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7 姉妹


 夜が明け、空に赤い色がじんわりと混じる頃、マリスはナタリーと院の地下へと向かっていた。

 


 昨夜は結局、サイラスが出ていった後はいつもはまばらに来るはずの吸血鬼は一人も来なかった。

 おかげで今日はマリスとナタリー以外は朝から大掃除に駆り出されている。

 彼らの来襲のせいで、院の中は妙な神聖な気配が残っているのだ。

 人には少し気が強すぎる。




「大変だったそうね」


 薄暗く湿った階段を先に下りていくナタリーがくすくすと笑った。


「大変なんてもんじゃないよ」

「お父様、帰ってくるんだって? すごく喜んでたわ」

「機嫌がいいよねー。昨日はうるさかったけど」


 三人の男が避難している完全隔離部屋を通り過ぎ、二人はさらに階段を下りていく。

 光も持っていないのに足取りに迷いがないのは、夜目がきくからだった。


「お母様は賢い人よ」


 ナタリーが言う。


「あなたと当主さまの接触を手放しで許してはいけないけど、かといってあの血族を止めることはできない。彼らが本気ならなおさらね。きちんと拒否した事実と、取引材料にふさわしい約束と、対等な条件でようやく着地点を見つけられるってわかっていてあなたを叱ったのよ。あなたも賢いから、わかっているでしょうけど」


 顔は見えなくても、マリスは姉がどれだけ穏やかな顔をしているか手に取るようにわかった。

 はあ、本当に父にそっくりな人だわ。


「それに、お父様の帰宅は、あなたを守るためでしょう?」

「……さあね」

「ふふ。可愛いわね、私の妹は」


 階段を下り終えると、地下の最奥には黒く濡れた扉が鎮座している。

 ナタリーが先にそっと触れ、続いてマリスも触れると、扉は意志を持ったように開いていった。


 部屋は足下から発光してぼんやりと明るい。

 中央にある一本の細い石畳の道の両側が数段低くなっており、淡く光る水が満ちている。


「変わりはないわね」

「昨日は輸血希望の吸血鬼来なかったけど、どう?」


 二人で揃って石畳を歩く。

 その先で、半分ほどが水に浸かった大きな水瓶が静かに待っていた。

 水色のそれは白い光に守られている。


 地下に眠るのは、人から提供された血液だ。

 特殊な針から採取した血液はチェックを終えて白く光ると、規定量のみこの地下の水瓶に送られる。そうして集められ、中毒性を除いた安全な血液へと精製され、ここで輸血の時を待っているのだ。


 ナタリーがしゃがみ、水に手を入れると、コオッと水が共鳴するように強く光った。


「大丈夫よ」

「よかった。血液も一ヶ月は足りそうだし、今日人が来なくて継ぎ足せなくても平気そう」

「継ぎ足し……ふふ、さながら秘伝のソースならぬ秘伝の血液よね……」


 自分で言いながらくすくすと笑うナタリーを、マリスは「やっぱり父さまそっくりだわ」と思う。いつもは涼やかな雰囲気であるのに、時折こうして何かが刺さって、一人くすくす笑っていることがあるのだ。そういうところも大好きなのだが。


 ナタリーが水に手を入れたまま「浄化」を始める。

 マリスもナタリーの隣でしゃがみ、水へ手を入れた。


 人には毒で、吸血鬼にも毒。

 この光る水を扱えるのは花聖院の直系の娘だけだ。

 ただ手を入れてぐるぐる混ぜるだけでどうして「浄化」となるのか、マリスはよく知らない。


 そうして二人は、水に手を入れて日課である「浄化」の為、ひたすらぐるぐると水をかき混ぜていった。どこまですれば終了なのか明確なものはないが、なんとなく「あら、すっきり」と思った頃がやめどきという、わりと適当な作業でもある。


 人と吸血鬼の間の山の中腹に居を構え、どちらにも決して赴かない。

 一生をここで過ごしていくが、マリスは不思議と窮屈感や疑問は感じなかった。

 


「ねえ、マリス」

「んー」

「あなた本当はどうなの?」


 ばしゃりと水をかき混ぜながらナタリーに聞かれ、思わず手を止めそうになる。


「えーと?」

「当主さまのこと」

「何がどうなのかよくわかんないなー」

「うふふ。可愛いわねえ、私の妹は」

「ナタリー」

「わかっているのよ。あなたは好き嫌いがはっきりしてるし、誤魔化すのは下手で、そもそも誤魔化す気もあんまりない面倒くさがり屋さんだもの」

「褒められてない気がする」

「褒めてるわ。嘘をつかないって事でしょ。まっすぐで優しいくせに、照れ屋ね」

「からかいたいの?」


 むずがゆくなったマリスのぶっきらぼうな言い方にも気を悪くする様子はなく、自分よりも一つも二つも上手な姉はゆるりと浄化の手を休めることなく動かし続ける。

 その美しい姿を横目で見て、やはり勝てない、とマリスは思った。



「私がサイラスのことをどうしたいのかは、言いたくない」



 そう呟けば、ナタリーは「そう……サイラス……サイラス様というのね」と繰り返した。


「わかったわ。ではもう聞かない。マリスの思うようにすればいい。お父様もお母様も私も、お姉さまたちも、絶対にあなたの味方よ」

「……うん」

「よし」

「いっか」


 二人で同時に手を引き上げる。

 水瓶は変化ない。

 それが一番いい状態であることを確認して、二人は全く濡れていない手をぶらぶらと振った。



「しかしまあ、あんな美しい人に求婚されて跳ね返せるあなたは大物ねえ」

「見てたの?」

「知ってたのよ。お父様と一緒にいるのを見たことがあるの。あまりにも綺麗な人で、びっくりして息を忘れていた記憶があるわ」


 懐かしむように水瓶を見て、ナタリーは言う。


「いいわね、マリス。あなたは選ばれたのね、あの人に……サイラス様に」




 声をかけられなかった。

 マリスはそのうっとりと言う横顔に何を言っていいのかわからないまま、さっと表情を変えて「じゃあ戻りましょう」と言うナタリーの後ろをただついて行くことしかできなかったのだ。

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