5ヶ月目
「あああ…………暑い………………」
迷宮都市が夏の盛りを迎えた5ヶ月目。今日は、格別暑かった。
うだるような暑さに倒れ込み、私はただ意味もなくうめき声をあげた。
風通しの悪い――風を通す窓がろくにない我が家は、まるで噂に聞く灼熱の第28階層のように思えるほどだ。当然行ったことはないけれど。
ふと顔をあげると目に入ったレオヴァルトさんの木は、白銀と夕闇色をしていて、なんだかとても涼しげに見えた。私はその木の1番太い幹をむんずと掴んだ。
「ひんやりする……」
冷たさにほっとした一瞬後、自分がなにを仕出かしたのかを理解した私はゆっくりと指を開いてそっと手をひいた。
「だめだ……第3階層に行こう……」
私はマントとツールベルトを引っ掴んで、緩慢な動きで家を出た。
§
「涼しい!!」
第3階層はひんやりと涼しい洞窟になっている。ここの入口周辺までが、私が出入りできる限界の範囲だ。暑さにやられながらもしっかりと持ってきた魔物除けの香をきちんと焚き、俄然やる気を取り戻して私はいそいそと採取の準備を始めた。魔物除けの香もタダではない。ここに生えている苔の一部が薬の材料になるのだ。
カリコリと音を反響させて苔を削ぎ取り、薬になるものを選別し、きれいに洗って乾燥させる。そんな作業に没頭し続けて、私はふと我に返った。
「さむい!!」
私はあろうことか、ペナペナの部屋着の上にマントを羽織っただけの格好でここに来てしまっていたのだ。
「さむい!!ばかじゃないの!!」
作業に没頭している間に私の体はすっかりと冷え切っていた。
「リナリア?」
自分のばかさ加減に泣きそうになったとき、後ろから耳に馴染んだ声が聞こえた。
§
「ぬくい………………生き返る………………」
じっとりとした第2階層をレオヴァルトさんに励まされながら歩き、私は第1階層に戻ってきた。第2階層は暑いと思って歩くと暑く、寒いと思って歩くと寒いので腑に落ちない。私はほっと息をついた。
「そんな格好で第3階層に降りちゃだめだよ?」
レオヴァルトさんはとても真っ当なことを私に言った。
「暑さで頭がどうかしてたにちがいない…………」
私はすべてを暑さのせいにした。
レオヴァルトさんは一度口を開きなにかを言おうとして――そしてにっこりと笑って口を閉じた。飲み込まれた言葉はきっとお小言だと私は確信した。せっかく飲み込んでくれたのだから、突付いて蛇を出すわけにはいかないと、私もにっこりと笑ってごまかした。
「ここで一緒に食べようか」
レオヴァルトさんは口を開いた。
「食べたくなったから、下でちょっと珍しい実を採ってきたんだ。美味しいのにすぐ傷むから、市場には出回らないんだけど」
夜にはだめになるから、リナリアは運がいいね、とレオヴァルトさんが笑いながら袋を取り出し、口を開いて中身を見せてくれた。そこにはころんとまんまるな、赤いガラス玉のようなものがいくつも入っていた。
「これ実なの?食べられるの?」
信じがたくて私はそうたずねた。きらきらと誇るように輝くそれは、いかにも偉い人の指や耳にくっついていそうに見えた。
「食べられるよ。はい、あーん」
レオヴァルトさんは実をひと粒私の口に放り込んだ。私はそれを口の中でころころと転がしてみたけれど、思った通りに硬くて味がしなかった。
「噛んで」
そう言ってレオヴァルトさんは、自分の口にも実を放り込み噛んでみせた。私は意を決してそれに歯を立てた。
「なにこれ………………」
表面の膜はカリンと硬く、噛めば果肉は心地よい歯ざわりと共にシャリンと高い音を立てた。シャリンシャリンと音を鳴らしてその実を噛みしめるとたちまち口の中いっぱいに涼やかな甘さと芳香が広がり、そして清々しい余韻を残して溶けてなくなった。
「なにこれ………………!」
私は叫んだ。
「こんな美味しいものが市場に出回らないなんて!!」
「美味しいよねえ」
レオヴァルトさんはのんびりと答えた。
うだるような暑さから逃げてきた迷宮で、私たちは2人で草原に腰かけて美味しいとはしゃぎながら大切にその実を食べた。それはとても幸せな時間で、私はこの実がなくなってしまうことも、この時間に終わりがくることも、とても惜しいとそう思った。
ついに残り2つになってしまった袋をみて、私はおしまいになってしまうことが寂しくて、しょんぼりと肩を落とした。レオヴァルトさんはそんな私をみて、お土産、と言ってその袋を私に持たせてくれた。僕はいつでも採りに来られるからこれはあげる、また採ってきたら一緒に食べようね、とレオヴァルトさんは笑った。
私はこの素敵な時間ごと家に持って帰れる気がして、そして今日のこの時間が終わってしまっても、また次があるのだと思ってほっと息を吐いた。
§
「あのねミイナさん、私今日レオヴァルトさんに美味しい実をもらったの。ちょっと珍しいんだって」
苔の買い取りをしてもらうために向かったカウンターで、私はミイナさんに話しかけた。
「少ししかないから、これはないしょね。夜には傷むって聞いたから、すぐに食べてね」
私は声をひそめて周囲を伺うようにしながら、手のひらの下にひと粒の実を隠してそっとミイナさんに渡した。
ミイナさんは渡された実をあらためて、一瞬かちりと固まった後ににっこりと笑った。
「ありがとうございます。内緒でいただきますね」
私は、ミイナさんも美味しいと喜んでくれると嬉しいな、と浮き立つ気持ちで家に帰った。