家族
「失礼いたします。」
そう言うと、私の専属メイドのマリーは扉を開けて部屋の中に入ってきた。
「おはよう、マリー。」
そう挨拶をするとマリーはハッと驚いたような顔をしてこちらに近づいてきた。
「お嬢様…!良かった!お目覚めになったのですね!」
(随分心配をかけていたみたい。私一体どのくらい寝ていたのかしら…。)
「ねえマリー、私どれくらいベットで眠っていたの?」
「5日間です。ずっとお目覚めにならないのでもう目を覚まさないのでは、と屋敷の者全員心配しておりました。」
マリーは少し涙目になりながらそう言った。
(5日間!?でも、あんなに膨大な量の記憶を一気に思い出したのだからそれほどの眠りについていてもおかしくはないわね。)
「そうだったの…。心配をかけてごめんなさい。私が眠っている間、あなたが看病してくれていたのでしょう?本当に感謝しているわ。」
「…い、いえ!お嬢様をお世話することが私の唯一の務めですから!それに、旦那様や奥様もお嬢様のことをとても心配しておられました。…あ!私、旦那様に報告してきますね!温かいスープも用意してくるので少し待っていてください。」
マリーはなぜか少し慌てた様子で部屋を出ていった。
(どうしたのかしら?)
少し疑問に思うとすぐにその答えは出た。
(そういえば私、記憶を思い出す前はかなり悪役令嬢っぽい性格じゃなかった?)
我儘で口を開けばメイド達を見下す発言ばかり。
新しいドレスや宝石には目がなく、仕立て屋や宝石商を屋敷に呼んではよく両親に欲しい物をねだっていた。
特にいつも私の一番近くにいたマリーにはとても嫌な思いをさせてしまっていたことだろう。
マリーは私が3歳の頃この屋敷にきて、その時から私の専属メイドとして毎日世話を焼いてくれていた。
どんなに我儘を言っても駄々をこねても私の言うことを聞いて動いてくれる。
そして幼い私は勘違いをしてしまったのだろう。
『あ、このお姉さんは私より下なんだ、』と。
確かに身分上ではそうかもしれない。
私は侯爵家の令嬢で彼女は平民の出。
でもだからといっていつもお世話をしてくれている優しい相手に対して”下”だなんて思っていいはずがない。
今までそう思って彼女と接していた自分が恥ずかしい。
例えその頃は悪役令嬢リシアーナとしての記憶しかなかったとしてもだ。
『私の言うことが聞けないっていうの??私は侯爵家の令嬢であなたはただの平民。あなたに口答えする権利なんかないのよ!』
いつか私がマリーに対して言った言葉を思い出す。
(後で今までの態度をちゃんと謝ろう。)
もしかしたら許してもらえないかもしれない。
私の言葉を信じてもらえないかもしれない。
それでも彼女に謝りたい。
そう思った。
□□□
しばらくすると、何やら急いでこちらに走ってくる音が聞こえ、お父様とお母様が入ってきた。
「リシア!!」
「リシアちゃん!!」
「わっ…?!」
二人は部屋に入ってくるや否や私に強いハグをした。
「目覚めて本当に良かった!心配したよ。」
「わたくしも心配で胸が張り裂けそうでしたのよ??」
(まってこの二人、力強すぎない??)
「お、お父様お母様!…く、苦しいです!」
そう言うと二人はハッとした表情ですぐに力を緩めてくれた。
「!すまない。つい力が入りすぎてしまったよ。」
「あら、わたくしも…。ごめんなさいね、リシアちゃん。」
これが私の両親。
古くから代々皇帝に仕えてきた由緒正しいクレメンス侯爵家の当主、アベイルお父様。
クレメンス侯爵夫人であり、隣国テルーシア王国の元王女でもあるディアナお母様。
二人ともすごい美形である。
ちなみに私のアメジストの瞳はお父様から、プラチナブロンドの髪はお母様から一つずつ受け継いだものだ。
「いえ…。心配かけてごめんなさい。もう大丈夫よ。」
「こちらこそすまない。お前が体調を崩していたことに気づいてやれなくて。だが、安心しなさい。しっかりと皇太子殿下との婚約は結んできたからな!」
私は父が満面の笑みで言ったその言葉に理解が追いつかなかった。
(…ん?)
「絵姿を見て、皇太子様との婚約をあんなに望んでいたものね。良かったわね、リシアちゃん。」
母も嬉しそうな表情で言う。
(…!)
そうだった。私は殿下の絵姿を初めて見た時その凛々しい姿に一目惚れをしてしまったのだ。それで、両親にこの皇子様と結婚したいと必死にお願いをして…。
自分の過去の失態を思い出してうなだれる。
(完全に自業自得だ。)
いや、でもまだ間に合うかもしれない。
婚約解消できるか聞いてみる価値はあるはずだ。
「あの、お父様。その婚約を取り消すことってできるのかしら…?」
「おや、どうしてそんなことを聞くんだい?何を心配しているのかは分からないが皇族との婚約はそう簡単に切れるものではないよ。リシアならきっと皇太子殿下とも上手くやっていける。大丈夫だ。」
お父様はそう言って胸の前でガッツポーズをする。
(…だめか。)
このアルフィアス帝国は私が魔導師として生きていた頃から身分制を重視している国だった。
皇族、貴族、平民の身分差は明確。
だからこそ、一度皇族と婚約すれば、よほどの理由がない限りその婚姻をなかったことにするのは難しい。
おそらくゲームでは、ルーク殿下はヒロインと婚約しようにも自らの婚約者が邪魔だったため、リシアーナが聖女をいじめていたこととその証拠を公の場で発表し、断罪して彼女を排除したのだろう。
(そう考えるとルーク殿下って結構恐ろしいわよね。)
ゲームではヒロインだけに優しい理想の王子様って感じだったけれど自分が悪役令嬢の身となった今、殿下のことが少し怖くなってきた…。
(あ、そういえば…)
「お母様、マリーは?」
「マリーはもうすぐ来るはずよ。病み上がりのあなたの体調が少しでも良くなるようにと料理長と今夜のディナーについて話し込んでいたわ。」
ふふ、とお母様は上品に笑ってそう言った。
(…やっぱりマリーは優しい子ね。)
改めてマリーの優しさを思うと罪悪感に苛まれる。
噂をすれば、マリーがスープを持って部屋にやってきた。
「…栄養たっぷりの野菜スープを持ってまいりました。お嬢様が野菜をお嫌いなのは重々承知ですが料理長がお嬢様の健康を思って腕をかけた1品ですのでどうか召し上がってください。」
おずおずとした様子でスープを勧めるマリーを見てある日の出来事を思い出す。
私が夜にお腹が空いて泣き喚いた日のことだ。
夜中に料理長を呼び出すわけにもいかないため、その時はマリーが野菜スープを作ってくれた。
でも、私はそれを床に投げつけたのだ。
『こんなのいらないわ!私は野菜が嫌いなの!!』
あの時のマリーの悲しそうな表情を思い出すと胸がきゅっと苦しくなる。
「!マリー!」
私は思わずマリーに抱きついた。
「お、お嬢様…?!」
今はとにかくすぐに謝りたかった。
「マリー、ありがとう!今日こうしてスープを用意してくれたことだけじゃない。私、今までマリーにひどいことをたくさん言ってきたわ。それなのに、毎日朝早く起きて私の髪を綺麗に整えてくれたり、泥だらけになったらお風呂で優しく体を洗ってくれたり、悲しいことがあったら最後まで私の話を聞いてくれたり…。いつも、ありがとう…!それから今までずっとひどいこと言ってごめんなさい…!」
私は泣きながら、戸惑うマリーに頭を下げる。
今までの行為を許してほしいとは言わない。
それでもせめてこの謝罪がマリーの心に届いてほしい。
「本当に、ごめんなさい…!」
「…。」
(まだ顔を上げられない。マリーがどんな表情をしているのか見るのがこわい。)
じっと床を見つめていると涙で滲んだ視界の中にマリーの足元が入り込んでくる。
「お嬢様。どうかお顔を上げてください。
身分制のはっきりとした国の平民である私にはこのような侯爵家のお嬢様に仕え、不自由ない暮らしをさせて頂いているだけでとても幸せなことなのです。それに、お嬢様は寝る前にいつもその日あった楽しいことや面白かったこと、悲しいことや大変だったことを私にお話してくださいますよね。正直、お嬢様のちょっとした我儘にはもう慣れっこですし、なにより私はそうしてお嬢様の話を聞いている時間がとても好きなのです。
だから、泣かないでください。」
そう言ってマリーはいつものように私の頬を伝った涙を優しく拭った。
「マリー…、私を許してくれるの??」
マリーの私に触れる優しい手の感触にまた視界が歪みそうになる。
「当たり前ではないですか、お嬢様。仲直り、です!」
冗談っぽくそう言って微笑むマリーの優しい笑顔を見ているとなぜかこっちまで笑顔になった。
「…うん。これからもよろしくね、マリー!」
私は笑ってまたマリーに抱きついた。
マリーも優しく抱き返してくれた。
「ふふっ、あらあら。二人とも良かったわね。」
「改めてこれからも我が娘をよろしく頼むぞ。マリー」
お父様とお母様もこちらの様子を見て微笑んでいる。
家族団らん。
(ああ、これが家族か…。私、今すごく幸せだな。)
私は前世でも前前世でも血の繋がった家族との縁がなかったから、初めて味わったこの感覚に涙が止まらなかった。たぶんこれは嬉し涙というものだ。
やっと知ることができた両親からの愛情、家族団らんの幸せな空間。
(…失いたくない。)
ゲームではリシアーナが処刑された後クレメンス侯爵家は没落した、と書かれていた。
それに、リシアーナが処刑されたらきっとこの家族は悲しむだろう。
(絶対に死んでなんかあげない…!)
大切な家族の幸せを守るためにも。
私はそう心の中で決意した。