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17 エリカ


 その名前が特段珍しいわけではない。

 けれど、マリスは確信した。


 この人が、サイラスのパートナーに選ばれた人であると。




「あ、ごめんなさい」


 亜麻色の髪の女性は、マリスに連れられて院に入ると、静まっている気配に身を小さくした。


「朝早すぎましたよね……」

「気にしないで。ここは門が開いている間ならいつでも来て大丈夫だから」



 彼女はマリスの言葉にほっと小さな息を吐いた。


 後ろをついてくる華奢な気配は、同性だというのに不思議と庇護欲をかき立てられる。彼女の美しさや儚さが、顔を見なくてもバシバシと伝わってくるのだ。


 なんだかいい匂いまでしている気がする。

 


「……マリス、献血の方?」


 

 いち早く気づいた母が人間用の待合室から出てきて、彼女を見てにっこりと微笑んだ。


「おはようございます、ご協力感謝します」

「いえ、あの、早くにすみません」

「かまいませんよ。よく来てくださいました」


 慈悲深い笑みに、彼女はほうっと見上げる。


「初めての方ですよね?」

「あ、はい」

「どうぞこちらへ。マリスも」


 大抵の初めての相手には、二人がかりで話をして気を紛らわせながらする事が多い。怯えたり緊張している相手から採ることは良しとされないからだ。善意であることの献血が、そうでない処置であってはならない。


 マリスは母の手際のいい処置の準備の間、彼女の斜め向かいに座って話しかける。

 特殊な銀の針がカチャンとトレーに置かれた。


「これで採血をするの。痛みは少しだけあるけど、大丈夫?」

「平気です。痛みには強いので」

「……そう」


 そりゃ、噛まれてるから慣れているはずだ。

 と、マリスは自分の心の内で毒づいたことに驚く。


「……えーと、エリカさん、いくつなの?」


 切り替えようとマリスが聞くと、エリカはふわっと笑った。

 人に警戒心のない、無邪気な柔らかさが咲いたようだった。


「十八歳です。マリス、さんは?」

「十九よ」

「ひとつお姉さんですね」


 嫌みのない笑みに、なぜか胸の奥の方が痛む。



 銀の針が、エリカの白すぎる腕にそっと置かれた。

 針の持ち手の透明な石の光が強くなっていく。白い光が腕の上に現れると、彼女は顔を輝かせてそれを見た。


「うわあ、綺麗ですね」

「そんなことを言う人は初めてだわ。痛みはどう?」

「全く痛くないです」


 母がその反応を微笑ましそうに笑う。


「この光が白ければ、血液は問題なく採取できるってことなの。大丈夫よ。献血してもいい?」

「お願いします」


 エリカの顔は真剣だった。

 白い光の中に血液がするすると吸い込まれていくのを見て、驚くどころかほっとしている。



「……エリカさん、このことをサイラスは知っているの?」



 ふと、マリスが「贄の娘が献血をすること」について疑問に思って聞くと、エリカも母もびっくりしたように同時にマリスを見た。


 驚きすぎて口を閉ざしたのは母で、開いたのはエリカだった。


「サ……って、あのー、あの……」


 ものすごく狼狽えている。

 マリスはその反応に不思議そうに首を傾げた。

 どうしてそんなに不安げというか、少し怯えているのだろう。


「サイラスはサイラスだよ。綺麗な顔した吸血鬼の」

「いや、いや、まあ……綺麗な人ですけど……」


 三人の間に微妙な空気が流れている間に、規定量を採取した光はモヤのように消えていった。


 思い出したように母が針を抜いて銀のトレーに置き、腕に手をかざす。

 針の痕にプックリと溢れていた丸い血液の粒が消え、戸惑う彼女を落ち着かせるような眼差しで止血も完了した。


「終わったわ。エリカさん、でしたかしら」

「あ……はい」

「お花は好き?」

「え?」

「ここに来たのは初めてでしょう? 娘達が花をたくさん育ててるの。よかったら、庭を見てから帰らない? マリスが門までお送りしますよ」


 つまるところ、二人で人気のないところで話してこい、とのお達しだが、エリカは慈悲深い表情に騙されたのか、ほっとしたように「ありがとうございます」と大きく頷いた。

 

「いいですか?」


 マリスにもきちんと聞いてくるエリカの顔には「少し話がしたい」と書かれている。ちらりと母を見上げれば、ものすごい形相で睨み下ろされた。


 いいから話してこい、そしてきちんと報告しろ、と言いたいのだろう。

 マリスは正しく受け取って立ち上がった。


「案内するよ。採血後だけど、大丈夫?」

「はい。お気遣いありがとうございます」


 弾けるように笑うエリカを、マリスは眩しく思えた。

 あの軽薄で陽気なラーシュが彼女に傾くのがよくわかる。

 儚くて美しくて、それでいて太陽のようにあたたかい。まるで自分が許されて包まれているような気持ちにさせてくれる目をしていた。





 エリカを連れ立って庭へ出ると、二人を花々が迎えた。

 花壇が円状に配置されていて、それぞれが好みの花を育てているのでまとまりはないが、その雑多さを皆気に入っている。花が咲き続けているのは常に姉たちが世話を絶やさないからだ。ここにはバラはないが、マリスはこの庭が好きだった。



「わあ、なんだか可愛いお庭ですね」

「ありがとう。姉たちがお世話してるの」

「マリスさんは?」

「私は枯らせてしまうから、見るの専門」


 冗談めかして言えば、汲み取ってふふっと無邪気に笑ってくれる。

 マリスは知らずのうちに強ばっていた体の力が抜けるのを感じた。


「……さっきはごめん。無遠慮な聞き方だったわ」


 マリスの言葉に、エリカは慌てたように手を振った。


「いえ、驚いただけで……その、あの人の名前をそのまま呼ぶ人なんていなかったものですから。それから、献血は、許可をもらっています」

「そう。よかった」

「どうして私のことを?」


 エリカの問いに、マリスはサイラスから聞いた、と簡単に伝えたが、彼女はじわじわと喜びに染まった顔で「もしかして」と呟いた。

 

 マリスも「もしかして」と頭を抱える。



「あなたが薔薇の君なんですか?」

「それやめて。本当にやめて」

「本当にいたんだ!」



 マリスは頭が痛くなった。



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