第3話:謎の声
暗く沈む意識に視界がぼやけ、遠くの水面でキラキラと輝く光の粒をただじっと見つめる。少しずつ意識が覚醒していくのを感じる。
(なんだ? ここ。どこだ? 俺は? 確かさっきまで長爪と戦ってたよな……?)
長爪と呼ぶ大型のノンスリープとの激闘になんとか勝利した後、力を使い果たしたのかそのまま気絶し倒れたルキト。ふと気が付けば先程までの廃墟の街とは打って変わり、だだっ広く青い水の中のような空間に漂っていた。
しかし息が出来ないわけではなく、というより呼吸すら認識出来ないような曖昧な感覚の中にあった。
(おいおい、まさか死んだとかじゃあねえよな?)
(大丈夫、君はまだ生きてるよ)
(な!?)
ふいに声が聞こえた。それは目で見えない程遠くからのようにも、すぐ耳元から囁かれているようにも感じられ、幾重にも重なった籠った少年の声に聞こえた。
(今の声!? 誰だよ? もしかして、さっきの声はお前か?)
長爪との戦闘中に頭に鳴り響いた声を思い出す。言ってすぐ違うだろうなと感じた。明らかに声質が違うのだ。
(いや、多分違うと思う。君に話しかけるのは初めてだからね)
(ふざけんなよ。どいつもこいつも頭ん中で話しかけやがって。つーかここどこだよ)
(焦らないで。今はまだ不完全だから)
(不完全? どういうことだよ?)
(君は今、眠っているんだ。ここは君の夢の世界。そしてそれと同時に僕の夢の世界でもある)
声にならない声。その謎の少年とは意識だけで会話が出来るようだが、周りを見渡してもその声の主の姿は見当たらない。しかしその声はどこか自分自身に似ていた。
(俺とお前の、夢の世界? ハア? 訳分かんねえ。ディ〇ニーラ〇ドかよ)
(知らないのかい? 人は夢を通して、繋がる事が出来るんだ。彼女から聞いてない?)
(彼女? 誰の事言ってんだ?)
(君をアルティレイムに導いてくれた人さ)
彼女という言葉に一瞬考えるルキトだが、すぐに現実世界で出会った零奈そっくりの少女の事を指していると気付いた。
(ああ、あの……偽零奈のことか?)
(偽零奈? ふふ、面白い言い方だね)
(面白くねーよ。つーかいい加減姿くらい見せたらどうなんだよ?)
相変わらず軽い調子の声だけで姿を現さない声の主に苛立ちを覚えるルキト。それでもなお声の主の態度は変わらなかった。
(ははは、ごめん。でも今は無理なんだ。まだ姿を形成できる程この世界に馴染めなくてね。ここで君と接触出来たのも結構無理に無理を重ねてきたんだ)
(そうなのか?)
(これでも急いで来たんだ。君にどうしても伝えなきゃいけない事があるからね)
(伝えなきゃいけないこと? なんだよそれ)
(零奈に会う為の方法だ)
(零奈に……!?)
名前を出した瞬間、声の主の声色が真剣みを帯びたのを感じた。
(どうすりゃいいんだ!?)
(いくつかの手順があるが、まず始めにやらなきゃならないことがある。君はこれからアルティレイムの夢の星々を巡り、禁忌の呪物と呼ばれる物を集めるんだ)
(禁忌の呪物ぅ? なんだそりゃ?)
声の主から放たれる聞きなれない言葉。声の主は続ける。
(この世界……アルティレイムに点在する古の呪物だ。全部で十三個存在し、それぞれがかつて世界を破滅一歩手前まで破壊し尽くした、邪神達の力が宿るとされている)
(オイオイ、随分物騒な話だな。なんでそんなもんが零奈に会う為に必要なんだ?)
(うーん……説明が難しいな。まあ簡潔に言うなら、彼女の置かれている状況が君の想像よりも遥かに複雑ってことかな。そこにたどり着くまでの手段として、禁忌の呪物がどうしても必要になる)
(それって俺の持ってる神の筆の力じゃどうにもならねえのか?)
ルキトは手に持つ金色の万年筆に視線を移した。薄暗い水の中にあってもなおそれは不思議な輝きを放っていた。
(そういう力を宿している筆もあるにはあるけど、今のその筆では無理だね)
(これって一点物じゃねえのか)
(それ自体は代えの効かない物さ。だが神の筆と呼ばれる物も、その筆の所有者も他に何人か存在するんだ)
(俺以外にもいるのかよ)
自分だけの力じゃない事を知ってルキトは少し落ち込んだ。
(今は殆どいない。かつては邪神達と戦う為、神から授かった筆を手に戦う組織もいたみたいだけど、彼らは既に滅亡している)
(げ、マジか)
(君も気を付けると良い。今のアルティレイムにおいて君の持つ力は失われた遺産に等しい。下手に振りかざせば災いの種になりかねない。今君に死んでもらっては困るからね)
(そうかよ。つーか気になってたんだけど、夢の世界のアルティレイム? ってのは、俺個人の夢の世界、ってことじゃねえのかな? もしそうなら仮に死んでも目覚めて現実に戻るってことは……)
(残念ながらそれはない。アルティレイムは君の生きていた現実世界とは似て非なる場所だけど、ここもある種一つの現実だ。死ねばそれまで。まあここでは夢を通してあらゆる次元や世界を繋ぎ留めるし、想いが具現化しやすい分、向こうの世界とは多少勝手は違うけどね)
(やっぱそうか)
(まあ、今は分かりやすく異世界に転移してきた、という認識で構わないよ)
漠然と感じた不安とも期待とも呼べる想像は外れた。現実に執着がないとはいえ、ルキトには本当にこれが夢なのか現実なのか理解が追い付けなかった。その疑問が少し解消された気がした。
(つーことは現実で夢を見たらみんなこっちに来られるってわけでもないのか?)
(いや、普通の人間はまず来れない。ここを認識出来ないんだ。あ、君の場合は例外だ。君は言わば神に選ばれし存在だからね)
(またそれかよ。零奈にも言われたぜ。偽の方だけど。なあ、そもそもなんで俺なんだ? 神様に選ばれる理由が分からねえ。それに零奈が消えた理由も。それとも、もしかしてアンタが神様とかじゃ……)
(あはは! 違う違う。今は言えないけど、僕はそんな存在じゃないよ)
(じゃあ一体誰なんだよ。もうそろそろ教えてくれよ、アンタの正体。それに零奈がどこにいるのかも)
その時、視界の遠くに見えた光の粒がどんどん大きく、眩しいまでに輝きだした。
(悪いけど時間だ。すぐにお昼寝から目覚めるだろう。話の続きはまた今度にしよう)
(あ、おい! ちょっと待てよ!)
謎の少年の声が遠のき、視界が徐々に白くなっていく。
(その質問の答えが知りたいなら、禁忌の呪物を集めるんだ)
(探すったってどこに……ッ!)
(夢の世界、アルティレイムを旅して回るしかない。じゃあ大変だろうけど頑張ってね。神の筆を持つ、招かれざる勇者さん……)
(……招かれざる……って、おい……っ!)
少年の声は聞こえなくなり、やがて視界が白一色の世界に包まれて意識が完全に覚醒する。
―――
陰鬱とした曇天。光る星々。倒壊した建物。苔。目に入るそれらの情報からルキトは悟った。
「ここは……長爪と戦ってた場所か。さっきのアイツ、一体何者なんだ? ただの夢、にしちゃ随分はっきりし過ぎてる」
むくりと身体を起こして辺りを見渡す。ノンスリープの群れは跡形もなく消え去り、不気味な静寂に包まれている。
「零奈に会う為に十三個の禁忌の呪物を集めろ、か。探すにしてもまずは情報を集めねえと」
夢の少年の言葉が本当なのかどうか、ルキトには未だ判断が付かなかった。いや、そもそもこの世界の事についてあまりにも無知なのだ。
零奈を探すにしても禁忌の呪物を探すにしても、それ以前にアルティレイムで生きていく為には情報が必要だった。それにもう一つ、気になる事があった。
「招かれざる勇者、か。偽零奈も似たような事言ってなかったっけ。俺はここじゃあ歓迎されないのか?」
それについてはいくら考えても何も分からなかった。どの道、人のいる場所に行かなければ始まらないだろうと出発しかけた瞬間。
グウゥ……
ふと自身の腹から情けない悲鳴が発せられた。
「腹ァ、減った。喉も乾いた。そういや家出てからなんも食ってねーじゃねえか俺。それにすげえ身体が重い」
食べたのは朝食のトーストと牛乳のみで、それからは二度に渡るノンスリープとの戦闘で体力も気力も消耗していた。おまけに倒れる前よりも空が暗くなっている事から、かなり時間も経過しているだろう。
「食いもん……とにかく食いもん探さねえとな。これじゃあ零奈を探すどころじゃねえ」
力無くフラフラと起き上がり、渇きと空腹に耐えながら歩きだす。
しばらく廃墟の街をあてもなくフラフラと歩き回ってみたものの、食べられそうな物を見つける事は出来なかった。その内眩暈と吐き気に襲われ、再び地面に倒れ込んだ。
「ダメだ。死ぬ。やばいこれ、なんでこんな急に……」
仰向けになったルキトは、暗く濁った夜空を見つめながら違和感に気付いた。いくら何でも空腹と渇きの度合いが異常過ぎるのだ。
ノンスリープと続け様に二回も死闘を演じたとはいえ、まだ朝食を取って半日も経っていないというのに、謎の少年との夢から覚めてから急な飢餓感に襲われるようになった。
(筆の力を使えば、体力もごっそり消耗するってことなのか?)
考えられる原因はそれしかなかった。
「一度に力を使い過ぎたせいよ。今の貴方ではそれが限界みたい」
アルティレイムに転移する直前に発した偽零奈の言葉を思い出す。一度目の戦闘も二度目の戦闘も、神の筆の力を使った後に極度の疲労と眠気に襲われ、意識まで失った。
どちらもノンスリープの群れを全滅させ勝利した後だったから良かったものの、これがもし戦闘中に力尽きたら? 抵抗も何も出来ないまま無防備な姿を敵に晒す事になる。そこまで想像してルキトは鳥肌が立った。
人智を超えた強大な力をもたらす武器だが、過度に使用するとたちまち危険な状態となる。ルキトはまだこの筆の持つ不思議な力の全てを把握しているわけじゃない。
「忘れないで。それは武器でもあり、筆でもある。この世のあらゆるモノを斬り裂き、あらゆるモノを『描く』ことが出来る」
偽零奈の意味深な言葉を信じるならば、この筆には武器としての一面以外にも隠された力が眠っているのかもしれない。
いや、そもそも筆とは本来武器として使うものではないはずだ。文字や記号、絵や印など、それこそあらゆる物を書き記すのが本分である。
今回の戦闘でルキトは初めて神の筆を使ったが、未だ武器としての性能しか引き出していない。それも恐らくは、ごく一部の。
そして文字を具現化した力や術式駆動と呼ばれる特殊な能力を使う度に、まるで全身から力を奪われるような謎の脱力感に襲われた。恐らくはあの感覚こそが、この筆を使う上での力の代償とも言うべき物なのだろう。
(ゲームじゃあ魔力を消費して魔法を発動させたりとかするもんな。なるほど、あの感覚がリアルだとこうなるのか)
なんとなく納得はいった。しかしそれで腹が満たされない事を何度目かの腹の虫の鳴き声で思い出す。
「いや、つーかマジで腹減った。ダメだ、もう何も考えられん」
空腹と渇きで動けず、曇天の空を眺めながら地面に横たわるルキト。しばらくぼーっと空を見つめていると、雲の隙間から見える白く輝く星々が、何か別の物に見えてきた。
「……………………ステーキ」
光輝く星々の点と点を結んでステーキを思い浮かべるという虚しい行為を始めた辺りで、視界の端にちょろちょろ動く何かに気付いた。
「……あ? なんだ、これ」
横たわるルキトの顔の周りを、ぼんやりと光る小さな青白い球のような物がぽわぽわと飛んでいた。それを目で追っていたルキトはなんとなしに光の球を手で掴んでみた。ほんのり手の中に温かみを感じる。
しかし光はすぐにルキトの指の隙間から抜け出し、ぽわぽわと何処かへ飛び去って行く。
「あ……おい、待て!」
ルキトは力を振り絞って立ち上がり、脚を引きずりながらなんとか光の飛び立つ方へと歩き出す。