牛乳瓶がくれたもの
牛乳を通して生まれた友情。そして、牛乳瓶が与えた希望。
僕は牛乳が好きだ。初めての給食でそれを飲んだときから、僕はファンになってしまった。しかしそのせいか、同じクラスのカズマとかにはよくいじめられることがある。たまに苦しいときもあるが面倒なことが起こらないよう、僕はあまりに気にしないようにしていた。
それより、最近の僕には一つの願いがある。それは、毎朝牛乳を飲むことである。毎朝牛乳を飲んで学校に行く。それができたら、どんなにいいことだろう。現に、僕のお母さんは牛乳を一パックしか買ってくれない。そのせいで、すぐに切らしてしまうんだ。だから、そんなことも気にせず、毎日同じ量を飲めればいいのに、そう思っていた。
僕の通学路の途中には、一つの牧場がある。そして最近、僕は気づいた。
――牛乳配達、承ります!
小さなポスターが貼ってある。それによると、どうやらここの牧場は毎日朝の牛乳配達をしているそうだ。丁度よい。この話は、丁度僕の願いと合致していた。早く始めてもらいたかった。僕は素早く下に書いてある電話番号をメモし、急いで家へと向かった。
帰宅後、僕は財布の紐が硬い母に激しくこのことを提案した。予想は的中した。母は、険しい顔でこのことを反対した。いつもの僕ならここで止めるが、今日はまだ退けない。僕はこのあとも粘り強く母の説得を試みた。ついに母も観念した。母は、一日、必ず一回手伝うことを条件に、牧場に電話をかけてくれた。
牛乳の毎日配達は、次の日から始まった。届けに来てくれたのは、無精ひげを生やした少し背の高いくまのようなおじちゃんだった。牛乳をもらうのは当然僕の役目。朝七時、僕はおじちゃんから牛乳をもらった。おじちゃんは優しく、僕に牛乳を渡してくれた。
「元気だね」
「あ、ありがとう、ございます」僕は素っ気なく答えた。
「名前は、何ていうの?」おじちゃんは更に言葉を重ねる。
「僕はさとし、っていいます」
「良い名前だぁ。その牛乳飲んで、元気でな」
おじちゃんは、穏やかで、優しかった。この日から、僕はおじちゃんから牛乳をもらうのがもっと楽しみになった。おじちゃんが渡してくれた牛乳は、今まで飲んだ牛乳の中で最も美味しかったと思う。
おじちゃんとは日が龍に連れて仲良くなった。おじちゃんは、僕の嬉しかった話、面白かった話、イラッとした話すべてを笑って聞いてくれた。僕は、そんなおじちゃんと過ごす時間が楽しかった。
だが、学校ではカズマたちにいじめられた。時間が経つに連れて、いじめの内容もひどくなっていった。半年も経ってくた今は、上履きの中に画鋲を入れられたりもした。でも、このことをお母さんや先生にはいえずにいた。言ったらあとで面倒なことになりそうだったし、なにより自分がいじめを受けていることをお母さんや先生に知られたくなかった。
あと、お母さんや先生だってひどかった。日によって機嫌が変わるし、そんな彼らと過ごす時間も苦痛だった。カズマとかに濡れ衣を着せられてさ、先生は僕を怒鳴ってきた。カズマはあんな事する非道な奴だけど、成績優秀で先生の前では優等生的なキャラで最もの信頼を置かれていた。僕に太刀打ちなんてできなかったんだ。
でも、あと半年経てば終わる。今は耐え抜くしかなかった。
ある日、僕は下校中にふと牧場によってみることにした。おじちゃんが牧場ではどんな感じなのか、気になったんだ。入ると、いつものおじちゃんがいた。優しく、それまた穏やかに牛の世話をしている。
気づいた。おじちゃんは僕の存在に気づくと、牛乳瓶二瓶と大きな牛乳パックを持ってこっちに来た。
「あの牧草の上に行こう」
おじちゃんはそう言うと、牧草へと向かった。牧草の上につくとおじちゃんは牛乳瓶を渡してきた。
「丁度休憩にしようとしていたら、サトシくんがきたからさ。サトシくんと牛乳でも飲もうと思って」
そうすると僕らは牛乳を飲みながら、他愛もない雑談を交わした。牧草の上はもう秋だからっていうのも相まって、涼しく、そして牛乳も格別の味だった。
ふと、僕は気づいた。おじちゃんの使っている牛乳瓶は少し違っていた。
「その牛乳瓶、どうしたの?」僕は訪ねた。
「ああ、これかい?」
「うん」
「この牛乳瓶は、家内が一から作ってくれたものなんだよ。大変だったろうに」おじちゃんは思いを馳せるように言った。
「そうなんだ、良いね!」
「ああそいつは良かった、ありがとう」
自分専用の牛乳瓶って、なんだかかっこいいな、そう思った。
だけど、あのときの僕は、完全に気を抜いていた。そう、そんな話をしたあと僕はつい、漏らしてしまったんだ。
――実は僕、学校でいじめを受けていて……
誰にも、言わないと決めていたのに――。僕はとっさに、今まで溜め込んでいた思いが溢れたかのように泣きわめいてしまった。おじちゃんに迷惑をかけたと思った。また、おじちゃんに恥ずかしいものを見せてしまった。色んな思いが交差していていた。するとおじちゃんはたった一言だけ、「大丈夫だよ」そういった。そう言って僕を撫でた。そのせいも相まって、僕は涙が尽きる程に泣いてしまった。
そうこうしているうちに日は横に差し始めた。僕は家へと急いで向かった。おじちゃんには悪いことをしてしまった。そう思って僕は後ろを見た。だけど、おじちゃんは僕が見えなくなるまで、こちらに手を振ってくれていたんだ。
それから数ヶ月が経った。この数ヶ月、外はめっきり冷え込んだ。
だけど、おじちゃんはいつもどおり温かくて優しかった。口数は少ないけど、一言一言に溶けそうな優しさが滲んでいた。僕らの仲はもっと深まった。おじちゃんは僕にとっての最高の友達だった。
カズマたちが学校でいじめきても、何ともなかった。先生や母に適当に扱われても、何ともなかった。おじちゃんがいるだけで、自然と勇気を持てて、どんなことだって簡単に乗り越えられる気がしたんだ。だけどさ、この頃の僕には分からなかったんだ。まさか、あんな事が起こるなんて。神様に僕はひどく聞きたかった。僕は幸せになれない星の下生まれてきたのか。神様、いるのなら早く答えてよ。
あの日、僕はいつものように学校へと向かっていた。その日は雲が少しどんよりとしていて、ひどく冷え込んでいた。だけど、今朝はおじちゃんが来なかった。少し疑問に思っていたが、風邪でも引いてしまったのだろうと思い、そのまま家を出た。だけど、牧場を見て、僕の疑問は不安へと変わった。
おじちゃんの配達に使っていた自転車がなかった――。おかしい、そう思った。すると、近くから救急車のサイレンが鳴り響いた。残酷な予想が頭をよぎり、僕は不安で押し潰された。ただ怖くて、ただただ学校へと走った。
その日は、授業の内容など頭に入っていなかった。僕は学校が終わると、足早に帰ろうとしたが、カズマがおい、待てよ、といってきた。こんな時に何だよと思ったら、またくだらない暴言を僕にしてきた。僕はさすがに頭にきてしまった。そして、後先考えずに「うるせぇな、黙れよ」それだけを言い残して家へと走ってしまった。
ようやく家についた。息を休めたのは一瞬。家に帰ると、そこには悲痛な現実が待ち受けていた。
――ニュースの画面には、おじちゃんの死を伝える内容が書いてあった。僕はそのまま膝から崩れ落ちた。そして、ただ呆然と、その画面だけを見ていた。それから何時間か経ち、母が帰ったきた。母は僕を見た瞬間に驚き叫んだそうだが、僕にはそんなこと分からなかった。
――おじちゃんは死んだ。
ただその現実を受け止めきれずにいたんだ。
次の日から、僕は布団にこもった。もう、何もしたくなかったのだ。人は、受け止めきれない悲しみに出会うと、涙すら流せないみたいだ。だけど、数日経つと僕は、このままではまずいというどことない不安にかられ、学校に向かった。
久々に登校する日、あの日とは違って空は素晴らしく快晴だった。学校に着くと担任は心配してきたが、適当に対応した。その日も、特に代わり映えしない日だった。普通に授業を受けて、放課後を迎えた。カズマには放課後教室に残された。理由は分かりきっていたことで、カズマの無言の行動で明白になった。僕は、先日の発言の取り返しで二発殴られた。痛かったけど、僕には何も残らなかった。カズマは不気味に思ったのか、僕を殴ると足早に教室を去った。
僕も家へと向かった。いつもの通学路、桜は蕾を見せ始め、春の近づきを覚えさせる。だけど、おじちゃんは死んでも、普通に流れ続ける世界に悲しみと怒りの二つの感情を覚えた。
牧場の前まで来た。いつものように牧場の隣を過ぎ去ろうとした。牧場には立入禁止のテープが貼られている。だけど、なにか光っているものを僕は見つけた。目を向ける、牧草の上からだ。僕は無意識にテープを破き、牧草の上へと上った。
分かったよ――。光っているものの正体は、あのときおじちゃんと牛乳を飲んだときに使った牛乳瓶だった。それはこちらに光を反射していた。何だよ、それだけかよ、起こりようもない妄想を見てしまいそう思っていたが、気づくと僕は、自分が泣いていることに気づいた。そして、そのまま崩れ、破顔した。
「おじちゃん!」
そう言って僕は泣き叫んだ。もう、だめだった。おじちゃんがいない、その事実をいざおじちゃんが過去いた場所の前で確認したら、もう無理だったんだ。
ふと、おじちゃん専用の瓶が見えた。おじちゃんの牛乳瓶は温かい光をこちらに反射してきた。おじちゃんだったら、今の僕を見てなんて言うのだろう。あのときみたいに「大丈夫だよ」って言うのかな。そんなことをただただ考えていた。寂れた牧場、光を受ける牧草の上で。だけど、光を反射するおじちゃんの牛乳瓶は、僕にまた別の考えを与えてくれたのかもしれない――。
おじちゃんに甘えた自分じゃだめなんだ。おじちゃんに「大丈夫だよ」って言われない、そんな自分にならないとおじちゃんは悲しんでしまうだろう。おじちゃんに悲しみという感情は似合わない。おじちゃんは穏やかで温かくて優しい人だ。そんなおじちゃんの泣き顔なんて、僕は見たくない。
――そうだよ、僕は変わらないといけないんだ。過去に囚われず、前へ前進しないといけないんだ。そう思う。その瞬間、僕は、あのとき僕が使った牛乳瓶を手に取った。そして、それを空に向けた。
――大丈夫、少しずつでいいんだ。
光は牛乳瓶を透かしている。僕は決意を胸にして、ゆっくりと、おじちゃんの牛乳瓶にこつんとぶつける。
「乾杯、おじちゃん」
牛乳なんて入っていなかった。牛乳を飲むことを意味しなかった。その牛乳瓶は僕に牛乳よりも大きなものを与えてくれた。すっからかんな牛乳瓶を、僕はおじちゃんの牛乳瓶の横においた。
「おじちゃん、見ていて。」
僕は涙を拭い、家へと向かった――。
今作「牛乳瓶がくれたもの」は、私、小太郎の第一作となります。
拙い文章でしたが、読んでいただきありがとうございました!
今後も一週間に一回ほどのペースで制作をしていこうと思いますので、どうぞ、宜しくお願い致します。