13 西の城の吸血鬼
「よ。次女。元気そうじゃん」
マリスは無言ですたすたと歩いていくと、ラーシュの頭をスパーンと叩いた。
「って」
「なにしに来てんの、バカ吸血鬼」
「おまっ、母親と全く同じリアクション、ウケる」
けらけら笑って、ジーンズ姿の男はゆったり足を組んだ。
父が遅れてやってきて、マリスの後ろから顔を出す。
「あー、リリアさんからも鉄拳食らったか。そりゃそうだね」
「その節は世話になったな」
「まるで昔みたいな言い方だけど、昨日じゃなかったっけ?」
「そうそう、昨日の話」
「元気だね」
「そうでもねえよ」
ラーシュは黄色い騒がしいガラのシャツをぺろりとめくる。
胸から腹にかけて、斜めに切り傷のようなものが走っていた。
マリスは眉をひそめたが、それを見た父は呆れたように呟く。
「あの人は手加減をして……」
「ねー、優しいんだから。たったこれだけのお仕置きと忠誠を誓っただけで俺を許すなんて、周りが反対しただろうに」
「まあね。でも、お前はそれで西の地区での信頼は厚いし、慕う者もいるからな。バランスだよ」
「罪悪感だろ?」
「ラーシュ」
「冗談冗談。フィンも根回しご苦労さん」
へら、と笑うラーシュは、次にマリスを見て目を細めた。
「次女、お前があの人の薔薇の君だったのか」
「ば……え、なんて?」
なんだそのファンシーな呼び名は、と顔を思いっきりしかめると、どうしてか悲しげに眉を下げられた。
「薔薇の君、あの人が甲斐甲斐しく手紙を送っていた相手のことだよ。きれーな呼び名じゃん……」
「うっわあ」
「お前相変わらず態度悪いな。女の子が眉間に皺よせんなよ」
「いらないお世話をどーも」
腕を組んで言えば、ラーシュは顔を覆って嘆く。
「はあ……俺たちのコミュニティ中では、手紙の相手は謎の壮絶な美女ってなってたんだけどなあ……次女かあ……いや、まあ、薔薇の君も、ちょっと空想の人物なのかもしれないって、みんな触らないでおいたからさあ、次女でも、うん、存在してるだけなんかほっとするよ……よかった、脳内恋人じゃなくて……」
恐ろしいことを聞いた気がする。
マリスはげんなりした。
サイラスは、手紙を完璧に隠しながら文通をしていて、しかし自分のことを熱く語っていたらしく、おぞましく煌びやかな呼び名のそれは、存在もしないと密かに思われていたらしいのだ。
ラーシュがパッと顔を上げる。
「うん、よかったよ。お前みたいにふてぶてしいくらいの奴の方が、なんか面白いわ」
「うるさい」
「これなら大丈夫だろ、フィン」
「僕の娘は可愛い」
「……は?」
「たとえ噂の薔薇の君と想像と違っても、ふてぶてしくても、僕の娘は可愛いんですぅー」
「フィン、痛い、フィン……地味に、痛い」
ラーシュの頭頂部を拳でぐぐぐぐと押す父の目は本気だった。
助けを求めたラーシュが、マリスの手を掴む。
「ちょ、次女、フィンを止め……いたたたたたたた!!」
「え?」
「痛い、マジ痛い、いたーーーーーーい!!!」
マリスが悶絶するラーシュを若干引いて見下ろしていると、父は胸を押さえて痛がるラーシュが掴んでいるマリスの手をぺりっと剥がした。子供のような絶叫がぴたっと止まる。
「……うお~、なに今の」
「ラーシュ、ちょっとごめん」
「いやん」
恥じらうふりをしたラーシュのシャツをめくると、傷に棘の付いた蔦の影が絡まっていた。さあっと消えていく。
「これは」
「あの人のだろうなあ……いってーーー!」
試すようにまたマリスの手に触れると、その傷にわっとイバラが出現し、手を離せばまた消え、また触るとラーシュは「いてててててて」と声を上げる。
「はあー。いやー、怖いねあの人は。いろんな意味で怖い」
遊び終えたラーシュが言えば、父は何を思ったのかマリスの手を取った。
その手にさっとイバラの影が巻き付く。
「……痛いね」
「お前反応うっすいな。ってか、俺だけ傷にって、怖いんですけど。しかも、大きさ違うんですけど」
父の手に細いイバラが巻き付いたのを見て、マリスは慌てて手をふりほどく。
「ご、ごめんなさい、父さま」
「気にすることないよ」
「そーそー、気にすんなよ。あの独占欲の強い人が、次女に印を付けたんだろ、勝手に。フィン、お前聞いてないの?」
「聞いてない」
「あはははは」
笑い事ではない。
いつの間にか吸血鬼の所有物となっているのだ。
自分に触れた者に反撃し、その情報はきっとマリスを通してサイラスにも行くのだろう。
勝手になんてことを。
マリスは呆れた。
そしてそれが、ついさっき「予約」とやらをされたときであることに思い当たる。あの、薔薇の指輪に唇を寄せられたとき。
マリスはあのとき何もできなかった自分を呪いたくなった。
望んでいないのにも関わらず、なぜかどんどん関係と状況が進展して行く。止める間もないほどに、恐ろしいスピードで流されているのだ。
複雑な顔をしていた父は、しかしすぐにその表情を引っ込めた。
「ラーシュ、これ、広めておいてくれるか?」
「はいはい」
「悪いな」
「いーよ、ここには世話になってるし。お前にも世話になったしな」
「……あの娘は?」
「家にいるよ」
そう言った顔が見たこともないほど穏やかで甘く、マリスは見てはならないものを見てしまったような気がした。
ラーシュとサイラスと贄の娘の間に何があったのか、心がざわめく。
それを綺麗に見なかったことにして、マリスは口をつぐんだ。
「さて、そろそろ順番かなあ」
ラーシュが立ち上がる。
「あ、そうだ。忘れてた。次女」
「……なに」
タイミングの悪い「忘れてた」ほど聞きたくないものはないが、この西の城を与えられた吸血鬼は、陽気で軽薄で、なにより「情報通」なのだ。聞く以外の選択肢はない。
ラーシュは何でもないことのように「そろそろ騎士団様方が来るそうだぞー、準備しとけ」と言うと、吸血鬼に必要不可欠である一ヶ月に一回の「輸血」を受けに行ってしまった。
待合室に残されたマリスは目を丸くし、父は隣で頭を抱えて「タイミングが悪い」とぼやく。
そう、タイミングが悪い。悪すぎる。




