第2話:筆の剣の力
「ビュオワアアアアッ!!!」
咆哮を合図に長爪の化け物が動き始め、その巨体に似合わぬ速度で急接近する。ルキトに数メートルまで近づくとそのまま腕を振り下ろした。咄嗟に身を屈んで攻撃を回避するルキトの頭上を風切り音と共に爪が過ぎ去っていく。
すかさず攻撃に転じようと上半身を戻し右足を前に出した瞬間今度は反対の腕がルキトの足元を襲う。今度は回避不能と判断したルキトは大剣で爪の攻撃を受け止めようと構えるが、インパクトの瞬間に凄まじい衝撃を全身に受けて吹き飛ばされた。
「なッ!?」
地面につく直前になんとか受け身をとって体勢を立て直すも、隙を与えまいと長爪は地面に突き刺した二本の腕を伸ばして跳躍しルキト目掛けて飛びかかってきた。そのまま爪で斬り裂かんとする寸前で横跳びに跳躍して回避する。
長爪は直ぐに獲物の肉の感触がない事に気付き、ギョロギョロと大きな単眼を動かして側面に避難したルキトを捕らえた。
(つええ! パワーもスピードもさっきまでの雑魚共なんざ話になんねえ。マジでかからねえとこっちがやられる。神の筆から生まれたこの剣……まだ試してねえ力があったはずだ)
敵の想像以上の強さに焦りを覚えるも、頭の中はあくまで冷静に勝つことだけを考えていた。
その後も急接近からの腕を振り回し爪による高速攻撃を仕掛ける長爪の動きを寸前で回避しつつ、ルキトは敵の動きを読もうと意識を集中させた。
(よし! 少しずつ動きが読めてきた。早いけど攻撃は単調だ。これなら勝機はある。確か最初に出た文字に≪術式駆動≫ってのがあったな。そろそろ試してみるか)
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≪術式駆動≫スペルドライヴ
贄なる聖者達の舞、唱えし主の下に集う。清き乙女の祈りは廻り、神の力となりて転生す。
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最初に現れた文字列の中にあった言葉。ルキトはこの言葉に意識を向けた時、力の使い方が曖昧なイメージとして頭に中に映像が現れた。映像は三つの文字が一つに合わさり、大きな一つの文字として光り輝くというものだった。
「スペルドライヴってのがイメージ通りだとすれば、複数の文字を使って発動できるはずだ」
目が慣れて長爪による苛烈な攻撃をある程度見切る事が出来たが、守りや回避は出来ても攻撃やスペルドライヴを行うだけの隙が見当たらなかった。
「速ええんだよクソっ! ダメだ、この距離じゃあ……もっと十分に離れねえと! いや、だったらこれか!?」
不意に思いついたルキトは剣に力を込める。思い浮かべた文字は≪衝撃≫。例の脱力感と共に全身から腕へ、腕から大剣へと力が流れる意識を感じる。鎖十字の剣の玉石が光り、文字が浮かび上がる。
「ヒュウーッ!」
爪による攻撃を仕掛けんとする長爪に、ルキトはクロスブレードの剣先を向けて≪衝撃≫を発動させる。
「ビュウアアアッ!!」
青白い強い光と共に大剣から文字通り衝撃の波がほとばしり、直撃した長爪を吹き飛ばす。
先程唱えた≪風≫よりも威力があるのか長爪は吹き飛ばされ、背後の白い建物に直撃し轟音を上げながら地面に倒れ込んだ。辺りに砂煙が立ち上り、倒壊した建物の破片が地面に散らばる。
「ひゃー、すげえな。吹っ飛ばすのはこっちのが向いてるってわけか」
ルキトの予想では一瞬怯ませる程度のものだろうと考えていたが、今回は大型の敵を遠くまで吹き飛ばすまでに至った。背後に建物があったことも幸いし、明確にダメージを負わせる事にも成功した。
しかしこれだけでは致命傷には至らず、長爪は直ぐに起き上がりゆっくりと近づいてきた。今の攻撃で警戒したことといくらかのダメージがある為か、動きに以前までの俊敏さは感じられない。
だがルキトにとっては充分過ぎる程の隙だった。
「よし。この距離ならいける」
ルキトは≪術式駆動≫の文字を思い浮かべる。そこに意識を強く向けると、大剣の玉石に白い三つの円が浮かび上がる。
「円が三つ? ああ、もしかしてここに文字が浮かぶのか?」
早速三つの文字を思い浮かべる。意識を大剣に向けると、強い脱力感と眠気が襲い一瞬眩暈で足元がふらついてしまった。
「またか!? クソッまるで身体ごと持ってかれるみてーだ」
なんとか倒れないよう脚に力を入れて踏ん張る。偽零奈の言葉を思い出す。あまり力を使い過ぎれば現実世界で戦った時と同じように気絶するらしい。今この状況で気絶などしようものならそれこそ長爪の恰好の餌食だ。絶対に避けねばならない。
見ると大剣の玉石に浮かび上がっていた円の中にそれぞれ文字が収まっていた。思い浮かべた文字は≪光≫≪鎖≫≪斬撃≫の三つ。
それぞれの文字に意識を向けた時、ルキトは長爪にはこの組み合わせが最も相性が良いのではと考えた。浮かび上がったそれぞれの文字にはこう書かれていた。
≪光≫ 邪なる心を浄化し、常闇を照らし出す。
≪鎖≫ 鉄の連鎖があらゆる者を繋ぎ止め、やがてはその命を断ち切る。
≪斬撃≫ 纏いてはこの世の一切を斬り裂き、放てば虚空を両断する。
素早い長爪に強烈な一撃を見舞うには、まず≪光≫による目晦ましで長爪を怯ませて≪鎖≫で完全に動きを封じる。その後にトドメの一撃として≪斬撃≫を放つ、というイメージで組み合わせた。
「ビュオワアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
「もう復活かよ! なら早くコイツを……」
ダメージから回復したのか、長爪が怒り狂ったようにこちらに向かってくる。ルキトは急いでスペルドライヴを発動させようとした。
させようとして、初めて気が付いた。
「いや、ていうかこれ、どうやって発動すんの?」
そう、先程脳内に流れたイメージはあくまで曖昧なものであり、スペルドライヴそのものの明確な発動手順までは分からなかったのだ。長爪はすぐそこまで迫っており、ルキトは仕方なく臨戦態勢に入る。
「ビョヒュウウ!!!」
「おわっ!」
長爪の振り下ろし攻撃を寸前で受け止める。動きこそこれまでより鈍くなっているが、その分力を乗せる方向にシフトしたのか、長爪の重圧が大剣にのしかかる。
「ぐッ…! おい、さっさと発動しろっての!!」
単一の文字とは違いどれだけ意識を強く向けてもスペルドライヴが発動されず、ルキトの表情に焦りの色が見えた。
長爪の攻撃を受けている間にも眩暈と眠気に襲われ、足元がふらつく。その隙を逃すまいと長爪が横薙ぎに腕を振るい、その攻撃を大剣で受け止めようとしてインパクトした瞬間、衝撃を受け止めきれず今度はこちらが吹き飛ばされた。
起き上がろうとするも意識が定まらず、まるで全身に鎖が巻き付いたように身体が重く感じられた。
(ダメだ。力が入らねえ。やべえ、このままじゃあ死ぬ。嘘だろ? 俺はこんなとこで死ぬのか? アイツに会う事もなく?)
こうしている間にも長爪はこちらに距離を詰めてくる。
(冗談じゃねえ。冗談じゃねえぞ!! こんなとこで死んでたまるか! だったら俺は何のためにこの世界に来たんだよ!!)
大剣を杖代わりになんとか身体を起こす。
「会いに行くんだ。今度こそ、零奈に。それまでは……死んでたまるかあああッッ!!!」
(唱えよ、主。唱えよ…)
ルキトの咆哮の直後だった。低く響く謎の声が突然頭の中に聞こえた。声の正体は分からないが、声が聞こえた瞬間、筆が僅かに熱を帯びるのを感じた。
(なんだ今の!? 一瞬声が聞こえたような。唱えよ主? 今の声……コイツが?)
神の筆、もといクロスブレードに視線をやる。未だ玉石には三つの円と三つの文字が光を放っている。
「唱えよって一体何を……!」
「ヒュウウウッ!!!」
痺れを切らしたのか、長爪が再び攻撃を開始した。なんとか力を振り絞って攻撃を受け止める。大剣を握る手に再び力が籠る。長爪を見据えるその目には再び強い光が宿る。
激しさを増す長爪の連撃を全て受け止める。直接的なダメージこそないものの。疲労は確実に蓄積していく。眠気や眩暈にも襲われ、体が重たくなっていく。この状態が続けばいずれは爪の餌食になるのは必至だった。
「クソ、さっさと発動しろよ! 行け! 出ろって!!」
「ヒュウウ!!」
長爪の攻撃が迫る。
「……スペルドライヴ!!」
やけくそに叫んだ瞬間に玉石が強い光を放ち、バアアンッ!という大きな音が辺りに響き渡る。と同時に玉石から三つの文字が刻まれた円環がルキトを囲むように地面に出現した。
先程に負けず劣らない衝撃が辺りに走り、長爪の攻撃の手が緩む。
「これは……!?」
円環は半径約一メートルの大きさで赤く光り、それぞれ稲妻のような赤い筋がバチバチと音を立てながら文字の円環と玉石を結んでいる。やがて三つの円環がルキトの周りをグルグルと時計回りに回り始めた。
それらが再び一つ、また一つと玉石の中に吸い込まれると、クロスブレードがより一層強い赤い光を放つ。
「ヒュウー!!」
攻撃しようと腕を振るった長爪の攻撃をクロスブレードで受け止める。ガキインと火花が散るのと同じく大剣の剣先から三つの物より大きな円環が出現した。
中には三つの文字を融合させたような一つの文字が浮かび上がり、その文字から強力な光と共に無数の鎖が出現し、長爪に巻き付き始める。
抵抗しようとする頃には既に遅く、長爪の身体は全身光輝く鎖によって拘束され、先端が地面に突き刺さり完全に身動きが取れなくなっていた。
「ビュウウウーッ!! ビュウウウウ!!」
「終わりだ長爪野郎!!」
ルキトは赤く光り輝く鎖十字の剣を構える。力を込めるとより一層大剣が光り、周囲を照らし出す程の眩さを放ち始めた。
「おおおおおおおおおおおおおッッ!!!」
咆哮の後に真一文字に振るわれた大剣。そこから放たれる光り輝く巨大な斬撃が半月状に広がり、長爪の赤い目玉を身体ごと真っ二つに斬り裂いた。光の斬撃は背後の建物にまで及び、直撃した部分から一直線に割れて倒壊していった。
「ビュウワオアアアアアアアアッッ!!!」
断末魔をあげながら長爪の身体から黒い液体がブシャアっと溢れ出し、地面に広がっていく。長爪の身体が半分ずつ離れて地面に倒れ込むと、そこから黒い霧が生まれ、そして消滅していった。
「ハア……ハア……勝った。俺の、勝ち。ハハ、ざまあ。あー……ダメだ、ねむ……」
勝利した喜びを噛み締める間もなく、ルキトはどっと膝をつきその場に倒れ込んだ。