなんて、少なくとも私にはできません」
穏やかにチロメの瞳を見つめ返した。
皮を被ったその上から。
数秒に満たないその刹那、チロメはじっくりと、随分と長い時間をかけたかのように、私の瞳を見つめていた。
しかしこう見ると幼い顔立ちをしている。
彼女は既に高校二年の16歳。
しかし何となくいわけなく感じるのは瞳が大きいからだろうか。『童顔』というヤツ?
私が関係ないことを考えながら、チロメに瞳で考えを伝えていると。
ようやく彼女は私の真意を取ってくれたようで、大好きなシルフィア様を私が嫌っていないと分かった彼女は、しかし一見悲し気な表情を浮かべた。
先程までの罪悪感のものとは違う。
同情的な、憐れんでいる感じのそれ。
「リダムはもうちょっと……怒ってもいいと思うよ。ヒドイこと言われたら、悲しんだっていいと思う」
私を慮ってくれている。
それは痛いほど伝わってきた。
シルフィア様と私にきっと仲良くしてほしい彼女からすると、私の考えはとても都合がいいものなはずなのに。
他人を思いやるのが春風チロメの『本質』なのかもしれない。
私は柔らかく笑った。
「――世間やお国は人を学歴や門地で差別するなと言っていますが」
窓から差し込む正午の光が強くなる。
南側に位置するこの窓は日の光が入りやすい。
横から光が目に差し込む。
少々眩しかった。
チロメの瞳を見つめるそれを、閉じてしまいたくなるほどに。
「少なくとも、私はそんな甘い言葉に身を委ねたくはないですね。私のような怪しい人間は、疑われることを自覚して戒めないといけません。悲しむよりも私は強かに生きたいです。……チロメさんのお言葉は、とても嬉しいんですけどね」
ニコリと微笑む私を、チロメはどう思ったのかは分からない。
ただ、私の言葉に、チロメは頭で納得しているようで、心では納得していないのだろう、と目の前の眉を下げている奇麗な顔立ちを見て思った。
数秒沈黙の時間が訪れた。
自分の気持ちを消化するための時間。
私を思う彼女のために、私は口を開いた。
「私、チロメさん達にはすごく感謝してるんです」
「……?」
不思議そうにしている。
「強かに生きたい、なんて言いましたけど……優しさが要らないわけじゃないんです。厳しい言葉だけでは辛いです。でも、チロメさんとあなたのお父様は私によくして下さいました」
にゃあ、にゃあと私は鳴く。
自分じゃあんまり理解できない、そんな言葉。
「ありがとうございます。すごく、感謝してるんです」
クサい言葉だった。
言い古されていて、古今東西どこにでもありそうで、聞いたら思わず赤面してしまいそうなほど恥ずかしい、そんな言葉。
私はぺこりと軽い頭を下げた。
感謝の意をチロメに伝える。
私の軽薄なそんな行為は、軽くて薄い一連の言動は、しかしチロメの心に響いたらしい。
気恥ずかしそうにパスタを巻くチロメは自分に言い聞かせるように、ぼそりと呟いた。
「――やっぱり私、シルちゃんにリダムのことちゃんと知ってほしい」
強い意志が籠っていた。
「……ん?」と少々不安になる。
先程までのチロメは『人生うまく行かないよね』くらいの願望を垂れ流しているだけだったが、今は困難に対する決意を固めたような、嫌な『凄味』を感じる。
「シルちゃんにはリダムのことを悪い風に勘違いしてほしくない。うん、やっぱりそうだ。私リダムのいいところ、シルちゃんにちゃんと知ってほしい」
なんか不穏なことを言い出した。
背中を冷たい汗が通る。
まずい、この流れは。
どうやって彼女をやんわり止めようか――そう考える間もなく、チロメは非情にも、自身の思いを私に熱く告げてきた。
「ちゃんとリダムとシルちゃん、2人で関わる時間があれば誤解は解けると思う。リダム、これはただの私の自己満足なんだけど――協力してくれない? お願い!」
……私は素敵なマネージャーだ。
「あの人苦手だから嫌」だなんて言えるわけもない。
心の中でがくりと肩を落とす。
二度と関わりたくないと思っていたシルフィア様。
私は彼女と仲良くならないといけないらしい。
今後訪れる未来にいい予感が全くしない。
私は、生き延びることができるか?