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読者と作家のリセットマラソン  作者: 弓軸月子
第四章 守られて救う世界

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11 自分について考えたことはありますか?


 驚いて見開かれたクロストの目はそのままスティを映している。

 触れただけの短いキスだ。

 離れると同時にクロストは両手で口を覆ってしゃがみこむ。

 恥らう歳でもないだろうにとジギが呆れた視線を向けるが、どうも様子がおかしい。恥じらっているのではなく嘔吐反射を堪えているようだった。いくら何でも女性にそれは失礼なのではとスティの様子を伺えば、まるで世界征服でも成功させたように笑っている。


「少しでも悪いと思っているのなら私の好きにさせなさいよ?」


 傾げられた首はそれ以上傾けられないところまで傾けているのだろう、押さえられた声量と相まって不気味さが人間離れしている。

 ジギは関わらないでおこうとリリー宛の手紙を転送陣に載せてそっと気配を消した。


「ねぇ、クロスト? その反応全然面白くないのだけれど?」


 そんな事を言われてもそれどころではない。


(うわぁぁぁ、勘弁して欲しい。口内細菌って交換出来るんだぞ。目に見えない生物が口移し……いやいやいや、落ち着け僕。これくらいなら口内細菌の交換は行われないはず。あれ? 最後に飲み食いしたのいつだ? 口内細菌が寝起き並みに増殖してないか? 逆にダメな細菌を渡してるんじゃ……いや待て、保持してる免疫機能が自分と違うと良いんだっけ? 遺伝的多様性? いやいやいや、なんの話?)


 一番最初に思い浮かんだ口内細菌という単語に数度身を震わせながら大混乱に陥っていた。

 スティは膝をついてクロストの顔を覗き込む。

 普通に殴られた方が何倍も良かったと、クロストが色々な恐怖にふるふると首を横に振ると、前下がりに切り揃えられた銀髪が顔を隠した。


「顔が見えないのだけれど?」


 スティは左手でぐしゃりとその髪をかき上げて、頭頂部で手を止め、表情は取り繕ったまま内心で快哉を上げた。


(うわぁぁぁぁぁぁ、可愛いぃぃぃぃ)


 潤んだ瞳に耳まで赤く染めて視線を逸らすなど、理由が嘔吐反射のせいでなければ恥じらっている風である。

 残念ながら嘔吐反射の事実が覆るわけではないのだが、スティは思う存分見続けた。これだけで怒りは霧散しているのだが、折角の機会だ。クロストからは、言っても、聞いても、こないのだ。それなら自分から言いたい事を言わなければなにも進まない。


「可愛いわね!」


「は?」


「間違えたわ!」


 勢いが余った。

 クロストは相手が怒っている時は基本的になすがままであるが、今の発言で怒りが霧散している事に気が付いたのだろう、平常通りの嫌な顔で髪をかき上げている手を払いのけた。


「僕、なにか失敗した?」


 どうして分かったのかという質問だろうとスティは首を振る。


「失敗という話ではなくて、想像がついただけだわ。私を参加させたくなかったのでしょう? 勝手に決めて人を避ける割にはいつも結構人を頼るじゃない? ジギさんがいなかったから頼んだのかなって。私だけ除け者にされたみたいで面白くなかったのだけれど」


「僕一人じゃたいしたことは出来ないからな」


「その調子で私のことも頼ってくれたら良かったじゃない」


「僕の為に大人しくしててくれって? 聞くとも思えないんだけど」


 反論しかけて言葉に詰まる。確かにスティは聞かないだろう。自分の事ながら言う事を聞く状況というのは想像がつかない。


 クロストは足が痺れる前にと立ち上がって、スティに手を差し伸べた。

 スティが大人しく手を取って立ち上がれば、ふわりと床についていた膝の辺りを風魔法が通り過ぎる。

 先程のキスのせいで目に見えない生物にかなり警戒しているのだろう、クロストが許容できないと分かっていてやったことではあるが、悪い事をしたなと、スティは思った。


「やっぱりいない方が良かった? 少しは居たらなって思わなかった?」


 取った手はそのままに、スティは空いている方の手でクロストの頬を撫でる。


「叩かれそうで怖いんだけど? まぁ、スティならこう言うかなと声を聞きたくはなった」


 頬を撫でているスティの手首に手をかけようと手をあげかけて、下ろす。

 叩かれてもいいかとでも思って諦めたのだろう、スティは推測して言葉にする。


「触りたいだけだから叩きません。 え? 何か疑問でもあったの?」


「疑問? まぁ、疑問でもいいけど、回答が欲しかったわけじゃなくて」


「うん」


「合いの手くらいで良いんだけど。君、喋るとろくでもないし」


「お互い様だと思うのだけれど? 寂しかったのね?」


 普通に返された言葉が腑に落ちた。

 別に同意が欲しかったわけでも、意見が欲しかったわけでもなかった。

 単純に、寂しかった。


「ああ、うん。状況的に孤独感が増してたかもしれない」


 思いつめて必要最小限のお願いで押し進めた。

 入れ替わり先で誰一人知らない中で、何とかしようとした。

 いつもなら、と無意識に話相手を求めて余計に孤独感が増したのだ。そんな事にも気が付かなかった。


「それは良かったわ」


 くにっと口角の辺りから頬を摘んでスティは泣きそうな顔で笑う。

 寝ず、食べず、本を読み、空いた時間は自分のことに限らずに自身が出来ることを潰す様にこなす。

 そういう、ある種の狂気を感じさせる、全力で暇を潰している様な生き方だ。

 スティ自身は書くことに特化した生き方であると認識しているが、認識している分マシだと思う。


「守るみたいに遠ざけて、怒られたら距離を置いて、来るものは拒まず、去る者は追わずじゃ、クロストがどこにいるのか分からなくなってしまうわ……」


 うーんとクロストは今度こそスティの手の上に手を重ねた。


「スティが傷付くなら僕が肩代わりをすれば良いと思ったし、怒られてもまぁ仕方ない。僕が悪いわけだし。顔も見たくないだろうから距離は置くべきと思うだけ……」


「だから!」


 スティはクロストの言葉を遮り、激昂を抑え込んで、ゆっくりと言葉を探す。


「クロストが私のために傷付くならそれは嫌なの。私の分は私が傷付きたいしそうするべきものだわ。それから、顔を見たくない場合は嫌いになった場合で、私は好きな人に怒っている時は顔を見て文句を言いたいの。勝手に私のことを決めないで」


 一度言葉を止めて、黙って見上げているクロストと視線を合わせた。


「クロストは傷付かないの? 怒られて君のためだって反論したくならないの? 会いたいと思わないの? 自分の気持ちを蔑ろに、無自覚でいるなら余計に、私からは何もわからない」


 ポロリと瞬きと同時に落とされた涙に、クロストは絶望する。

 怒らせて悩ませて挙句に泣かせた。

 随分と迷惑をかけてしまった。

 重ねていた手を離してポケットからハンカチを取り出して、繋いでいた方の手に握らせる。

 一歩分、距離が離れた。


「? クロスト?」


 ギリリと歯が擦れる音がする。


「……泣いてるし。顔、拭いて」


「……ありがとう」


 言われるがままスティはハンカチで目元を抑えた。

 感情が乱れて出てしまっただけの涙で、欠伸の時に近い。泣きたい気持ちもないのであっさりとしたものだった。


「普通に無理なんだけど」


 だから落とされた言葉に首を傾げるしかない。


「僕はこんなだし、毎回そうやって追いかけられたり怒られたり泣かれたりするの、かなり面倒」


 捨てないと。

 手放さないと。

 壊すような愛し方をしてしまうのだから。


「……あれ? 愛って何だ?」


「可愛がって大切にすること」


「即答だな」


「調べたから」


「飼い猫を可愛がりすぎて精神病にする人っているよな」


「愛が重いタイプね。私は無理だわ」


「じゃあ今すぐ逃げたほうがいい。今なら見逃す」


「サラッと熱烈に告白しないで」


「今すぐ捨てたい」


「勝手に所有したつもりにならないで」


「じゃあ僕が捨てるしかないな」


「私の気持ちにもなりなさいよ」


「無理って言ったじゃないか」


「気が向いた時と暇な時は付き纏うわよ」


「既に忙しい時でも付き纏ってないか?」


「居座っているだけで付き纏っても可愛がってもないじゃない」


「可愛がりたいの? 年上の太り気味の成人男性なのに?」


「今はぽっちゃりくらいでしょう? 可愛らしいわよ、とても」


「そっちから捨ててくれると助かるんだけど」


「一度拾ったら死ぬまで面倒みるわよ。ほっといても死なないでしょう? 忙しいから助かるわ」


「最悪だ」


「ああ、でも言うことを聞いてもらいたいことがある」


「聞いてくれたら答えるけど僕からは無理だぞ?」


「違う。たまにはそっちから来てほしい」


 スティが両手を広げて首を傾げるので、クロストは嫌な顔で近づいて、抱きしめた。


「全部終わったら覚えてなさいよ?」


 スティは低くつぶやいて、ついでに耳たぶを齧った。


「え? 怖い怖い! 君の方が愛が重くないか? ちょ! 無理無理無理無理! 体液が付く! 痛っ! ちょ! 離して!」


 背後で気配を消してリリーとやり取りをしていたジギは思う。

 一つも解決してないがそれでいいのか? と。

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