15 思い出
「イバラを消す気はないの?」
マリスが聞けば、なにを言ってるんだと驚かれる。
「ない」
「……一応聞くけど」
「どうぞ」
「人にも反応するの」
「する。騎士団に気をつけろよ」
しれっと言ったが、騎士団にイバラが巻き付きでもしたらとんでもないことになるに違いない。マリスが不快そうにしても、サイラスの表情は変わらなかった。
なにを言っても無駄らしい。
マリスは深いため息を吐く。
「……さっきの話だけど、ラーシュの言ったように」
「あいつとそんなに仲が良いのか?」
むっとしたような視線を思いっきり無視してマリスは続ける。
「ラーシュの言ったように、騎士団がいつ来るかわからないから、しばらく来るのはやめて」
「嫌だ」
「サイラス」
「あいつらはどうせ昼間にしか来ないだろう。俺が来るのは夜。何の問題が?」
「騎士団との関係はどうなの」
マリスが話題を変えたことに気づいたのか、じっとりとサイラスがマリスを見る。
しばらく無言で見つめ合ったが、サイラスの方が「まあいい」と折れた。
「関係は良好だよ」
「良好ねえ」
「マリス、良いことを教えてやろう」
サイラスはとんとんと口元に指を置く。
「吸血鬼と人は会うことが禁止されているが、しかしその協定には注釈が山ほどある」
「つまり?」
「定期的に懇談することもあるということだよ」
言ってはいけないことではないのだろうか。
マリスが眉をひそめると、にこっと無邪気な笑顔が返ってきた。
「まあ、向こうの王家と騎士団だけだ。それ以外に会ってはバランスが崩れてしまうからな」
「ああ……それで」
マリスはようやく腑に落ちた。どうやって贄の娘を選んだのか不思議だった。手紙では、出会いは偶然でとか、利害の一致で仕方なく、など微妙にあやふやに書いてあり、吸血鬼と人がどうやって偶然に会うのか、と思ったからだ。
「王家と騎士団とそちら側で、お見合いがあった、と」
「違う」
「なるほど。そこで彼女を選んだのね」
「違うと言っているんだが?」
「彼女のことはどうなってるの?」
サイラスの「違う」をスルーして、マリスは聞く。
騎士団が来たときのために知っておく必要があった。
サイラスも思い当たったのか、ゆるく頷く。
「ああ……言ってなかったな。エリカの希望で安全な別の場所に住んでいることになっている。嘘ではないのでな。細かい事情の説明は求められていないのでしていない。でもマリスが詳しく知っておきたいならフィンに」
「そう、エリカさん。きれいな名前」
「……」
「……」
二人とも無表情で視線を合わせたまま、無言の時間が流れる。
とりあえず、向こうは簡単なあらまししか知らないことはわかったのはありがたい。情報がある程度渡っているのなら、向こうが何か探りを入れてくることもないだろう。いつも通り、年に一度の視察をたった一時間で終えて帰って行ってくれることを願おう。マリスが足先をぶらぶらと揺らすと、サイラスが口を開こうとした。
「……マリス、お父様がそちらへ行きましたよ」
部屋がうわんと鳴り、二人ともぴたり止まって天井を見上げる。
「……マリス?」
「聞こえてる」
「……開けるわよ」
「はいはい」
すぐに扉が開き、父が入ってくると同時に別の二人も部屋に入ってきた。
トーリとティアだ。
初めて会ったときとは違い、ドレスアップまではしていないが、綺麗な格好をしている。深緑のワンピースと、同じ色のシャツの双子。黒くうねった髪は今日は後ろで三つ編みされていて、やはり双子という言葉以上にそっくりだった。
「どうした」
サイラスが硬質な声で尋ねれば、二人は息ぴったりに頭を下げる。
「申し訳ありません」
「至急対応していただきたいことがありまして」
「北の吸血鬼の兄弟ことで」
「ええ、ユリフィラのことで」
「どちらがもらい受けるかで喧嘩を始めまして」
「すでに魔の森の端が燃えはじめていて」
「被害を食い止めるためにこちら側の者を出しておりますが」
「間に合いません」
「またか」
交互に喋る双子の言葉に、サイラスが無表情を崩して頭を掻く。
マリスはしゃきっと立って手を振った。
「さようなら、サイラス」
「マリス、俺はまだ帰ると言っていないが」
「あなたは帰るよ。放っておけないから。違うの?」
にやりと聞けば、サイラスも同じ顔で笑って立ち上がる。
「帰るよ」
「さよーならー」
「嬉しそうだな?」
「しばらく来ないでね」
「来てほしいなら素直に言えばいいものを」
わざとらしいほどににっこりと笑って、サイラスはコートを羽織ると「俺はここから戻る」と、にこやかなまま鮮やかに姿を消した。
残された双子のうちの一人はマリスにぺこりと頭を下げると、地下の階段を上っていく。
「マリス様」
呼ばれ、美しい深緑色のワンピースを着たその人はマリスの前に立つ。
「邪魔をして申し訳ありません」
「邪魔じゃないよ、別に」
「サイラス様がお嫌いですか」
聞かれたマリスは、なぜか二人を見て慌てている父に「落ち着いて」と目配せをした。とりあえず、答える。
「それをあなたに答えなければいけないの?」
「いいえ」
くすりと美しい顔で笑われる。
「でも、あの人はあなたが好きなんです。あの人がどれだけあなたを思って過ごしてきたか……どれほど会えもしないあなたに支えられてきたのか……もう少し優しくしていただくことはできませんか」
「できない」
マリスはきっぱりと言った。
「ずっと思い出だけを持って生きていくべきだった」
二人が黙る。
マリスは二人を置いて先に部屋から出た。
「……マリス様」
声をかけられて振り返ると、何とも言えない顔をしたその人に、マリスは小さく笑う。
「トーリ、今日は女の子の格好なんだね。どちらも似合う」
「!」
切ない顔をしていたその顔がびっくりしたものに変わったのを確認して、マリスは地下を出て行く。
ずっと思い出だけを持って生きていくべきだった。
けれどもあの時、我慢ができずに手を伸ばしてしまった。
顔を確かめて、久しぶりだと声をかけてしまった。
だからもう、失敗はしない。
マリスはそう決めているのだ。




