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18 噂



 エリカは言う。


 まさか、薔薇の君が本当にいたなんて、と。

 ああ、よかったあ、と心からほっとしている。サイラスの名前を口にしたときの彼女の様子に、マリスはようやく納得した。


 不安や、ちょっとした怯え。


 つまり、サイラスは居もしない相手に焦がれていたちょっと危ない吸血鬼だと思われていたらしい。

 若干引いたマリスに気づき、可憐な彼女は慌てたようにフォローを始めた。


「あの、でも、はい。大丈夫ですよ」

「……なにが?」


 マリスがまっすぐに見ると、エリカは「うっ」と一瞬詰まった。

 おろおろとしていたが、やがてマリスの視線に観念したようにうなだれる。


「ごめんなさい。あなたのどこが素晴らしいかを暇があれば話し続けていました」

「暇さえあれば」

「息をするように」

「……」

「もう皆聞き飽きたくらいに」

「……」

「あの人、あなたのことが大好きなんです」


 はあ、とため息混じりに言われて、マリスは反応できなかった。

 仕方ないので、庭の百合を見つめる。

 白い花びらもこちらをじっと見ていた。


「私たちは皆、その謎の相手が一体どこにいるのかわからなくて……でもあまりにも具体的で、かと思えばなんかふわっとしていて、もう正直存在しないものとして聞き流していたんです」


 なんて恐ろしい状態だったのだろう。

 そしてなまぬるい目で見守られていたサイラスが、それさえも楽しんでいたであろうことがマリスには容易に想像できた。

 周りはハラハラし、その様子をサイラスが楽しみ、その状況だからこそなんでも口にすることができる。そうして煩わしい干渉をしっかりと跳ね返せる状況を作った、用意周到な戦術のようなものだったのだろう。


 マリスが納得していると、エリカは胸に手を当てて心底安堵したように呟いた。



「……よかった。あの人が心から愛せる人がいて、孤独じゃないのなら、本当によかった」



 まるで、遠い誰かに感謝するように「よかった」と繰り返す。

 ともすれば涙までこぼしそうだった。


 マリスは百合から、エリカへと視線を向ける。


「どうして?」


 気づかぬうちに聞いていた。


「あなた、サイラスのパートナーだったんでしょう。選ばれた人が、どうして別の吸血鬼のところにいるの?」


 なんでもない。

 出会いは偶然。

 彼女とは利害の一致で。

 自分の城には置いていたが部屋は別。

 彼女には付き人をつけていて世話はしていない。

 対外的なアピールとして夜会に連れて行ったことはあるが。

 お互い仕事だった。

 愛も恋もない。

 誤解をしないで欲しい。


 サイラスが手紙に書いていた言葉が頭の中に戻ってくる。

 怒濤の言い訳だったが、なんだかあやふやだった。

 本人であるエリカが目の前に現れなければ、聞くこともなかっただろう。でも、彼女のひたむきさや、サイラスに想う人がいて「よかった」と言える理由を、マリスは唐突に知りたくなった。

 彼女がラーシュと共にいる理由を。

 サイラスから離れていった理由を。


 

 エリカは少しだけきょとんとしたが、マリスを見て微笑んだ。


「すべて聞いているんですね」


 マリスは首を横に振る。


「私が聞いても問題ないことだけ、ね。全部じゃない」

「たぶん、そうじゃないです。それが事実なだけなんです」


 エリカは静かに笑う。


「私とあの人はパートナーと言うよりは、利害の一致で小さな協定を組んでいただけだから、私の説明をあなたにすることが特にないんです。隣の家に住んでる知り合い、くらいのつき合いでしたから、パートナーと表現されると、違います、誤解ですって私でも言います。ただ、贄の娘という立場が、外から見れば特別なのはわかります。実際そんなんじゃないんですけどね。彼らは人から吸血はしないので」


 エリカの言葉に、マリスは言葉が出ない。


 吸血しない?

 始祖の血族にだけ、許されているというのに?


「……彼らは人の血を必要とはしません。下に行けば行くほど、始祖の血が薄まって、吸血鬼の体を維持するために人の血が必要なんだそうです。純粋な始祖の血族は、その受け継がれる血で生きていける。けれどそれを知られれば彼らの立場が危うくなるから、ひとつ、弱点を用意しているにすぎません」

「それを、私に話して良いの?」


 マリスが聞けば、彼女は優しい顔で頷いた。


「はい。きっと、いつかあなたに話すために、私に聞かせたんでしょうから。ここに来ることの許可をもらって来たときも、この話を覚えているかと聞かれましたし」


 無駄なことはしない人ですしね、と苦笑する。

 その顔は、なにも関係などなかったという割には親しい者を語る顔だった。


「始祖の血族にも弱点はあるが、特別に許されることがある、というために必要なのが、贄の娘です。だから、あの人がどんなにいらないと言っても、当主になってしまった瞬間からどうしても私のような存在は必要でした。けど、本当にいらない存在なので、それはもう鬱陶しそうに私たちを見ていましたよ」


 くすくすと笑う。

 風に揺れる髪を押さえている仕草は、とても美しい。


「あなたは、選ばれて嫌ではなかったの?」


 マリスが聞けば、エリカは顔を輝かせた。

 

「ええ、そりゃもう、嬉しかったですよ。私は一生ごろごろして生きていくのが夢でしたから。自由にお菓子食べて転がって、お花を見ながらだらだらして、本を読みながら昼寝をしたいんです。なにもしない生活をしていいと言っていただけたので、私はお飾りの贄の娘に就職したんです。そう、ただの就職でしたね、あれは」



 儚い雰囲気を持ち、可憐に笑う美しい人は「私は自分のためだけに、だらだらごろごろして生きたいんです」と本気で言った。

 清々しい笑みを添えて。


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