平積みという言葉には、抗いがたい響きがある
それから、ときどき紅城に相談し、または米沢さんの意見を求めた。そうして、最初の会合から二週間後には、単行本一巻分の原稿直しは完了した。
著名なイラストレイターである井口ソノラ氏が挿絵担当として決定したらしい。米沢さんは、絶対に売れるって太鼓判を押してくれた。
問題なのは、話の続きだった。
紅城が言うには「現実の俺を書けばいいだろ?」とのことで、彼が現世に戻ってきてから何があったのかを、本人から直接聞いてみた。ボイスレコーダーを使って、録音した彼の話を聞きながら、作品として書き起こす方法を検討する。
検討する。
検討した。
検討したが、なんなんだこれは。
紅城がこちらに戻ってきてから起きたことというのは、もはや異世界転生ファンタジー小説と呼べるものではない。
物語と現実が入り混じり、たとえ小説という形式であったとしても、表に出して良い物かどうか、判断に迷うシロモノなのだった。
まずは、最終エピソードの次のお話。
古代遺跡の発動に巻き込まれた紅城直哉は、現代日本の病室で目覚める。
彼はトラックにはねられたとき、現世の自分は死んだと思っていたが、実は植物人間となって病院で眠り続けていたのだ。
年老いた父と母に再会できたことは嬉しかった。意識を取り戻した彼を待ってくれる人が現世にいた。だが彼は、これまでの異世界での冒険がすべて夢だったのかと落胆する。
ところが実家に戻り、戯れに呪文の言葉をつぶやいたとき、夢の中の出来事だったはずの魔法が現世でも発動することに気が付く。そして彼は、すべてが現実だったのだと知る。
ちなみに紅城は、彼の父と母についても来歴と外見について話してくれた。けど、これは小説内では省くことにする。読者は興味がないだろうし。
ざっと書いてから思うが、いったん夢オチと思わせておいて、やっぱり現実でしたという展開はベタだけど、悪くない。一度読者を失望させておいて、喜ばせる技法は勝利を約束された展開と言っていい。
このエピソードは、ちゃんと小説として成立している。
問題はその次からだ。
現世に戻った紅城だが、これからどうやって生きるかを悩むことになる。過去にそうであったように、派遣社員としての生活に戻ることなどできそうになかった。
なぜなら彼は、異世界で腕利きのプロ冒険者として地位と名誉を得ていたから。
ある時は冒険者ギルド、ある時は魔法使いの長老、またある時は、王族から依頼を受けて、モンスターを倒し、失われた書物や聖遺物を回収し、新しい魔法を発明し、森を、荒野を、砂漠を駆ける。そんな冒険者として尊敬を集めていた。
それと釣り合うほどの尊厳が得られる仕事をするのでなければ、働く意味を見いだせなかったという。
これは心理としてよくわかる。
だけど、なんだか生々しくて、小説らしくない。この段階で、紅城は異世界の英雄と言える存在ではなくなっている。
今後の生活に悩んだ末に、彼は、魔法で成り上がることを考える。
この世界で、魔法が使えるのは彼だけだ。この事実を利用しない手はない。
まずはSNSで賛同者を募って、オフ会をして、彼らの前で魔法を使う。それに驚いた人々は口コミで魔法の存在を広め、やがて、ネタに困っていた雑誌編集者を呼び寄せる。それを足がかりに、出版業界や広告代理店に密かに影響力を広めていく。手ごたえを感じた紅城は、作者である鏡行人を仲間に引き入れるために、動画配信者となって、鏡の作品を紹介する――。
ボイスレコーダーの中で、紅城の声は話題から脱線して異世界での冒険の話になり、現世界で人に魔法を見せたときの反応についての話に進む。声は弾み、時折り、笑い声がする。
聞けばわかる。彼は楽しいんだ。
世界で唯一の存在になれたってことは、やっぱり気持ちいいんだろうな。
PCに通知が出た。米沢さんからのメールだ。
俺が送付したデータで入稿終わり。あとはイラストレイターの絵が上がるのを待っているという。絵が〆切どおりに届いたとして、順調にいけば予定通り、あと四か月後には全国の書店に並びそうだ。
Web小説は、なるたけ早く書籍化して早く売りたいというのが英修社の方針らしい。一冊の本を作るのに、普通は一年かけるというけど、そんな悠長なことをして、売り時を逃したくないのだろう。
まぁ、俺の小説なんて、読者が増えた原因が動画配信なんだしな。どうせ水物だ。
「書こう!」から書籍化しても売れなかった作家は、それ以後、小説をいくら書いても相手にされないって話も聞くから、不安もいっぱいなんだけど、やっぱり良い気分だった。
書籍化だよ! 書籍化!
ちゃんとプロのイラストレーターの挿絵を付けて、俺の書いた小説が本屋に並ぶ!
行きつけの本屋の光景を思い出す。好きだったラノベの新刊を、発売日に欠かさず買いに行ったのは、まだ学生の頃だっけ。
楽しみにしていた新刊が、平積みされているのを見たときの喜び。あれを自分が味わうことはもうないかもしれない。
けど、これからは、俺が書いた小説が平積みされる光景を見ることができるんだ。
そしてきっと、それを手にしてレジに向かう人の姿を見ることだってできる。
紅城がこれから何をするつもりなのか、まだわからない。俺がどっちに向かっているのかなんて知れたものじゃない。
でも今は、未来への期待に身をゆだねてもいいんじゃないか。