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読者と作家のリセットマラソン  作者: 弓軸月子
第二章 国外脱出する密偵

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13 貸出には身分証明書の提出が必要です


 図書館に戻った二人は取りあえず机に突っ伏した。

 スティに至ってはゴツゴツと良い音を立てて数回、額を打ち付けてからである。

 お互いなにか話をと思うのだが、どの伝えたい内容も言うだけ無駄になりそうだと、考えすぎて声が出てこなかった。

 暫くして先に現状を諦めたのはクロストで、起き上がって眼鏡を直しながら、正面に居る人物を視界に入れてため息をつく。

 閉じた本を胸元に抱き込んだ司書が立っていた。

 いつもなら脱兎のごとく逃げ出しているはずだが、どうしたのだろうか。


「仕事に戻らないんですか?」


 神様のご配慮というのは継続されているらしく、相変わらずそこに居るのに詳細が把握できない。

 輪郭が陽炎のように揺らぎ身長も体重も服装も確定できず、声は男でも女でもない独特な音声だ。


「平等性に欠けると考えました」


「平等性?」


「閲覧室に二人でいらっしゃることが多かった。しかし最近は見かけず、最後に拝見した際は司書の顔や声を一人づつ確認されているご様子。神様のご配慮がありましても、どなたがあなた方なのか、当方からは分かりやすいのです」


 それはそうだろうな、とクロストは納得する。

 平等性というのなら姿でも見せてくれるのだろうか? なにが言いたいのか分からずに眼球があるであろう辺りに目を向ければ、司書側からは目があった様に感じたのだろう、顔ごと背けられた。


「個人を特定されるのは当方としても未だ許容しがたく、こちらの状況説明を情報提供として平等性の均衡は保たれませんか?」


 クロストはふん、とつまらなそうに頬づえをついて言う。


「それはあなたの自己満足の話だよね?」


 知ったところでどうにもならないと思うのだ。

 横でスティがむくりと起き上がる。


「私は知りたい。でも、平等性の均衡が保たれるかどうかは情報の内容によって判断をしたい、です」


 ぐずっと鼻をすすっているし目も真っ赤だった。

 突っ伏していただけではなく泣いていたのだろう。

 何故泣くのか考えが及ばないクロストはカタッと椅子を鳴らしてスティから距離を取る。

 司書からクロストへ視線を移動させたスティは恨めし気に訪ねた。


「さっきからその反応は酷くない?」


「酷いのは君の情緒だろ?」


 間髪を入れずクロストは言い返すと、そのままの勢いで席を立った。


「どっちにしろ僕は司書さんの情報はいらないし、今日はこれで帰る。必要だと思ったらまた連絡して」


 スティは思わず後ろを通り過ぎるクロストの服を掴む。


「……」


「……なに?」


 目が合ったのに無言のスティに、疲れ切ったかすれた声でクロストは聞く。


「……連絡はしていいのね?」


 引き止めてまで確認する事だろうか? クロストはちょっと肩の力を抜いた。

 なにに体を強張らせていたのか、自分でも分からない。


「そっちが必要だと思えば」


 そっと掴まれていた服の裾を持ち上げてスティの手を放すと、普通の足取りで普通に閲覧室を出て行った。

 その背中が見えなくなるまで見送ったスティは、体勢を整えてから一度両手で顔を覆い、今日何度目かのため息を付いて、視線を司書へ戻す。


「失礼しました。情報提供をお願いできますか?」


「……よろしいのですか?」


 聞かれてスティは右手を片頬にあてて首を傾げて考えてみた。


 クロストから連絡は入れてこないという宣言にも取れたので、これは嫌われたかな、とショックではあったのだけれど、考えてみたら嫌われそうな事はしたような気がする。

 とはいえ、だ。こちらから連絡をしても良いと言うのだから、今までと変わらないような気がしてきた。

 図書館に居たクロストに話しかけたのも私だし、お茶に誘ったのも私だし、呼ばれてもいないのにお家にも行っているのも私だし、近場に越したのも私だし、今日だってクロストを迎えに行っている。

 理由も謝罪内容も分からなくとも謝るのは簡単だとは思うが、それが通じるとも思えなかった。

 どうせニ、三日は今日の事をまとめて書くと思う。書いている内にクロストの考えや気持ちも分かるかもしれない。それなら別に慌てなくとも今は保留で良いだろう。


 決めた、と、頷いてスティは顔を上げた。


「問題ないです」


「……問題があると思いますが……」


 あ、ちょっと呆れられているな。

 司書の口調にそんな色を含んでいた。

 あの繰り返しを司書が把握しているとは考えにくい。その上で先程のやり取りを目の前にし、スティに呆れるというのはどういうことなのだろう?


「どうしてでしょう? 彼はもともとああいうそっけない態度を取るでしょう?」


「……そうでもありませんよ。司書の間では彼、人気がありますよ」


 聞き間違いではなかろうか、そんな失礼な事を頭を過ったのが伝わったのだろう、司書は続ける。


「例えば本の場所を聞かれている職員の横を通る時、分類記号を伝えてくれたりします。逆に分類番号が異なると思える場合は小さな紙に訂正した分類記号を記載して返却してくださることもあります」


 本の背表紙に押された分類番号はそのまま図書館内のどこの場所にあるかが分かるのだ。

 これは図書館に通い詰めている人間であればある程度把握しているが、分類が難しい内容や間違いやすい表題の本も多い。

 司書が返事に窮するような本でもどこが置場か把握しているという事だろう。私が司書でも助かるし好きになりそうだ。スティは知らず口角を上げて司書の次の言葉を待つ。


「台車に積んだ返却本の冊数が多い時などは、数冊まとめて手に取って、書棚に収めてくださることも少なくありません。時折、糊の弱くなった本の修復もしてくださいます」


 それはその本が読みたいか本の積み方が気にいらないかのどちらかで、司書のために行っているわけではないと思われる。本の修復も気になっただけだろう。


「彼が罵倒している本は絶版や除籍候補に上がる事も多いので、事前に準備もできます。絶賛している本には逆の事が言えますが、事前に準備が出来ると言う点は共通しています」


 それはただ愚痴と願望を声に出して振りまいているだけである。

 上がった口角はまた知らない内に元に戻っていた。


「司書、という職業の方に人気が出そうな挙動であると言うのは理解できますけれど、やっぱりあなたが私に問題があると言うほど彼を分かっているとは思えないのだけれど?」


 余計なお世話、と思いながらスティが告げると、顔色の変わりなのだろうか、司書の輪郭が落胆しているように揺らぐ。


「……お二人を特定した上でこちらの正体を明かさずに概要だけ説明しようとご提案させていただきましたが、自己満足だと返されました」


「ええ、そうだったわね」


「なにが言いたいのか、というお顔を向けられましたので、脅迫と取られたのかもしれません。説明後は取るに足りないと言ったお顔でしたので、この警戒はすぐに解かれたのでしょう。当方が後ろめたく思い、自分の状況、つまり、自分が不利になる様な情報をお伝えしたところで、自分には意味がない、自己満足の為だけならば言うべきではない、当方はそう取りました。そういう方なのではないでしょうか?」


 言葉は足りないが優しいところがあるのはスティも分かっている。

 そういう気遣ってくれる部分を好ましくも思っていた。

 けれど。


「それこそ自己満足だと返すべきでは? 誤魔化して騙して守っているつもりで不安にさせて、それでは本末転倒でしょう? 大体、泣こうが喚こうがああして逃げますよ? しかも面倒事はごめんだという意味で」


 言っていて涙が溢れそうになるのを上を向いて誤魔化した。

 司書は今度は揺らぎもしなかった。


「本の中の男女ならば、追いかける、あるいは出口でいつまでも待ち続ける、もしくは夜遅くに訪ねてくる、そういった場面でしょうか」


「本の中ならそうでしょうね。現実には追いかけないし、出口には誰もいないし、私から訪ねなければ十日は顔を見ないと思いますよ。その間もお互いたまに思い出すくらいでずっと悩んだりはしないでしょうね。だから私は今、あなたのお話を聞くために時間を割いても問題ありません」


「……畏まりました。この情報は後程お二人で共有されても構いません」


 そう前置きをして自己満足のために話を始めた司書は、最後までクロストに伝えろとも、話し合えとも言わなかった。

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