06 馬鹿なうっかりは物語の進行に必要不可欠
落ちる。
まずは盾に魔力を込めて大盾にし、腕から外しながら次に挑戦する魔法を思い浮かべた。
(次は風魔法にしよう)
そうは思えど洗濯物が生乾きの時に使う程度でこういった時にどう使えば良いのかあまりイメージが湧かない。
クロストは自分に向かって風を吹かせるイメージで、取りあえず叫んでみた。
「風!」
背中から風が抜ける様な、後方に持って行かれる感覚があり、明らかに減速する。
魔法自体が体のどこかから放出されるものなので、そうか背中から風がでるのか、とクロストは感心した。
少し現実逃避も入っているかもしれない。
(全力で使ったら飛べるんじゃない?)
期待と興奮をはらんだスティの声に、グラグラと揺れる体を制御しながらクロストは実際に叫ぶ。
「無理無理無理無理無理!!」
人の体を勝手に使用している状態で能力値も不明である。
細かな制御は出来ず、少しでも体を動かせば軌道が変わるため剣を振り回す事も難しい。
さすが勇者と言うべきか、スペックが高すぎるのだ。
物を取ろうとして間違えて握りつぶすような感覚が近いだろうか。
クロストにはとても制御が難しかった。
(ええっと、これって落ちてる最中に下から向かい風が来て速度が落ちている状態よね? 壁に背を向けたら壁まで行けないかしら?)
(なるほど)
慌てている時ほど深く考えずに納得してしまうものである。
クロストは視線だけで壁の位置を確認し、風魔法の出力はそのまま、壁に背を向ける様に体を回転させた。
(あっ!)
スティの驚きの声はかろうじて聞こえる。
クロストは落下しながら壁に向かって、元居た位置から斜め下に高速で移動し、壁に激突したのだ。
「ッゴフッ、ガッ」
激突した反動で風魔法が切れ、壁から離れた体が持っていた盾によって挟まれるように再び壁に激突する。
一瞬意識が飛んでいる内に再び落下を始めたクロストは、体勢を崩して頭からせり出した壁に突っ込んだ。
***
(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……)
即死だったようで、すぐに落下を開始したスティは、呪文の様に謝罪を繰り返しながら、それでも体勢を整えて盾を大盾にして腕から外し、風魔法を発動する。
(大丈夫。問題ないよ。即死はいい。即死最高)
クロストはとても楽しそうに返答するので、スティはなんだか余計に申し訳なくなった。
クロストとしては、精神的に追い詰められて逆に気分が高揚しているだけで、スティに気を遣って明るく振舞ったわけではないのだが、お互い勘違いに気が付く余裕はない。
(……落下そのままで、剣を振り回せば壁には行けたんだから、風魔法を切って壁に剣を刺して、風魔法をもう一度かければ止まるんじゃない?)
制御に苦労しながらも上手く速度を落としているスティに、今度はクロストが提案する。
それどころではない時ほど深く考えずに納得してしまうものである。
(やってみるわ!)
スティはすぐに剣に魔力を注ぎ大剣にしてから風魔法を切り、落下速度が戻る反動を利用して体を回転させた。
若干反動が付きすぎたのか、くるくると回転しながらではあったが、剣は無事に壁に刺さる。
「ガガガガッ」
剣が壁を削りながら落下を始めたところで慌てて風魔法を発動するが、間違えて背中から風を出してしまい、剣から体が離れそうになった。
「わっ、わっ」
慌てて下に向かって風を放てば、速度は落ち、やがて止まった。
剣に片手でぶら下がっている不安定な状況ではあるが、無傷で停止である。
(……止まったね)
(ええ。止まったわ)
どこか茫然と二人で確認し合い、少しだけ安堵する。
現状はまだまだそれどころではないのだが、前進したと思っても良いのではないだろうか。
(安心したらなんだか環境が気になるわね)
(なに?)
(暑い)
(……へぇ……)
今更と言えば今更だが、ここまでそんな余裕もなかったのである。
当たり前と言えば当たり前に気温は高い。
加えてどうして勇者が落ちていたのかは分からないが、少なくともこの場に来るまでにも動いていたのだろう、体の疲労もあれば、汗もかいている。
じっとりと貼りつく鎧の下の衣服もなんだか気になってきた。
スティは先程使った氷魔法を少しだけ使って涼をとると、さてと、と、壁を見上げる。
(小説だとくるりと腕の力で回って大剣の上にスタッと着地するところだけど、出来る気がしないのよね)
(ああ、出来る身体能力と、動作のコツは別物だよね)
ちょっとした制御にも苦労したのだ。
ぐるりと周辺の壁を見渡して、足場になりそうな形状に目星をつける。
(あそこまで行ければ取りあえず一息付けそうだね)
見ている物が同じなので、クロストも同じ事を思ったようだった。
(ちょっと! うっかり以心伝心つり橋効果でクロストの事が好きかもしれないとか思ったらどうするのよ! それよりも足場よ足場。剣を置いていくわけにも行かないし)
スティはどんな時でも立ったかもしれないフラグはへし折りたい方である。
(認めないが故に長編化する恋愛小説って多いよね。氷だと足場にならないかな? ああ、危ないから剣は握ったまま試しなよ?)
クロストはフラグのフラグが立ったと思考がループする傾向にあるので、あまり考えない様にしているのだが、それだとスティはクロストが好きと断定されたことにはならないだろうか? スティは嫌な事を言うわね、と文句を言いながら壁にいくつか氷を出してゆっくりと足を乗せて体重をかけていく。
魔力枯渇の件もある。慎重にいくつかの大きさを踏み試し、割れたり溶けたりする氷を見ながら、最適なサイズを検証する。
点滅する様な魔力枯渇の前兆もない。
少し大きめの氷の足場に両足をのせ、剣に魔力を注ぐのをやめると、簡単に剣は取れた。
いつのまにか盾も元の大きさに戻っている。
きっと買うと高いんだろうな、などと思いながら、そういえば剣を収める鞘もない。
この勇者、剣をむき出しで持ち歩いているのだろうか。
(ねぇ、十分間が繰り返されるって言ってなかったっけ?)
クロストに言われてどれくらい時間がたったのか気になった。
(言ってたわ。もう結構経ってるわよね?)
この状態で入れ替わったら勇者はまた死ぬかもしれない。
取りあえず目的の場所まで移動しなければ時間制限に引っかかりそうだ。
慌てて行動を開始しようとしたスティは、ひとつの事を忘れている。
氷は溶けると良く滑るのだ。
「え?」
踏み出した足はつるりと後方に流れて前のめりに転んだ先に地面は無い。
頭から落下して体勢を立て直す間もなく隆起に激突し跳ね飛んだ。
「ははっ」
スティは空中で声に出して笑う。
(笑えないし)
クロストの冷静な声が聞こえた後、絶命した。