10 好きだからとは言い切れないが嫌ではない
スティの一日はパンが届いて始まる。
カランコロンと玄関の呼び鈴が鳴るが、今日は料金徴収日ではないので配達人はそのまま所定の場所にパンを置いて立ち去っているので、起きたままの状態で玄関にパンを取りに行く。
台所にパンを置いてお湯を沸かしながら顔を洗って、沸いたお湯でお茶を淹れる。
朝は生野菜が使われているパンを選ぶ。昼にくたっとし始めたものもそれはそれで趣があるが、美味しいを追求すると朝が良い。なんだか分からないが甘そうなパンも一つ取って食卓につく。
忘れていると大変なので一応手帳を開いて今日の予定を確認。
食事を済ませて着替えをし、昼用のパンとお茶を淹れたポットを持って、下の階にある仕事場に移動する。ポストに入っていた日刊の社会情勢一般が書かれた紙を一通り読んで、気になる記事があれば調べることもあるが、本日は特になかったので執筆を開始した。
昼前にジェンスがやってくる。三日に一度程度、外回りのついでに立ち寄ってくれる。
頼んだ資料や差し入れを持ってくる時もあれば、原稿を持って帰る時もある。基本的には進捗状況の確認が主だ。
見送ってから少し早めに昼食を食べて少しだけ眠る。
午前と午後で書く原稿を分けているので脳のリセットに必要なのだ。
昼過ぎに家事代行の人が来て、掃除と洗濯をしていく。
固定の人ではないので簡単に挨拶を交わす程度で会話はない。
終了の挨拶をきっかけに、散歩がてら工房へ行く。適度な運動と、無責任に思いついたことを喋れるので都合が良い。
アストロが王宮の人を困らせていることもあるので、たまに待たれていることもある。今日は待たれていた。
「ミュレータ―様、王宮に召集命令が出ております」
予定、ではなく、命令と聞いて驚く。
彼らは普段、一般人のスティにも非常に丁寧に接してくれているのに、命令だなんて、と思った。
未だ一般人だと思い込んでいるスティもスティなのだが、言いたい事を言っているだけのスティには思いもよらない。スティは既に要人である。
なにかあったのだろうかと不安を顔にするが、睨んでいると思われているのか、怯えたように緊急でお話があるようですと言う。
いつもなら適当なところで自宅へ戻り、執筆、夕飯、執筆、風呂、読書、就寝、という日常であるが、いつもと違う夕方になりそうだと考えつつ、スティは頷いた。
アストロが、
「真面目な話をしている最中に腹が鳴ったらきまじくない?」
と、蒸したじゃがいもを渡そうとしてきて、ロイコクロにそれだと迷惑だろうと怒られ、替わりにチョコレートとナッツを固めたものをくれる。
最初からこちらをくれれば良かったんではと思ったが、食べるのを楽しみにしていたのかもしれない。明日はなにか甘いお菓子を差し入れに持って来ますとお礼を告げれば、嬉しそうに金属を捏ね始めた。
見送られて王宮へ向かい、魔石や魔道具関係のよく分からない部署の偉そうな人からお話を聞く。文化やら環境やらが肩書に入っていた様な気もするが、長すぎて覚える気にならなかったのだ。目の下のくまも濃く大変お疲れのご様子である。
魔石は順調に使用率を減らしているという話や、今後の権利関係での利益については話が難しくなりそうなので交渉人を紹介しようと考えている、などなど、召集命令の割にはそれほど急ぎでもなさそうな話が続いた。
なにか余程言い難い事なのだろうかと、話の区切りでスティが訪ねれば、スティに見合い話が大量に届いているなどと言う。
「はい?」
意味が分からず首を傾げれば、やはり睨んでいると思われたようで、偉い人は慌てて付け足した。
業務に影響がでるレベルのお問い合わせらしい。
早急に結婚するようにと王命が出ているという。
「そんなに? 登場人物の参考資料になりそうなので頂けますか?」
何人分あるのだろうか、名前だけでも当分困らないかもしれないと嬉しくなってお願いしてみたが、そう言う理由ではお渡しできないと断られた。
言われてみればそうかもしれない。
「あの、結婚するように言われているわけですが……」
心配気に言われて考えてみたら物凄い話である。
「まぁ、お見合い結婚と考えれば変な話ではないと思うのですが、現在進行形で困っていてお急ぎなんですよね? お問い合わせがあったら既婚者ですと言うだけで済むようにしたいと、そういうお話ですよね? 婚約者だと……お問い合わせが酷くなる可能性がある?」
こくこくと頷くのでそういう事なのだろう。
「籍だけ入れて今の生活と変わらなければ誰でも構いませんよ。もちろんあなたでも」
ぶんぶんと首を振られたので彼は嫌なのだろう。
同室にいる誰か別の人はと視線を巡らせれば、顔を逸らしたり、ぶんぶんと首を振られる。
好かれているとは思ってもいないがそんなに駄目なのかと、がっかりする。
「その条件で良い人が居れば紹介してください。私も未婚の友人に聞いてみますので」
お願いして王宮を後にした。
***
「と、言う事があったのよ」
王宮から真っすぐリジウム冒険本書店へやって来たスティは、わざわざカウンター前に椅子を移動してクロストに今日起きた出来事を話して聞かせていた。
クロストは嫌な顔をしながら言う。
「それはスティが悪いと思う。結婚したら財産とか共有になるわけだし、相手が悪い事をしたらスティにも責任が及ぶし逆もまた然り。籍だけ入れて今の生活と変わりなくっていうのは無理」
「王宮の紹介なのよ? 悪事なんて働くかしら? 財産だって向こうの方が多そうだし……ああ、向こうにとって不適当っていう話? それなら何となく分かる気がするけれど」
「改革の発明家なんて呼ばれてる自覚を持った方がいいよ」
「改革の発明家って言語的におかしくない?」
「物を作るわけじゃないし、適当じゃない? あと語呂が良いとかそういう感じだろ? それより、自覚」
とん、と人差し指をカウンターに打ち付けてクロストはスティを睨んだ。
王宮に囲われて安全に過ごしていくと思っていたクロストは、だんだん苛々してきている。
「クロストなら分かってくれると思ったのだけれど」
スティは不満げにため息を付いた。
「国の中核で偽装結婚の打診をしたって言えば事の重大さは通じる?」
「え? そういう話?」
「書け。そして理解しろ。そして真面目に選べ」
クロストが紙とペンをカウンターに並べるが、スティはどうしても納得がいかない。
口調が乱暴になって来たので、閲覧スペースの客もこちらの話に聞き耳を立てているが、何やら絶望的な顔をしてスティを見ていた。
「どうして私が選ばないといけないのかしら?」
「スティの事だからだろ? 好きで小説家をしてるんだよな? それと同じで好きな人と結婚しろ」
「それだとお見合い結婚って不可能だと思うのだけれど……」
スティは仕方なくペンを持って書き始める。
「良さそうな人と会って、問題がなければ結婚の流れだろう? 書類だけ見て決めるわけじゃない」
「会う予定を立てる程に興味を持てる気がしないのだけれど」
「興味もない相手と結婚するなよ」
身も蓋もなさすぎる。
「じゃあクロストと結婚するとして、」
「は? 僕?」
「そう。クロスト。面白いから興味はあるし」
するとして、と言っているのだ。模擬的に書きたいのだろうと、クロストは話にのった。
「……嫁に来るの? 婿に行くの?」
「兄がいるし嫁に行くんじゃない?」
「結婚式は?」
「ああ、いきなりだわ。私はやりたくないけれど王宮の紹介だとやらざるを得ない! ちなみにクロストは?」
「絶対にやりたくない派。住処は?」
「私の家が良いかしら。ここにはロイコクロさんが住んでいるでしょう? 全員別の場所に出勤する感じになるけれど」
「一応同居は視野に入ってるんだな? 生活費は?」
「希望は別居。クロストの場合はロイコクロさんに一緒に住めって出ていかれそうじゃない? 生活費は別で問題ないでしょう? 老後に備えてとかなら共通で決まった額を毎月貯金しても良いわね」
「子供は? 僕は欲しくないけど」
「出来たら喜ぶけど、積極的には求めてないわね。ああ、王宮の紹介だと後継ぎ問題も出てくる可能性があるのね」
なるほど、とスティは頷いた。
「だと、寝台一緒の日があるわけだけど?」
「うわぁ。こういうところに見た目とか年齢の希望とかが反映されるのね……」
ちょっと遠い目をしながら遺伝子の希望と書いている辺りやはりズレている。
「父さんに介護が必要になったら?」
「私がここに通えばいいんじゃない? 交代で一緒に居てあげられるでしょう?」
「僕が大病を患ったら?」
「養えるわよ? 私が大病を患っても暫くは貯金で生きて行けるから安心してちょうだい」
「僕でも養えると思うけど。そっちの両親の介護は?」
「兄次第だけれど、両方一度にということもないでしょうし、それは逆に協力してもらえるものなの? 嫁に行く設定だったでしょう?」
「お互い様だろう? 結婚したら僕の両親にもなるわけだし。引き取るなり、行き来しやすいように引っ越すなり、金にものを言わせるなりやりようはある」
「親の問題も出てくるのね」
「含めて同居の可能性だってあるだろう?」
「条件から外れるから大丈夫だと思っていたけれど、そうね、将来的にはありうる話なのね」
ちょっと結婚が嫌になって来たわ、とスティは書きつける。
「家の事は?」
「最近家事代行を雇っているの。食事も外食にすればいいと思うのだけれど、これも条件に挙げておかないといけなかったわね」
「雇ってそうだけどな、家事代行。僕は自分の分は自分でやりたいけど」
「触られたくないのよね? 逆に私の分は?」
「掃除は出来るけど洗濯が無理」
「残念。やっぱり雇う方向ね」
パシリとペンを置いてスティは伸びをする。
「ねぇ、参考までに聞いてもいいかしら? クロストの結婚しても良い女性の条件は?」
聞かれてクロストは考える。
「……いないんじゃないか?」
自分と結婚しても良いという女性がいるとは思えなかった。
「そうではなくて、クロストの希望を聞いているの」
「さっきからスティに同じことを聞いてたつもりなんだけど」
「ああ、そういうこと」
突然スティは納得して笑った。
「だったらクロストを選びたいのだけれど、私と結婚出来る?」
ついっと眼鏡を押し上げて、クロストは言う。
「それなら別にいいけど」
そういうことになった。




