01 得たから失ったのか、失っても得たのか
「せんせぇー、お願いしますよ」
スティの担当編集であるジェンス・パーフリンは手土産の果物が入ったバスケットを押し付けながら、普段より数段高い声で言う。
スティが無言でテーブルを指差したので、肩をすくめてテーブルにバスケットを置き、勝手知ったる他人のお家と言わんばかりに椅子を移動して真横に座った。
「もう半年も新作を出してないんですよ? 今から再開しても発売日を考えたらお約束の半年は超えてしまうんです。楽しみにしている読者を裏切るような事をして良いのですか? ウチの社も大変恩恵を受けている道具作りの不労収入で生活にお困りでないからこそ! 余裕のある執筆活動と……」
一通り言いたい事を言わせてしまった方が良いだろうと言わせてはいるが、内容は右から左へと受け流している。
以前は真面目にすべてを聞いて反応していたのだから我ながら頑張っていたものだとスティはため息をつきながら眼鏡を外し、読んでいた紙束をかき集める。
寝食を忘れて書く様な勢いが現在はなかった。
こういう内容の、とおおよそを決めて、資料を集め、設定を考えている内にそれが現実に繋がってしまうのだ。
海に眠る船の財宝はあったとしてどこの国の海域で、発見した場合は誰の所有になるのか、そういう、夢のない部分ばかりが気にかかる。
現実を見過ぎたせいだと最初の内は嘆いたりもしたが、現実を知る段階で小説家が出来なかった事が問題なのかもしれないと思い至ったのは最近だ。
現実に存在しない十年は、スティの知識と経験の均衡を崩している。
「……物語が少し難しいので、リポートやエッセイなんかの連載から再開したいのだけれど、それは相談にのって頂けますか?」
文章を書きたくない訳ではない。
作品としてなにかを書いて、クロストに見せたいという気持ちもある。
他の読者からも、待っていますと言った手紙が届く様になった。
先生の小説の主人公の様に冒険者になりたいです、という手紙には、寿命を縮める結果になるのではと、冒険者が死ぬ様を夢に見る事もある。
焦ったところで良いものは書けないだろうと言う思いもあり、実年齢なりの勢いがないように感じていた。
「それならグルメ系なんてどぉです? 先生の読者は男性が多いので作る方ではなくて、リポート系で。いくつか食堂にお伺いを立ててみるので回ってみてから決めても良いですし。新規開拓で女性読者といえば断然美容系ですよね。先生はスタイルも良いし、適当に食生活ではこんなことに気を付けて努力してますとか言えば釣れ……」
九歳年上のジェンスは相変わらず勢いが衰えないので、十年経験したからだろうというのは言い訳なのかもしれない、などと少し途方に暮れつつ、来月からの予定として話を詰めた。
「それでは、先生。執筆再開の宣言記事楽しみにしていますね。雑誌の担当者と話を詰めておくのでまた三日後に。それから、」
帰り際、玄関でジェンスは少しだけ私的な声色で言う。
「引っ越しされてから……戻ってからかしら? お久しぶりのデートなんでしょう? これから忙しくなるんですし、楽しんできてくださいね!」
「ええ。ありがとう。楽しんでくるわ」
スティは微笑んでジェンスを見送ったが、その微笑みはどこかぎこちないものだった。
クロストが旅行中、クロストの家には父親のロイコクロが住んでいた。
休業中に書いていたのは予言の書で、クロストの家は執筆に不向きであったし、スティが大家となった工房でも、アストロと打ち合わせをする時に顔を合わせるので気まずさもあり、それでも寂しさから数回本を借りに立ち寄った程度だ。
出勤するという状況が自分には合っていたように思えたので、思い切って上下に完全に独立した家になる二階建ての建物を借りた。
引っ越しの日の前日がクロストの帰ってくる日だった為、書店に行くつもりだったのだが、リリーに誘われて国境門まで車を借りて迎えに行き、そのまま食堂でお疲れ様会になったのだ。
帰る方向も異なり、結局クロストが居る書店を見ずに終わっている。
外で待ち合わせずに迎えに行くと告げれば良かったなと、少しだけ後悔しながら、スティは出かける準備を始めた。
***
買い付けた本が続々と届くので、クロストは地下に運び込んでは黙々と値付けや貸本用のリストを作り続けている。
旅行中に留守を頼んだ父親とはそのまま同居することになり、どうせ寝るだけだからと、もともとスティが使っていた変形家具を運び、地下をクロストの自室とした。
ベッドの形に変形したままソファにすることもないので、変形家具としては機能していないが、サイズも強度も十二分である。
旅行中に野宿を経験したこともあり、潔癖症度合いが格段に下がっていた。
水魔法が転送魔法の一種でどこの何を飲んでいるのか分からないという雑談からひと悶着あったおかげもあるかもしれない。とにかく色々と吹っ切れた。
脱水症状で発熱するくらいなら、テーブルに置いたままだったコップに水を入れて飲むなど容易である。
「クロスト? まだ起きてるのか?」
階段上から父親が声をかけている。
アストロと共同で使用している工房が近い為、食事時になると帰宅するのだ。
「お疲れ様。起きてるよ。今日はスティと会う約束をしているからこの後出かける」
階段を見上げると父親と目が合った。
留守を頼み、旅行で顔を合わせない期間も良かったのだろう、親子というには少し違うのかもしれないが、同居は上手く行っている。
「おお、そうか。父さんも暫く会ってないなぁ。遊びに来るように言っといてくれ。食事は?」
「食べる。けど、ちょっと水浴びてからにするよ。埃っぽいから」
「じゃあ、ついでに作って置いておく。納期が近いんですぐ工房に戻るから、片付けを頼んでいいか?」
「もちろん。こっちこそ食事ありがとう」
「ついでだしな」
ひょいと父親が階段から姿を消したので、手にしたままだった本を処理して棚に収める。
変わらず丁寧な扱いではあるが、さらりと内容を確認するだけで読みはしない。
クロストが本を読み始めたのは幼少期。
母親が放置しがちだったために暇つぶしに同じ本を繰り返し読むしかなかった。
その内あれこれ想像するようになったが、夢見がちな妄想というよりは現実的な突っ込みになってしまったのは、父親を知るために読み始めた専門書のせいだったのかもしれない。
以降は、子供らしくなどという枕詞で祖父から渡された冒険小説にどっぷりとはまった。読んでいる間は夢の様に現実逃避ができ、現実に戻ればいくらでも突っ込みを入れられる。
専門書を読んで正しく訂正されて物語が破綻したり、全く破綻せずに感心したり、本が本を呼ぶような読み方で、祖父は本屋で、クロストもまた知識と経験の均衡を崩していたのだろう。
野宿の日、明日も天気が良さそうだと見上げている空をつられて見上げて、酷く感動した。
本で何度も読んだ、満天の星空というやつだった。
綺麗でも、凄いでも、本で読んだやつと同じだ、でもなく、ただの感動で、思わず吸い込んだ空気は別に清々しくも冷たくも熱くもなく、言葉にする事が難しかった。
「あれ? 少し東にズレた?」
「地図がいい加減なんじゃないか? 街道が直線じゃなかったろ?」
同行する冒険者に感動はない。時間や風向き、草木の音に反応して頻繁に見上げるから見慣れている。
本も読まずに十年を経験し、旅に出て、何かが腑に落ちてしまった。
少しの暇も許容できずに貪るように本を手に取っていたのはなんだったのだろう。
そんな事が書いてありそうな本を手に取りはしたが、読めなかった。
例外は、もう何度も読み返しているスティの書いた本だ。眠る前に数ページだけ読むことが出来る。
枕元に置いたままだった本を拾い上げて自分用の本棚に収めると、クロストは出かける準備を始めた。
***
「おかえりなさい」
「ただいま」
リリーやロイド達が賑やかに話をしている横で、二人は小さく言いあった。
「読めた?」
「書けた?」
クロストは眼鏡を押し上げ、スティは曖昧に笑った。
それで十分だった。
「一週間後くらい?」
クロストから訪ねた。
「そうね。明日引っ越しだから、私もその方が良いわ」
「どこに越すの?」
「工房方面に停留所三つ分くらい先。近くよ」
「そうだね。ちょうどいい距離なんじゃない? ペルオのパンもギリギリ配達圏内」
「重要よ。ねぇ、前にベンチでパンを食べたわよね? あそこでどう?」
「いいよ。二時でいい? 食事はお互い済ませてから落ち合おう」
「いいわ。それじゃあ、一週間後の二時にベンチで」
「引っ越しは手伝う?」
「業者を頼んだのよ」
そこでリリーが割り込んで来た。
「お前らもめし食いに行こうぜ!」
がしっと掴んだのはスティの腕で、クロストは嫌な顔をしながらロイドに、コレなんとかしろよ、などと軽口を叩く。
短い旅行でまるで冒険者のような口ぶりになっている。
スティはパチパチと瞬きを繰り返して、それから笑った。なんだか嬉しかったのだ。
クロストは眩しそうにスティを見た後、一瞬のばしかけた手を止めて、空を見上げる。
「くもり、かな」
ロイドも、あ? とがらも悪く空を見上げた。
「晴れじゃねぇか?」
晴れとは言い切れない微妙な雲の量だが、聞かれれば晴れと答えた方が気分はいいのかもしれない。
そう思った。




