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11 予約


 わからないわけではないだろう、とマリスは思う。

 そもそも、手紙での求婚だって、どこか空想めいていた。

 全て正直に綴ってきたが、見知らぬ人との現実逃避の一つのような感覚に近かった。それだけを支えにして生きていけるほど、マリスは素直ではなかったからだ。


 年齢を重ねるにつれ、自分の目の色の意味を理解できていたし、手紙の相手は吸血鬼で、それもきっと正当な血族の人だということも察していた。

 貴族じゃあるまいし、たった一度会っただけの人と、どうすれば「はい、結婚します」となれるのだろうか。ならない。つまりそういうことだ。



「じゃあなぜ手紙を続けた?」



 マリスが一通り説明すると、サイラスは不思議そうに聞いてきた。



「手紙での求婚が空想だと感じたのなら、俺のせいだろう。真剣に書いたつもりだったが」

「……」

「俺は君以外と結婚するつもりは全くないよ」

「そう言っても、女の子を囲っていたじゃない。贄の子だって、相性のいい子を選ばれて、彼女をずっと自宅に置いていたんでしょう。夜会だって連れだっていたくせに。あなただって、手紙だけを信じた訳じゃなくて、ちゃんと現実を生きていたはずだよ。私も現実を生きていくの。それが人と結婚することだから、そうする。だからサイラスとの結婚は絶対に」

「嬉しい」

「……は?」

 

 ぼうっとした声で喜びを口にして、サイラスが組んだ足を解いた。

 咄嗟に、マリスは互いのソファの間にあるローテーブルをダンッと右足で押し出す。床を滑ったそれは、すかさずサイラスの人差し指で軽々と止められた。


「こら。足癖が悪いぞ」

「身を守っただけ」

「まだ何もしてないが?」

「しそうだった」

「うん、するつもりだった。あまりにも可愛いことを言うマリスが悪い」

「頭がどうにかなったの?」


 今の恨み辛みのどこが可愛いのか理解できない。

 サイラスはしれっとした顔でテーブルを押し返してきて、にこりと笑った。


「手紙。読んだんだな。てっきり読み飛ばされているとばかり」

「……」

「嫉妬を知らない年ではないだろう」

「そんなんじゃない」

「嫉妬だよ、それは。手紙をちゃんと読んだのなら、俺がアレを仕方なくビジネスパートナーとして扱っていたのはわかったはずだ。君はさっきも黙っていた。俺が、真剣に求婚をしていたのを空想だと思われたのなら仕方がないと言ったとき。あれも、本当はちゃんと本気で書いていることがわかっていたんだろう? なぜ手紙の返事をくれ、なぜはっきり拒絶しない? マリス自身はどうしたいんだ」

「帰って」


 マリスは立ち上がった。


「帰って、サイラス」


 そうして、壁をドンと叩く。


「母さま、ここを開けて」


 母の許可なしではここは内側からは決して開かない。

 だからこその完全隔離部屋なのだ。

 扉を開けなければ、サイラスとてここから立ち去ることもできない。

 なによりも、マリス自身がここから出たかった。


 はやく。

 はやくここを出たい。


「母さま!」

「……マリス、乱暴に叩くのはやめなさい」


 サイラスが驚いたように顔を上げた。

 部屋全体がスピーカーになったようにうわんと声が響いたからだ。


 マリスがサイラスを見下ろして睨むと、サイラスは「わかった」と静かに立ち上がった。コートを取り、羽織って天井を見上げる。


「そうだ、院長殿。目立たぬ方がいいと言うのなら、ここに印を付けても構わないか? そうすればあちらから入る必要もなく、俺の気配も残らないだろう。輸血に来る者達が気圧されることもない」

「……当主さま、あちらの印を消していただけるとお約束していただけますか」

「もちろんだ」

「……ならば、許可いたします」


 勝手にストーカー協定に「自由な入り口」まで増設されてしまった。

 なんてことを。

 マリスが苛立つと、サイラスは口元に指を当てた。

 黙っていろ、と。


「ああ、それから、この指輪を置いていっても構わないだろうか。ここは入りにくいから私物を置いておきたい」

「構いませんよ」

「ありがとう」


 サイラスはマリスを見てにっこりと笑った。

 マリスは浅いため息を吐く。

 サイラスが手にしていたのは左耳のピアスだ。

 右耳は三つ、左耳が二つに減っている。

 マリスの母の「声」がここに届くことには驚いていたが、すぐさま「目」があるのかを確かめたのだろう。ピアスを耳に戻し、コートのポケットから無造作に指輪を取り出すと、マリスの左手を引っ張った。


 驚くほどの早業で、マリスの薬指にさっとはめる。

 薔薇のモチーフの華奢な指輪だ。

 マリスは不機嫌に見上げる。


「……サイラス?」

「怒るな。ただの予約だ、予約」


 手を引っ込めようとした瞬間を見計らったように、くいっと引かれる。

 そうして、花びらのモチーフに軽く唇を寄せられた。


 額で分けた前髪がさらりと流れる。

 カラスの濡れ羽色のそれは、美しい鼻筋や、伏せたまつげを際立たせていた。ゆっくりと瞼が開き、薔薇のような瞳が真っ直ぐにマリスに向かう。


 ハッとして手をふりほどく前に、サイラスが先に手を離した。

 そのまま指輪も引き抜いて、テーブルに置く。



「じゃあ、また」



 そうして、マリスが何かを言う前にサイラスは母が扉を開けた瞬間、姿を消した。


 マリスはテーブルで自分を見上げる薔薇の指輪を、忌々しく見下ろしている。

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