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16 結婚



 夜が沈んでいく。

 花聖院は夜通し開いているが、マリスもナタリーも母も、長い睡眠を必要とはしない。一日四時間、細切れでも小さな睡眠と休憩をとれば十分だ。

 ほとんどの吸血鬼は裏門が開くのを待っているので、十二時を回るまでは姉たちと総出で対応に当たる。しかし、十二時を過ぎれば姉たちも休み、吸血鬼達も一人二人しかやって来ない。


 毎日激務なナタリーはその間仮眠室で休み、母は裏門に面する院の扉の内側に椅子を置いて休み、マリスは待合室でぼんやりとする。

 マリスは二人よりも「睡眠」を必要としなかった。

 この紫色の瞳のせいだろう。




「父さま」


 夜が明けるまであと数時間。静まった花聖院の中、父が帰ってきてくれたおかげで一人ぼんやりする時間が暇ではなくなった。

 本を読んでいる父が顔を上げずに返事をする。


「んー?」

「何か言いたいことがあるんじゃないの?」

「うーん、あるけど、君を追いつめることは望んでないよ」

「……ありがとう」

「いいえ。それよりも、よくトーリとティアを見分けられたね。あれはわざと?」


 興味深げに聞かれたので、マリスはくすっと笑う。


「うん。あそこで言ったのはわざと。でもあの二人、よく見たらわかるよ」

「へえ。どこを見たらわかるの」

「目」


 マリスは父の目を見て目を細める。


「同じ赤い目でも、みんな色合いが少し違う。ティアの目は朝の日差しの赤。トーリの目は夕暮れの赤。父さまの目は、優しい暖炉の火のような赤」


 目を丸くして、そうしてなぜか悲しそうに笑って、父はマリスの頭を撫でた。


「そうか」


 ああ、そうか。

 これは、私しかわからないのか。

 マリスは少しだけ気持ちが沈むのを感じたが、それをそっと流す。


 時折、自分が人でも吸血鬼でも、ましてや花聖院の正当な娘ですらない気持ちが襲ってくる。自分が一体なんなのかわからなくて、恐ろしくなるのだ。

 そんなとき、決まって自室の引き出しの奥にしまってあるあの瓶を取り出した。


 枯れることなく積み重なっていった、バラの花びらを見る。


 手紙は一度読むと花びらに姿を変えて二度と読めなくなったが、そのすべてが瓶に詰まったように、マリスの心に積もっていた。見るだけで、記憶の中にある言葉が自分を満たしてくれたのだ。


 今、あれが見たい。

 あの瓶を手にとって、抱きしめたい。



「ねえ、マリス」


 父の声で、ハッとする。

 しかしそれを綺麗に包み隠して、マリスは「なあに」と返事をした。



「実は君に縁談が来ていたんだ」



 思わぬ一言に、マリスは思わず隣の父を凝視した。

 静かに笑って、父はもう一度言う。


「うん、縁談」

「……どっちの」

「人間」

「そっか、そうだよね」

「そう。騎士団の中から一人、選べと」

「誰が」

「双方から」


 つまり、吸血鬼側からも、人間側からも、マリスが「無力」になることを望まれていたのだ。なんらかの鎖に繋ぐべきだ、と。


「ああ、そう」


 どうとも思わなかった。

 自分の立ち位置がわからぬほど愚鈍ではない。

 マリスの言葉に、父からまた頭をぽんぽんと撫でられる。

 ふと、腑に落ちた。


「騎士団が来るタイミングが悪いって言うのは……そういうこと、ね」

「うん。まあ、あの人の所行で贄の娘をほかの吸血鬼に渡したことがバレても面倒なんだけど、それ以上に、君にお見合いもどきをさせることになってしまうと……あの人がね……騎士団に喧嘩をふっかけかねないから」


 けどまあ、と父が深いため息を吐く。


「まさか騎士団が来るよりも先に、君にイバラを仕込むなんてね。あの人は本当に、抜け目がない。マリス、わかっていると思うけど、間違っても彼らに触れないようにね」

「それは大丈夫」


 一番、安全な方法だ。

 マリスが接触しないことを知っているサイラスは騎士団の来訪を静かに見守るだろうし、こちら側が拒否すれば、お見合いは成立しない。

 中立の存在である花聖院の娘を、どちらかが思い通りに動かすことがあってはならないという協定には、確か注釈はなかったはずだ。


 どちらにも介入しない。

 しかし、どちらにも介入させない。

 誰にも属さない。

 だからこそ、双方の安寧のために尽力する。

 その聖域を、絶対に、吸血鬼側も人間側も侵さない。

 

 誰でもないマリス自身が「拒絶」することが必要なのだ。

 サイラスはそれを見事に綺麗に整えた。

 イバラが消えない限り、マリスが人と結婚することはできない。


「そうか」


 マリスはパッと顔を上げる。


「結婚しなければいいんだ」

「え?」

「だから、私は一生結婚しなければ、面倒なことにはならないでしょ? そう私が宣言すればいいだけなんじゃない?」

「マリス」


 珍しく険しい顔で、父が首を横に振る。


「やめておきなさい。結婚が全ての幸せだなんて陳腐なことを言うつもりはないけど、いつか君にも特別な人が欲しくなるかもしれない。宣言などすれば、結婚はもうできないよ」

「特別な人がいたって、その相手と結婚できるわけじゃないでしょ」


 マリスが言えば、父は口を閉ざしてしまった。


 ああ、しまった。

 余計なことは言ってはならないのに。


 マリスも口を閉じ、目を伏せる。

 ほんの少しの眠りを迎えにいくために。


 訪れようとしている朝と、ここにやって来る人を迎えに行くために。





    ○






「あの。あの、献血の希望なのですが」


 マリスが門を開ける前にすでにやって来ていた濃紺のマントをしっかりと着込んだ女性が、マリスを見て何度もペコペコと頭を下げる。


 若い声だ。

 珍しい。


 献血希望者は大抵は健康のチェックをしたい働き盛りの者が多く、あとは純粋な善意の人々だ。そしてその人々は大抵、日が昇りきってから散歩がてらにやって来る。

 こんなに必死な人はいない。

 

マリスが黙っていると、彼女は思い出したようにさっとフードを取った。



「名乗らずにすみません……エリカと申します。どうか、お願いします」



 頭を下げる彼女は、とても美しい人だった。



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