4 中立の存在
「あなた、ちゃんと自分の立場をわかっていたのね」
「当たり前でしょ」
母にしみじみと言われ、マリスは腕を組んで言った。
本気で人間を滅ぼしかねないサイラスに、吸血鬼達が「まあまあ、落ち着いて」とマリスから離して説得しているが、よくよく聞けば「面と向かって言ってはいけません」とか「決まった男ができたらその都度消しましょう」と言っていて止める気は一切ない。
母は参ったわと言わんばかりに額に手をやった。
そんなに参らなくても、結婚などしない、とマリスはため息をつく。
花聖院の娘は白い髪に青い目を持って生まれてくる。
それは、始祖の血が黒髪に赤い目を持っているからであり、唯一その身に子供を宿した人間が、体内で吸血鬼の血に抗って子の命を繋いだと言われているからだ。
血を同じにして、対極の存在として生まれてくる花聖院の娘達は、その血のために力の極弱い吸血鬼と婚姻関係を結んできた。
青い目の子供は花聖院の子孫の遠縁にも時折現れ、目を開けた赤子が青い目だった場合は髪の色がどうであれ、すぐにここに送られてくる。直系であるナタリーやマリスと同様に「花聖院の娘」として育ち、血を扱う能力を開花させて、その目から青い色が抜けるまでここで生きていく。
そうして、青い目を維持している。
それほど、自分たちが中立であり続けなくてはならないことを、マリスとてよく知っていた。
自分の目が紫色なのは始祖返りと言われる希な体質であり、おかげで人の血を扱うことには細心の注意をしなければならないことや、血を浄化するよりも消滅させることの方が得意な理由もそこにあることをきちんと理解している。
その自分が、力のある吸血鬼と結婚するのはもってのほかだという事も。
花聖院の血がより吸血鬼に近くなり、中立を保てなくなれば、目も当てられない事態に陥ることは目に見えている。
一生結婚しないのは血脈を繋いでいく上で現実的ではない。
ならば、力のない人間と婚姻関係を結んでこの血を薄めるしかないのだ。
「人と結婚するというのはいい心がけよ。そうするしかないと思っていたわ。あなたには申し訳ないけれど……」
母が呟く。
しんみりと。
しかし、気の短い彼女の我慢も少しだけだった。
「でもね?! じゃあ吸血鬼と文通しては駄目でしょう?! 結婚の申し込みまで手紙でされているなら、即! 断るべきでしょ!! 母さまにどうして言わなかったの!!!」
「うるさ」
「マリス!」
「失礼します、院長殿」
怒れる母の怒号から助けてくれたのは、緩くうねった黒髪を後ろで束ねた双子の男女だった。身長まで同じで、ドレスとスーツを交換しても違和感がないほどにそっくりで性別の区別の付かない美しさを放っている。
スーツの男が、マリスに深くお辞儀をした。
「トーリと申します。こちらは妹のティア。マリス様とお呼びしても?」
「お好きにどうそ」
「ふふ。ではマリス様。このたびはお礼が遅くなって申し訳ありません」
「我が主、幼き時のサイラス様を励ましていただき、手紙での交流で心を支えてくださったこと。我ら一同感謝しております」
二人が美しく礼をする。
すると、離れた場所にいた吸血鬼達も順に頭を下げた。
さすがアットホームファミリーだ。
横からぼそりと「あなた本当になにをしたの」と母に呟かれる。気が遠くなっている様子だった。
「……丁寧なお礼をどうもありがとうございます、皆様方。けど、私は友人としてそうしただけで、別に特別なことはなにもしていないから、気にしないで結構よ」
「マリス」
最初は礼儀正しく受け取ったが、すぐに砕けた口調になったマリスを睨んだのは母だ。
もっとうまくやって追い返せ、と圧がかかる。
「……ええと、それで、サイラス?」
「なんだ」
離れたところにいたサイラスが突然目の前に現れても驚くことなく、マリスは伝えた。
「結婚はできない」
「する」
「無理」
「する。君以外考えられな」
「西の城の主の吸血鬼をどうして探しているの?」
おう、とサイラスの背後の吸血鬼達がどよめく。
なるほど、聞かれては都合が悪いらしい。
マリスが、ふーん、と訝しげにサイラスを見上げれば、彼はにっこりと微笑んだ。
「おいたをしたのでね」
「理由を説明して」
「……」
「相手は何をしたの? あなたは自分の都合で狩る人じゃないって思ってたんだけど?」
年に二回ほどだったが、文通の文字はいつも慈愛に満ちていて、時折過度に自分をほめたたえてくれているところ以外は、思いやり深く情の厚い人柄を感じられた。
マリスがまっすぐ見上げれば、見下ろす赤い目がくっと細くなった。ピアスが三つついている右耳に触れ、浅い息を吐く。
「俺の贄を持って行ったので、話を付けなくてはならなくてな」
「にえ?」
「気にすることはないよ」
にこっと笑って流そうとするが、花聖院の娘であるマリスが知らないわけがないので、こちらもにこっと笑う。
「それって、あれだよね。始祖の血族だけに許された、人から吸血するためにそばにいる生涯のパートナーのことだよね?」
「ただの儀式用の娘だ。パートナーでも何でもない」
「へー、女の子なんだ」
「……」
「じゃあ吸血しなかったの?」
「……マリス」
「ふーん、首にキスしたんだー」
「マリ」
「手紙で求婚しておきながら……へー、ふーん。そっかあー」
マリスが無表情で言えば、サイラスは顔を覆って今度は深いため息をついたのだった。