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1 東の門


 集中する。

 銀色の針を人の腕にそっと突き立てるとき、マリスの柔和な顔はきりっと張りつめる。

 くるぶしが隠れるほどの長い青いワンピースの上に、灰色のエプロンの制服を着て九年。マリスの紫色の目が、切りそろえられた白い前髪のきらりと輝いた。

 


「はーい、チクッとしますよ」


 腕を差し出している青年は、顔を蒼白にしてぶんぶんと首を横に振る。


「……ああ、もう。揺れないでよ。大人しくして!」

「お前がじっとしていなさい!!」


 ばこん、と凄まじい衝撃が頭に振ってくる。

 が、銀の盆で叩かれたマリスは素知らぬ顔でめげずに続行しようとしたところで、後ろで結った白く長い髪を掴んで止められた。針を取り上げられる。


「あっ」

「何をしているの。採血は許していませんよ」


 鬼のような顔でマリスを叱る母兼上司である院長に口をとがらせて抗議する。

 無言の睨み合いの中、すぐに女神の助けはきた。長女のナタリーだ。

 マリスと同じ白い髪だが、瞳は青くて髪は短く、女性らしいと言うよりは美青年のような儚げな雰囲気があった。

 

「院長、その辺で。マリスもおやめなさい」

「ナタリー」


 見目麗しいだけではなく性格も抜群によい姉に言われ、鬼のようだった顔を引っ込めてマリスのポニーテールの尾をするすると触る。父にベタ惚れの彼女はナタリーにとてつもなく弱かった。そして、マリスも弱い。


「マリス、私が代わっても良いかしら」


 聞かれて椅子から立ち上がれば、ナタリーはまさに聖女のような佇まいで、青年の腕に触れてきちんと説明し、安心させていた。

 ああいうところからまず学びなさい、と母が横で呟いているが、残念ながら自分の性格はがさつである母譲りなので無理だと言いたかった。もちろん我慢したが。


 すっと、銀の針を青年の腕に躊躇いなく置く。

 筒の部分はなく、針の持ち手の部分ある透明の石が発光すると、白い光が腕の上に現れ、血液がするするとそれに吸い込まれていった。


 よかった。

 マリスは胸をなで下ろす。

 この青年は至って健康だ。


 規定量を取った後、光はモヤのように消えていった。

 針を抜いて銀のトレーに置き、ナタリーが腕に手をかざすと、針の痕にプックリと溢れたいた丸い血液の粒が消えた。止血まで美しい姉の鮮やかな手際に、マリスは惚れ惚れする。


 ああなりたくて、隙を狙っては練習をしたいのに、十歳でこの制服に袖を通してから、ずっと問答無用で採血は禁止されていた。

 


「これで今日は終わりね。日が傾きそうだわ。マリス、門までお願い」


 代わりに許されている業務の一つが「お見送り」だ。

 何もできないよりはマシだし、姉のお願いは断れない。


 マリスはやや自分に怯えている気がする青年を門まできちんと送り届けた。重々しい鉄の門を開け、青年が石段を下りていくのを見守る。




 町に住む人々がわざわざ山の中腹にある「花聖院(かせいいん)」に来るのは、彼らの善意と、そして健康のセルフチェックのために他ならない。東の正門には、一日十人程度の献血希望者が現れる。門の開閉がマリスの担当でもあるので、こうして毎日、朝は朝焼けを見ながら、夕暮れには空がかすかにオレンジに変わる様子を見ながら門に立っている。


 暇ではあるが、嫌な仕事ではない。

 院から出ることのできない自分にとっては、これが唯一外の音を聞ける時間だった。


 風に乗って届く、町の小さな喧噪や、人々の生活するにおい。

 マリスの背から威圧してくる重苦しく荘厳な煉瓦の館の中とは違って、濃厚な血のにおいはしない。

 マリスは大きく息を吸い込んだ。



「ふー、さて、戻って夜の準備をしなくちゃなあ……めんどくさ」



 夜に開ける裏門の為に準備をしなければいけない事を思うと思わず本音がこぼれ出る。

 と、ふと風に何かが混じった。


「……血?」


 それが石段の下からどんどん濃くなって来るのに気づくと、マリスは躊躇いなく門の外に出た。


「マァリス!」


 一歩出たとたんに、館が揺れるような叱責が飛んでくる。母の声だ。

 拡声器のように館を使うなんて、本当に能力の無駄遣いだ。


「怪我人よ、クソ院長」


 ぼそっと呟けば、きちんと聞こえたらしい。

 てきぱきと中にいる姉たちに指示を飛ばす声とともに、しっかりと「クソは余計ですよ!」とお小言ももらう。構わず石段を駆け下りると、両肩を支えられた男の右足から血が流れているのが見えた。膝から下がない。止血のために包帯を巻いてあるが、役には立っていなかった。


 気づいた三人が、マリスの顔を見て安堵する。


 反対に、マリスの顔は青白い。


 後ろからばたばたと駆けつけてくれた姉たちも、その様子を見て一斉に焦った気配がした。マリスはすぐに指示を飛ばす。


「リーンは戻って。院長に教えて、完全隔離部屋の準備を」

「う、うん」

「ミシェルは止血」

「はい!」

「他の者達は、見えている範囲の血を確保しながら門の中へ戻って。日が暮れ始めてるから急いで!」


 マリスの指示に的確に対処をはじめた姉たちがかざした手で、石段を染めていた血がふわふわと浮かび始めた。止血の処置に絶叫をあげる男に「黙りなさい」と見下ろすと、男はすっかり青い顔で口を閉ざす。これくらい止血をしてから山を上がって欲しかった。


 ふわりと浮かんだ血が、一つに集まる。


「上手。そのまま維持」


 マリスは浮かび上がる血の塊に向け、手をかざした。

 どろりとした血の塊が、中央から色が抜けて透明になっていく。

 すべてが透き通った瞬間、グッと拳を握れば、パン、と破裂音とともにそれは消滅した。


 姉たちが一様にホッとする。

 しかし、まだ血のにおいが消えない。

 マリスは三人の男を見た。


「……足は?」

「えっ」

「膝から下はどうしたのかって聞いてるのよ!」


 マリスの声に、三人の男がびくりと肩をすくめる。

 こいつら。

 持ってきていない。


「ちゃんと燃やしたの?! それとも置いてきたの?!」


 がたがたと震える反応を見れば、必要な対処もせずにだらだら血を流しながら院に来たらしいことがわかった。

 信じられない。

 マリスは「すぐに門の中に連れて行って」と姉たちに頼むと、石段の下を注視しながらじりじりと上へ上がっていく。



 全員が中に退避したのを見届けて、左手で冷たい門をぐっと掴むと、再び館がうわんと吠える。

 

「――失敗せぬように。落ちつくのよ」


 母の心配に「はいはい、わかってますよー」と適当に返事をすると、マリスは両足に力をいれ、右手を階段の方へ向ける。


 紫色の瞳がぼうっと輝く。

 

 血。

 血の気配。

 芳香を辿る。

 意識は鷹のように猛スピードで駆けていく。石段を降りて、その先の高い門の隙間をくぐり、門兵が立つ塀を飛び越え、馬車の近くに転がっているそれを見つけた。


「……あった」


 すぐさま手をぐっと握る。

 足がふうっと浮き、周囲の血も浮き上がる。


「母さま、確保した。どうする?」


 紫色の目がめらりと不穏に揺れた。


「消滅させてい?」

「駄目よ」


 後ろから声をかけられ、マリスは舌打ちをする。


「ナタリー、もう日が暮れる。中に戻って」

「心配をありがとう、かわいい妹。でも、足は消さないでここまで引っ張って。元に戻してあげたいの」


 母の指示ならば「ふざけんな、めんどくさいわ」と逆らうが、ナタリーに言われては仕方がない。


「ああ、もう!」


 ぐっと握った手のひらを開くと、左手で掴んだ門を思い切り握って集中した。

 消滅させない方が、マリスにはずっとずっと難しい。




「……う~、んっ、どっこいしょおおおおおおお!!!」




 ぐわっと風が凶暴に揺れて、塊がびゅんと飛んでくる。

 血濡れのそれを、マリスは手でキャッチをした。ナタリーがすぐに光で包み、院の中に送る。


「あー、疲れた……」

「見事ね、マリス」

「ありがと。ナタリーは早く中に戻って。残りの血を消したらすぐ戻るし、敷地内だから私は平気。門も掴んで母さまと繋がってるし」

「わかったわ。待ってる」


 ナタリーは父によく似た静かな笑みをたたえてマリスの頭を撫でると、颯爽と院の中に消えていく。

 誉められたばかりのマリスは、俄然やる気になって残った血痕を全て消滅させたのだった。




読んでくださり、ありがとうございます。

のんびり更新していきますので、宜しくお願いいたします。

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