19 感情
「自分のためだけに、自堕落に生きていくつもりでした」
エリカは花々を見て微笑む。
「でも、出会ってしまったので」
「……ラーシュと?」
「はい!」
輝くような笑みは、満たされた恋をしているものだった。
マリスはこの顔をつい最近見た。ラーシュが、輸血に来たときに彼女を語った顔だ。
「あの人は、私たちが二人で居られるように尽力してくれました。自分にも想う人が居るから協力する、と。つまりマリスさんのおかげですね」
「……そうなの?」
「そうですよ。あ、別に私たちには本当に何もなくてですね。むしろ、私たちをくっつけたのはあの人の策略ではないかとラーシュはいつも言ってます。私がいらなくなったタイミングだったんだろう、と」
まあ、でも、とエリカは柔和な顔でマリスを見る。
「いいんですけどね。なんでも、いいんです。ラーシュと会えたことは私の幸福ですから。贄の娘をほかの吸血鬼……それも始祖の血族でもない吸血鬼へだなんて、相当な根回しがなければ無理だったと思います。ラーシュ自身も無事に戻ってくるとは、私は思っていなかったですし」
明るい表情で言うことではないが、エリカの表情に陰りはひとつもない。
彼女には覚悟がある。
マリスは、華奢なエリカの内側の強さを見た気がした。
自分には持てそうもない強さを。
「……あなたは大丈夫なの」
聞けば、エリカは大きく頷く。
「大丈夫です。私たちは条件を守って生きていくだけでお咎めなしですから。私は吸血を許してはならないし、ラーシュも輸血以外で血を補給することは許されません。けれど、彼の一部になりたくて。献血ならばいい、とお許しをもらいました」
「そう。あなたの、その、家族は?」
家族の元に帰りたいと思わないのだろうか。マリスは家族の多い環境で育ってきたせいか、エリカの「ただ一人の吸血鬼のために人生を捧げる」ことの覚悟の重さを理解することはできなかった。
「私、孤児なんです。兄は結婚を控えていて、私をどうするか悩んでいた様子でした。兄の重荷になりたくない私と、自分に一切興味を持たない贄が必要だったあの人と……タイミングがよかっただけなんです」
だから本当に、なにもないんですよ、とエリカは念を押してきた。
マリスは黙り込む。
「私もそうですけど、吸血鬼達は、あの人を尊敬しているんです」
エリカは遠くを見るように空を見た。
「必要なときに必要なことを、相手を見極めて、相手のための最善を尽くす。けれど決して自分をないがしろになんてしないので、私たちは安心して委ねることができるんです。あの人に背負ってもらって、率いてもらう。一番前を楽しそうに歩いてくれる人に、心でついて行く。迷わないし、迷えないでしょう?」
マリスが黙っているのを子供を見るように見て、エリカは続ける。
「だけど、あの人は誰にも支えてもらう気がない。じゃあ先頭を歩くことに疲れたときはどうなるのだろうって、誰もが心配していました。そこで、薔薇の君の話が徐々に広がって……まあ、皆の反応は話した通りでしたが、それでも、支えがあることに安堵したのは皆同じだと思います。だから、不思議ですね……あなたを前にしていると、あなたを知らない人のようには思えない」
「……そんなもの偶像だわ」
「ふふ!」
マリスの言葉に、エリカは無邪気に笑った。
「いいえ。あの人の言うあなたは、今目の前にいるあなたのままです。マリスさんは、受け入れたくないんですか?」
「……」
「そっか。それでもいいと思います。一生片思いでも、愛する人が居ることは幸せですから」
「あなたは強いのね」
「強くなったんです。こう見えて、ラーシュとの恋はそれはもう大恋愛で、死に別れることもあるかもしれないと、たくさん泣きました。それでも、やっぱりそばにいたいし、いて欲しいんですよ。身勝手ですけど」
満ちた目をして微笑むエリカは美しい。
マリスは自分の白い髪を押さえて、その気高い視線から逃げたくなった。
そして、気づく。
やっぱり、なんだか変。
何かが変だ。
「……マリス」
背後から呼ばれ、マリスは振り返った。
ナタリーがちらりとエリカを見やり、それから声を張って言う。
「騎士団が来たわ」
げっ、と女性らしからぬ声を上げたのはエリカだった。
わたわたと隠れようとしている。
「エリカさん? ナタリーと申します。もう東の門は騎士団の方々がいらっしゃっていて、出られそうもないわ。この庭にも、視察に来るし……隠れるのは無理かと」
「そんな!」
両手で顔を覆って、エリカはマリスに助けを求めるように見上げる。
「どどどどど、どうしましょう?」
吸血鬼側に渡した贄の娘が、中立を掲げる花聖院に赴いている。
その状況だけで、色々とマズい。
それに彼女は今、安全な別の場所で暮らしている設定なのだ。それがここだと勘違いされでもしたらたまったものではない。
マリスは浅く息を吐くと、ナタリーを見た。
「隠すなら、あの場所しかないでしょ」
「うふふ。賢いわね、私の妹は」
○
「ようこそおいでくださいました」
院長である母の先導の元、二十名ほどの騎士団の代表達が花聖院に続々と踏み込んでくる。
マリスはこの光景が好きではない。
姉たちは献血希望者達のフォローに徹していて、彼らとともに院の中を練り歩くのはマリスとナタリーの役目でもあった。一番後方で不機嫌な顔をしているのをナタリーに肘でたしなめられる。
彼らはいつも、正義は自分にあるかのように振る舞う。
わざとらしい騎士団の正装に、腰に剣を携えた屈強な男達が、女ばかりの院の中を我が物顔で「異常なし」とチェックしていくのだ。
ここはあくまでも中立の場所で、人間のための施設ではない。
あまりにも腹立たしい。
……ああ、やっぱり変だ。
マリスは内心舌打ちをする。
いつもは大きく揺れない感情の振り幅が最近なんだか大きくなっている気がするのだ。今までなら反応せずにいられたことに反応している。
それも、いつも以上に過敏に。
意識して沈めている感情が、ぷかぷかと無防備に浮き上がってくる。
心当たりはある。
というか、心当たりしかない。




