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32 恋をする瞳



「……結婚?」


 騎士団を見送ったナタリーが、花瓶の花を整えながら「そうよ」と言ったので、マリスは理解が追いつかずに思わず呆けた。


 なんだか既視感がある。

 そういえば、ナタリー自身の結婚発表もこんなふわっとしたものだった。ということは。


「え……結婚って、本気なの?」


 まだ十六歳のカノンの結婚報告だと理解したマリスは思わず声を張り上げていた。


「何を言ってんの。正気?!」

「ふっ!」


 ナタリーが吹き出す。マリスが訝しげに首を傾げれば、ナタリーは「ああ、おかしい」と口元を覆った。


「だって、お母様と同じ反応なんだもの」

「……あの日ナタリーはいなかったはずだけど?」


 随分昔の話だ。

 再会の日に、求婚をしたとかされたなどの話になって、母に烈火の如く怒られた。何を勝手なことをして、とそれはもううるさいほどに。


「すごい声だったもの。聞こえたわ」

「……」

「恥ずかしがらなくても良いじゃない。さっきの、お母様にそっくりで会えたようで嬉しかったのよ」


 こちらをじっと見る暖かな青い目は、言葉通り懐かしんでいた。

 マリスはいつも、ナタリーを通して母を思い出している。

 どうして、母親になったナタリーが自分のように母を恋しがることはないと無意識に思っていたのだろう。マリスは恥じ、けれど「姉」の思いに久し振りに触れられた気がした。


「元気にしてるわ。お父様と二人きりで」


 マリスの気持ちを掬い取り、ナタリーが言う。


「……それは、すっごく幸せだろうね」

「ふふ。そうよ」

「うん」

「可愛いわね、私の妹は」


 妹扱いをしてくれるその言葉が酷く懐かしくて、マリスは俯いてはにかむように笑う。つんと肩でつつかれ、マリスも同じように身体を揺らして返した。

 母の思い出で姉妹に戻ったような、幼い頃の無邪気さにお互いくすくすと笑う。

 最近はもっぱら戦友のような関係だった。


「ま、そういうことだから、カノンだって幸せになるわ」

「そうだった。うっかり流されるところだったけど、私は反対だからね」

「あらー」

「あの子はまだ十六歳ってこと忘れてない?」

「これでも母よ。忘れるわけがないでしょう」

「相手は」

「マリスったら、しっかり保護者ねえ」

「相手は?」


 はぐらかすつもりはないだろうが、のらりくらりとして答えようとしないナタリーに、カノンの父である義兄はどう言っているのかと聞けば、それは「カノンが幸せになれる相手が見つかったのなら嬉しいことだって言ってるわよ」とうっとりと言う。

 あの義兄がそういうのなら悪い相手ではないのだろう。

 

「……それでも、まだ早いって」

「ふふ。カノンを愛してくれてありがとう、マリス。あなたと同じように、もしかしたらそれ以上に愛してくれる人よ。結婚は二十歳になってからだから安心して」


 穏やかな言葉に、マリスは余計混乱する。


「だったら今言わなくても」

「婚約したいそうよ、あの子が」

「婚約?」

「ええ、もう長いことお相手に求婚し続けていてね」

「……求婚」

「押して押して、ようやく相手が観念してくれたそうだから、今のうちにしっかり誓いを交わしておきたいんですって。逃したくないらしくて」

「……」

「ね、花聖院の子かしらってびっくりしちゃうわ。何の因果かしら」


 聞いていられなくなったマリスが腕を組むと、ナタリーはふわりと笑った。


「十歳の頃からの初恋を一切諦めないどころか、誰かさんを思い起こさせるくらいのアグレッシブさで相手を射止めたのよ。あの子は私の子のはずなのだけど、変よね」

「……全然知らなかった」

「あら。マリスには言えないわ」


 あっけらかんと言われる。

 マリスが「誰かさん」との間に何があったのか、カノンは知らないはずだ。


「恥ずかしいのよ。あの子にとってあなたは憧れの対象だから」

「憧れ?」

「嬉しい?」

「……まあね」


 マリスのぶっきらぼうな肯定に、ナタリーは慈しむように笑う。


「マリス。私はね、ここに身を尽くすということがどれほど尊いことか、あなたを見ているといつも感じるの。たとえ採血ができず、輸血もできなくても、あなた自身がここにいる意義を強く持ってる。だから、私たちはここをまっすぐに愛すことができる。ここにいる自分たちを、心から愛せる」


 ナタリーはゆっくりと言葉を紡いだ。


「ありがとう。不甲斐ない姉をよく支えてくれたわ」


 そんなことない、と言いたかった。

 支えてもらったのは自分だ、と。

 しかし、今、心の底から自分に感謝を伝えようとする姉のそれは、素直に受け取るべきもののように思えた。


「うん」


 それだけしか言えなかったが、ナタリーはわかっていたように「ふふ!」と嬉しそうに微笑んでくれる。




「マリス様」




 姉妹のひとときの間に、ふと低い声が割って入った。

 振り向くと、トーリが立っている。

 もう日が暮れていたのだ。義兄が後ろにいるのを見れば、彼が門を開けたらしいことがわかった。そしてなぜか、トーリの背後にちらちらと青いワンピースが揺れるのが見える。


「……久しぶりね、トーリ」

「ええ、お久しぶりです。我らの薔薇の君」

「それまだ言ってるの」

「いつもティアがお世話になっています」

「まだ言ってるのね?」

「あなたの名前を出すのは厳禁なので、仕方なく」


 と言いながらもどう見ても「仕方ない」顔ではない。

 

「……それで?」


 マリスはある予感に頭を抱える。


「カノンはどうしてトーリの後ろにいるの?」


 名前を呼べば、そわりとカノンがトーリの背から顔を出した。

 なぜか大層穏やかな顔をしたトーリが、その小さな頭を撫でる。


 もう予感などと言っていられない。

 見つめ合う二人の目を見れば一目瞭然だった。


 カノンの相手は、トーリらしい。

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