謎の配信者
その日は仕事が手につかなかった。
幸い、それほど集中が必要とされるような業務は割り振られていない。一日を、働いているフリでやり過ごした。
終業時間が来ると大急ぎで帰り支度をした。残業なんてやってる場合じゃないのだ。家が待ち遠しい。晩飯を作る時間だって惜しい。
俺は帰りしなにコンビニで弁当を買って、安アパートの自分の部屋に帰りつくと、即座にPCを起動した。
唐揚げを割り箸で口に運び運び、ネットの検索画面を見る。何が起きているのか、今の状況を把握したかった。
そう、まずは、あの動画の「紅城直哉」は何者だ?
痛いファンか? 頭がおかしい奴なのか? それにしては、あまりにも堂々としているし、動画を見る限りは異常なところはない。
紅城直哉は――少なくとも、そう名乗っている男は、俺の作品を称賛した上で、こう宣言したのだ。
「僕の異世界での冒険は、この小説に書かれている通りです! ファンの方は、是非一度読んでみて下さい! 僕の波乱万丈の半生が綴られています!」
いやいやいやいや
異世界での冒険といっても、俺が考えた内容を書いただけだぞ。
しかも、執筆当時に他に人気があった小説や、俺が中高生のころに好きだった漫画やライトノベルを参考につまみぐいして作った話だ。とりたてて独自の展開があるわけじゃない。
ウーロン茶をがぶ飲みしてご飯を胃袋に流し込み、ネットの検索結果をたどっていく。
この紅城直哉という男は、ここ一ヵ月の間に急速にアクセス数を稼いだ動画配信者らしい。
異世界に転生して魔法を覚え、冒険を繰り広げて、現世に戻って来た! ……と主張している。
始め、視聴者からは、そういう「設定」で動画配信してるだけの男だと思われていたようだ。
そりゃそうだろう。こんな話、本気にする方がどうかしてる。
ところが、視聴者を呼んで、魔法を実際に使って見せるという企画を始めたあたりで、爆発的に人気が出たという。
呼ばれた視聴者は、揃いも揃って熱っぽく、自分が見た魔法の神秘について証言した。
当然、ヤラセを疑う人もいっぱいいた。
紅城直哉は、そうした人を番組に出して、また彼らの前で魔法を使って見せた。
その解説動画も探して再生してみたけど、確かに紅城は指先から炎や冷気を生み出して、水を蒸発させたり、凍らせたりという、魔法のような力を使っていた。
強烈なのが「魔法の限りなき可能性! 鳥になろう!」と題した動画だ。
まず紅城が登場するが、その回は、いきなり外にいる。場所はどこかのビルの屋上のフェンスのわき。時間帯は真昼だ。
『視聴者の皆さんこんにちは! 今回は、私の魔法で空を飛んでみようと思います!』
と、狂人を思わせる発言をする。そして『とう!』の一言とともに、フェンスを飛び越えてダイブ! もちろん命綱などは無い。
どう見ても自殺配信である。
だが、カメラが飛び降りた紅城を追って視点を変えると、落ちていった紅城は途中で空中を飛んで戻ってきて、カメラの目前までやってくる。そして屋上に着地。
『は~い、びっくりしましたか? でもこれは、魔法が使えるからできることです! 良い子の皆さんは真似をしないで下さいね! それでは、また次回』
そう言って終わる。人を食ったような内容だ。
CGを疑いたくなるけど、魔法が本物だと証言するコメントが散見されるようになると、半信半疑ながらも、紅城に何かの能力があると認める人が増えていった。
そうして視聴者が膨れ上がったところで、紅城が自分のルーツについて語る流れになった。
そこで紹介されたのが、俺の小説だったわけだ。
どうして俺の小説の読者が増えたのかはわかった。
わかったが、ますますわからないのは、この紅城は何者なのかということだ。
「書こう!」にログインしてみると、俺の小説の読者数は際限なく増えている。時間帯によって閲覧数は違うけど、ランキングは一位のままだ。勢いが止まらない。
未読の感想も、対応に困るほど溜まっている。中身をいちいち確認していられない。それで、ざっと感想の一覧だけ見てみたんだが、俺はふとマウスを動かす手を止めた。
感想ばかりに気を留めていて気が付かなかった。
運営からの通知が来ていたのだ。
これは、あれか?
あまりにも急激にアクセス数が増えたから、不正操作を疑って確認のメールが来たとか、そんな話じゃないだろうな?
何か恐ろしいことが書かれているかもしれない。そう思いながら、通知を開いてみると、そのタイトルは思いもかけないものだった。
「英修社様より、書籍化の提案が来ています」
マジか。
でも、そうだ。これだけ読者が増えたんだ。ファンが多いうちに書籍化したいというのは、出版社の商売としても当然だろうな。
俺は、その内容を読むためにクリックした。
運営からの通知は、大手出版社である「英修社」の編集者から、俺の作品を書籍化する提案がされたということを告げていた。その編集者はライトノベル部門の所属らしい。
通知には、その編集者からのメッセージも記されていた。書籍化の前に、俺に直接会って相談をしたいので、都合のいい日を教えて欲しいという。
編集者の署名もあり、メールアドレスも貼ってある。
念のために、アドレスのドメイン名について調べてみたが、英修社のドメインで間違いなかった。誰かがイタズラで編集を名乗ってるわけではないようだ。
是も非もない。俺はさっそく編集者宛にメールを出し、来週の月曜日に会うことを提案した。
すごい。すごいぞ。
謎の配信者はちょっと気になるけど、やっと俺にも運が向いてきたんだ。
俺は意味もなく、狭いワンルームの中をウロウロと走り回り、飛び跳ねた。興奮して今日は寝られそうになかった。
こんな気分は、子供の頃の遠足前日のとき以来だ。おめでとう俺! よくやった俺!
その時の俺は、書籍化と、その後に待ち構えるであろうバラ色の未来のことしか考えていなかった。
編集者との話し合いを誰かが仕組んだという可能性には、まったく思い至らなかったのだった。