19 ギリギリ五徹目には入らなかった
閉店時間の頃にはクロストの頭痛は最高潮に達していた。
体が悲鳴を上げると言うのはこういう事だろうか、いつもなら収支の記録も済ませてしまうのだが、どうにも頭が回らない。
横になったところで寝られそうもない頭痛に、これだけふらふらしていたらスリだって標的にしてくれるかもしれないと、魔道具師のアストロから貰った店の防犯用の網を手に家を出た。重症である。
「おう、どうしたクロスト? 寝ねーの?」
昨日開店時間直後に来て仕入れた本を読み、満足げに帰って行ったミクが、自分の店の前を掃除していた手を止めて驚いた様に声をかけてきた。
「飯食べてから爆睡しようかと。開店時間前に起こしに来てくれ」
「は? 外食? クロスト、マジで言ってる? ウチで食ってけば?」
クロストの性格的に普通の外食は無理である。
寝不足で気でもふれているのだろうかと、ミクは心配で大きな声になってしまった。
クロストはうるさそうに眉間に皺を寄せると、眼鏡の位置を直しながら言う。
「高熱の時、咳をすると頭に響くだろう? 響くんだよ、大きな声。こんな朝っぱらから人の家に上がり込んで朝食は食べないよ、友達でもないのに。ああ、でも、心配? 心配になるとかそういう? どうもありがとう」
毎日のように顔を合わせている気がするのだが、やはり友達ではないらしい。少々のショックと、丁寧な感謝の言葉に、本格的にこいつは大丈夫なのかと、ミクはまじまじとクロストを見るが、見れば見る程駄目そうだった。
「どこまで食いに行くんだ?」
「道具街の方で朝食販売車が出てるんだろう? 穀物類を色々砕いて焼いて、乳製品とハチミツをかけて食べるのが流行っているらしい。焼かれた穀物類なら大丈夫だ。乳製品とハチミツさえかかってなければ多分いける」
それはもう、流行りの朝食の形からはズレているのでは? とミクは思う。それに巡回車で行くほどに距離がある。
加えて片手に財布、片手に筒のような物を持ってふらふらしているのだ。
後ろから押せばすぐに倒れるのではないかと、ミクは頭をかいた。
「あー、クロスト、それならここらでも手に入るだろう? あと、両手がふさがってると危ないから、その財布と筒はポケットに仕舞おうな?」
「この筒は下から風魔法を当てると網が出て、網の四方に風属性の魔石が付いてて、四方に網が広がるんだって。だから持ってないと咄嗟の時に起動できないだろう? 財布は持ってないと、財布を持ってるか分からないじゃないか」
「分からなくていいし、一体何を掴まえんの?」
「……魚? 巡回車見えてるな、急がないと、じゃあ!」
足早に去っていくクロストの耳に、道具街に魚は泳いでないと思うぞ、というミクの言葉は届かなかった。
巡回車に乗り、今しがたミクと話した内容すらあやふやで、クロストは小さく笑う。
頭が痛くとも大人しく布団に入っておくべきだったかもしれない。いや、頭が痛いからこそ布団にはいるのだ。どうしてこんなに行動をしているのかも、なんだかよく分からない。
本人としてはふわふわとした感覚であるが、傍目にはふらふらと夢遊病者のような有様で、おまけに財布まで手で持っている。
だから、道具街の朝食販売車で賑わう辺りが一番近い停留所を降りてすぐに、とても簡単にスリは釣れた。
人の流れに沿って、後ろから、ドン、と体当たりをするように通り過ぎた男は、紐のついたクロストの財布を掴んでそのまま進んで行く。
ピン、と手首に繋げていた紐が引かれて、クロストは前のめりに倒れかけながら反対側の手で持っていた防犯用魔道具に風魔法を注いだ。
「ボッ」
わずかな音を立てて筒から飛び出した網が、クロストの財布を持った男とその周辺にいた人を巻き込んで覆いかぶさる。
紐で繋がっているクロストも引きずられるように地面に座ってしまった。
ピーピーと治安維持会の巡回員が笛を吹いているのが耳に入り、逃げられたら大変だと紐を辿って財布を持って網の中でもがいている男の上に乗り、大声を出す。
「スリです! 僕の財布、紐付きなんでこいつで間違いありません! 巻き込んだ方、申し訳ありません! お怪我はありませんか? 網を浮かせるので引っかかりそうなところがあれば気を付けてください!」
四方に風属性の魔石が付いているので、網に風魔法を送り込むと発動箇所に集まってくるのだ。
周辺に居た人々も手伝ってくれ、巻き込まれた人たちは無事に立ち上がっている。
巡回員もやってきて、無事スリは捕獲、その後、事情聴取の為に治安維持会の詰所へ連れて行かれた。
犯人は、
「ぶっ殺してやる!」
などと口角に泡を溜めながら怒鳴り散らしていたが、クロストにとっては頭に響いて不快なだけである。
この男がそうかは、本当のところ分からない。それでも多分この男なんだろうと、そう思えた。
この先四十三人の人間を殺して、だったか、ああ、でもそれは街を去ってからの話で。クロストはポツリと聞く。
「今まで何人殺したんだ?」
「知らねぇよ! 数えているわけねぇだろ、そんなもっガッ」
男が言い終える前に巡回員は手にしていた棒で男の口を塞いだ。
「ろくでもなさそうだ」
巡回員は涼しい顔でそういうと、クロストとは別の場所へ男を運んでいく。
事情聴取は男に捕縛歴や余罪があった関係で長くかかった。
回らぬ頭で何とか話をし、巡回員に心配されながら帰路につく。
巡回車を降りて、今度はペルオに声をかけられた。
どうして皆して表に出て店先を掃除しているのに自分に声をかけるのか。
クロストはぼうっと、さっき起きた事を話し、返ってきたペルオのお小言に耳を傾ける。
顔色が悪いとか、そんな状態で出かけたのかとか、保護者のような口調が突然間延びした。
「あれぇ? スティちゃん、こんにちは! またそんなに紙ごみ出ちゃったの?」
「……」
スティ? と思い振り返った時、スティの後ろから歩いてくる父親が目に入る。
「……」
スティは後から近付いている父親に気が付いていない。
「なに、二人とも黙っちゃ……て」
ペルオがクロストの視線を追って気が付いた。
時間的には仕事中のはずの父親は、その手に酒瓶を持っている。
スティが殴られるかもしれないと、言葉より先に手が伸びていた。
クロストよりもスティの方が背は高い。
肩に向かって下から伸ばした手はスティのバランスを崩してしまったが上手く後退させられた。
一歩前に出て父親を睨みつけると、クロストを認識出来ていないような視線が返ってくる。
「どこで手に入れたんだ?」
そう聞けば、空の酒瓶で肩を叩きながらまっすぐにクロストに向かって歩いてきた。
少し手前で息子であると認識したのだろう。驚いて、悔やんで、クロストの前で立ち止まった父親は、
「お前なんでこんなとこにいんの?」
と、こんなところにいるお前が悪いのだと、爆発する。
酒瓶でクロストを殴りつけた。
左肩に落とされただけの酒瓶は、そのまま惰性で振りぬかれて左こめかみにあたり、眼鏡を歪める。反対側からもう一度振られた酒瓶が右頬にあたったが、父親もふらふらしていて、全盛期ほどの力はない。クロストは真上から振り下ろされた酒瓶を片手で受け止めてから地面に叩きつけて割った。
「ああ、酒が」
座り込んで割れた酒瓶の底に目を彷徨わせる父親に、水魔法で頭から水をかけた。
「もう空だったろ?」
クロストもしゃがみ込んで視線を合わす。割れた酒瓶を口に入れでもしたら怪我をする。
父親の両手を取って手のひらを下向きに地面に置き、上から抑える。
「クロスト! 大丈夫かい!?」
近所の人が声をかけてくれるが、暴れられたら大変だ。
父親から視線は外さずに小さく返答する。
「平気です。酒飲んじゃったみたいなんで、離れててください」
視界の端に巡回員と医師の姿も入った。
「父さん、ゴメン。トウェインさんに顔出してやれって言われたんだけど、上手くやってた風に見えたし、僕もちょっと余裕がなかった」
「あ……」
父親の目がようやくクロストを見る。
「クロスト大丈夫か?」
巡回員が声をかけてきたので、今度はそちらを見て返事をする。
「はい。ご迷惑おかけして申し訳ありません」
「ロイ」
短く声をかけられて、父親は小さく頷いた。
「クロスト、ごめんなぁ」
水をかぶったせいで分からないが、その声は泣き声のように震えている。
「殴ったんだ。連れて行ってくれ」
「わかってる」
巡回員は小さく答えて、両方から父親を抱えて立ち上がらせた。
代わりに医師がしゃがみ込んで、クロストの顔を診る。
「名前は言えるかい?」
「クロスト・リジウム。先生、大丈夫です。殴られたせいじゃないです。ちょっとしばらく寝るのを忘れてて」
「ああ、眼鏡の金具で傷が出来てるね。大丈夫、後でお父さんもちゃんと診るから安心しなさい」
「……宜しくお願いします……」
「おおい、だれか、彼を家まで運んでくれ」
医師の言葉を微かに聞きながら、クロストは気絶するように眠りについた。




